くらげは拾得物に含まれます 4
「実際のところ、魔術は語学の勉強みたいに、教科書を読んで実践して覚えていくというものではないんだよ。自らの身をもって、操る術について深く識らなければならない」
「深く識るって?」
「たとえば水を操りたいなら、術を操れるようになるまで水に浸かってみたり、河で流されてみたり……時々やりすぎて、海まで流される人がいるみたいだけど」
「……魔術師って、ずいぶん体力勝負なのね」
もっとじっくり文字を読んだり、何か薬品を混ぜ合わせている印象があった。よもや身一つで川下りをするような、野性的な習得方法とは意外だ。
ジークリードは説明を続けた。
「で、魔術書なんだけど。普通の物は、習得するために何をするべきかっていう方法論とか、精神論が延々書いてある」
「なるほど」
「だけど中には特別な本があるんだ。読むと、先人が術を習得した時と同じ現象に、現実でも見舞われるんだけど」
「現実でもって……」
「例えば本で炎に灼かれる場面があった場合、自分の家が不意に炎上したり。実際そんな現象がおきて、命からがら燃える建物から逃げ出した人もいるらしいよ」
ユーディットは一瞬言葉を失う。
なんだその、極限への無謀な挑戦みたいな事象は。
「やっぱり恐ろしく体力勝負……って、まさか?」
「そう、この本は特別な本。最後まで読む……もとい、起る現象を乗り越えたなら、特定の術が習得できるんだ」
そこで一度、ジークリードは言葉を切る。
「――闇の術をね」
彼は花畑にいるかのように微笑む。
一瞬後。
ユーディットは素早く起き、ジークリードの襟を掴み上げた。
「ちょっと! 私は、読んだ私は一体どうなるの!?」
「うぅぅ、順を追って説明するからっ」
がくがくと頭をゆさぶられたジークリードが、さすがに必死な表情で叫ぶ。
「大丈夫だよ! だってさっきも別に、君の方は夢でみた状況そのままになったわけじゃなかっただろう?」
「でも、読み始めてまだほんのちょっとしか経ってないじゃない! こうしている間にも、何か爆発でも起きて、家の柱かなにかが体突き刺してたらどうするの!」
「大丈夫、ちょっと落ち着いて」
襟を掴んでいたユーディットの手が握りしめられる。そして引きはがされた。
ユーディットは一瞬驚いて、叫ぶことも忘れてしまう。平均より力が強いユーディットの手を、易々と動かされたのだ。
「少し深呼吸して。大丈夫。今の僕たちの状況は『異常』なんだ。なにせ僕は、本の中に閉じ込められてる」
ジークリードはゆったりとした声で語る。
今までと変わらない話し方に、ユーディットの心も少し、ゆるりとほどけていった。
「本の中に閉じ込められてる? どうして? っていうか、さっきまで本の外にいたのに」
「ある魔女の所からこの本を盗み出したせいで、魔術で閉じ込められたんだ。まぁ、誰かが読むと外に出られるみたいなんだけどね」
問題は、とジークリードは言う。
「おかげで自分では読めない。けど、どうも読んでくれる人がいれば、本の中そのままの事象を体験できるようなんだ」
だからか、とユーディットは思った。本の中の人物が、ジークリードそのままだったのは。
「でも、読んでるのは私の方なんでしょ? やっぱり私も何か……」
「思い出して。さっき君が読んだ時のこと。登場人物は僕一人だった。君が枝に刺されたわけじゃない。君はなんというか、傍観者みたいなものなんだと思うよ」
言われてみれば確かに。
ユーディットが登場人物として、変な木に襲われたわけではなかった。
「でも、今のこれは? 私もあなたもこうして姿が見える」
「おそらく本に閉じ込められた僕の術に、引っ張られてるんじゃないかな。たぶんこの闇の書も、本来は普通に物語として読んだ後、その本人に似たような出来事が現実でも起こる形式だと思うんだ。
けれど僕は本に同化してるものだから、本の登場人物として物語の出来事そのままを経験することになったんだろう。そこに読んでるだけの君の意識まで、本の中にひっぱりこまれた、と」
ふんふんと話を聞いていたユーディットは、む、と眉をひそめる。
「でもやっぱり、それってわたしも魔術書の事象を経験することになるんじゃ……」
「かもしれない」
「曖昧すぎない?」
「僕もこんな事象は初めてだからね。ただ、仮にこのまま君が読んでも、逆に本の中の出来事だからこそ、君の命が危険にさらされることもないし。万が一術を会得しちゃっても、黙っていれば誰もわからない。使わなければいいことだからね」
「そういうもの……?」
「そういうものだよ」
魔術のことなど、ユーディットにはわからない。だから納得するしかないのだが。
「ていうか、あなたが本物の王子だっていうなら、なんで本の中に閉じ込められたの?」
「ああそれはね……」
ジークリードが答えようとした時だった。




