白百合と杏
拝啓 お父様へ
お父様が遠征に行ってしまって今日で2週間経ちましたね、私とお姉さまは元気です。最近はキティがお外に出たがらない程に寒くなって大変ですがそちらは大丈夫ですが?
体調に気をつけてください、お姉さまも私も心配しています。
アンより
「あっ!アン!私はお父様のことなんて心配してないからそれ消して!!」
「あら?でもお姉さまこの間寒くなってお父様達が風邪をひかないか心配していらしたじゃない?」
「してないわ!駄目駄目なお父様に付き合わされている部下たちが心配だっただけよ!!」
揶揄うように笑うと、姉はタコのように顔を真っ赤に膨らませて拗ねてしまった。
父には定期的に手紙を送っている、元々父は忙しい人だから家にあまりいない人だが2人だけでの食事は少し寂しく感じてきた。
「あらら?もう一通のこのお手紙は誰あてかしら??」
「ノアよ、文通しましょうとお誘いを受けたの。」
「まあ………ちっ、あのクソガk…んんっ!まあ良かったじゃない!」
「ええ、文通出来るお友達が出来て嬉しいわ…初めてなのよ……。」
前の記憶でも友人と呼べる人は出来た事が無いので本当に嬉しい、文通と言っても季節や花、お互いの身辺の変化についての内容ばかりである。
(お友達と文通なんて初めてだからこんな内容ばかりでいいのかしら?ノアも退屈すぎる内容のせいでお返事をくれなくなったらどうしよう……。
「お姉さまもご友人と文通などしてらっしゃる?」
「ええ勿論!ローゼとも文通をしているの!!ローゼは婚約者との顔合わせがあったみたいだけど大変だったみたい…タイプじゃないし、性格も合わないから早速喧嘩したらしいの…」
「顔合わせで喧嘩だなんて……流石ローゼさんね…。」
「あの子短気なのよね、しっかりしてる子だから…。」
姉はまだ婚約者は決まってないが、父が帰ってきてから婚約者が決定して顔合わせを行う予定である。
ーーーまあ決まったとしてもどの道オスニエルと結婚するのだから関係ないのよね、可哀想な婚約者さん…。
姉の婚約者となる予定の人を前の記憶がある私は知っている、この国で宰相を務めている公爵家であるラスウェル家の子息と婚約を結ぶ。
名前はゲヴィン・ラスウェル 彼もまた現在の宰相である父親の後を継いで宰相として王に仕えた。
前の記憶での彼に対する印象は最悪である、彼はとにかく頭がいいので少し勉強が苦手な姉とは仲良くなかった…何故ならゲヴィンの口癖は
「馬鹿と話などしたくないんだ、吐き気がする。」
である。
確か顔合わせの時にいきなり姉に難しい数学の質問を投げかけ、当時7歳の姉に応えられる訳もなく姉は黙ってしまうと罵声を浴びせて泣かせてしまった。
私は隅の方からそれを眺めていた記憶がある、前の私と彼は1度だけ話した事があるが内容はあまり覚えていない。
「私も顔合わせがあるのよね…緊張するわ………アンお願いだから傍にいてくれないかしら?」
「そうしてあげたいけど多分ダメよ……少し時間が経てば大丈夫と思うわ。」
「本当に!?お願いね!約束よ!!」
それから姉と取り留めのない話をした後にそれぞれお稽古の時間になったので解散した。
「お嬢様、今日は礼儀作法の時間でございます。」
「ありがとうクロエ、終わったらお茶を出してくれる?お姉さまと私の分ね。」
「はい、かしこまりました。」
礼儀作法はもうすぐ社交界デビューを迎える私にはとても必要である、前の私も一応社交界デビュ―をしているが今回のようにちゃんと授業を受けさせてもらえた訳でないので緊張してしまう。
前の私はあまりパ―ティ―やお茶会などに参加したことがないので困らなかったが、参加した時は大変だった、一緒に参加した姉や同い年くらいの令嬢の動きを必死に観察して真似をして誤魔化していたが…多分誤魔化せていない、大体の人はそれでも表面では友好的だったが裏ではちゃんとした社交界の知識もない自分に自信が無くずっと俯いていた私の事を見下していた。
その結果が「臆病な杏姫」である。
もう臆病だなんて言われたくない、誰にも弱いところを見せたくない、姉のように優雅に公爵家の令嬢として自信を持って接することが出来たなら…みんなは少しは私の事も見てくれるだろうか?
授業を行う場所の客室で待っていると、私の家庭教師をしてくれているソロ―子爵夫人が部屋に入ってくる。
「アンお嬢様、お顔が強ばっておりますが大丈夫ですか?」
「ソロ―子爵夫人ご機嫌よう、今日もよろしくお願い致しますわ。」
前の授業で習ったように礼をすると、満足したように頷いた。
ソロ―子爵夫人は姉にも礼儀作法を教えた経験があり、母と友人であったらしくお願いしたところ快く私にも教えてくれることになった。
「前回の授業をちゃんと覚えているみたいですわね…宜しいでしょう。前回は挨拶でしたので今回は歩きの動作と会話の時の動作についてです。」
子爵夫人はなかなかにスパルタである、姉が子爵夫人を見る度に顔を真っ青にして震え上がる程にかなりきつく教育を受けたらしい。
「リリィお嬢様よりは覚えがいいのですぐに覚えるでしょう、貴方は実践に強いのでひたすらに繰り返して身体で覚えなさい。」
前の私の記憶で覚えている、必死に観察して身につけた経験と最低限の知識のお陰で何とかなっている。
「貴方は顔を俯く癖があります、顔を上げなさい。地面と会話でもする気なのかしら?常に顔は前よ。」
「はい、以後気をつけますわ。」
それから2時間ほど子爵夫人のスパルタ礼儀作法の授業が続いた、夫人は厳しいがそこには私に社交界に出て困らないで欲しいという気持ちがあることが強く伝わる。
「……まあ及第点ですね、今日はここまでです。」
「ご指導ありがとうございましたわ。」
「離れから屋敷に移って生活はどうかしら?」
「姉も父も使用人達も優しいので全く困っておりませんわ、気にかけて下さり感謝します。」
「気にかけた覚えなどありませんわ、貴方が彼女の娘として社交界で情けない姿を晒すかもしれない事が耐えられないから授業を引き受けただけですので。」
棘のある言い方だけど、夫人は私の事を友人であった今は亡きお母様の娘として見てくれている、そこに爵位や年齢なんて関係ない。この人は私の事を本心から心配してくれていると思うと、亡き母は優しい友人に恵まれていたのだと嬉しくなる。
「アン!終わったのでしょう??お茶にしましょう!!」
「あら?リリィお嬢様、ノックもせずに大声で走りながらどうされたのかしら?火事でもあったのですか?挨拶もせずに……余程の事があったのですね。」
「あっ…!ごっ!ご、ご機嫌ようソロー子爵夫人、お久しぶりですわねーーオホホ……。」
「アンお嬢様の授業はおしまいよ。お久しぶりねリリィお嬢様……宜しければ私の授業の復習をしましょう。公爵家のご令嬢の貴方ならちゃんと覚えているでしょう?」
顔が真っ青な姉と、ニコニコと恐ろしい雰囲気で微笑む夫人……今日はお茶は私の分だけで大丈夫だろう。
心の中で肉食獣に見つかった小動物のように震える姉に健闘を祈りつつ部屋を去る。
部屋の前で姉付きのメイドが待っていて1人だけ出てきた私を見て少し驚いた。
「お姉さまなら夫人と復習コースよ、1時間は出てこないと思うから別の仕事に回ったほうがいいわ…。」
「あぁお嬢様だからあれほど……ありがとうございますアンお嬢様…そうさせて頂きます。」
姉付きのメイドがさったと同時にクロエが顔を出す、
「お疲れ様です、何となくこうなるだろうなと思ったのでお嬢様の分だけお茶の用意をしております。おやつにマフィンがありますよ。」
「私はお茶だけ頂くわ、マフィンはお姉さまと食べたいの。」
「かしこまりましたすぐにご用意します。部屋に帰りましょう、キティが2人を探して鳴いていましたよ。」
部屋に帰るとキティが私に向かって飛びついてきた、受け止めて撫で回す。嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らしているキティに癒される、クロエと一緒に毎日手入れをしているお陰かふわふわサラサラの毛は手触りがとても良い。
それからクロエの入れてくれた絶品の紅茶を飲んだり、本を読んだり、キティを撫でたり抱っこしたりと堪能しているとすっかりくたびれた姉が部屋にやってきた。
「アンー!!礼儀作法の授業なら早めに言ってよーー!夫人にしごかれて死にそう!!」
「うふふっ、あら大変死なないでお姉さま、今クロエにお茶を入れさせますね。マフィンもありますよ?」
「頂くわ!あっ!キティこちらにいらっしゃい!」
姉がいると楽しい、一気に場が明るくなる。
「まあこのマフィンとっても美味しいのね!私の好きなベリーが入ってるわ!!」
「それこの間クロエと一緒に作ったのよ、お口にあって良かったわ。」
「まあ楽しそう!私も誘ってくれれば良かったのに…」
「お姉さまはその時、お茶会行ってたでしょ?今度一緒に作りましょう。
「そうだったの?私お茶会なんて楽しいけど疲れるわ、みんなの望む公爵家令嬢としての私を演じるのは疲れるのよ。」
いつもお茶会やパーティーで美しさと明るさから人気者だった姉がそんな風に思っていたなんて初めて知った。
「白百合姫だなんて酷い呼び名よね、私は百合なんて好きじゃないのに……私は真っ赤なチューリップが好きなの、白だなんて汚れが目立つわ。」
「社交界でのお姉さまは周りから見ればまさに理想の令嬢だわ、美しさと優雅さを兼ね合わせているからみんなそう呼ぶのよ…きっと。」
「アンも私には白百合のような令嬢でいて欲しい?」
「私のお姉さまは人よ?花なんかじゃないわ、お姉さまが常に自分らしく笑っていてくれる事が私の理想だわ。」
ーーー白百合のように純白で穢れのない優雅な令嬢だと言われていた姉と桃にも梅にもなれない杏のようで身分だけは一丁前で何もかもが中途半端な私……私達は案外似ていたのかもしれない。理想を押し付けられて決めつけられて、自分らしい生き方なんて選べるはずもなかった。
「ねぇアン……私達まるで踏みつけられて茎の折れた花のような人生を送っているのね。」
そう言って姉は悲しそうに紅茶を1口飲んだ。