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螺旋のきざはし  作者: hake
第一章
67/110

65.機微 ★



 翌朝、シンは早々に目覚めると、すぐにベッドの上で半身を起こして、傍らで眠ったままのソフィアの額に手の平でそっと触れた。伝わる熱は昨夜よりは下がったとは思うが、依然としてまだ高いままだった。

 それでも、彼女の表情は昨日よりはずっと柔らかい――そう判断してから、シンは思案した。


 流行り病ではないとは思うが、昨日の様に急に容態が変わる可能性がある。となると、今回ばかりは神の奇跡に頼り、早めに快癒の力を使った方が良いのかもしれない。だが、ソフィアは恐らくそれをよしとしないだろう。……ならば、ソフィアが眠っている間に行使した方が良いのかもしれない。――と、不意に傍らの彼女が小さく身動みじろぎをした。目を向けると、未だに彼女の瞼は固く閉じられたままだ。どうやらただの寝返りらしい。

 随分熟睡している。――それは、具合が悪いからだけではなく、少しは自分に気を許してくれているのではなかろうか。

 そんな考えが心の中に浮かぶと、次いで“その彼女の信頼を裏切りたくない”という気持ちが沸々と湧いて来た。例え、“良かれと思って”だとしても、彼女に言えないような事はしたくない。そう結論付けると、シンは神官としての力を行使するのを止め、小さく頷いた。



 しばらくベッドの中でソフィアの容態を診ていたシンだったが、窓の外に朝日が昇る気配を感じた所で、着替える為に起き出した。

 冷え切った室内の空気が、ソフィアを包む温かな布団の中に入らない様に、素早く布団から出ると彼女の首周りの掛け布団を丁寧に直す。

 ひんやりとした部屋の温度に臆することなく、シンは手早く寝間着を脱ぎ捨て、綿の普段着に着替えた。そもそも、シン自身が口にしていた通り、彼は半妖精ハーフエルフにしてはかなりの筋肉質な身体を持つ。その為、基礎代謝力が高く体温が普段から高い。春先の朝の空気は薄着でも「今日はちょっと冷えるなぁ」程度で平気だったりする。


 着替え終えると、床の上に裸足のままで立ち、手足を伸ばして軽く日課のストレッチを始める。しばらくすると、背後から小さな声が聞こえた。

 ぱっと振り返ると、ベッドの上で半身を起こしたソフィアが、緩慢な動きで目をこすっている。その姿に、シンは相好を崩す。


「ソフィア、おはよう」


挿絵(By みてみん)


 ベッドに歩み寄ると、傍らにひざまずいてソフィアに声を掛けた。寝起きでまだ少しだけぼんやりとしていた彼女は、急に顔を寄せたシンにぎょっとして、弾かれた様に慌てて身を引――こうとして、失敗した。バランスを崩してそのままベッドの反対側に倒れ込みそうになるのを、シンが間一髪のところで素早い動きで支え、抱きとめた。


「もー、急に動いちゃ駄目だよ。昨日よりは下がったとはいえ、まだ熱が高いんだからね?」


 とがめるように言ってから、シンは不満そうに口を尖らせた。シンにとっては残念な事に、どうやらソフィアが気を許してくれるのは、まだ彼女が眠っている時だけらしかった。

 抱きとめられたソフィアは、ばつが悪そうに、シンの腕の中から抜け出そうと身をよじった。


「平気。もう、動ける」

「動けてない。――仮に動けても、無理しちゃダメ。少なくとも今日は寝てなきゃ」

「なっ 何よそれはっ 大袈裟だわ?!」


 腕の中で目を剥いて不満げな声を上げるソフィアに、シンは「大袈裟じゃない」と、据わった目を向けて低く言った。それでも、ソフィアは食い下がる。


「でも、神殿の仕事があるのよ。無断で休むわけには行かないわ」

「ティラーダ神殿には僕からソフィアは今日はお休みって言っておくよ。あと、僕も孤児院の仕事しばらく休みを取る」

「えっ」


 己の看病をする為に、シンまで休みを取るのかと、ソフィアは顔を青くする。その様子を見て、シンは少しだけ呆れた様に笑った。


「当たり前でしょ。僕がソフィアを1人にしておくはずないじゃない」

「何なのよそれは! 子ども扱いも大概にしてよね! ――それに、横になっていろって言うなら、そうするわ。だから、あなたは自分の仕事を……」

「子ども扱いじゃないよ。僕が、体調が悪い君を、放って置けるはずないでしょ? って事」


 倒れ込んだままだったソフィアの身体を、そっとベッドの中に戻しながら、シンは柔らかく微笑んだ。


「それに、君も僕も、最近働きづめだったでしょ? たまにはお休みもらったって、バチは当たらないと思うな」

「そ、そういう問題じゃ……」

「うん?」

「ない、でしょ……そもそも、それを言ったら、せっかく休みをとるなら、あなたは自分の好きな事を」

「うん、だから」

「え?」

「好きな事、させてもらうよ」

「は?」

()()()()()()()()()()


 にっこりと満面の笑顔を浮かべて言うシンに、ソフィアは盛大に顔をしかめた。


「……意味が分からないわ。どういう趣味?」

「うーん、趣味っていうか……そのままの意味なんだけどなぁ」

「……」


 なぜこのんで、せっかくの休みを使って不要な自分の看病をするのか、という文句が喉元まで出掛かったが、それを辛うじて飲み込んで、ソフィアはシンから身を引いて顔を引き攣らせた。

 だが、シンは気にした様子も無く、にこにこと嬉しそうに笑顔を浮かべながら立ち上がった。


「そうだ、昨日ソフィア、すぐ寝ちゃったから夕ご飯食べられなかったでしょ? 宿のご主人から、美味しそうなものを貰ったんだ。一緒に食べよう」


 そう言うと、シンはいそいそとテーブルの上に置いてあった飴色の果物の瓶詰めを取りに行き、ソフィアに見える様に掲げて見せた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 橙黄石シトリアやじり亭の店主からもらったマルメロの蜂蜜漬けは、食欲のないソフィアでも食べやすかったようで、ほんの僅かだが摂る事が出来た。それから、シンは彼女の枕元にテーブルを寄せ、その上に水差しとコップを準備し、その他にも水を張った盥と手布を用意した。

 神殿と孤児院に2人の休みを伝えたらすぐに戻るから、ベッドから起き上がらない様に、としつこいほど何度も念を押し、シンは後ろ髪をひかれる思いで宿を後にした。



 早足でティラーダ神殿へ向かい、神殿の受付に立つ神官の男性にソフィアがせている事と、今日から数日間は仕事を休む旨を手短に伝えた。

 男性はひどく心配した様に眉を寄せて、ソフィアの容態を聞いて来た。恐らく疲労と風邪であろうと伝えると、彼は安堵した様に表情を和らげ、「お見舞いに」と薬草茶ハーブティを小瓶に詰めたものを手渡してきた。レモングラスの葉にオレンジの果皮を乾燥させたものを混ぜた品で、煮出した後、蜂蜜を加えて飲むと良いと教えてくれた。


 ――恐らく、この彼がいつかの日に、ソフィアにカモミールの茶葉をくれた男性なのだろう。彼女の事を気にかけてくれてありがたい、と思う反面、何故か胸にもやもやとしたものが生まれる。

 だが、年の功と言うべきか、心の内をおくびにも出さずにいつも通りの微笑みを顔に張り付かせ、シンは男性に礼を言いながらそれを受け取り、外套のポケットにしまい込んだ。



 その後、休むことなくすぐに孤児院へと足を向けて歩き始めた。



 ティラーダ神殿のある西区と、孤児院のある南区では、少し距離がある。出来るだけ足早に、ともすれば駆け出しそうになりながら、シンは孤児院への最短の道を進んだ。

 大通りへ出て中央広場を通り、南区へ向かう街路を歩いていると、唐突に、後ろから演技がかった声が掛かった。


「おぉ! そこへ行くは疾風がごとき騎士ナイト! さすれば、の姫君は何処いずこにあらん!」

「?」


 歌うような美声に、シンは不思議そうに振り返り、その声の主を確認してから微笑んで向き直った。


「こんにちは、レグルスさん」

「やぁやぁ、こんにちは! ……うぅ、嬉しいよ。僕の名前、憶えていてくれたんだね!」


 泣きながら感動している美しい長身の妖精エルフ――レグルスに、シンは僅かに苦笑して「そんなにすぐには忘れませんよ」と返す。その言葉に、更に感動を滲ませながら、レグルスはシンの目の前までやって来ると、止める間もなくシンの右手を両手でがっしりと包む様に握りしめ、ぶんぶんと上下に振った。


「ありがとう! 僕は感動したよ! いや~、宿にいても暇でね! 散歩をしていてシン君に会えて良かったよ~! これはもう、運命だよね!?」

「あはは、どうでしょう。……っと、すみません、少々急いでいるもので……失礼しても良いですか?」

「おや? そうなのかい?」


 シンの片手を両手で握ったまま、レグルスはきょとりと目を丸くした後、すぐに「ああ」と納得したような声を上げた。


「ソフィア君が体調を崩したのかい?」

「……そうですね。仰る通りです」


 無意識に、するり、と微笑みの仮面をかぶるシンに対し、レグルスは大げさに驚きのゼスチャーをしてみせた。


「嗚呼! やはり! そうだね、そうだと思ったよ!」

「やっぱりって……なぜですか?」

「そりゃあ、さっきのシン君、まるでお姫様を悪の手の者から守ろうとする騎士ナイトの様相だったもの! シン君にとってのお姫様といえば、ソフィア君の可能性が一番高いだろう?」

「そうですね」

「それに、だってホラ、あの子は見るからには儚げだろう? 僕は彼女に会って以降、ずっとこの時期は気を付けなくては、と思っていたのだよ! 前にも言っただろう? ああ、やっぱりねぇー」

「……気を付けます。――では、すみませんが失礼しますね」


 どうにも話が脱線しまくり、終わる気配が無いことに焦れて、シンはやや強引に話題を打ち切った。レグルスは特に気を悪くした風でも無く、何度か大きく頷いた。


「うんうん。シン君も急ぎ過ぎて怪我をしない様にねー!」


 ぶんぶんと盛大に手を振って見送るレグルスから、なるべく早く離れようと、自然と足早になる。



 彼が見えなくなるくらいまで離れた後、ふとシンは違和感に眉をひそめた。


 ――レグルスは、決して悪い人物ではないとは思うのだが、何故か話す度にシンの心にわだかまりが生まれる。それが何か、何故なのか、全く分からないが……シン自身は70歳を超えており、悪人相手ではない限りはそうそう人に対して悪い印象を持つ事はない……はず、なのだが、――レグルスの言葉はその一つ一つが、シンの心に何故か小さな棘の様に刺さり、ーー痛みはないのだが、強烈な不快感を感じてしまう。



「……おかしいな、」


 相変わらず速いペースで歩を進めながら、シンはつい、声に出して呟いた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 レグルスと別れてから30分ほどで、シンの職場である孤児院に到着した。


 家屋に入ると、子ども達やスタッフへ挨拶を済ませ、すぐに院長の部屋へ向かう。執務机に座っていた院長は、シンから事情を聞くと「遠慮せずにいくらでも休んで良いけどよ」と頷いてから、椅子から立ち上がり、机に両手をついてシンを真正面から見た。


「けどよ、もし、お前とその子が良いってなら、孤児院の部屋で養生しても良いんだぜ? お前が使ってた部屋も空いてるし、お前は仕事しながら様子を見に行けるだろ?」


 院長の言葉に、シンは瞠目し、次いで微笑んだ。


「ありがとう。……でも、ごめん。お気持ちだけ受け取らせて」

「何か理由でもあるのか?」

「理由……っていうか。――ソフィアは、すごく真面目で、責任感がある子だから。もし、ソフィアを無理にでも孤児院に連れてきたとして、同じようなタイミングで孤児院の子ども達の誰かが偶然、風邪をひいてしまったりしたら、――ソフィアは自分を責めて苦しんじゃうから」

「こんな時期、普通子ども達が大勢いたら誰かしら風邪ひいてるだろ」

「うん。そうだとしても、だよ」


 ゆっくりと笑みを浮かべて、シンは正面から院長の視線を受け止める。


「あとね、僕がソフィアの看病をしながら孤児院に来ていたとして、それで子ども達が、たまたま、偶然、病気になったとしても、ソフィアは自分のせいだって思っちゃうんだ。……前に、同じような状況で、すごく叱られた事があるから、僕も気を付けないと」


 いつかの日、ソフィアが熱に浮かされながらも、懸命にシンに“己の本分を忘れるな”とばかりに声を荒げた時の事を思い出し、シンは自然と頬を緩めた。思えばあの時のソフィアの言葉に、シンの心は強く打たれた。否、もっと、それ以前から、――分かりにくかった彼女の事を、分かろうとしなかった彼女の事を、知れば知るほど、今まで生きてきた中で感じた事の無い、名前の付けられない感情が溢れだし――そしてそれは、今もなお、シンの心の奥で渾渾こんこんと湧き出し続けているのだ。



 たっぷり間をおいてから、シンは院長に深く礼を取った。


「だから、ごめんなさい! しばらく休みをもらうね」

「そうか、そういう事情なら、確かに宿でゆっくりさせた方が良いな」


 シンの真摯な想いが十分に伝わったのか、院長は大きく頷いて歯を見せて笑った。


「っていうか、気にすんな! お前、冒険者の仕事が入らない限りは、休みなしで仕事してんだから。せっかくの機会だ。たまにはゆっくり休め!」

「うん、ありがとう」


 ふわり、と、心底嬉しそうに、そして幸福そうに破顔するシンに、院長は少し驚いた顔をした。


 シンが孤児院に住み込みで働き始めてから、凡そ2年が経過するが、こんな風に彼が、己の内面の感情をあらわにした様な表情を見せたのは、これが初めてだった。仕事をしている中で、たまには子ども達を叱るような事もありはしたが、基本的に彼は、穏やかに微笑んでいるか、朗らかに笑っているか、のいずれかだった。

 それが、今の彼の表情といったら。――まるで愛妻を惚気る夫の様な、愛娘へ愛情を注ぐ父親の様な、初孫に対する祖父母の様な、――そのどれでもない、“それ以上のもの”の様な。


 思わず、院長はわざとらしくニヤリと口角を上げて揶揄からかう様に尋ねた。


「なぁシン。なんだ、その子っつーのは、つまり……シンの()()子なのか?」

「うん、ソフィアは()()()だよ」


 意味を取り違えたまま即答するシン。だが、その返答を更に取り違えた院長は、目を皿の様に真ん丸にしてから、見る見る顔を輝かせ、興奮気味に身を乗り出した。


「おいおい、なんだ、そうか! なら、尚更付いててやらないとだな! ついでにその子が元気になってからも、ちっと羽根伸ばして来て良いぞ! な! ーーあ! あと、今度俺にも紹介してくれよ?!」

「ん? あ、うん。是非」


 わははは! と豪快に笑いながら、エルシオン院長は机越しにシンの肩をバンバンと叩いた。一方のシンは、何故院長がそんなに嬉しそうに笑っているのか分からず、きょとんとしながら頷き、肩を叩かれるがまま不思議そうな顔をしていた。

 しかし、院長の手がシンの肩を叩く度に、ティラーダ神殿や、レグルスとの会話で生まれた心の内のもやもやが吹き飛ばされ、身の外に叩き出してもらえた様な気がして――シンは、心がどんどん軽くなっていく様に感じた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 正午を回る前に、シンは橙黄石シトリアやじり亭に戻って来た。宿の主人に声を掛けた後、はやる気持ちを抑えて宿泊している部屋へと向かう。


 部屋の扉をノックすると、内側から「はい」と小さいながらもしっかりと、耳慣れた声が聞こえた。応じた声を確認すると、シンはすぐに扉を開けて室内に入った。


「ソフィア、ただいまっ ちゃんと寝てた?」

「……開口一番に確認する事? それ」


 ベッドで横たわり、背中に枕をいくつか積んで少しだけ上体を起こしたソフィアが、呆れ顔で部屋に飛び込んできたシンを見る。彼女の手には羊皮紙があった。それに目を留めて、ジト目でシンは尋ねた。


「……まさか、仕事してたんじゃないよね?」


 その言葉に、ソフィアは不貞腐れた様な顔で答えた。


「してない。……ちょっと色々、整理しようとしてただけ」

「どっちにせよ、ちゃんと寝てないじゃない! もう!」

「ベッドからは出てないわ? ……出たとしても、羊皮紙を取りに行く程度よ」


 ますますむっとした顔をするソフィアに、シンはスタスタと歩み寄り、その額に躊躇ためらいなく手を充てた。掌が触れる瞬間、ソフィアの身体が小さく強張るのを感じたが、シンは気付かなかった振りをして微笑んだ。


「……うん、ちょっと下がって来たね。食欲はどう? 何か飲む?」

「水は飲んでた」

「お水だけじゃ駄目だよ。塩分も摂らないと。……あと、ちゃんと食事が摂れていなんだから、糖分も必要だね……あ、そうだ」


 思いついた様に、シンは外套のポケットから、ティラーダ神殿で神官からもらった薬草茶ハーブティの包みを取り出した。


「これ、ティラーダ神殿にお休みするって言いに行ったら、受付に立ってた神官がお見舞いにくれたんだよ。僕だと、淹れ方分からなくて失敗しちゃうかもしれないから、これ、下の酒場の店員さんに淹れてもらってくるね! ちょっと待ってて!」


 言うと、すぐに踵を返して部屋を出て行く。


 呆気に取られて見送ったソフィアは、手元の羊皮紙に目を落とし、小さく息を吐いた。羊皮紙に書かれている文字をそっと指で辿る。



  “身内 →無し


  荷物 →消耗品は必要であれば宿で使用

      不要であれば処分


  弔い →不要”



 この世界(テイルラット)へ来て、春告鳥フォルタナの翼亭に“冒険者として登録”し、宿泊したその日に書いたものだ。冒険者として依頼を請けた際だけではなく、単なる事故や、突然の流行り病で命を落とす可能性は十分にある。何より、己の不安定な体調では、いつ何があってもおかしくないだろう。

 碌に知人もいない、それどころか、“異世界から来た”という、正に“どこの馬の骨ともわからない”自分に何かあった時、一番困るのは宿泊している宿の店長だ。身元引受人がいない以上、事後処理に関しては恐らく宿の店長が代行する事になると思った。だから、“何かあった時の為に”記しておいたのだ。

 埋葬方法、私物の処分方法など、手間と金銭がかからない方法を“要望”として残しておくことで、少しは処理をする側の負担を軽減できるのではないか、とあれこれ考えた結果だ。



  “身体 →火葬

     (私物がある場合は、共に焼却を)


  埋葬 →エルテナ神殿共同墓地へ”



 ――アトリに迷惑を掛けてしまうかもしれないと思ったが、彼女なら自分の希望を無碍にせず、受け入れてくれるのではないか……と、思っていたらしい。そう考えると、存外ソフィアは早い段階で、無意識にアトリを頼りにしてしまっていたのかもしれない。

 アトリには、かたくなな心をほぐす、不思議な力がある様に感じる。温かな陽だまりの様な、素朴な、優しい空気を持っていて、この世界(テイルラット)へ来たばかりの、ソフィアのささくれ立った心ですらも、柔らかく包み込んでくれたのだ。



  “金銭 →宿代と神殿への手数料を支払い、

      残金がある場合は手間賃として、

      この処理や手続きを行った人へ

      差し上げます”



「……」


 最後の文字まで辿ったところで、指を止め、ソフィアは目を伏せた。



(……“この処理や手続きを行った人”、か……。今までは、宿泊先の店長になるだろうって思ってたけど、――今のこの状況が続く場合は、……これは、やっぱり……シンになるのよね、きっと)


 そう考えて、眉を下げる。



 ーー“でも僕は無理かな。

  もし愛する人を看取ったとしたら、立ち直れる気がしない”



 いつかどこかで、シンが言っていた。



 ソフィアが、シンにとっての“愛する人”に該当するとは到底思えない。だが、それでも、庇護対象として、シンがソフィアに強い執着を見せている様には感じる。

 元々の責任感が強いのか、庇護欲が強いのか、それとも、同族愛が強いのか。いずれにせよ、自分に何かあった際は、シンはとても傷つくだろう。自惚れではなく。きっと、自分でなくても、彼の様な優しい人物は心を痛めるに違いないが。



 とにかく、つまり、そんな風に傷ついている時に、己が去った後の処理を任せるのは心苦しいのだ。



 そんな事を、ソフィアはシンが出掛けてからずっと考えていた。


 シンと同室になってから体調を大きく崩したのは、今回が初めてだった。彼の傍らで眠ると温かく、……認めたくないが、安心して、ぐっすりと眠る事が出来ていた。

 だから、こんな風に調子を崩すとは思っていなかった。すっかり油断していたのだ。そして、予想以上にショックが大きかった。


 気を引き締めて、己自身を見直し、今後の事をきちんと考えなくてはならない、と肝に銘じ――再び、小さく息を吐きだすと、ソフィアは手にしていた羊皮紙を4つに折りたたんだ。



「……書き直した方が良いのかしら。……いえ、そもそも、同室って事自体がおかしいんだから、まずそれを何とか止める方向で……」


 ぶつぶつと思考を口にしていると、部屋のドアがノックされた。折った羊皮紙を仕舞ってから応えると、軽やかにドアが開き、明るい声が耳に飛び込んできた。

 

「ただいまー!」


 手にティーセットを載せたトレイを持ったシンだ。ドアを閉めると、真っ直ぐにソフィアの方へやって来た。


「すごく良い香りだよ。これをくれた神官の人が、蜂蜜を入れると良いって教えてくれたんだけど、昨日、宿の店主さんがくれたマルメロの蜂蜜漬けの蜜を入れても美味しいかもしれないね」


 言いながら、枕元に寄せたテーブルにトレイを置く。ふわりと爽やかな柑橘類の香りが漂い、鼻腔をくすぐった。思わずソフィアはその香りを胸いっぱいに吸い込み、そしてそっと息を吐いた。



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