62.記憶
いつからが始まりか、覚えていない。
そして、いつ終わりが来るのか、分からない。
ソフィアにとって、ヴルズィアの“あの村”での生活は、そんな日々だった。
覚えているのは、薄暗い、朽ちかけた小屋の壁板。
壁や屋根から吹き込む寒風。
腐り落ちた床板から手招きする様に覗く、か細い枯れた草木の枝。
小屋の外から聞こえる、人々の楽し気な笑い声、密やかな囁き、そして
――“ああ、まだ、生きているのか”
忘れかけた頃にやってきては、壁板の隙間からこちらを覗き見、落胆する男の声。
その男が死んだという、老婆。
その彼女の慟哭、怨嗟の声。
追いかけてくる、無数の松明の明かり――
* * * * * * * * * * * * * * *
まるで他人事の様に努めて淡々と、そして出来るだけ言い淀まないように気を配りながら、ソフィアは自分が村で過ごした日々の事をシンに語った。
少しでも躊躇いを見せたら、この話しを黙って聞いている傍らの彼に、余計な心配を抱かせると思ったからだ。
村での事を誰かに話したのは、初めてだった。
以前も自ら語った通り、ソフィアは己を不幸だとは思っていない。だが、普通の人々とは異なる幼少期を過ごしていたという、自覚はある。
もちろん、誰もが皆、各々異なる日々を送ってきたとは思う。それでも、自分自身がかなり異質な時間を過ごしていたという事は分かる。何せ、本人とは全く異なる“普通の生活”が、彼女の過ごす小屋の外で日夜、営まれていたのだ。そう、あの村で、ソフィアという存在は正しく異物だった。
だからこそ、彼女は今まで誰かにあの日々を語る事は、して来なかった。――いや、語る相手はいなかった。
しかし、ここ、テイルラットでシンやアトリと出会った後も、彼らに話そうとはしなかった。そして、ソフィア自身、話す事は無いだろうと考えていた。
しかし、先ほどのシンは、ソフィアが不本意ながら無意識に涙を見せてしまった際も、頑として引き下がらなかった。強い意志で話しを聞かせて欲しいという態度を変えなかった。
それどころか、聞いた事で彼自身が嫌な思いを抱く可能性がある事を理解した上で、それでも聞きたいと真摯な眼差しを向けたのだ。
シンは、シアンと会話している途中から、何か気がかりがある様だった。そして、ソフィアがヴルズィアで過ごした日々の中に、何らかの“鍵”があるかもしれないのだという。
それが何なのかは分からないが、恐らくシンにとって非常に重要な、大切な事なのだろう。
そうだとしたら、ソフィアの個人的な感情だけで話さないという訳には行かなかった。
ここ、クナートでアトリに助けられたところまでを話し終えたソフィアは、小さく息を吐いた。
「……あたしが覚えているのはこんなところ。あの村の人達は、少なくともあたしが村を出る直前までは、あたしを“いないもの”として扱っていただけ。――だから、“迫害”というほどの事はされてなかったわ」
言葉を切ってから、気付かれない様にチラリとシンの様子を窺う。
薄暗い部屋の中、光の精霊に照らされた彼の表情は常になく硬く、その眉間には苦悩を象徴するかのような深い皺が刻まれていた。
まるで、押し込めようとして失敗した憤りが表情にそのまま滲みだしたかのような様相に、気圧されたソフィアは、次の言葉を飲み込んで黙り込んだ。
束の間の沈黙が、2人の間に流れる。
しばらくして、シンがゆっくりと重い空気の塊を吐き出した。煮えくり返る腸から、彼の村の人々への呪いの言葉が飛び出しそうになるのを、ソフィアの手前であるという事と、智慧神に仕える神官であるという矜持によって、何とか自制する。
だが、それでも身を焦がすかの様な怒りは、シンの中で消えること無く燻り続けた。
「“いないもの”にする、なんて……一番ひどい事だ」
言いながら、声が怒りに震えそうになるのを必死に堪える。シンにとって、ソフィアの語った幼少期の記憶は、想像以上に辛く、耐えがたい苦痛だった。己の身よりも大切な掌中の玉を、理不尽な理由で蔑み、存在を否定されたのだ。
シンの脳裏に、出会ったばかりの頃の彼女の、細い小枝の様な手足や骨の浮いた背中が蘇る。そして、幼い――ほんの小さな頃の彼女を思う。
本来なら親や年長者の庇護を受けるような年頃も、誰もいない暗い部屋でたった一人、息を殺して過ごしていた彼女。その小屋の外で、日の光の下、その村の人々は何を考えて過ごしていたのだろう。胸ぐらを掴み上げ、問い質したい。――いや、例え何と答えられたとしても、シンには到底理解が出来ないだろう。というより、理解したくない。
叫び出しそうになる激情を飲み込むのに苦労して、シンは両目を固く閉じて歯を食いしばった。それを見たソフィアはバツが悪そうな顔で言い難そうに口を開いた。
「実害はなかったから。……あんまり、重く受け止めないでちょうだい」
その言葉を耳にして、反射的に「そんなはずはない」と口を突いて出そうになるのを、シンは辛うじて飲み込んだ。
――実害が無いはずはないのだ。現に、ソフィアは頭に手を伸ばされた際や、不意に体に触れられる際に、怯えた表情を見せる。それも、本人の意思とは異なり無意識に……反射的に、だ。
それは、頭に伸ばされた手が、身体に触れたものが、彼女にとって苦痛を与えるものだと、彼女自身の心と身体に刻み込まれているからこそ起こる、防御反応と考えるのが普通だ。
彼女がそれを「ない」と本気で言うのであれば、その痛みや苦痛の記憶は……彼女自身が己の心を守る為に、思い出せないような深い場所に鍵を掛けて沈めてしまっているのだろう。
そう思うと、シンは己の考えに吐き気を催すほどの嫌悪感が襲ってきた。
「……」
「シン?」
「……」
「ちょっと」
「うん、……ごめん、……考えたら、……ごめん」
泣くのをやせ我慢したような、情けなく震えた声で言うと、シンは顔を上げて弱々しく笑ってソフィアに目を合わせた。それを見たソフィアは、柳眉を顰めて小さく息を吐く。
「謝らないで。あたしは全然平気なのに、やっぱりあなたは気にしたわね。……だから嫌だったのよ」
尖った声で言いながら、ソフィアは顔を歪めてそっぽを向いた。それは、苛立っているからではない。話してしまった事を後悔し、自分を責めているのだ。
誰が聞いても酷いと感じる過去を、“口に出す事で思い出して辛い”とは感じず、逆に、シンが“己の事で心を痛めている”という事には心を痛め、自己嫌悪しているのだ。
ああ、どうして、とシンは己の目元を両手で覆いたくなるのを必死で堪えた。どうしてこんな時ですら、彼女は自分自身の事を疎かにするのか。どうして他人の事を思いやる事が出来るのか。身も心も、自分自身に頓着をしない彼女を見ていると、シンは胸が苦しくなる。頼って欲しい、辛いと言って欲しいのに、何が足りないのだろうか。
苦悩を滲ませるシンを見て、ソフィアは口を一文字に引き結ぶと、見ていたくない、とばかりに、背中を向けようと身を捩った。シンはすぐに気付いてそれをそっと手で制した。
「……ごめんね、僕が気にしてる事で、ソフィアが辛い思いをしてるっていうのは分かってる。でも、僕は聞いて後悔はしていない。それに、君を憐れむつもりも無い。そんな事をしたら今の君に失礼だし、僕は今の君が大切だから。……ただ、君のいた村の人達に対して、――ものすごく頭にきてはいるけど」
――実際は、“頭にくる”どころの話しではない。もし、今行ける範囲にその村があり、その村の人々が手の届く距離にいたとしたら、己の拳を彼らの血で染めてしまうかもしれないと、本気で思う。神に仕える身としては、あるまじき考えかもしれない。だが、それほど腹の中は煮えくり返っているのだ。
今晩彼女を腕に抱いて眠り、明日の朝目覚めたとしても、彼らを許せないという気持ちが消えるとは到底思えなかった。
掛け布団越しに手を充てた彼女の肩は、やはりか細く、力を入れたら折れてしまいそうに華奢だった。そのまま強く抱き締めてしまいたくなるのを何とか堪え、シンは安心させるように微笑んだ。
「ソフィアこそ、話すことで辛くさせてしまっていたらごめんね」
「あたしは気にしてない。それに今後もう、生きている内にあの人たちに会う事は無いと思ってるし」
「そうだね。万が一機会があったとしても、会わない方がいい」
冷静なソフィアの言葉に、少しだけシンも落ち着きを取り戻す。彼女の頬を手の平で優しく撫でて顔を寄せた。
「話してくれて、ありがとう。聞けて良かった」
そのまま内緒話の様に小さな声で囁くように礼を述べると、彼女は不機嫌そうに己の頬からシンの手をはぎ取った。
「ちょっと! そうやって、すぐに触って来るの、やめてよね。何度も言うけど、あたし成人しているんだからね? 孤児院の子どもと一緒にしないでちょうだい」
「孤児院の子どもにはこんな事しないよ」
「じゃあなんであたしにはするのよ!」
「んー、ソフィアだから?」
「意味が分からない」
むっとした顔で睨むソフィアに微笑みだけ返して、シンは話題を元に戻した。
「――さっきの続きだけど。つまり、ソフィアは、物心ついた頃には、その小屋にいたんだね」
「ええ」
迷いなく、こくんと頷く。そこで、シンは疑問を口にした。
「着替えや寝床はどうしていたの?」
「え? えぇ、と……寝床は風の吹きこまない小屋の隅で。あ、落ち葉や枯草があったから、それを集めて積み上げて、そこに潜って過ごしてたかしら」
「……」
今よりも幼く、夜目の利かない彼女が、隙間風の吹きこむ廃れた小屋で1人、落ち葉や枯草で暖を取って夜を過ごす姿を脳裏に思い浮かべ、一瞬にしてシンの心は凍えた。それが表情に出たのか、ソフィアは彼の顔を見てして「言っておくけど、結構温かいのよ」と付け加えてから話しを続けた。
「あと、着替えは、……あんまり覚えてないんだけど」
「え」
思わずシンは目を丸くした。だが、ソフィアは本気で覚えていないらしく、視線を天井に泳がせながら、懸命に思い出そうとしている。
「着れれば別に何でも良かったから……ああ、そういえば、たまに、本とか食料が小屋の前にあったの。その時にもしかしたら、一緒にあった時も……あったかもしれな……い、わね」
うーん、と天井を見上げたまま考え込むソフィアの言葉に、シンは引っ掛かりを覚えた。
僅かに眉を寄せながら念を押す様に「小屋の前に?」と鸚鵡返しをすると、彼女は視線を天井から目の前のシンの胸元に移してから、たどたどしく返した。
「ええ、小屋の前に。だから、四大神とか……ヴルズィアの地理とか、国の特性……そういう知識は、本で学んだの」
その言葉に、シンは更に疑問を呈する。
「……文字は?」
「え?」
「共通語。本を読むためには、文字を理解しなくちゃならない。誰かに読み聞かせてもらったんじゃないなら、ソフィアは共通語を読めてたって事だよね?」
「そう……なるのかしら」
「そうだよ。生まれながらにして共通語が読める、なんて事はない。前にも話したと思うけど、ヴルズィアもテイルラットも、そんなに識字率は高くないんだよ。農村や小さな集落では、文字を使わない場所もある。でも、ソフィアは本を読めていたんだよね?」
「読めていたのは間違いないわ。昨日、シアンに話した“吟遊詩人の歌う物語”も本で読んだはずだもの」
「ああ……“絶体絶命の時に助けてくれた男性に、心動かされる女の子”の話?」
ふと、シアンとソフィアが話していた内容を思い出し、シンは思わず笑みを零した。すると、彼女は「そうよ。その話」と頷いてから、再び斜め上方向に視線を彷徨わせた。
「――ええ、と。タイトルは忘れてしまったけど、そんな話が確かあったのよ。テイルラットに来てからは、わざわざそういう本は読まないから、そう考えるとヴルズィアで読んだはずだわ」
「ピンチの時に、助けてくれた人に心が動く、だよね? ――あ、そうすると、ソフィアは僕に何度か心が動いたって事に」
「ならない。あたしはそういうのはよく分からない、って言ったはずよ」
「えー」
嬉しそうに声を弾ませるシンに、ソフィアはかぶせる様にキッパリと否定した。それから、脱線しかかった話題を、やや強引に元に戻した。
「それで、共通語、だったわね。――思い返しても、あの村の人達があたしに文字を教えてくれるとは到底思えないわ」
「まぁ、確かにそうだね。ソフィアの話しからして、だけじゃなくて、ヴルズィアでは半妖精に好意的な人自体が少ないからね」
「“好意的な”?」
シンの言葉を、ふとソフィアは口の中で反芻した。
「どうかした?」
「……」
「ソフィア?」
「……え? あ、え……いえ、……」
ハッとして、反射的に誤魔化しの言葉を探すソフィアに、シンは真摯な眼差し向けたまま、次の言葉を待った。――話してほしい、誤魔化さないで欲しい、受け止めるから、と、心の中で念じる。
沈黙の中でシンの心を感じ取り、ソフィアは眉を下げて視線を彷徨わせて、言い淀む。
「……あの、」
「うん」
「大した事無いのよ。ただ……」
「うん」
「ただ……あたしにも、誰か……いた、気がするの」
「“いた”、って……――誰が?」
落ち着いた声音で尋ねながらも、シンの心中は穏やかではなくなって来ていた。まさか、ソフィアに好意を持ち、ソフィアも辛い生活の中で心の支えにしていたような第三者がいたのだろうか?――いや、そういう存在がいたのであれば良い事だ。良い事のはずだ。良い事のはずなのに、なぜこんなに胸がざわめくのか。
理由が分からない嫌悪感と拒絶反応に、シンは内心で狼狽する。――表情に出さずに済んだのは、長年培った処世術の賜物だろうか。
尚も躊躇うソフィアを、急かしたいのを必死で堪えつつ、表面上は年の功を全力で働かせた微笑みを浮かべたまま、シンは彼女の次の言葉を待った。
数分か、十数分か。しばらく時間が経ってから、ソフィアはそっと小さな唇を開いた。
「…………“奈落の滝”……」
「え?」
予想していなかった単語に、シンは思わず聞き返した。
「“奈落の滝”の事を……教えてくれた…………人? が、いた」
「どんな人?」
「覚えてないわ。……あたし、……その」
言い難そうに口ごもり言葉を切った後、バツが悪そうにソフィアは続けた。
「……人の、顔、覚えるの、苦手……で」
「ああ」
心当たりのあるシンは、すんなりと頷いた。その反応に、ソフィアは更に自己嫌悪に陥り、言い訳がましく口を尖らせながら、もごもごと小さな声で言った。
「わざとじゃないんだけど、何でか、……分からないんだけど、」
「僕も昔そうだったけど、自衛のために、無意識に相手の顔、というか、“目”を見ない様にしているんじゃないかな」
「? 目?」
「うん。……ヴルズィアにいた時だけど、大体の人は半妖精ってだけで嫌悪感を隠さないし、“目は口ほどに物を言う”って言葉もあるからね。出来たら見ずに済んだ方が、精神衛生上良いと思うよ」
言いながら、シンはソフィアの小さな額に掛かる前髪を、そっと片手で梳きながら続けた。
「だから、ソフィアは本能的に、敵意のある目を見ないように、身を守っていたんじゃないかな」
「……本能」
シンの言う通り、ソフィアは人の目を見る事が苦手だった。出来るだけ目を合わせない様に、視界に入らない様に行動するのが、確かに身に染み付いてる。
「そうかもしれない……」
「言っておくけど、それはソフィアが悪いんじゃないからね? いちいち敵意のある相手の視線を受け止めていたらわ身が持たないし。それに、相手の勝手な偏見に、こっちが付き合う必要なんか無いんだから」
ソフィアはすぐに自分を責めるため、先回りしてシンは補足として持論を口にした。それから、“奈落の滝”を彼女に伝えたという人物について、話を戻す。
「もしかしたら、その人がソフィアに共通語を教えてくれたり、書物や食料をくれたのかもしれないね」
「……そう、かもしれない、……けど、分からない」
「そうだねぇ……特徴は覚えているの?」
「さぁ……髪は金だった気がするけど、――いえ、明るい茶色?」
「男性? 女性?」
「……分からない」
「うーん」
本当に殆ど記憶に残っていない様子のソフィアを見て、シンは苦笑した。――そして内心では安堵した。
どうやらその人物は、ソフィアにとって忘れたくないような“特別な感情”を向けていた相手ではない様子だ。……少なくとも、“好意”を持っていたわけでは無さそうだ。
良かった、と心からほっとしてから、はたとする。彼女が辛い過去の中で、救いがあったのであれば、そちらの方が良かったのではないだろうか。
しかし、そこまで考えてから、ハッキリと「嫌だ」と感じた。それはまるで、子どもじみた嫉妬だった。
そこまで思い至ってから、考えを振り払うようにシンは目を閉じ、小さく深呼吸をした。
それから、そっと瞼を上げると、微妙な顔をしてこちらを見ている、澄んだ水色の瞳を見つめ返して、顔をほころばせた。
「長くなっちゃったね。そろそろ眠ろうか」
「……」
釈然としない表情で、ソフィアはシンをチラリと見やった。結局、彼が聞きたかったのは、ソフィア自身の過去の事だけだったのだろうか。日没の頃、シアンと会話していた時からこの部屋に戻るまで、いや、戻ってからもしばらくずっと、シンはどこか様子がおかしかった。
シアンとの会話で、何か気がかりがあったとして。ーーでは、シアンとの話の中に、ソフィアの過去を聞く必要がある事など、あっただろうか。ソフィアには皆目見当もつかない。
黙ったまま思案していると、少しだけ不満そうな顔をしたシンが、彼女を抱く腕に僅かに力を込めた。
「ちょっと、シン、くるし……っ」
「だって、ソフィア、黙ったままなんだもの。僕の方を見て欲しい」
「子どもじゃないんだから……」
「うん、ちゃんと成人してる大人だよ、僕」
「……」
悪戯っ子のような、無邪気な笑顔を覗かせるシンに、ソフィアは呆れの混じった非難の視線を投げかけ、閉口した。その視線については全く意に介さず、彼はソフィアが苦しくないように少しだけ腕の力を抜くと、彼女の小さな額に優しく触れるように唇を寄せた。
「聞いておいて、何も説明しなくてごめんね、ソフィア……まだ、僕も考えがまとまっていなくて。明日、もう少し調べて、僕なりに情報を整理してみるよ」
「調べるって、何を」
慌ててシンの唇を避けながら、不機嫌そうに聞き返す。すると、彼は予想外の爆弾を投げてよこした。
「明日、シアンと会った後、僕もティラーダ神殿に行く」
「えっ なんで?!」
「神殿の書庫は、賢者の学院並みに蔵書が豊富だし、一応、僕、ティラーダの神官だから。特に問題なく入れるしね」
「で、でも、だからって、」
職場で会ったら、何だか気まずい。――理由は分からないが、猛烈に恥ずかしい気がする。
それを上手く言葉に出来ないソフィアは、顔を目を白黒とさせながら「あの」だとか「その」と、無意味な言葉を漏らす。
来ないで欲しい、と顔に書いてあるはずにも関わらず、白々しく見えない振りをしたシンは、にっこりと至近距離で、とても良い笑顔を浮かべた。
「もちろん、ソフィアの仕事の邪魔はしないから。ねっ?」
思わずソフィアは顔を引き攣らせた。
「そういう問題じゃ……」
ないんだけど、と言い切る前に、シンは素早く「じゃ、おやすみ」と言いながら彼女の額に軽い口づけた。
そして、満足そうに満面の笑みを浮かべると、彼女を腕に抱いたままさっさと目を閉じ、あっという間に眠りについてしまった。
恐ろしい程のマイペースなシンの姿に、あれこれ考えるのも馬鹿馬鹿しくなったソフィアは、小さく息を吐いて渋々目を閉じた。
そして、温かな腕の中で、ゆっくりと眠りに落ちていくのだった。




