決意
「これは?」
「童話の題名だけが書かれている本さ。母の遺品でね」
「えっ……」
「理由は知らないが母も童話を研究してたらしくてね、私が八歳の時に捕まって、秘密裏に処刑されたらしい」
予想外の言葉にクリスは目を丸くした。
今目の前で爽やかに微笑んでいる二十前半ぐらいの男性からは想像できない過去だったからだ。
クリスにも両親がいる。もちろん二人とも健在だ。
十八年もの間世話になり、ようやく自立するため王都にでたがまだ初日。
父母がいない世界など想像もできない。
しかしレオンはそんなこと気にしてないと言った風に話を続けた。
「大々的にってわけじゃないけど、その時から私も指名手配されていてね。母が懇意にしていたジジ……おじいさんがこの空間に匿ってくれたおかげでなんとかこの歳まで生きられたんだ」
そう言ったレオンは懐かしむようにどこか遠くを見ているようだった。
視線は目の前のクリスに向けられているが、その眼はクリスを映していないように感じたのだ。
その反応からクリスは察した。しかし、訊かずにはいられなかった。
推測を推測のまま終わらせるのが嫌なのだ。
確かめる手段があるのならそれを使わない手はない。
興味は悪気なく口から飛び出していった。
「亡くなられたんですか?」
「十年前、つまり私が十八の時にね。この空間はジジイから譲り受けたんだ」
クリスは再び目を見開いた。
想像通りだったことでも、嫌な顔一つせず答えてくれたことでもなく、十年前に十八歳だったこという事実に。
いくらレオンの背が高いとはいえ、薄く緑がかったふさふさの髪にガラス玉のような若草色の瞳、シワひとつない白い肌、整った顔立ち、けして童顔というわけじゃないが、どこをとっても30近い、自分と10も歳が離れた人には見えなかったのだ。
しかし、さすがにその事を聞くのははばかられたのか、クリスは何事も無かったかのように別の疑問を口にした。
「……その意思を受け継いでってことなんですか?」
「いや、そんなんじゃないよ。ただ、1度だけ母が寝物語を聞かせてくれてね。それがすごく面白かったんだ。題名も内容も思い出せないけど」
レオンは笑みを浮かべながら目線を脇に逸らした。
開けっ放しの窓から入る風がレオンの緑がかった髪を揺らす。
「私はもう一度その話を読みたいと思ってる。
クリス君は一度も読んだことがないから童話の面白さがわからないだけさ。これから知っていけばいい」
捲し立てるレオンの言葉で自分が揺らいでいることにクリスは気づいた。
悪はどう考えたって王族で、異常なのは「物語」で人が死ぬこの世界で、でもこの世界の悪は犯罪者で……
何が正しいのか、誰が正しいのかわからない。
そもそも正しさなんてないのかもしれない。
髪を揺らす冷たい風はクリスの頬を撫でるように吹いていた。
「現に、題名だけですっかり興味をもってしまったんだろう」
レオンは勝ち誇ったかのように笑った。
自信満々のその笑みはクリスの心の内を見事に見透かしていた。
そうなのだ、気になってたまらないのだ。
「物語」が「童話」が、ただの文字が組み合わさることで作られる「嘘」の世界が一体どんなものなのか。
題名からまったく想像出来ないからこそ気になって仕方ないのだ。
知的好奇心の塊と言っても過言ではないクリスが、興味を持ってしまったことを自覚したのだから答えはひとつしかなかった。
「……はい」
「ふふ、決まりだね」
いたずらっぽく笑うレオンとどこか不服そうなクリス。
赤ずきんはいつの間にか銃を下ろしていた。
「よろしく頼むよ、クリス」
「何度も銃を向けて悪かった。これからよろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
こうして、クリスはたとえ犯罪者となろうとも「童話」を復活させることを誓い、童話研究助手としての第一歩を踏み出したのだった。