くらげは闇を捕食する 3
いつの間にか、辺りは朝焼けの光に満たされたように明るくなっていた。
見上げれば、ジークが優しい笑みを浮かべてユーディットを見下ろしている。
「ユーディ。一つ聞かせてほしいんだ」
「……何?」
「僕に、何か君の欲しい物を贈らせてほしい。だめかな?」
急に贈り物をしたいと言われて、ユーディットは首をかしげた。
「どうして?」
「君に……たぶん、僕を忘れないでいてほしいから」
ジークが死んでしまうからだろうか。だから本を読んだ礼をするつもりなのだろうか。
「お礼なら要らないよ」
それはジークを死の道へと押し出したお礼だ。そんなものは要らない。だから断ったら、ジークは首を横に振った。
「君が、好きだから」
信じられない言葉に、ユーディットは目を見開く。
息がとまりそうだった。
好きだと思った人が、自分を好きだと言ってくれたのだから。
するとジークは照れたように笑った。
「だって好きにもなるよ。ユーディーはあんまりにも雄々しいんだから」
「え? 雄々しい?」
それは女性への褒め言葉か?
告白に意識が舞い上がりかけたユーディットは、我に返って眉をひそめた。
「僕に協力すると決めたら、君はそれを貫き通してくれた。僕が魔術書の試練を乗り越えるために、苦しいことに耐えて手をかしてくれた。
それどころか、僕を守るために自分が犠牲になろうとして……なのに僕の望みを叶えさせるために、エリオスに本を読むよう頼んだだろう?」
繋いでいた手が離される。
少し寂しいと感じたが、その手はすぐにユーディットの頬に添えられた。
「君は本当に戦友みたいで、なのに意外とか弱くて。あげくに命まで賭けられて……君が大切にならないわけがないんだ」
だけど、とジークは何かを耐えるように顔をしかめる。
「僕は君の傍にずっといられない。クレイドルを退けない限り、この国自体がなくなってしまう。君も、死んでしまう。
王都に居続けてたのは、君が家族を亡くして絶望して自暴自棄になっていたからだろう? そのまま王都と共に自分もいなくなればと考えていたんだ。そうじゃないのか?」
「え……」
ユーディットはそんな事までジークに話したことはなかった。
「なんで、わかったの?」
「この闇の書を開けるのは、絶望している人間だけだから」
絶望した人間は、闇の術と引き合う。
「だから教えて欲しい。何をあげたら、君は生きていてくれるんだろう?」
その問いに、ユーディットは心臓が強く鼓動を刻む。
自分が生きていようと思えるもの。
それを、彼にお願いしてもいいのだろうか。
「ああ、でもこれじゃ、君に何かあげるんじゃなくて、僕のお願いを聞いて欲しいって言ってるようなものか……。僕は君に、頼ってばかりだ」
小さく自嘲するジークに、ユーディットは思い切って言った。
「ねぇ、それなら同じことを言ってもいい?」
ユーディットは一度歯を食いしばり、それから告げた。
「どうしたらジークは生きていてくれる?」
「ユーディーそれは……」
「無理だよね。ずっとわたし、ジークが死ぬために協力してきたんだもの。だから、これなら叶えてくれる?」
ジークを見上げて、言った。
「一緒にいちゃだめ?」
「……一緒に?」
「もう、一人で残されたくない」
初めて自分の気持ちを告げた。
ずっと鍵を掛けていた気持ちが、言ったとたんに扉をも全て壊して、あふれでてきそうだった。
「大切な人がいなくなって、どうやったら生きて行けるの? どうしてジークまでいなくなっちゃうの?」
鍵が壊れてしまったせいか、ユーディットは子供みたいにだだをこねて泣き叫びたくなる。
「生きていてくれないなら、置いていかないで。好きだって言ってくれるなら、寂しくしないで。ずっと傍にいてくれるって言って。もう、好きな人に置いて行かれるのは嫌」
「ユーディー……」
ジークは哀しそうにユーディットを見つめていた。
そのまま黙り込んだ彼を、ユーディットは睨むように見つめ続ける。
やがて根負けしたかのようにジークがぽつりと言った。
「本当は、君を一人になんてしたくなかったんだ」
「うん」
「本を開ける時点で絶望してるってわかってるのに、好きになった君を置いていったらどうなるのかって思うと不安で」
ジークは苦笑う。
「誰かにユーディーのことを頼もうと思ってた。けど、自分の寂しさより誰かのことをつい優先しちゃう君のことを、きっとみんな好きになるんじゃないかって考えて。それは嫌だなって思ってた」
ねぇユーディー。とジークは彼女の耳元でささやいてくる。
「僕は我慢してたのに。君を連れていってしまいたいって。それを本当に叶えてくれるの? そんなに僕に都合が良くていいのか?」
「……うん」
「怖くないのかい?」
「一人にされるより、怖いことなんてないから」
ユーディットが答えると、ジークは彼女の頬に口づけた。
「じゃあ、ずっと一緒にいよう」
その言葉を聞いた瞬間、ユーディットは目頭が熱くなる。
もう闇に覆われていないのに目の前の景色がにじむように解けて見えなくなった時、ユーディットは久しぶりに自分が泣いているのだとようやくわかった。




