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それが最後だと言うなら、私はあなたと  作者: 奏多


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くらげは空に棲んでいる 2

「ユーディット?」


「もし生き延びるために敵の手をも使うというのなら、それでも仕方ないと思います」


 その末に自国民から恨まれ、いつか刺されるかもしれない。

 そんな恐怖におびえながらも、半分になった国土を治めることで国を存続させ、それで満足するという道もあるだろう。


「でも、国とともに滅亡するという覚悟があるなら、わたしを見捨てて逃げるしかありません」


「何を言っているんだ。ユーディット? なんとかお前を助けてやるから!」


 エリオスの顔は閉じた目裏の向こうにあって、見えない。

 けれど、声だけで充分に彼の不安と葛藤が伝わってくる。

 人質にとられたユーディット自身が、選べと道を示したのだ。どちらも茨の道。けれど矜持を守りたいのなら見捨ててもかまわないと甘い言葉を添えて。


「おい、黙れ小娘!」


 ハインツがさらに刃を首に強く当てる。火傷のような痛みを、ユーディットは無視した。


「もし見捨てる場合は、ただ一つだけお願いがあって……本を、読んでほしいんです」


「本?」


「黙らんか!」


 ハインツが隣で激昂している。

 言う前に首を切られてはこまるので、ユーディットは手で刃を押さえた。

 指の関節が痛んだ。血が流れたのだろう、掌に心臓があるかのように感じるとともに濡れていく感触がする。


「たぶん本は、あなたのお父さんに誓約をしているベルタって人が回収すると思います。その本を、読んで。黒い本を……わたしの代わりに」


「ええい、もうしゃべるな!」


 剣が離され、代わりに首が絞められた。

 息が吸えない。説明もできない。苦しい。

 けれど、とユーディットは思った。


 大事なことはおおよそ伝わったと思う。そして人質に神経を集中させている今なら、エリオスも逃げやすい。

 ジークは心配だが、彼も転移の術が使えるのだ。本の中に吸い込まれるまでの間逃げ回っていられるはずだ。


(でも、ちょっと心配だな)


 せっかくジークリードと苦労を重ねたのに。読む人が代わってしまったら、ジークはまた最初からやりなおさなければならなくなるのだろうか。

 そんな心配をしながら意識がうすれかけた時。


「僕は、君以外に読まれたくないんだよね」


 聞き慣れた声と共に、喉を握っていた手が離れた。

 急に空気が入ってきて、ユーディットは咳き込みながらその場に座り込む。

 ユーディットの隣に降り立った人は、いつもの調子で周囲に問いかけた。


「さぁ君たち。僕の可愛い弟に無理難題をおしつけようとしたことも、僕の大事な人に傷をつけたこともひっじょーに許し難いね!」


「あ、兄上? え? 大事?」


「ジーク……」


 ユーディットはようやく咳がでなくなる。ようやく上を見上げれば、混乱するエリオスやレーヴェンス騎士たちの前で、余裕の笑みを浮べる琥珀色の髪の青年がいた。

 いつも暗い夜空の下のジークばかり見ていたからだろうか。琥珀の髪や瞳が陽の光の中で、混じりけのない黄金のように輝いて見えた。


「なんで、出てきたの……こほっ。危ないから、引っ込んでればいいのに」


 ユーディットが言えば、ジークは眉毛を片方器用に上げてみせた。


「ちょっとユーディー。僕のことを軟弱だとか勝手に思ってないかい?」


「文武両道なんて聞いたこともないわ」


 むしろ文武両道の噂があったのは、エリオスの方だ。地味堅実だけれど優秀で、だけども抜きんでた天才ではないという噂だった。


「まぁ、その誤解をとくのは後にしよう」


 ジークがくるりと辺りを見回す。

 呆然としていた味方の騎士達も、突然現れた人物にとまどっていたクレイデルの兵士達も、一斉にみじろぎする。


 ジークは別に睨んでもいなかったのだが、どこか皆をたじろがせる力がその視線にはあった。

 もしかすると、楽しげな表情をしながらハインツの頭を踏みつけ続けていた落差が、ジークから得体の知れ無さを感じさせたのかもしれない。


「クリストとグレゴール君だったよね」


 ジークが二人を呼べば「はっ」とすかさず返事がかえる。


「僕が十人。君らで五人。いけるね?」


 そしてジークは、二人の返事も聞かずに敵兵へ向かって走り出した。

 剣も持たずに、と焦るユーディットの前で、ジークが手を大きく振る。

 彼の手が伸びたわけでもないのに、無数の手に弾かれたように、五人ほどが吹き飛んでいく。


 ジークの様子に勢いづいたのか、クリストとグレゴールも飛び出した。

 続こうとしたエリオスは、ジークの声で動きを止める。


「エリオスはそこでユーディーを守ってるように!」


 言われたエリオスは、素直に従った。念のためジークに気絶させられたハインツから、ユーディットともども遠ざかり、後は彼もジークのことをじっと見つめていた。


 尊敬するようなまなざしに、ユーディットは「いいなぁ」と感じた。他の騎士達の前では自分が前にでなければと気張っていたエリオスも、兄ジークには信頼して任せているのだ。

 そのジークは、警戒しながらも一番の危険人物と目されたらしく、半数の兵士に追い回されていた。

 けれど振り下ろされる剣を、ひらりひらりとかわしていく。


「ははは、僕を捕まえるのは、くらげより難しいんじゃないかな?」


 そして隙を狙っては、あのわけのわからない術を使って、ひとりひとり弾き飛ばしてしまう。

 やがて敵の数が少なくなった頃、ジークはグレゴールとクリストを引かせた。


「婦女子の前で流血沙汰になるのは避けたいから殺さないけど、僕はくらげみたいに温厚じゃないからね。しばらく苦しんでくれるかな?」


 ジークが指を鳴らす。

 すると残ったクレイドル兵が一斉に叫んで、のたうち回り始めた。


「痛い、痛い!」


 足や手を押さえながら、地面をころがる敵兵を一別し、ジークは笑顔で皆を促した。


「さ、今の内に逃げようか」


 その言葉に、グレゴールは昏倒しただけだった行商人を運んで馬車を動かし、エリオスとクリストが馬にのる。

 ユーディットはジークと一緒に馬車の中に乗り込みながら思った。


「たしかにくらげの術だわ……」


 人をはじきとばしたのは、クラゲの触手の動きのようだし、痛いと騒いでいる敵兵の様子は、もしかしてくらげに刺された状態と同じなのではないだろうか。

 微妙だったが、確かにみな助かった。


 ほっとしたユーディットだったが、次は自分の番が待っているなどとは思わなかった。

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