くらげは昼の空に舞い上がる 5
いっそ冷徹すぎるエリオスの言葉に、ハインツと呼ばれた騎士はさらに言いつのる。
「ですが、万が一あの魔術師を倒すことができたら!」
「万が一などあるのか? 兄上ですらどうにもできなかったというのに」
「それは……」
ハインツは言葉を濁すしかないようだった。
仕方のないことだと、ユーディットは思う。
聞いた話によれば、魔術師が変化した炎の柱は千年の時を生きた大樹よりも大きく、そして近寄ろうにも、まき散らされる炎に灼かれて死んでしまうというのだ。
森は燃え、行く手にあった池も川も干上がり、全て炭に変わったという。
ユーディットが知るジークリードも、どんな魔法を使えるのかは全て見たわけではない。が、瞬間移動などという非常識な術を使えるジークリードでも敵わなかったのだ。
だからジークリードは、対抗できる術を探したのに違いない。
「そもそもだ」
エリオスは険しい表情で続ける。
「俺は逃げ回るつもりはない」
「え、それって……戦場にもどるってこと……ですか?」
炎の柱はじわじわと王都へ迫っている。
戦場にいる人々は、一刻でも長く敵兵を足止めして人々の逃げる時間を稼ぐために戦っているようなものだ。
ユーディットは、てっきり王族も逃げ出しはじめているのだろうと考えていた。そうでなくとも、よくある国の再興を行う話のように、王子と王女くらいは他国へ逃がすと想像していた。
でも、レーヴェンス王家はそうするつもりがないようだ。
思えば、こんな王都より国境に近い場所で第二王子がうろついていたり、王太子が本の中にいるあたり、連想できそうなものではあった。
目の前にいる第二王子エリオスは、しごく当然というようにうなずいた。
「ああ、戦場へ戻る」
「殿下……」
ハインツだけでなく、他の騎士達も皆悔しそうな表情をする。
ユーディットも、彼らの気持ちはよくわかる。おそらく、今この国で暮らしてきた人々のほとんどが、同じように思っているだろう。
大切な人を守りたい。
けれど敵を押し返す力すら自分にはないのだ。だから自分の力の無さに、いつだって悔しい思いをしている。そんな中で一人、力を求めることを諦めずにいる人をユーディットは思い出す。
「そういえば、お兄さんが魔術師だって……でも、失踪したって聞いたんですが」
失踪したというのは噂だ。本の中に入り込んで出られなくなってしまっている状態から、そう思われてしまったのだろう。
けれど、エリオスがジークリードの状況を知っていたならば、ユーディットに……ひいてはジークリードに協力してくれるのではないか。そう思ってユーディットは尋ねたのだが。
「ああ、兄上な。確かに兄上が居て下されば、もう少し時間をかせぐことぐらいはできたのだろうが」
エリオスはため息をつく。
「殿下、王家の機密を漏らすのは……」
熊のような騎士が止めようとしたが、エリオスはそれらを綺麗に無視して続けた。
「兄上は、本当に失踪したのだ。戦場で足跡を断たれたため、生死もわからぬ」
「え……?」
寝耳に水だった。
てっきり、ジークリードは王都で本の中に閉じ込められてしまい、それで失踪したと噂されているのだと思ったのだ。
でもユーディットは思い直す。
ジークリードの術ならば、別に軍と共に出征しなくとも戦場へ勝手に行けるだろう。
そうしてたどり着いた戦場で戦おうとして叶わず、別な方法を求めて己の能力で王城へ戻ったのだとしたら。戦場にいた人々にとっては失踪したように見えるだろう。
しかし王城へ戻れば、さすがに弟には安否が伝わるのではないだろうか。
どういうことだろうと、ユーディットは頭を悩ませた。
ジークリードが本の中にいると教えるべきだと思っていたのだが、これは少し考えた方がいいのかもしれない。
「兄上がいらっしゃらないのは、正直我が国にとっては痛い」
だけどな、とエリオスは続けた。
「他の魔術師達は、守りが得意な者がそろっている。彼らと協力して、せめてお前達が避難する間くらいは、持たせてみせる」
だから無事に逃げてくれ。
自分と同じくらいの年の王子直々に言われ、ユーディットは胸が詰まった。
エリオスでさえ無力感にさいなまれている。
それ以上に何もできない自分が情けなくて、すがるように黒い本をきつく抱きしめた。




