60.兆候
翌日、当然シアンがやって来ると思っていたシンは、孤児院で子どもたちの相手や力仕事などをこなしながら彼を待った。
しかし、日没前の鐘が鳴る頃になっても、彼はやって来なかった。
陽が落ちてからでは、ティラーダ神殿の仕事を終えたソフィアを随分と待たせてしまう。やむを得ず、シンは孤児院のスタッフに、シアンが来たら橙黄石の鏃亭の自分の部屋を訪ねるよう、伝達を依頼して院を後にした。
大分薄暗くなってしまったが、何とか陽が沈み切る前にティラーダ神殿に到着したシンは、ソフィアを探して辺りを見回す。丁度タイミングよく神殿の門が開き、中から銀糸の髪を二つに結い上げた少女が出てきた。
「ソフィア」
ほっとした様にシンが声を掛けると、名を呼ばれた彼女は迷いなく彼の方へ顔を向けた。シンは小走りに駆け寄り、詫びの言葉を口にした。
「ごめんね、遅くなって」
「……今終わったところだし……何度も言うけど、本当にもうそろそろ、送り迎えは不要だわ」
対するソフィアは不満げに僅かに眉を顰めた。しかし、シンはキッパリと首を横に振る。
「駄目だよ。まだ日が落ちるのが早いし、こんな暗い中、女の子が一人で歩くなんて危ないよ。クナートは治安がいい方だけど、それでも絶対に危険が無い訳じゃないんだからね」
真面目な顔で説明するが、彼女はまだ納得できないのか、小さな唇を尖らせてそっぽを向くとそのまま歩き始めた。数歩遅れて歩き始めたシンだが、足の長さが全く異なる為、いとも簡単に追いつき彼女の横に並ぶ。それから、夜目の利かない彼女が躓いたりしないよう、さり気なく光の精霊を呼び出し、2人を先導する様に漂わせた。
そのまま並んで歩きながら、シンはソフィアの小さな旋毛を見下ろし、幸せそうに微笑みを浮かべながら優しく声を掛けた。
「ソフィアにずっと付きっ切りって訳には行かないけど、それでも僕が守れる部分は守らせて」
「あなたが守らなくてはならない相手は、他にいるはずよ。あなたには誰かを守る力があるんだから、ちゃんと必要としている相手に使いなさいよ」
「使ってるよ。ソフィアに」
「……あたし以外で」
「ソフィア以外か……見当もつかないな」
「孤児院の子ども達とか、大切な人とか、いるでしょ」
「うーん、……確かに仕事柄、守らなくてはならない人はいるよ。子どもたちは特にね。でも、僕自身が守りたいと思う相手とは別物だから」
真っ直ぐな、そしてどこか熱のこもる視線をソフィアに向けたシン。しかし、その言葉を冗談と受け取った彼女は、更にむっとして文句を言おうと口を開いた。
その時、不意に2人に朗らかな声が掛かった。
「ばんはー! 2人とも、今日は遅かったんすね!」
え、とほぼ2人同時に声の方へ顔を向けると、シアンが道の向こうから呑気に手を振り、こちらへ向かってやって来るのが見えた。
シンがシアンと約束をしていた事など知らないソフィアは、通常通りやや躊躇ってから「こんばんは」と小さな声で挨拶を返す。それから、更に間をおいてシンが「やあ、シアン」と微笑んで片手を上げた。シアンはというと、普段と何ら変わらずに、揶揄うように楽しげにソフィアとシンを交互に見てニヤリと笑った。
「シンさんは今日もソフィアの迎えっすか?」
「うん、そうだよ」
「超VIP待遇のガードっすねぇ?」
「それはもちろん。ソフィアは僕にとって大切な人だからね」
「……あー、……ハハ、相変わらずっすね~」
揶揄い甲斐がねぇなぁ、と肩を竦めて乾いた笑いを浮かべるシアンに対し、ソフィアはむっとして異論を唱えた。
「ちょっと! 言っておくけど、あたしは一人で帰れるんだからね? シンが過保護なだけなんだからね?」
「へぇえ! ――ですって。そうなんすか? シンさん?」
ニヤニヤと明らかに面白がっている態でシアンはシンに話題を振った。しかし、シンは何やら口元に手を充てたまま考え込んでおり、シアンの言葉など聞こえていない様子だった。拍子抜けしたように口を噤んだ後、シアンは片眉を顰めてシンに再度声を掛けた。
「シンさん?」
「……」
「おーい?」
相変わらず沈黙したまま止まっているシンに、疑問符を頭上に浮かべながらも何度か呼びかけた。しかし、やはりその声が耳に入っていない様子のシンは、黙ってじっと何か思案している様子だった。
しばらく2人――否、シアンの動向を眺めていたソフィアも、傍らのシンを見上げて躊躇いがちに小さく呼びかけた。
「……シン?」
「! あ、ごめん、なに?」
「って、ソフィアの声にはすぐ反応するってあからさま過ぎー!?」
「ん?」
明確な差を見せつけられ思わず頭を抱えるシアンに、シンは顔を向けて少し首を傾げるが、すぐにソフィアへと視線を戻した。
「どうかした?」
「あなたが過保護過ぎるって話をしていただけよ」
「えー」
若干呆れ顔でソフィアが冷たく言うと、少しショックを受けた様な顔でシンはシアンの方を見た。
「そうなの?」
「まぁ、そうっすね……ソフィアは一人で帰れるそうだけど、シンさんが過保護で許してくれないみたいな話ししてましたね」
「過保護なつもりは無いんだけどなぁ。本当に陽が落ちると危険だし。それに、ソフィアは可愛いんだから、ほんと、色んな意味で危険なんだけど……自覚が無いからなぁ」
ため息交じりにしみじみと零すと、シアンが真顔で呟いた。
「いや、無自覚なのはシンさんもですからね?」
「うん?」
「……や、なんでもないっす」
きょとんとした顔で小首を傾げるシンに、シアンは引き攣った笑いで首を横に振った。彼の脳裏に分かり合える人物の顔が浮かぶ。そういえば最近彼女には会っていなかったな、と連鎖的に思い至り、シアンはシンに尋ねた。
「そういや、最近ネアさん見かけませんね。なんかまたでかい依頼でも受けてるんすかね」
「ああ、そういえばそうだね。確かに僕も見かけないかな。依頼については、最近は春告鳥の翼亭に行くことが少ないからよく分からないけど……町の噂では特に、大きな依頼があったとは聞かないねぇ」
「ふーん……まぁ、ネアさんの事だから、エイクバに殴り込みに行く準備ってんで戦神神殿で特訓とかしてるかもしれませんね?」
ははは、と笑いながら肩を竦めるシアンに気付かれぬように、シンは彼の様子を伺い見た。
昨日、間違いなく彼の方から内密に話したい事がある、と言っていた。そして、翌日……つまり、今日、孤児院に訪ねて来る事になっていたのだ。だが、シアンは孤児院に来なかった。
――それどころか、まるで、昨日の約束など無かったかのように、普段通りにシンとソフィアに話しかけ、世間話をし始めたのだ。何にでも首を突っ込み、違和感があれば無くなるまで追求するシアンのする事とは思えない。
しかし、世の中には“度忘れ”という言葉もある。案外、シンから「今日はどうしたの?」と水を向ければ、簡単に思い出すのかもしれない。
気取られぬよう、笑みを浮かべて話しを適当に合わせながらも、シンは内心で思案する。そうこうしている間に、話題は以前あったエイクバの人身売買組織との衝突についてへと変わろうとしていた。
そのタイミングで、今まで黙っていたソフィアが口を開いた。
「往来で話す内容ではないわ」
冷静な一言に、シンもシアンも「確かに」と顔を見合わせた。
「場所、移そうか」
「そっすね。久しぶりに春告鳥の翼亭にでも行きま……って、駄目だ! シュウカがいる!!」
ガバッと勢いよく頭を抱えるシアンに、シンは微苦笑を浮かべる。
「じゃあ、橙黄石の鏃亭にする?」
「いやー……シンさんとソフィアの愛の巣にお邪魔するわけには」
「愛の巣って」
ますます苦笑を深めてシンは呆れた様に返した。意味が分からないソフィアは怪訝そうに眉を顰める。
「何よそれ」
「愛の巣っていやー……あー、シンさん、教えてやってください」
「シアン」
「ひぇっ ゴメンナサイ!!」
聞いた事も無いような低いシンの声に、シアンが青くなって飛び上がる。その拍子に、何か思い出したのか「あ」と声を上げた。
「そういえばシンさん、あの時言いそびれたんですけどね」
「? “あの時”?」
「ホラ、今話そうとしてた“前の依頼”。アレが終わった時」
「……ああ」
先ほどソフィアに咎められて中断した、クナートへエイクバの人身売買組織が侵入した――ソフィアが攫われ、港の倉庫に監禁された時の事を指しているのだと、シンはすぐに把握して、先を促す様に小さく頷いた。
「あの日、春告鳥の翼亭で、ネアさんが部屋から戻った後、俺、一緒に酒場にいて、ちょい話しをしたんですよね。……つっても、ネアさんはなんか気になった事があったのか、話しかけても生返事しかしなかったんですけど」
「ネアちゃんが?」
柳眉を顰めてシンが問い返すと、シアンは小さく頷いた。
「で、なんか気がかりがあるのかって聞いたら、“自分の中でもまとめられていない”とか“情報が少ない”とか言って。最終的には“大人には色々考える事があるんだ”って誤魔化されましてね」
思い出しながらも、シアンは不満げな顔をする。子ども扱いされるのが余程癪だったようだ。
「んで、次の日、シンさんとソフィアと、俺が酒場にいる時に、ネアさんが来たじゃないですか」
「うん、そうだったね」
「シンさんはネアさんより大人な訳だから、誤魔化せないだろって思って、俺、あん時ネアさんに聞いたんですよね」
「ん? 何を?」
「ネアさんに“なんか隠し事してるだろ”って」
腕組みをしてどや顔で言ってから、シアンは眉を寄せて首を傾げた。
「そしたら、“何の事ですの?”つったんですよ」
声真似を交えて言ってから、シアンは表情を改めた。
「や、しらばっくれてる風ならまだマシだったですよ? けど、なんっつーか……全然覚えてないっつーか、“そう言った事自体が無かったことになっている”みたいな感じで、なんか変だったんすよね」
「? たまたま忘れたんじゃないの?」
小首を傾げるソフィアに、シアンは首を横に振った。
「いや、仮に忘れてたとしても、俺、結構ド直球で隠し事してんじゃないかって言ったんだぞ。普通思い出すだろ」
「……じゃあ、ネアが演技上手で、忘れているふりをしたとか?」
「あれで演技だったら、ネアさん女優になれるぜ」
筋肉むっきむきだけどな、と付け足してから、シアンは黙っているシンに意見を求めようとして固まった。彼はじっと――まるで観察する様に視線をシアンに定めたまま、何やら思案している。何か問題がある事を口にしてしまったのか、とシアンは彼の傍らのソフィアを見るが、彼女はその意図をくみ取る程コミュニケーション能力に長けてはいなかった。反対に訝し気に視線を返される。
ソフィアは当てにならないと判断したシアンは、恐る恐るシンに声を掛けた。
「あ、あのー……シンさん?」
「……」
「……俺、なんかまずい事、言いました?」
「ねぇ、シアン」
「は、はいぃ?!」
「今日はどうしたの?」
「へ? き、今日……っすか?」
唐突に尋ねられた言葉に、シアンは目を皿の様にして素っ頓狂な声を上げた。シンの顔を見る限り、どうやら適当な事を尋ねているわけでもない様子だ。その為、シアンは首を捻りながら今日の朝からの己の行動を思い起こしつつ、口を開いた。
「え、えーと、今日は港の方をちょっとぶらついて、いざこざが数件あったから口をはさんだり手を出したりして、えーっと……あ、いやホラ、俺今、家に居づらいし、春告鳥の翼亭にも顔を出すのちょっと怖いし、油断するとシュウカが寄ってくるからですね、あんまり一か所に長居をしない様に気を付けてはいましたね」
シンの意図を全く理解していないのか、シアンは馬鹿正直に本日の行動をありのままに口に出した。――そう、そこには嘘偽りが含まれている様には思えず、もちろん約束を反故にした事に対する言い訳じみた“退っ引きならない事情”も見受けられなかった。
――その事を把握した瞬間、シンの身体に戦慄が走った。
今日のシアンも――シアンの言うネアも、
記憶に欠落が生じている。
――――まるで、いつかのソフィアの様に。
取り繕うのも覚束ず、シンは表情を強張らせ息を飲んだ。
「え、えーと……シンさん?」
明らかに動揺したシアンが恐る恐る声を掛けた事で、漸くシンはゆっくりと息を吐きだした。
「……ごめん、急に。――ちょっと用事を思い出しちゃって」
「へ? あ、そ、そうっすか……」
微苦笑して誤魔化しの言葉を告げると、すんなりとシアンは納得した。
「シン」
傍らから小さく名を呼ばれ、シンはハッとして声の主を見る。彼を見上げる澄んだ水色の双眸に、光の精霊の光が星の様に煌めいている。その真っ直ぐな瞳に、シンの胸は掻き毟らんばかりに苦しくなった。今すぐ彼女を抱き締めて、この内側にある不安や恐れを和らげたい衝動に駆られながらも、何とか耐える。
「……うん、ごめんね……ちょっとね」
ぎこちなく笑みを浮かべるシンに、ソフィアは柳眉を顰めた。
「……大切な用事なら、今からでも済ませに行ったら? あたしは一人で帰」
「駄目」
ソフィアが言い切らないうちに、シンの言葉が遮る。
「絶対駄目。もう遅いし、一緒に帰ろう。――シアン、ごめん。明日ちょっと孤児院まで来てくれないかな」
「え、俺? あ、はい、分かりました」
急に矛先が向いたため、慌てながらもシアンは頷いた。それを確認してから、シンは傍らのソフィアの手を半ば強引に握りしめた。油断していたのか、ソフィアはぎょっとして手を引っ込めようとするが、反応が遅れたせいで彼の手をほどく事は既に出来ない程、すっぽりと包み込まれるように握りしめられていた。慌てて抗議の声を上げる。
「ちょ、ちょっとシン!」
だが、シンは聞く耳持たずといった態で更に握る手に力を込めた。
「……ごめん、手、冷えてるね。急いで帰ろう」
「べ、別に、それは」
「シアン、じゃあ、また明日。途中でごめんね」
ソフィアの言葉を遮る様に言いながら、シンは踵を返して歩き始めた。そのまま引っ張られるようにして続いたソフィアは、困惑顔でシンとシアンを交互に見た後、シアンに向かって小さく会釈した。それから、シンに手を引かれて橙黄石の鏃亭へと足を向けた。
残されたシアンは、2人に手を振って見送ると、見えなくなってから、いつもと様子の異なるシンを思い返し、首を傾げた。しかし、いくら考えても違和感の原因が分からない為、諦めて踵を返し、東区にある世話になっている屋敷に向かって歩き出したのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
――――橙黄石の鏃亭。
部屋に戻った後も、しばらく手を放そうとしない彼に、ソフィアは躊躇った後呼びかけた。
「シン、」
しかし、彼はじっとソフィアの手を握りしめたまま、彼女に背を向けて部屋の真ん中に立ち竦んでる。
「シン、……ねぇ」
握られたままの手を軽く数回引っ張ると、彼は「うん」と小さく答えるも振り返ろうとはせず、そのまま再び黙り込んだ。
――こうなるとシンは、彼自身が良しとしない限りは何も言わない様に思えた。
眉尻を下げ、ソフィアは己の手を握る彼の手の甲を見つめる。いつもは不思議な安心感を与えてくれる、ソフィアの二回りは大きい彼の手が、今は頼りなさげな小さな子どもの手の様に錯覚する。
振り払う事も出来ず、彼女は小さく息を吐いた。
しばらく、光の精霊1つが漂う薄明るい部屋の中、2人は椅子にも座らずに立ったまま黙っていた。しかし、不意にソフィアが小さなくしゃみをした事で、漸くシンはハッとした様に彼女の方を見た。
「ごめん……! そうだ、暖炉に火を入れないと!」
慌てた様にソフィアの手を離そうとするシンの手を、ソフィアはぎゅ、と握りしめた。
「! ソ、ソフィア?」
吃驚した顔でシンはまじまじとソフィアの顔を覗き込む。
「……」
「ソフィア、……えー、と……手……」
「……」
困惑したようなシンの言葉を耳にして、ソフィアは目を伏せると、ゆるゆると手を離した。
「ソフィア……?」
「……なんでもない」
ポツリと一言返す。口の中に苦いものがじわりと広がった気がして、ソフィアは顔を逸らした。
「暖炉の火は、シンが必要ならつけるといい。あたしはもう寝るわ」
「ソフィア、」
「着替えるからあっち向いててくれない?」
くるりとシンに背を向け、寝間着を仕舞ってある行李へ足を運ぼうとしたソフィアだったが、それはあっけなく阻止された。彼女の背後から力強い2本の腕が回され、優しく抱き締められて行くことを阻まれたのだ。
「っちょっと、離してよ!」
「いやだ」
「シン! いい加減にして!」
「……ごめん」
「謝らなくて良いから、離して!」
「いやだ」
「シン!」
「ごめん、離したくない。……ごめん」
ごめん、と繰り返すシンに、途方に暮れた様にソフィアは動きを止めた。
「なんなの……」
「うん……」
「……返事になってないわ」
「ソフィア、ごめん、少しで良いから。――少しで良いから、こうしていさせて。お願い」
弱々しいシンの声。――それを突き放せるほど、ソフィアは冷徹にはなれなかった。目の前に回された彼の両腕に、やや躊躇ってからそっと己の両手を添える。
「……仕方ないわね……あなたの気が済むまで、我慢してあげるわ」
言葉だけ取れば冷たいものだが、語られた声音は、僅かに呆れた様な、それでも優しくあやす様な、柔らかいものだった。
あれほどソフィアに「自分に甘えて欲しい」と繰り返し言っておきながら、今、正に甘えているのは己なのだと気付き、シンはソフィアの髪に頬を寄せながらも羞恥で顔を赤くした。だが、誰かにこんな風に甘えた事など、両親を失ってからは無かったのではなかろうか。……いや、それよりもっと前――シン自身がまだ幼かった頃だけかもしれない。いずれにせよ、遥か遠い過去の話しだ。
逆に、ソフィアは――未だに誰にも……シンにはもちろん、彼女自身にさえ、甘えた姿を見た事が無かった。ハッキリと彼女の口から聞いた事は無いが、元の世界では想像を絶するような過酷な日々を送っていたはずだ。にも拘わらず、誰のせいにもせず、他人の弱さを受け入れ、腐らず、澄んだままで、どうしていられるのか、シンには分からなかった。ーー分からないが、何よりも尊くて、何よりも愛おしいという思いが止めどなく胸の内から湧き上がるのを感じた。
感動にも似た感情を覚えつつも、シンはゆっくりと彼女を抱き締める腕を緩めた。それに気付いたソフィアが、やや呆れたような声音で問いかけた。
「気は済んだ?」
「ん? んー……うん、……いや、まだ足りないかな」
「何なのそれは。後はあたしじゃなくて、他の人にして」
「他の……って、それは嫌かな」
ソフィアの言葉に思わず苦笑してから、シンは彼女の正面に回り込み、前から抱き締めなおした。案の定、ぎょっとしたソフィアが抗議の声を上げる。
「ちょっと、シン!?」
「しーっ ……ほら、もう夜なんだから、大きな声出しちゃダメだよ」
「何を尤もらしく言ってるの……言っておくけど、あなたがおかしな事をするからあたしは……っ」
「ふふっ」
「シン、いい加減に……」
「ねぇソフィア」
笑みを収めて、改まった声で腕の中に語り掛けると、彼女は抵抗するのを止めて、不満げにじろりとシンを見上げた。
「何よ」
「……ちょっと話したい事があるんだけど、今日って疲れてない?」
先ほどと打って変わったシンの真面目な表情に、彼女は戸惑ったように「え」と小さく声を漏らした。補足する様にシンは言葉を続けた。
「疲れてるようならもちろん睡眠を優先して欲しい。――けど、大丈夫そうなら、少し話しがしたい。寒いから、そのまま寝ても大丈夫な様に、ベッドに入りながらでも」
もぞもぞとシンの腕の中で態勢を整えたソフィアは、シンを見上げた。それから、少し考えた後、了承の意を込めて小さく頷いた。




