くらげは拾得物に含まれます 3
よろしくね? とほほんとした表情で言う彼に、ユーディットは毒気を抜かれてしまう。
強盗にしてはあまりに緩い。
見たところ隙だらけで、ユーディットでも今すぐ倒せそうだ。
彼の様子から、ユーディットはふわふわ空に浮かぶクラゲを思い出す。
そういえばクラゲってあだ名の人がいなかったっけと、連想したユーディットは呟く。
「うちの国、くらげっぽい人が多いのかしら……」
「あーあだ名ね。僕のことくらげ王子だなんて、やっぱり外見がそう見えるせいなのかなぁ」
やだなぁ。ちゃんと人類なのに。
そう言う青年の顔をまじまじと見たユーディットは、くらげ王子とジークリードの名前がようやく合致する。
「はぁっ!? まさかまさか、ホントにくらげ王子!?」
確かに王子の髪は琥珀色だった。
毎年の祝祭日に馬車で王都をまわる王族を見に行った時、遠くて顔こそわからなかったが、髪の色は見ていた。
くらげなんだから、髪もいっそ青とか橙とかそれっぽくなればわかりやすいのに、と呟いた記憶があるので確かだ。
真面目に防衛を担う兵として働いていたユーディットの父は、そんな彼女に『不敬すぎる』とげんこつを落としたものだったが。
面と向かって『くらげ』呼ばわりされたジークリードは、ユーディットへ優雅に一礼してみせる。
「改めて始めまして、お嬢さん。ジークリード・ウィル・レーヴェンスです。お名前を聞かせていただいても?」
「う、その、ユーディットです」
突然礼儀正しく聞かれたことに驚き、素直に答えてしまう。
「それにしても名前でわからなかったか~。僕の知名度いまいち?」
「普段くらげ王子としか呼ばないから、本名の方を思い出せなかったっていうか……本物?」
「本物だよ?」
さらりと答えるジークリード。
ユーディットはしばらく、呆然と彼を見つめてしまう。
確か王妃は美貌で評判の、隣国の王女だった。ユーディットも出回っている姿絵を見たことがある。昔、成婚時に描かれたという姿絵を見て、妖精のように美しい女性だと思ったものだ。
ジークリードは、確かに顔が綺麗だ。二十歳にはなっているはずだが、かつらをかぶせたら女装もできそうなほどだ。
王妃の息子であるなら、納得できるというものだ。
だがしかし。
「夢、夢だわこれは……」
自作のタペストリーをはりめぐらせた家の中に、突然王子が現れるなど、夢に違いない。
そもそも王子がこんな家に用があるわけもない。
夢の中の人と同じ顔、同じ格好だということは、きっとこれも夢の続きなのだ。
「そうだ眠り直そう」
よしと決めて、ユーディットはもそもそと布団の中に潜り込もうとしたが。
「ちょっと待って!」
横になろうとしたところで、肩をつかまれる。
ユーディットはすかさず小指を掴み、手の甲へむかって曲げてやる。
「いいっ、痛い痛い!」
「私の夢のくせに、私の眠りを邪魔しないで」
脅した上で、騒ぐジークリードの指を離してやる。
がジークリードも懲りなかった。
「待ってくれないか、とりあえず僕がなぜここにいるのか説明を!」
「いや、夢でしょ? わかってるから、邪魔しないでくれない?」
「違うんだ、夢じゃないんだってば!」
必死に言いつのりながら、ジークリードは枕元にあった本をユーディットに押しつける。
「せめて一歩譲って夢だとしてもいい。これをとりあえず読んでくれないかい?」
頼むと言われたユーディットは、変な夢だとため息をつく。
突然王子が現れて、本を読めというのだ。
でも夢というのは元々理不尽なもの。
「まぁ、夢だしそれくらいなら……。ええと、騎士アーベルは」
読み始めたとたん、ユーディットの意識は波が引くように暗転した。
***
目を開けると、森の中は明るくなっていた。
夜空とほとんど見分けがつかなかった木々の葉も、みずみずしい緑なのがわかる。どこか湿った枯葉の甘い匂いまでもする。
空も闇色ではなく、紫がかった深い灰色といったところか。不思議な色だ。
「変な色……そして明るい」
「死を経験した魂には、闇も暗さも関係ないだろう?」
自分ではない声にユーディットは振り向き、同じように地面に寝転んでいる人を見つける。
「ジーク……リード王子?」
「くらげでもかまわないよ? お嬢さん」
そう言って彼は微笑む。
ユーディットの方は「お嬢さん」なんて呼ばれ方をしたのがどうも落ち着かず、「ユーディットっていうの私」と名前を教えた。
「あの、やっぱりこれは……夢?」
眠り直すどころか、ユーディットは本を読もうとしただけだ。
そう、本。
あの本を読んでから、妙な事が始まったのだ。
ずっと一部だけ連続した夢を見ているみたいで、ユーディットは奇妙さに顔をしかめる。そんな彼女に、先に身を起こしたジークリードが手をさしのべる。
「夢とは違うかな。で、説明させてくれるかい?」
ユーディットはジークリードの手をじっと見つめた末、恐る恐る握った。
やわらかく掴み、ユーディットが起き上がるのを助けてくれたジークリードは、ふわふわとした穏やかな調子で話してくれる。
「まず最初に解ってほしいのは、これは夢じゃなくて本の中の世界なんだ」
「は? 本?」
「そう、君が読んでた黒い表紙の本」
本を読んだだけで、こんなことになるのだろうか。
不審そうなユーディットの表情にもめげず、ジークリードは説明を続ける。案外根気のある人なのかもしれない。
「魔術書って知ってるかい?」
「魔術がかかれてる本? あれがそうだっていうの? でも……」
中身は昔語りのお話が書かれているようにしか思えなかった。あれを読んで勉強しても、とうてい魔術は習得できないだろうと思えたのだが。