杏姫の物語
「恋」とはなんとも恐ろしいものである。ーーー私は「恋」をして全てを狂わせてしまった。自らを滅ぼしてしまった。
「恋」に落ちて、私は自分が汚い人間なのだと理解した。痛いほどに苦しいほどに自分は報われないのだと知ることになった。
気づいたら私の周りには誰もいなかった。いや、随分と昔からもう私の周りには誰もいないのにそれに私は気づくことは無かった。
それ程までに彼に夢中だった、心の底から愛していた。
彼がそれに、答えることは無いとしても私はそれで満足だった。いつかこちらを振り向いてくれると信じていた、そう言い聞かせないと自分を保てなかったのかもしれない。
彼と初めて出会った時のことは、今でも鮮明に覚えている。
内気で臆病で、何をするにも1度立ち止まって考えないと出来ない…そんな私は世間から「杏姫」と言われた。
ーーーー杏の花言葉は、臆病である。
私の名前はアン・マクレーン。
ファレアン王国にあるマクレーン公爵家の次女である。
私の母はファレアン王国の先代王の第3王女だった。15年前の大規模な紛争の収束に貢献した父親の元に降嫁されたらしく、私と姉に「あなた達はとても高貴な血を受け継いでいるのよ」と何度も教えられた。
母を妻に迎えたいと思った父は、先代の王に紛争の収束の褒美に母の降嫁を願った。王がこれを受け入れた結果、私は今生きている。
だが母には愛し合う存在がいて、何度も自分の父親である先代王に断り続けたが強引に結婚させられたらしい。
父と結婚して私達が産まれたあとも、母はその人を思い続け、私が6歳の誕生日を迎えた日に自らの命を絶った。
姉は母にとても似ていて美しく誰よりも優しく明るく愛に溢れた人に育った。母が言うには私は父に似ているらしく姉に比べると平凡で内気な性格で社交も苦手。
ーーとにかく姉が儚く美しい白百合のような人ならば、私は道端に生える雑草のような者である。
母は父をずっと恨んでいた、だから父に似ている私を愛してくれなかった。名前も姉の名前は母自身がつけたが、私の名前は乳母が付けてくれたものだった。私を褒めてくれたことは1度もない、姉にするように頭を撫でることも櫛で髪を梳いてくれる事も、愛おしそうに名前を呼ぶことも、手を繋いでくれることもなかった。
父は母をずっと愛していた、だから母が愛さない私を愛してくれなかった。母が死んだ時、お前のせいだと罵られた、お前の存在が妻を苦しめたのだと。
ーーー母は父を最後まで愛さなかった。
心の底から愛している人がいたからだ。母の愛した人は私の産まれた日に病気でなくなったらしい。父はそれをずっと隠していたが、ついに母はそれを知ってしまった。母が亡くなった時悲しくて泣いている私に父は「お前のせいだ」と怒鳴りつけた。母は最後まで私を見てくれなかったけれど、私にはたった1人の母親だった、私のせいで母が死んだと幼い心に深い傷が残った。
私と姉は年子で、姉が学園に入学した次の年に、私も入学した。
最初はやはり話題になった、白百合姫の妹君はどんな女性なのだろうと、社交界にも身体が元々弱いので滅多に参加しなかったため、私の顔を知る人はいなかった。そして皆すぐに落胆した、なんて根暗で平凡なんだろうと「杏姫」はこの時に付けられたあだ名である。
姉はとても人気だった、男女関係なく彼女の周りにはいつも多くの人がいた。
私は羨ましかった、妬ましかった…その美貌も病気に強い身体も、優しく明るい性格も友人に恵まれていることも、両親からの愛も、全てが私には無いものでひとつでいいから分けて欲しかった。
でも、私にも好きな人が出来た。私は大嫌いだった杏の花を好きだと話しかけてくれて、笑ってくれた彼が心の底から好きだった。
彼に愛されたいと思った。彼が私に愛を与えてくれるのなら何もいらないと馬鹿なことを考えるくらいに、初めて人を狂いそうな程に好きになった。
彼は、隣国の王子だったけれどそんなことどうでもよかった。私が好きなのは隣国の王子ではなく彼自身だった
ーーーオスニエル・ティスデイル
オスニエルの海のように青い髪も空のように澄み渡る瞳の色も優しい声も全てが好きだった。
彼の瞳に私が映る瞬間が堪らなく幸せだった。でも、彼の瞳に私はいつしか映らなくなった。
彼は姉に一目惚れをしてしまい、姉と会話するきっかけ作りのために私を利用したのだった。姉も彼に次第に惹かれていき、2人は愛し合う関係になった。
悲しかった、悔しかった、全てに裏切られた気分だった。
私はそれからおかしくなった、私と同じように姉に嫌悪感を抱いている生徒を仲間にして姉に嫌がらせをした。最初は私が中心だったが、段々とエスカレートしていき私の知らないところでも姉は嫌がらせをされるようになった。
気づいたら姉は崖から突き飛ばされて重症を負った、姉に嫌がらせを行ってきた人達は皆私の名前を口にした。
「アン・マクレーンに指示された。」
「彼女にやれと脅された。」
その時私は熱で魘されていた、目が覚めると牢屋の中だった。
牢屋にやってきたのは、恋していた彼ーーオスニエルだった。彼はとても冷たい目をしていた、私を今にも殺しそうな、いや殺そうとしている目だった。
「一国の王子である俺の婚約者に手を出したんだ、覚悟しろ悪女め」
最初は耳を疑った、ゆっくりと彼の言葉が頭に染み込んでいく…彼の私に向けた殺気が嫌悪感が心に突き刺さる。
それからあっという間に私の刑が判決されていく…父は私がおかしくなり出したのを見抜き、とっくのうちに縁を切っていた。
身に覚えのない罪も擦り付けられ死刑にされた、私を守ってくれる身分も人も何も無かった。
空っぽだったのだ産まれてから、ずっと私は。
………少しずつ階段を登っていく。心臓は暴れだし冷や汗が吹き出す、恐怖からか息が荒くなり、肩で息をする。手足の震えが止まらない、処刑台に登ると、太陽に照らされてギロチンの刃が獲物を見つけた獣の目よう光る。
「死んでしまえ!魔女め!!」
「おぞましい!早くそいつを殺せ!!」
「あんな女だったとは恐ろしい…!」
人々は罵声を浴びせ、今か今かとその瞬間を待ち望む。
「なにか一言最後に残すことはないか?」
処刑人が聞いてくる。
「……………無いわ。」
「そうか…では執行する。」
前を向くと遠くに彼らがいたーーー泣きそうな顔の姉とこちらを睨む彼の姿が…
(あぁ…彼はきっと死ねと思っているのね、姉は何故最後まで分かり合えなかったのか分からないとでも思っているのね。)
気がつくと全身の震えは止まっていた。台に首を置き目を閉じる、最後に言葉を残したい人は一人もいない。言葉を残せる人は一人もいない。
これが私の15年という短い人生の結果だった。
目から零れた人生最後の涙は、驚く程に冷たかった。