77.失踪
「“斥候”――妖魔の、ですか?」
答えの予想はついていながら、それでも確かめずにはいられず、シンはキャロルに問うた。もちろん、返答は“是”である。
「ヴルズィア北部にある“グラエラ”という町はご存知でしょうか」
「ええ、エランダの北西にある町ですよね」
頷いてから、シンはルナへ目を向けた。その視線に、やや“むっ”とした表情を浮かべつつ、彼は口を開いた。
「ヴルズィア北部の海路流通拠点の町でしょう。そのくらい、私も知っています」
彼の言う通り、ヴルズィア北部に位置するグラエラという町は湾沿いに位置しており、他地方との海路流通の際に重用されている町である。特に北部は、他地方とは異なり周囲に高い山が連なっており、陸路での物流は大きな危険を伴う。その為、グラエラという町は北部にとっては重要な物流拠点でもあった。
「あの戦いは、グラエラへ突如として梟熊の群れが発生した事から始まったのです」
「梟熊は深い森の奥や、山林に生息する妖魔ですから、山間に近いグラエラが襲われるのは珍しい事ではないのでは?」
シンが小首を傾げつつ尋ねると、キャロルは僅かに首を横に振った。
「元々、梟熊自体は人里の近くには生息していない妖魔です。いくらテイルラットよりも妖魔が多く出没するヴルズィアだとしても、同じことです」
「そっか……確かに僕も、実際に梟熊を目にした事はあんまりないかも」
「え?! シン様は梟熊の実物をご覧になられた事があるのですか?!」
「あ、うん」
思いがけない勢いで食いついて来たルナに、ややたじろぎながらシンは頷き返した。対してルナは興奮した様に言葉を続けた。
「梟熊は出現率が低く、生態も未だによく分かっていない妖魔ですよ! 何でも他の妖魔と違い、戦いの際に不利な状況に陥ると特殊な声で仲間を呼ぶと言いますが、」
「そうだね、確かに」
「シン様はどちらで対峙されたんです? やはりヴルズィアでしょうか?」
「ヴルズィアで冒険者時代に2回ほど。後は、ついさっき南門で」
「……はぁ?!」
シンの言葉に、ルナは一瞬の間の後、目を剥いて素っ頓狂な声を上げた。
「み、南門?! クナートの?! この町の?! ハァ?! どういう事だ?!」
驚きすぎたのか、途中で声が裏返っている。――そういえば、彼には南門の出来事は伝えてなかった。そして、まだ西区にまで昼間の騒動は伝わっていないのだろう。シンとキャロルは顔を見合わせると、その様子を見たルナはますます顔を引き攣らせた。
「そういえば……先ほど、魔境・大戦の“はじまり”が梟熊の群れの出現などと……それで、似てる、って、――ハッ ま、まさかこの町に妖魔が襲ってきたのか?!」
唇を戦慄かせながら問うルナを見て、少し考えてからシンは南門で発生した出来事を簡単に伝えた。話し終える頃には、ルナの顔は血の気が引き土色になっていた。
「こ、こうしてはいられない……!! に、逃げなくては……っいや、待て、先に司祭へ報告して……そ、そうだ、門を、門を閉めなくては……!!」
右往左往していたルナが、ハッとしてシンとキャロルへ目を留めた。
「シン様!!」
え、と聞き返す前に、ルナの声が続いた。
「安全の為、神殿の門を閉めさせて頂きます! 早々にご退出下さい!!」
* * * * * * * * * * * * * * *
有無を言わせぬ勢いで、ルナにティラーダ神殿を追い出されたシンとキャロルは、厳重に閉ざされた神殿の門の前で顔を見合わせて苦笑した。
「えーと、すみません……失言でした」
「いえ、梟熊が発生した事についてはいずれ知る事になった事でしょうし、あそこに魔境・大戦の資料が無いと分かれば、用はありません」
「あ、それなんですけど」
シンはキャロルに、以前書庫であった事――ソフィアが印付けしていた書物が20015番であり、それをルナが持ち出した事――を伝えた。そして、ルナ自身、その記憶が無い様子であった事も。
「成程。――先ほどルナさんは神殿の中へ20015番の書物を探しに行かれた後、“無くなっている”と仰いました。――つまり、神殿の中には既に無いのかもしれませんね」
「? ええと……?」
「ルナさんが以前、20015番の書物を探しに来て、ソフィアさんから受取って持って行かれたのは――彼自身が研究資料等で利用する為ではなく、どなたかに頼まれたから、と考えるのが妥当かと」
「頼まれ……って、つまり誰かに貸す為に取りに来たって事ですか?」
「そうですね」
「でも、神殿には無いんですよね」
「恐らく、ルナさんへ指示を出したのは司祭や、神官長など、神殿の上役の方でしょう。――その方に、外部の“誰か”が頼んだと考えるのが一番自然ですね」
「……外部の、誰か」
「ええ」
薄く微笑み、キャロルはゆっくりと大橋の方へ向かって歩き始めた。その場で少し考え込んでいたシンは、気付いて慌てて後を追う。すぐに隣に並ぶと、シンは疑問を口にした。
「それで、キャロルさん、さっきの続きなんですけど」
「はい」
「梟熊が斥候ってどういう事ですか?」
「魔境・大戦では、港町グラエラへ突如複数の梟熊が襲った日から始まりました」
ゆったりと歩を進めながら、キャロルはまるで昨日あった出来事の様に委細をシンに説明した。
――150年前
ヴルズィアで勃発した魔境・大戦。最初は港町グラエラが梟熊に急襲された。その知らせを受け、近くの商業都市エランダから騎士団、冒険者で編成された妖魔殲滅隊が向かった。グラエラはエランダにとっても海路流通の重要な拠点の為、早々に安全を確保しなくてはならなかったのだ。
しかし、殲滅隊がグラエラへ着いたと思われる2日後、今度はエランダがグラエラとは逆――南側の陸路から来た中級妖魔、妖魔亜種の大群に襲われた。主戦力をグラエラへ向かわせたエランダは止む無く近隣の森に住む妖精達へ救援を要請する。応じた妖精の村長達は妖精の中でも弓や魔法に長けた者達をエランダへ向かわせた。エランダに残っていた初級冒険者や自警団と、妖精達で挟撃する形になり、陸路から来た妖魔の大群は何とか抑える事が出来た。――だが、この戦いで妖精の住む森に戦火が広がり、戦う力のない妖精達が森を追われる事になる。そこへ新たな妖魔が襲い掛かり――いつの間にか、人間と妖精にも蟠りを生じる事になった。妖魔の中には悪知恵に長けたものもいる。人間と妖精の不安、不満を助長する様に、ある時は人間の町だけ、ある時は妖精の集落のみを襲い、彼らの猜疑心を高めていった。
やがて彼らの蟠りはいつしか確執に、ついには大きな軋轢となった。
かくして、人間、妖精、妖魔の三つ巴の戦い――魔境・大戦は起こった。その戦いの期間はたった10年であったが、三者それぞれ半数近い命が失われ、広大なヴルズィア大陸の半分近くを焦土と化したのである。
この間、人間と妖精の種族間でも多くの惨劇が生まれ、種族間の恨みや憎しみは根深いものとなった。その為、彼らの間に生まれるとされる半妖精が忌み嫌われる存在になった。
また、彼らが生まれるのは婚姻によるものだけではない。“先祖返り”はもちろんだが、この戦いの最中にあった“理不尽な仕打ちに”よって生まれた者も少なくは無い。だからこそ半妖精は、忌避され、人間と妖精のどちら側にも属せない存在なのだ。
「魔境・大戦の事はよく分かりました。けど、今回って梟熊が港町を襲ったって事くらいしか、今の所共通点は無いのでは?」
苦笑を浮かべながら、シンは肩を竦めた。
「そうですね……他は、冒険者の数。通常は妖魔被害が多くないという事などでしょうか」
「う、うーん、……でも、それだけなら他でもありそうな気が」
「そうかもしれませんね」
アッサリと異論に同意された為、シンの方が拍子抜けしてしまい思わずキャロルへ困惑した視線を投げかけた。
「それに、梟熊はシンさんやこの町の皆さんの手で殲滅しています。ですから、まるきり魔境・大戦の“はじまり”を辿っているわけではありませんしね」
歩を進めながら常の微笑みを浮かべつつ、キャロルは薄暗いベールが降ろされた街並みに視線を向けた。
「この町が無事で何よりです」
大通りに面した店舗や集合住宅の窓には柔らかな橙色の明かりが灯り、どこかの家の夕餉なのか茹でた芋や香ばしい小麦の香りが仄かに漂っている。
「妖魔はどうして人を襲うんでしょうね」
シンの口からつい漏れた言葉に、キャロルは穏やかに微笑んだ。
「それが彼らの性分です」
「そうなんですけどね……どうして魔境・大戦みたいに大きな戦争を起こそうって事になったんだろうって。単に後先考えず襲い掛かった結果かもしれないけど」
「……成程。面白い視点ですね」
愉しそうに笑みを深めるキャロルに、シンは照れくさそうに頭を掻いた。――と、その時だった。キャロルの表情から笑みが消え、僅かに眉間を寄せた。
「キャロルさん?」
「少々お待ちを」
訝し気に問うシンを手で制し、キャロルは片手を己の額に当てて瞼を閉じ、どこかに意識を集中させた。それからゆっくりと目を開くと、彼にしては珍しく苦々しい表情で口を開いた。
「――シンさん」
「はい?」
「ソフィアさんがいなくなりました」
* * * * * * * * * * * * * * *
――時刻はやや遡る。
日が暮れた頃、一旦部屋に戻っていたセアラ、レックス、オースが再び、ソフィアの眠る部屋へと訪ねてきた。「暗くなってから来る場合は、危ないからちゃんと廊下から来るように」というアレクの言いつけを守り、きちんと部屋のドアをノックして、だ。
彼らが来たのは、夕食が出来上がったので一緒に食べようというお誘いだった。窓は頑丈な鎧戸を内側から閉めてあり、部屋のドアにも施錠は出来る。食堂からこの部屋までは階段一つですぐに戻る事も可能だ。――外部からの侵入は容易くないだろう。だが、万全を期すため、アレクは子どもたちに一言断ってから、孤児院の外へキャロルの使い魔・ルーフォスを放った。
「ルーフォス、なんか見慣れないヤツがいたらすぐに教えて」
基本的に使い魔は主の命令以外は聞かない。だが、ルーフォスはアレクサンドラが己の主の最愛の伴侶である事を重々承知している。また、共に行動する事が多い為、彼女の為人はよく知っている。少々無鉄砲で向こう見ずだが、朗らかで人情に厚い。――単純に、この“人間”の事をルーフォス自身も好感を持っていた。だからこそ、彼は彼女の言葉には余程の事が無い限りは応えようと決めていた。
ルーフォスは、アレクの言葉に応じる様に一つ羽根を羽ばたかせると、そのまま音もなく紺色に染まる空へと飛び立った。
その後、アレクは孤児院の子ども達やスタッフと食事を共にした。気さくな美少女に子ども達は目を輝かせて懐き、男性スタッフはあからさまに見ない様に目を逸らしたり顔を赤らめて俯いたりしていた。
「アレクさんは南の森にお住まいなんですか?」
食後のお茶を飲みながらエルシオン院長が興味深そうに尋ねてきた。
「うん。この町に来てからしばらくは森に通って自分たちで小屋を建てたんだ」
「えっ 小屋をご自身で建てられたんですか?」
ミアと名乗った長い栗毛の女性が、黒い目を真ん丸にして両手で驚いた様に口を押えた。その様子にカラカラと笑いながらアレクは片手を振った。
「私だけって訳じゃないよ、もちろん! ホラ、南通りに大地妖精の大工がいるだろ? あのおっさんと、昔馴染みの草妖精に頼んで手伝ってもらったんだよ」
「それでも、すごいです……っ 私、大工仕事苦手で……この前なんて、木槌を空振りしてしまったし、釘は曲がってしまうし」
「あははっ 慣れないと難しいよな! けど、大工仕事は危険だからな。それに手にマメも出来ちまうから。ミアにはミアに出来る事がたくさんあるだろうから、無理すんなよ」
なっ、とウィンクするアレクに、同性ながらミアは思わず赤くなって俯いた。それを見たエルシオン院長は「おーい、うちのスタッフのナンパ禁止だぞー」と笑いながら茶々を入れ、アレクは「やべ! バレた!」とおどけた様に答えた。そのやり取りに、ミアを含めスタッフ達は大笑いしたのだった。
食後のお茶を終え、部屋へ戻ろうと廊下に出た所で、玄関のドアのノッカーが響いた。
「こんな時間に誰だろ」
小首を傾げて玄関方面を見ているアレクの脇を、ミアが「はーい」と答えながらすり抜けて行く。無防備に開けられたドアの向こうには――淡い金の長い髪の、宝石の付いた額飾りを付けた妖精の女性が立っていた。
「こんばんは、シェラ」
「うむ、夜分にすまんの」
「どうぞ入って。お茶を淹れます」
「そうか、有難い。ミアは気が利くのう。間違いなく良い嫁になるであろうなぁ 誰とは言わんが、ミアを嫁にもらう男は幸せ者じゃ!」
「や、やだ、シェラったら」
顔を赤らめて恥ずかしそうに両手で覆うと、ミアは小走りで台所の方へと駆けて行った。その後ろ姿を優しい眼差しで見送った後、シェラはふと、忌々しそうにため息を吐いた。
「フン、シンもぐずぐずしとらんで、はようハッキリ言ってやれば良いものを」
「へ? シン?」
「うん?」
突然割り込んできた声に、シェラが顔を向ける。そこに孤児院では見慣れない顔があり、彼女は僅かに不審げな顔つきになった。それを敏感に察したアレクが人好きのする笑顔で朗らかに挨拶をした。
「こんばんは! 私はアレク。ちょっと用があって、孤児院にお邪魔してるんだ。よろしく!」
「ふむ? ……私はシェライラじゃ。皆、シェラと呼ぶ。お主もそう呼ぶと良い」
明るい挨拶に多少気をよくしたのか、シェラも言葉を返す。
「ところで、用と言うのは?」
「ちょっとシンに頼まれごとされててね。でも、シンが戻ったら帰るよ」
「シンに、だと?」
アレクの返答に、シェラの整った柳眉が逆立つ。
「あやつ、またミアの気持ちを蔑ろにする様な真似を……!!」
「お?? ミア?? って、あの栗毛の可愛い女の子??」
「む?!」
きょとんと目を丸くしたアレクの言葉に、シェラは驚きの声を上げた。
「可愛い? 本当にそう思っておるか?」
「え、可愛いじゃん」
「!! そうじゃ!! ミアは可愛いぞ! 料理も出来るし気も利くし、あやつの淹れる茶は美味い!」
「あ、私も飲んだ。アレ美味いわー」
「そうじゃろそうじゃろ! お主、分かるな!!」
完全に気を良くしたシェラは、だが急に声を低めてアレクに顔を寄せた。
「じゃからな、あやつとシンの間を邪魔するような事はせぬようにな?」
「ほ??」
一瞬目が点になったアレクは、弾けるように笑いだした。その様相にぽかんとした顔になった後、シェラは顔を顰めた。
「なぜ笑う」
「はははっ いや、だってさ。今、シン出掛けてるんだけどさ」
「そうらしいの」
「私の旦那となんだよね」
「……は?」
「旦那。伴侶」
「……」
「因みに今、腹に子どももいる」
「なんと?!」
「はははははっ シェラの顔!!」
ケラケラと笑うアレクに、毒気が抜かれたのかシェラは長い耳を下げて「それは、その、すまぬな、誤解じゃ」とぼそぼそと詫びの言葉を口にした。
「気にしないでいーよ。シェラにとってミアが大事ってのはよく分かったし。ってか、シンとの間ってどゆ事??」
「う、うむ」
咳払いするとシェラは周囲を見回し、他のスタッフや子ども達に聞こえない様に声を顰めて耳打ちをした。
「ミアとシンは近い時期に孤児院に住み込みで働き始めたんじゃがな。お互いずっと憎からず思っておるにも関わらず、まーったく進展しないのじゃ」
「……え、そうなの?」
「そうじゃ。ミアはミアで恥ずかしがりで引っ込み思案じゃし、シンはシンであっちでにこにこ、こっちでにこにこ、八方美人も良いところでな? じゃが、ミアの茶や食事は大好物で冒険者の仕事があっても終わり次第すっとんで帰ってくるほどの入れ込みよう何じゃ。あやつ、臆面なく「ミアちゃんのお茶が一番好き」「毎日美味いご飯が食べられるなんて幸せ」などと他の冒険者仲間にも自慢しておるんじゃぞ。無意識の惚気じゃ、惚気」
「……へぇー、そりゃまた」
「何度か私から釘を刺したり尻を叩いたりしてるんじゃがなぁ……とんと動かん。はぁ。肝心なところで勇気の出ない男じゃよ、シンというやつは」
ため息交じりに嘆くシェラに、アレクは微妙な顔でとりあえず「大変だな」とだけ口にした。――アレクの目から見たら、シンの想いは完全にソフィアへと注がれている様に見えたのだが、シェラの言葉も嘘とは思えない。そして、いつかの日、アーレンビー家へ泊りに来ていたソフィアが言っていた「シンには他にちゃんと想い人がいる」という言葉が正しければ、つまり、ミアがその人という事になる。
ソフィアも、シンとミアの間を邪魔しない様に――己に感けてばかりのシンが幸せを逃さない様に、早く離れなければならない、と言っていたのだろうか? ――そう思うと、何だか釈然としない気持ちがアレクの胸に沸き起こった。チラリと2階への階段へ目を向ける。眠ったままのソフィア。そしてその彼女の手を両手で握りしめ切なそうに名を繰り返して呼ぶシン――あれが、ただの同族に対する親愛の情だというのだろうか?
「そうは思えないけどなぁ……」
誰にも聞こえない程小さな声でぼやくと、アレクは頭を掻いた。
それから、アレクは2階へ、シェラは茶を飲みに食堂の方へ向かう為、お互い挨拶を交わした。その時だった。
「アレク!! 大変だ!!」
レックスを先頭に、オース、セアラが2階から駆け下りてきた。半泣きのオースが「いない!!」と喚いた拍子に足を滑らせ、2段ほど階段の上から落ちて転んだ。慌てて駆け付けたアレクとシェラが助け起こす。どうやら膝を打った様だ。
「おいおい、慌ててどうしたよ」
「いなくなってる!!」
「どうしよう!!」
オースの傍らにしゃがみ込んで助け起こそうとしているアレクに、オースが、それからセアラが動揺した様に声を上げた。
「……え?」
「なんじゃ、なんじゃ。騒々しい」
「ベッドが空っぽになってる!!!」
「?!」
悲鳴のようなオースの言葉に、アレクはハッとして身を翻した。そのまま軽々とした身のこなしですぐにソフィアの眠っている部屋へと駆け付ける。
開け放たれたドアからは、もぬけの殻のベッドがすぐに目に入った。衝撃で一瞬固まったアレクだったが、間を置かずに頭を切り替えて窓に向かって走った。手を掛けると、窓は簡単に外側へ開いた。――鍵が開いている。これは内鍵だ。つまり……内側から開けて、外に出て、外側から形だけ窓を閉めていたという事だ。
バン、と窓を勢いよく開けると、アレクはすっかり暗くなった空へ向かって声を掛けた。
「ルーフォス!!」
すぐに黒い影がふわりと舞い降り、目の前の楡の木の枝にとまった。
「ソフィアがいなくなった! キャロルに伝えて!!」
ホウ、と一声。――使い魔と主は五感を共有している。今の言葉は瞬く間にキャロルに伝わっただろう。
「私はソフィアを探しに行く! ルーフォスも空からお願い!!」
言い残すと、アレクはルーフォスの返事を待たずに踵を返した。階段を駆け下り、すぐに外へ出ようとしたアレクだったが、様子がおかしい事に気付いた。
玄関ポーチでシェラやミア、オース、セアラ、それに他のスタッフたちが右往左往している。
「どうした?!」
声を掛けると、動揺して泣いているミアを宥めていたシェラが気付いてアレクの方へ顔を向けた。
「レックスがいなくなったのじゃ!」
「え?! どうして?!」
ぎょっとしてアレクが目を剥くと、セアラが声を上げた。
「レックス、助けに行くって」
「え」
「あ、悪人が来たのかもしれないって……っ 自分が助けるから任せとけ、って……あたし、止められなかったっ」
自分を責める様に涙で顔をくしゃくしゃにしながら、セアラが声を詰まらせる。
「あいつ……」
唖然としながらも、アレクの脳裏には「すっげーかわいい」を連呼していたレックスの姿が鮮明に蘇った。あの時の少年の純粋な憧憬の眼差し。己より小さく弱く、儚く幼気な――まるで“お姫様”の様な少女を目にして、彼は幼いながらも庇護欲が湧き起こったのかもしれない。そう考えると、アレクとしては頭ごなしにレックスの行動を批判する事は出来なかった。
僅かに苦笑すると、アレクはセアラとオースの頭を撫でた。
「心配すんな! 私がちょっくら行ってすぐ見つけてくるから!」
「レックスを探しに行くなら私も行くぞ!」
シェラの声に、他の大人からも声が上がった。――レックスの事は孤児院の人々に任せて、自分はソフィアを捜す事にして、アレクは孤児院から駆けだした。




