51.邂逅【挿絵あり】
シンことシェルナン・ヴォルフォードは、ここテイルラットとは異なる世界――ソフィアと同じくヴルズィアの大陸中央よりやや北にあるエランダという大きな町で生を受けた。
エランダは東西南北それぞれに大国へ繋がる街道を持ち、物流、商業で栄える大きな町だ。気候は通年でやや低温、年の瀬に近づくと極端に低温の期間があり積雪も見られる。物流を商う者にとっては気温が低い方がありがたい為、この気候も町の人間からするとどちらかというと歓迎されるものだった。
彼の両親であるヴォルフォード夫妻は、いつか彼自身がソフィアに語った通り、人間の夫婦だ。エランダで大通りから1本脇道に入った路地に建つ小さな自宅兼店舗で小売商を営んでいた。
ヴォルフォード夫妻にとってシンは結婚5年目でようやく授かった一粒種になる。
普通に考えれば人間の夫婦の間に異種族――それも半妖精が生まれれば妻の不貞が疑われるものだが、彼の場合は異なった。というのも、彼の全体的な顔の雰囲気は母親そっくりだったが、タレ目がちの緑碧玉の色の瞳は紛れもなく父親譲りだったからだ。そして、言ってしまえば“半妖精にしては見目が普通”であるという事も、彼が“人間同士から生まれた存在”……先祖返りである証明でもあった。母親の顔立ちを継いでいる為、中性的には見えるが、妖精の様な華やかさはシンには無かったのである。それは、半妖精としてヴルズィアで生きるには幸いな事だった。耳さえ隠せば“人間”として過ごす事が可能だからだ。
シンの両親は深い愛情をもって彼を育てた。
分別の付かぬ時期はやむを得ず自宅で母親と共に過ごす必要があったが、物が分かるような年齢になると、母親お手製の耳を隠せる帽子を被り、店先に立つ父親と共に客相手にあれこれと会話する事が増えた。
生来人懐こいシンは客商売には向いている様子で、幼いながらも愛想よく振舞う彼に常連の客が付き、父親からは「俺よりも商売上手になるかもしれないぞ」などと、本気とも冗談ともとれる言葉を言われたものだ。
転機はシンが10歳を過ぎた辺りで訪れた。
その日、エランダにしては気温が高く、シンは店番の際に客足が途絶えている事を良い事に、油断をして帽子を脱いで寛いでいた。
――両親からは常々「悲しい事に、半妖精を嫌がる人もいる。だから人前で帽子を取ってはならない」と説明を受けてはいたが、それは現実味が無く、シンにとってはどこか他人事だったのだ。
「お前、半妖精だったのか!?」
突然降りかかった罵声に近い大声に、シンが驚いて顔を向けると、常連客の初老の男性が目を剥いていた。
「なんてことだ、今まで耳を隠して謀っていたのか!? 知っていればこんな店の商品など買わなかったぞ!! 金を返せ!!」
シンの記憶では、この初老の男性はいつもにこやかで、たまに駄賃代わりの菓子もくれる様な優しい人物だった。その変わり様に、驚愕と狼狽するばかりで身を硬直させていると、慌てた様に奥から両親が駆け付けてくれた。
ヴォルフォード夫妻は激高する初老の男性を何とか宥め、今までの買い物分とまでは行かないまでも、払えるだけの金額を返した上で丁重に詫びて事なきを得た。
――そう、詫びたのだ。
己自身の存在は、ばれてしまうと両親が他人へ詫びなくてはならない様な存在なのだと、幼心にシンは衝撃を受けた。漸くこの世界での自身の立場が分かったのだ。
その晩、シンは泣きながら両親に詫びた。初老の男性に渡した金は、決して少ないものではなかったのだ。だが、彼の両親は「なんてことは無い」と笑って見せた。優しくシンの頭を撫でながら、父親が口を開いた。
「いいかい? シンは何も悪い事などしていない。もちろん、お父さんとお母さんもだ。だから気にしちゃいけない。――ただ、この世界では半妖精はどうしても忌み嫌われてしまうんだ。お父さんは、羨ましがっているのかなって思っているんだけどね」
「“羨ましい”……?」
思いがけない言葉に、シンは小首を傾げる。
「そうさ。――人間はね、平均寿命が50年と言われている。でも、半妖精は少なくともその倍以上は生きる事が出来るからね。……だから、ご年配の方ほど、敏感に反応してしまうのかもしれないね」
「そうなの……?」
「あとは……そうだなぁ、“自分に持っていないもの”を持っているから、というのもあるのかもしれない。長い寿命もそうだけど、綺麗な顔立ちや小さくとがった耳、魔法の力などもそうだね」
「……僕、綺麗な顔なんかしてないよ」
思わず不貞腐れて口を尖らせるシンに、父親は笑いながら彼の頭を軽く手の平でポンポンとした。
「お父さんにとっては、お母さんそっくりのシンの顔はとっても綺麗な顔なんだけどなぁ」
「あら、お母さんにとっては、シンの瞳の色はお父さんそっくりで大好きよ? このちょっと目じりが下がっているところなんか、お父さんに生き写しじゃない?」
「それを言ったら、お父さんだってシンの口元は」
「~~っわ、分かったから!」
黙って聞いていた母親が加わり、唐突に夫婦の惚気合いが始まり、呆れ半分、照れ半分でシンは顔を赤くしながら2人を制した。
「……分かったよ、お父さん、お母さん。――ごめんね、次から気を付ける」
表情を改め、真摯な瞳で両親を見つめて宣言した。ヴォルフォード夫妻は幼いシンにそのような事を言わせてしまう事に対し、僅かに悲しみを滲ませながらも、――何とか微笑んで頷いたのだった。
――しかし、“次から”は訪れる事が無かった。
翌日から、両親の経営する店にはぱったりと客足が途絶えてしまったのだ。
「きっとあのおじいさんが僕の事を言いふらしたんだ!」
悔しさを滲ませながら吐き捨てるシンを、両親は諫めた。
「憶測で物を言ってはいけないよ、シン」
「そうよ。……今日は天気もあまり良くないでしょう? だから、買い物って気分になる人が少ないのかもしれないわ」
「そうだね。せっかくだから、今日は早めに店じまいして、お母さんの美味しい料理でもゆっくり食べよう」
「そうね! シン、何が食べたい?」
「……何でもいい」
むくれ顔のまま応えると、両親は顔を見合わせて肩を竦めて笑った。
「じゃあ、お父さんのリクエスト聞いちゃおうかしら」
「お父さんは、クリーム煮が良いなぁ」
「よーし! お母さん、腕によりをかけて作っちゃうわよ~!」
空元気だったのかもしれない。――後に、大人になってから思い起こしたシンはそう思ったのだが、この時のシンはまだ幼かった。彼自身も好物である、母親のクリーム煮を作ってもらえるという事で、彼の機嫌はすぐに上向きになり、浮かれた心のまま、夕食を取ったのだった。
だが、翌日も、その翌日も。客足は途絶えたまま、戻る事はなく――年を越す頃はついに、既に商品を仕入れる元金も無い状態となり、ヴォルフォード家は店をたたむ事になった。
* * * * * * * * * * * * * * *
町を移るにしても、元手が要る。店舗兼自宅は一応買い手がついたのだが、年末という時期もあり、“潰れた店”という事もあり、あまり良い値にはならなかった。
結局、エランダの町の中でも郊外の、人家もまばらな場所に建つ集合住宅に移り住む事になった。
だがここで、幸運な偶然が起こった。
隣の部屋に住む家族が、元冒険者の人間と妖精の夫婦で、そこにはシンより少し年上の半妖精の少年が住んでいたのだ。彼の名前はネイといった。彼の父親は人間で、冒険者時代は学者兼魔法使い、妖精の母親は精霊使いだったのだという。
隣家の家族とヴォルフォード家はすぐに懇意になり、塞ぎがちだったシンも徐々に打ち解けて行った。
ネイの父親は息子とシンに魔法使いの基礎も教えてくれた。ネイは要領良く魔法を覚えるのに比べ、シンはすぐに別の事に興味を持ち、魔法だけではなく、魔法を使うための道具や書物、そこから魔法以外の書物、様々な知識を持ち前の好奇心で満たしていった。師であるネイの父親はそれを咎める事無く、むしろ自由にするように笑顔で促してくれた。
たまに出会った町の人々に因縁や嫌味を言われる事はあったとしても、2家族で力を合わせて生活する事で、乗り越える事が出来た。
そんな生活が、20数年続いた――シンが35歳になる頃に、エランダの町で大規模な流行り病が発生した。多くの町の人々が病魔に倒れ、その中に――ネイの母親、そしてネイの愛妻も含まれていた。
母親と愛妻を一気に失ったネイは絶望し、嘆き、悲しみ、目も当てられぬほどの状態だった。年老いた彼の父親が何とか世話をしていたが、その父親も翌年には妻の後を追う様に息を引き取った。
一人になったネイは心を奮い立たせ、ヴォルフォード夫妻の手も借り、父親をその妻と同じ墓に埋葬を済ませる事が出来た。
その後も、ヴォルフォード家とネイは身を寄せ合い、何とか生活していた。
だが、流行り病というものは定期的に大流行する波がある様で、更に15年ほど経った頃、再び大規模な流行り病が発生した。そして、年老いたヴォルフォード夫妻も帰らぬ人となったのである。
その後、ネイは傭兵として戦渦に身を置き、シンは冒険者として生活する事を選択する。――否、選択肢などは無かった。半妖精である2人の居場所など、普通の場所には無いのだ。それでも、ネイなどは要領が良く、社交辞令も嫌味なく自然に口から発することが出来る為、それなりに好意を寄せる人物もいた様だが、シンは違った。
――簡単に言ってしまえば、“かなり遅れてやって来た反抗期”だろうか。今まで良い子にしていた35年分の反動で、勢いよく反対側に針が振り切ったのだ。
「あぁ? もう一度言ってみろ、てめぇ……」
冒険者として生活している上で、シンは髪を伸ばし、出来るだけ耳を隠す様にしていた。だが、それでも半妖精である事が露見し、その事について卑下するような言葉や、差別的な言葉を耳にすると、地を這うような低い声で凄み、睨みつけ、相手の襟首を掴み、拳で殴りつける。――そんな事がしょっちゅうだった為、冒険者とは“自称”ばかりで、まともな依頼にはあまりありつけなかった。その上いつも生傷や痣を全身に作っていた。
それでも、幸い――と言ったら語弊があるかもしれないが、シンの身体のつくりは半妖精としては人間に近く、力も、体力も、鍛えれば鍛えただけ強くなった。
しばらく経つと――50歳を過ぎた頃には、腕力で彼に敵う者が少なくなり、一応それなりに仕事にもありつけるようにはなった。それでも、過度とも言える自己防衛反応は消える事が無く、他人を信用するという事も無く、冒険者として共に依頼をこなす仲間に対しても常に一線を引き、仕事としてのみ会話を交わすのみだった。
――いや、一時期、シンにしては珍しく1年ほどの間、同じ冒険者のパーティに身を置いた事があった。
そのパーティは、貴族上がりの戦士の男アルトと、学者兼魔法使いの女性メイ、至高神アウラスの神官の女性シェリーと、義賊の草妖精の男性ドルトンというメンバーだった。そこに、戦士としてシンが加わる形だ。
4人とも半妖精に対して色眼鏡で見る事は無かった。その為、シンとしても居心地が良く、彼らと共に依頼をこなすにつれて角が取れていった。
貴族上がりの戦士の男とは剣術や武器防具の事でたまに雑談し、草妖精の男性が楽器を鳴らして下手な歌を歌ったり、口にする冗談に対して、僅かに笑みを浮かべる事もあった。
その中の女性陣――特に、神官の女性は、それなりに整った眉目の女性で、食事の際は甲斐甲斐しく全員の料理をとりわけ、飲み物を注文し、誰かが酔っ払って机を汚せば率先して片付ける様な女性だった。草妖精の男性が「もうちょっと、手ぇ抜いても他がやるんじゃない?」と言うと、「でも、いつも何だか手を出しちゃうんですよね。私」とはにかんで答える。シンから見ると、“妙に世話焼き”という印象の女性だった。例にもれず、シンにも非常に親切に振舞った。それが却って胡散臭く感じ、彼は彼女とはある一定の距離を取る様に注意していたのだが、ある晩、偶然宿の廊下に出ると、女性同士の声を潜めた、笑いの混じった会話が耳に飛び込んできた。
「――ねぇ、もしかして、勘違いしてるんじゃない?」
「えー……ウソ、困るー」
「だって、なんか、シェリーの事、わざとらしく避けてない? 絶対意識してるって!」
「やだ……私、アルトがいいのに」
「ホラ、優しくされ慣れてないんじゃない? だって彼って、半妖精だし」
気付いた時には、声とは逆方向へ足を向け、――いつの間にか宿の外に出ていた。
なんてことは無い。神官の女性は、貴族上がりの戦士の男の気を引くために“甲斐甲斐しい世話焼きの女性”を演じていたのだ。シン自身も、そのダシにされたという事だ。
あの神官の女性自体には、好意も何も持っていなかったのだが……それでも言いようのない嫌悪感がこみあげてきて、シンは手近にある街路樹の幹に手を付いて口元を片手で覆った。“人間なんて”などと思いたくは無かったが、――少なくとも仲間だと思っていた――幾度となく共に難しい依頼や、時には妖魔との激しい戦いを共に乗り越えてきた――その2人の会話に、裏切られたような憎しみと怒りが、腹の底から湧き起こった。
「っくそ…………くそ!!」
ガン、と幹を拳で強く殴ると、拳面の数か所が皮が剥け血が滲んだ。それを気にも留めず、更に数回拳を樹木の幹に叩きつける。
「ちくしょう……っ」
絞り出すように漏れ出た声は、情けない程に小さく震えていた。
少なくとも、両親が亡くなって、ネイとも別の道を歩み始めてから、初めて自分の居場所が出来たと――思い始めていた。いや、戦士の男や草妖精の男は、下心など無いのかもしれない。だが、それでも、少なくとも、たった今耳にした、吐き気を催すほどおぞましい会話は、今の今まで、仲間だと思っていた2人の会話なのだ。残りの2人が、裏でどう思っているか、分かったものではないではないか。
ギリギリと樹木に拳を押し付け、その上に額を付けて苦し気に顔を歪ませ、シンは歯を食いしばった。世の中全てが敵に思えて、このまま宿に帰る事も、それどころか、ここから動くことも出来ない。
――そんな時、唐突に場違いな声が耳に入った。
「にーた、いたいいたい?」
思わず顔を上げ周囲を見回すが、誰もない。――明らかに幼子の、舌ッたらずな声が、間違いなく聞こえた。――“幼子”。ハッとして見下ろすと、シンの足元に、小さな人影が立っていた。
「にーた、いたいいたい?」
「あ、いや……ええ、と」
慌てて取り繕う様に曖昧に応じてから、眉を顰める。
「お前……夜だぞ。何してるんだ」
見るからに1~2歳のちんまりとした相手を、怖がらせない様に極力声に力を入れない様に気を付けながら、シンはその場に膝をついて顔を覗き込んでハッとした。あどけない面立ちながら、非常に整った眉目の女の子だった。髪は綺麗な――まるで月の光を編み込んだ様な青みがかった銀色で、ぱっちりとした円らな瞳は澄んだ湖面の様な水色で――その瞳に映るシン自身は、ひどく情けない顔をしていた。
「にーた、あーと なじ?」
「え?」
「あーと なじ?」
「いや……分からん」
意味不明な単語を真剣に繰り返す小さな子どもに、ますます情けなく柳眉を下げる。すると、女の子は不満そうにぷん、と口を小さく尖らせた。反対に、こんな小さな子どもと接した事など今までにないシンは、どう反応して良いものか固まり、視線を泳がせる。――そこで、ふと子どもの耳に目を止めた。――小さく尖っている。
「お前……半妖精か?」
語尾が震えてしまったかもしれない。だが、気にした風でもなく、更に言うと、シンの言葉の意味を把握し損ねたのか、彼女はきょとんとしたまま小首を傾げている。逆に、シンはこんな夜中に半妖精の幼子が出歩いている事に――まさか、捨てられたのでは、と、最悪の事を予想せざるを得なかった。決してネガティブな思考という事ではなく、半妖精ではよくある事だったのだ。
「にーた」
「あ? ああ、にーたって俺の事か……なんだ?」
引き攣りそうになる頬を全力で止めつつ、平静を装ってシンは子どもの顔を覗き込んだ。
「にーた、いたいいたい。あーが よーしよし すゆ!」
「!!!」
ぽふ、と小さな手の平が、シンの頭を撫でた。
「いーこいーこ」
じわり、とシンの中で、忘れかけてた温かい何かがゆっくりと湧き出して来た気がした。小さな手の平は温かく、凝り固まったシンの猜疑心や怨嗟の心を溶かしていく様だった。油断すると涙腺が緩んでしまいそうで、シンは思い切り口を真横に引き結んで俯いた。
「******!」
耳慣れない言葉が遠くから飛んできた。その途端、子どもは「あっ かーたん!」と顔を輝かせ、声が聞こえた方に弾かれた様に振り返り、そのまま駆け出した。
「あっ おい……!」
大丈夫なのか不安になり、思わずシンが声を上げるのと、路地から息を切らせた美しい妖精の女性が現れるのと、ほぼ同時だった。
「あぁっ 良かった……! 良かった……」
妖精の女性が両手を広げると、半妖精の小さな子どもはその腕の中にすっぽりと飛び込んだ。
「かーたん! あー、いーこいこ」
「ええ、良い子ね……」
甘えた様に胸に頭を摺り寄せる子をそっと撫でながら、妖精の女性はシンに目を向けた。
「あの、何かご迷惑を……」
「え?! あ、いえ、全然……全く」
慌ててシンが顔を横に振ると、妖精の女性は安堵の表情を浮かべて、子どもを腕に抱えて立ち上がると、そっとシンに一礼をし、そのまま闇の中に消えて行った。
その姿を見送りながら、シンは様々な事を思い出していた。
愛情深く育ててくれた両親。よく撫でてくれた温かい手の平。隣に住んでいたネイの父親であり師匠。――ひとくくりに人間と言っても、様々な人がいるのだ。
「忘れていた事を……思い出せた。――あの子は俺の恩人って事になるのかな」
母子が消えて行った方向を眺め、シンは小さく呟いて――付き物が落ちたかのように、微笑みを浮かべたのだった。
結局、そのパーティとは翌朝に袂を分かつことになった。――とはいえ、きちんと円満に、自分をもう一度見直したいという理由で、だ。
それからシンは一人でテイルラットの大陸を放浪し、ひょんな事からヴルズィアの事を知り、そして世界を渡ってきたのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「という感じで、こっちに来てからもしばらく放浪して、ここに来たんだよね……って、ソフィア、寝てる?」
「…………」
随分時間を掛けて話してしまったせいか、ソフィアはいつの頃からか、シンの腕の中ですやすやと寝息を立てていた。また明日の朝に「あたし年頃の女性なのよ!? 破廉恥だわ!?」などと怒られそうだが、こんなにぐっすりと眠るソフィアもソフィアだ、とシンは微苦笑する。
「僕も一応、年頃の男なんだけど?」
小声で囁いてから、これは彼女が起きてる時に口にしてはいけないな、と思い直す。――そんな事を言ってしまった日には、真っ赤になって怒った挙句、次からは絶対に一緒に寝てなどくれないだろう。
寝息を立てるソフィアの頭にそっと頬を寄せ、シンはゆっくりと瞼を下げた。――そういえば、あの時の小さな子、――あの子はどんな子だっただろうか。あの後、エランダの町で探したが、その後あの母子を目にすることは無かった。10年以上前に1度しか目にしてなかった子どもの輪郭は、既に薄れてしまって髪の色も瞳の色も分からなくなっていた。――ただ一つ、半妖精だった事は間違いない。あの時の子どもは、母親と共にいたのだから、きっと幸せになっているだろう。だから、自分は彼女に受けた恩を、他の人々へ返そう。そう心に改めて誓いながら、シンもゆっくりと眠りの中に落ちて行くのだった。




