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それが最後だと言うなら、私はあなたと  作者: 奏多


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くらげは闇を捕食する 4

 山の頂は、岩だらけの丘のようだった。

 木も生えていないその場所に、ぽつりと老人が座っていた。

 この山の入り口で見た、フードから白い髭だけがのぞいている老人だ。


 ユーディットとジークが近づくと、その老人は一言告げた。


「闇を知ることはできたか」


 おそらくはこの物語の試練は、全て老人が創り出したものだった、という筋書きなのだろう。


「己の中の闇も、外にある闇も感じました。深く識り得たかどうかは、おそらく人の身に判断できるものではないんでしょう」


 ジークの答えに、老人は可と判断したようだ。


「よかろう。では、絶望の果てにあるものを見つけたか?」


「それがあるからこそ得られたものなら、ここに」


 握った手に力が込められ、ユーディットは気恥ずかしくなる。

 すると老人はうなずいて言った。


「では、闇はお前達に祝福を与えるだろう。杯を空けよ」


 空中に、どろりとした黒い液体の入った杯が現われた。

 ジークはそれを一気に飲み干した。黒い液体がなくなると、杯は空気に溶けるようになくなる。

 そしてジークはじっと様子を見ていたユーディットを振り向き、にやっと笑みを浮べた。


「せっかくだから味見する?」


 もう杯はないのにどうやってと思ったら、ジークに口づけされていた。

 その感触に、思考が一気にもっていかれる。

 猛烈に恥ずかしくて、こんな不意打ちしなくてもと戸惑い、だけど嬉しいと感じた後で、ユーディットは思い出した。


(ちょっ、人間かどうか怪しいけどおじいさんが見てるんだけど!)


 人に見られるのは嫌だと、焦ってジークをつきとばしかけた時、ユーディットは本の外に戻っていた。


「ちょっとジーク!」


 灰色の石壁の鐘楼の中、ユーディットは起きてすぐジークにつかみかかった。


「もう、どうして人前でするのよ恥ずかしかった!」


「なんかこう、見上げられていたらいたずらしたくなって。でもあれ、人じゃないだろうし」


「そういう問題じゃなーい!」


 噴火するユーディットを、ジークは「まぁまぁ」と宥めてくる。


「そういえば、ここって聖堂なんだよね。せっかくだし、結婚式でもあげておく?」


 いままで通り、のほほんと言う彼にユーディットは次第に肩の力がぬけてしまう。


「大丈夫。お互い誰の物にもなりようがなくなるんだから」


 二人で死にに行くのだから。

 その言葉を聞いたジークは、うなずいて言った。


「じゃあ、行こうか」



   ***


 戦場は燃えさかる炎の音に包まれていた。

 じわじわと動くのは、炎の竜巻だ。

 曇り空を焦がすような高さまでそびえたつ炎によって、火に触れる前に周囲の木々が燃えている。


 時折、何も考えずに浮かんでいたのだろうくらげが、風にながされて炎に吸い寄せられ、熱さに溶けて消滅していた。


「あれが……炎妖王の術」


 まるで燃える塔のようだとユーディットは思った。

 酷く恐くて、けれども紅蓮の輝きが痛いほど眩しい。あの炎も、何かの苦しみの果てに得たものなのだろうか。


 恨みの炎だと言われる炎の柱から、少しずつ遠ざかりながらも囲んでいるのは、自国レーヴェンスの兵だ。

 距離をあけた場所から彼らは矢を射るが、ほとんどが炎と熱によって燃え落ち、背後に控えるクレイドルの兵に届いていない。


 焼けた鉄に、水を一滴だけ落とすようなものだ。

 ユーディットとジークは、手をつないだまま彼らに向かって歩いて行く。

 近づいていくと、後方にいた兵が驚いて振り返った。


 その驚きはすぐに周囲に広まる。

 当然だろうなとユーディットは思った。首と手に包帯を巻いた女と、あきらかに場違いな緋色の綺麗な服を着た男が手をつないで歩いてくるのだ。

 やがて、それは騎士達にも届いたようだ。

 駆けつけた一人の騎士が前に立ちはだかる。


「お前達は一体……殿下!?」


 騎士はジークの顔を知っていたのだろう。目を丸くして馬から降りると、滑り込むようにジークの前に膝をついて頭を垂れた。


「殿下、ご無事でなによりでございました! けれどもう何の手の打ちようもない状況でございます。お早くここから避難を……」


「いや。僕は君らに避難してもらいたいんだ」


 言われた騎士は顔を上げ、不可解と言わんばかりの表情を見せる。


「どれくらいがいいのかな。今より100カーデルくらいで足りるかな。もう少しあの炎妖王の術から離れてもらいたい」


「え? しかしどうして」


「兄上!」


 理由を聞こうとした騎士の言葉は、若い少年の声に遮られた。

 その場に馬で駆けつけたのはエリオスだ。彼も馬から降り、ジーク達の元へ駆け寄ってくる。


「兄上!」


「ずいぶん早かったなぁエリオス」


 ほけほけとジークが言うと、エリオスは泣きそうに顔をゆがませた。


「ベルタに本を通して転移してもらったんですよ。でも、そんなことはいいんです。ここへ来たということは、もう……本は読み終えたのですか?」


 対照的に、ジークは微笑みながらうなずいた。


「そうだよ。だからここへ来たんだ」


 術を習得してしまったジークに、エリオスはそれ以上何も言えなくなったようだった。

 呆然とした後、隣にいたユーディットに顔を向ける。


「なぜあなたまで……」


「わたしのお願いを叶えてもらうんです」


 父の敵を討つこと。そして一緒にいてくれること。


「でも、死ぬんですよ!?」


 聞かれて、笑顔で「そうよ」と答えたのはまずかったかもしれない。

 エリオスはもう堪えきれないように、涙を流した。

 顔を覆うエリオスに、済まないとは思ったが仕方がない。ひどいことをしているついでに、ユーディットはエリオスに自分が左腕で抱えていた本を押しつけた。


「これはもし次に、必要になった時のために保管しておいてください」


「あなたは酷い人だ」


 涙声で言いながらも、律儀なエリオスは本を受け取ってくれる。

 黒い本の縁に、ぱたぱたと涙が落ちて表紙をすべり落ちていく。

 そんなエリオスを置いて、ユーディットとジークは自国軍の前に進み出た。

 代わりに、レーヴェンス軍は引いていく。


 まだ話が伝わっていないせいか、不思議そうな視線を感じて、ユーディットは少しくすぐったかった。

 やがて辺りから味方の兵がいなくなり、炎の向こうに見えるクレイデルの兵がこちらを伺いはじめたころ、ジークが言った。


「最後に、僕のどこが好きなのか聞いておいてもいい?」


「そう言って最後まで人を感傷にひたらせないくせに、手を握ってくれてるところ」


 ユーディットはジークと顔を見合わせて笑い、炎の柱にむかって一歩踏み出した。

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