くらげは黒き門をくぐる 2
《寒冷期のくらげは捕獲しやすい》
《飢えたくらげは、山の中で狼も食うという。人間も食うに違いない》
《くらげが食ったのなら、さすがに誰がやったのかと追求はできまいよ》
「え? くらげに食べられたって……」
「ああ知らなかった?」
ジークリードはへらっと笑う。
「僕がくらげって言われるのって、魔術が使えるからってより、くらげに食べられても生還したもんだから、弟を擁立したい派閥が腹いせにそう言い出したのがはじまりみたいなんだよ」
まぁ、なんか市民にまで広まってるみたいだけど、それで親しみを感じてくれるなら別にいいんだよ、とジークリードは言う。
「でもご苦労なことだよね。くらげが冬に食べ物が少なくて飢えるっていったって、捕獲した後加減をあやまったら死んじゃうじゃないか。そのせいで何匹か捕らえては死なせちゃって、ぎりぎりの状態を保たせるようになるまですごい試行錯誤したみたいなんだよ」
「えっと……くらげに食べられて、平気だったの?」
何よりユーディットが気になったのは、そこだった。
「うん、ちょっと痛かったかな」
「ちょっと!?」
「くらげって、人間ほどの大きさまで成長すると、虫とか小さい動物を補食するらしいからね。人間も食べて食べられないこともないんだろうけど、さすがに消化液で溶かし辛かったみたいだよ。それよりも、飛んでったくらげの傘の中にとじこめられたもんだから、帰るのに苦労したんだよね」
気づいたら王都から随分離れててさと、ジークリードは昔語りを続ける。
あまりに惨い話に、ユーディットは愕然としていた。
その合間にも、白い影たちはさらに過去に話したのだろう言葉をしゃべり続ける。
《また失敗した》
《せっかくの好機を、王子が!》
《魔術を使えるようになっただと? 忌々しい》
「まぁおかげで僕は魔術が使えるようになったし、お得ではあったかな。ちょっぴり死にそうになったけど」
《黙っていれば王になれるものを、私を陥れたのね!》
《憎い、憎い、憎い》
《なぜあの王子は死なないのだ!》
「僕が望んでるのは、国内平和と家庭内の平和だけなんだけどなぁ。思えば何度か弟が僕の派閥らしい貴族に狙われたりして、本当に大変だったんだ。そのうちに今の母上まで殺されそうになるし」
《もう、王妃ごと毒を飲ませてしまえ、王には我らが選んだ別な妃を……》
《またあの王子が邪魔を!》
《誰かあのくらげを始末しろ!》
「でも、平気なの?」
「何を?」
恨み言をとなえる白い影達に対して、ジークリードは全く気にした様子もない。景色を眺めるように平然としたままだ。
「だって、自分のことを恨んでるとか死ねとか言われて、辛くない?」
するとジークリードは首をかしげる。
「あぁ。なんかあんまり。結局僕は生きてるし、どんなにこの人達が足掻いたって、それは覆しようがない過去だから」
「でも、お母さんが死んだことは? 悲しくないの?」
「なんで悲しむのかな?」
ジークリードは目をまたたいている。
「王に嫁ぐってそういうことだから。状況が悪ければ、すぐに自分の死につながるんだ。その犠牲になるのは自分かもしれないし家族かも知れない。だけど精一杯のことをしてだめだったら、諦めるしかないだろう。
哀しんでみたところで、死んで欲しいって願う奴らが手加減してくれるわけでもないし。そんなことして油断して、こっちが死んだら亡くなった最初の母上もがっかりすると思うんだ」
「そんな……」
ユーディットは絶句する。
ジークリードが言うことは、間違ったことではない。間違ってはいないけど、けれど人としてあまりに反応が鈍すぎないだろうか。
それを自分でも自覚していないのだろう。
「なんだかなぁ。ぶつぶつ言うばかりで、なんか進展がないんだけど……僕も概要しか知らないから、試練の合格方法がいまいち分からないんだよなぁ」
ユーディットの質問にも何も思うこともなく、彼は目の前の状況にやれやれとため息をついている。
白い影達は、一人一人その数を増やしていき、もう白い壁が周囲につくられているようにさえ見えるほどになっていた。
「そろそろ俺の記憶なんだから、同化しておかない? 闇を識るってそういうことだと思ったんだけど」
焦れたジークリードが、白い影に手を伸ばす。が、影の体をすかっと通り抜けるばかりで、他に何もおこらなかった。
「何が足りないんだろうなぁ」
ジークリードの呟きに、ユーディットはふっと思いつく。
「まさか、拒絶してる……から?」
こんな風に思われ、言われ続けたら、麻痺するしか心を守る方法がなかったのだろう。
受け流すということは、拒絶しているようなものだ。けれどその理由を考えると、ユーディットには拒絶するなとは言えなかった。それはジークリードに傷つけと、苦しめということではないだろうか。
ジークリードが振り返る。
「どう思うユーディット?」
話しかけられたが、ユーディットは口をつぐむ。
代わりに自分が受け入れられればいいのにと、ユーディットは思う。
でもそれはできない。この魔術書がジークリードの過去を見せている以上、ユーディットが手をだしても意味がない。
魔術を習得することができなくなるのだから。
どうしよう。
うつむいたユーディットは、ジークリードの叫びに顔を上げた。
「ユーディー!」
手を引かれて、ジークリードに抱き込まれる。
頬が彼の胸にあたったが、ユーディットにも今何が起ったのか見えた。
白い影が、ユーディットに手を伸ばしていたのだ。ジークリードが庇ったせいか、白い影は彼を避けるように手をひっこめていた。




