気になるもの
「まずいな……一度帰還しよう」
レオンがそう言ったことで、一瞬のうちにクリスは赤ずきんを連れてツリーハウスの一室へ戻ってきた。
クリスの足元には魔法陣があり、目の前にはレオンがいる。
どこを見てもその世界は色付いていて、あのモノクロームの世界も呪いとかいう化け物もない。
帰ってきたんだ、と気を緩めた瞬間、クリスの身体にどっと疲労がのしかかった。
「私の読みが甘かった。まさかああも強固な呪いだったとは……」
赤ずきんをベッドに寝かせた後ため息混じりに頭を抱えるレオンの横顔には、戦場に立てない自分の弱さや、読み、サポートの甘さを恥じるような感情が入り交じっている。
そんなレオンを見るクリスもまた、戦場に立ちながらただ守ってもらっているだけの無力な自分を恥じていた。
魔力によって身体を維持している赤ずきんは眠っていれば自然と傷が治るらしく、レオンとクリスはその間に呪い対策の作戦会議を行うことにした。
「戦力が足りないなら他の赤ずきんの登場人物を呼び出すのはどうですか?」
「いや、脇役は記憶に残り辛いから魔力が定着しないんだ。主人公格でないと戦力にならない」
「僕も戦うとか」
「呪いと戦う術をもっているのか? それにクリスが怪我したら治すのに時間がかかるだろう」
クリスの口から様々な案が飛び交うが、どれもこれも現実的ではないとレオンに却下されてしまう。
「じゃあ他の作品の主人公を呼び出しましょう!」
クリスのその一言から平行線だった対策会議がほんの少しだけ前に進んだ。
だが、実際に主役格を召喚するのはとてつもなく魔力がいるし、レオンでは一人すら連れて行けなかった本の世界に二人も連れて行くとなると計り知れないほどの魔力が必要になる。
レオンにとってその案は盲点だったという訳では無く、限りなく不可能に近いと思って一番初めに選択肢から除外した案だった。
しかし、それでもやってみる価値がある、成功する可能性があるかもしれないと思えるほどにクリスの魔力量はレオンにとって計り知れないものであった。
なにせこの魔法空間に万年筆一本という些細な繋がりで迷い込み、休む間もなく本の世界に行って帰ってきたというのにその顔に疲労の色がまったく見えないのだ。
レオンの経験上、魔力の使いすぎると頭痛や吐き気、急激な体力の消耗など目に見えて体の不調を訴える。
実例が自分しか存在しないため全ての人間にそんな症状が現れるのか定かではないが、全く不調を訴えず突然魔力切れをおこすことは無いだろうという考察の結果、レオンはこの案を実行することにしたのだ。
「召喚は想像力だからね。イメージしやすい子を呼び出すといいよ」
レオンはそう言うとクリスに以前見せた白い本を手渡し、召喚の準備として白い魔法陣の描かれた縦横五十センチづつ位の黒い布を地面に広げた。
イメージしやすいと聞きクリスは、今眠っている赤ずきんのことを思い起こした。
赤ずきんという題名と彼女の名前から察するに、主要キャラの名前や特徴が題名になっている可能性が高い。
ヘンゼルとグレーテルは主要キャラが二人いて、その二人の名前のような気がする。
長靴をはいた猫は長靴をはいた猫が主人公なのだろうか……長靴をはいた猫ってどんな猫なのだろう。
赤い靴は名前というより主人公の特徴が赤い靴を履いていることなのだろうか……などクリスは様々な推測をたてその姿を想像する。
しかし、具体的なイメージも、この文字の先にいる彼らが戦っている姿も上手く想像することができなかった。
「さっきはああ言ったけど、クリスが一番気になったものを選べばいいよ。君のイメージと彼らの記憶が合わさって形成されるからなにも気負う必要は無いよ。武器は彼らが呪いに対抗できるように勝手に形成される副産物みたいなものだし」
そんなクリスの様子にレオンは難しく考えるなという旨の助言をした。
なぜなら自分が赤ずきんを召喚した時は特に具体的なイメージは持っておらず、赤い頭巾をかぶっている人間程度で、銃どころか男女も年齢も考えていなかったからだ。
その結果があの可愛らしい容姿をした女性なのだから、人間の想像力とはなんだかんだ欲望に忠実なのだろう。
「気になるもの……わかりました」
レオンの助言を受け、クリスはすぐさまひとつの物語を選んだ。
その題名を一目見た瞬間からどんな主人公なのか、どんな物語なのか気になって仕方がなかったのだ。
「じゃあ、この魔法陣の前に立って手をかかげてくれ。そして具体的でなくていいからイメージをして名前を呼ぶんだ。名前といっても題名で構わないよ」
「わかりました」
クリスはレオンの説明通りに黒い布の前に立ち右手を前に出した。
そして想像しやすいように目を瞑り頭の中で呼びかける。
(僕は君のことを知らない。でも、君の話を知りたい)
クリスの想いが魔力を使い、右手を伝って魔法陣に呼びかける。
魔法陣もそれに反応するように白い線から光を放った。
その光は目を開けてクリスの様子を見ていたレオンが思わず目を閉じてしまうほど、いや、目を閉じた状態でも光を感じるほどに眩かった。
そしてその光はクリスがこの魔法空間に来た時に見た光にどこか似ていて、クリスは一瞬その光に意識を持っていかれそうになった。
しかし、すぐに思考を物語へと戻す。
光ではなくクリスが一番気になった例の物語を意識し、想像し、呼びかける。
(だからどうか応えて欲しい……)
クリスが持ちうる集中力を全て例の物語へ集め、その題名を頭の中で、心の中で叫んだ。
そして、その叫びに応えるかのように魔法陣はより一層光ったあと、何事も無かったかのようにただの白い線に戻った。