49.枷
キャロルと連れ立って、橙黄石の鏃亭の扉を開いたが、生憎ソフィアはまだ戻ってはいない様だった。
何かトラブルに巻き込まれていないか、不安が腹の底からじわじわと湧き上がるが、今回はネアも同行している。彼女は歴戦の冒険者であり、目端も機転も利く。
だから大丈夫だ、と己に言い聞かせ、平静を装ったまま、宿のカウンターに立つ男の元へ足を向けた。
少しぽっちゃり目の体型の50代前半の男性は、シンに目を留めると、にこにこと愛想のよい笑顔を浮かべて「いらっしゃいませぇ」と間延びした挨拶をしてきた。
「2人部屋は空いてるかな」
「お客さん、ついてるね! 丁度昨日空き室が出た……おや?」
「ん?」
男性は目を丸くした後、しげしげとシンを見る。それから「あぁ!」と手を打った。
「お兄さん、前うちの宿に泊まってた子と一緒に、ここに来たでしょ!」
「え?」
「ホラ、“お父さんって呼んでいいんだよ”って」
「え」
嬉しそうに笑顔を浮かべて、熱弁を振るう男性――恐らくこの宿の主人と思われる――の言葉に、シンは僅かに目を瞠る。それから記憶の糸を辿り、思い至った。
確かに、東の村テアレムから戻った後、ソフィアと大橋の袂でバッタリと出会い、その後、この宿へやってきた時があった。
その時、ソフィアが何だか落ち込んでいるようだった。そして、シンに「自分とは一緒にいない方が良い」「自分の生活を大事にするように」と、苦言を呈した。
その時に、自分としてはソフィアの事も大切な人の中に含まれる、と。そして、“父親と呼んでも構わない”と伝えた。
しかし、かなり前の話だった気がする。思わずシンは目を丸くした。
「よく覚えてるね。確かに僕、ここに来た時に、ソフィアとそんな会話をしたよ」
「ははは! そりゃあお兄さん、こう見て俺ぁ客商売だからね! 客の顔を覚えるのは得意さぁ! それに、お兄さん達の会話が面白……っとと、印象に残る内容だったからねぇ」
「面白……かった? かなぁ」
思わず苦笑を浮かべて聞き返すと、宿の主人は大仰に肩を竦めて笑った。
「そりゃあね! あーんな妖精みたいな、おっそろしいほど綺麗な子を捕まえて「父親と思っていい」なんて口にする男なんて、俺らにとっちゃ目ん玉飛び出るくらいビックリすらぁな! いや、お兄さんも綺麗だから、引く手数多なのかもしれないけど」
「あはは、僕、モテはしないかな」
「そうかい? いやー、でも、なら……あ! もしかして、案外もう嫁さんと子どもがいたり?」
「うーん、残念ながら、妻帯した事はないよ。ところで、宿の部屋、お願いしても良い?」
「おっとと、ごめんよ! じゃあ、宿帳がこれで……」
脱線しまくった宿のチェックインをようやく済ませ、シンはキャロルの方を振り返った。
「すみません、お待たせして……」
藤色のローブを頭からかぶったキャロルは、フードの影で目元こそ見えなかったが、口元に整った細い指先を当てて、何やら思案している様子だった。
今の会話で、何か気がかりな事があったのか。それとも、これから話す事について整理しているのか――それ以外なのか。少し迷ってから、もう一度声を掛ける。
「キャロルさん?」
「……、……ああ、はい」
やや間が合って、キャロルは口元から指を下ろし、シンの方を向いて微笑んだ。
「部屋を取りましたから、そちらで話しましょうか」
「そうですね」
「あ、ご主人。後からソフィアも来ますので、僕の取った部屋を伝えてもらっても良いですか?」
「え? お兄さん達2人が泊まるんじゃないのかい?」
「僕とソフィアが泊まるんだよ」
「え! じゃあ、本当に親子になったのか! こりゃビックリだぁ」
「違うよ」
本来なら、対外的には“義理の親子”として通した方が良かったのかもしれないが、考えるより前に、シンの口からは否定の言葉が飛び出した。――思ったより早く、――思ったより強く。
宿の主人は、目と口を真ん丸にして言葉を失っている。
それをいいことにして、シンは有無を言わせぬように、にっこりと笑顔を浮かべると、「それじゃあ、よろしく」と念を押し、キャロルを促して、上の階へと続く階段を上って行った。
* * * * * * * * * * * * * * *
宿のカウンターで渡された、鍵に付いている金属板には、横線が3本と、そこに交わる様に縦線が2本、溝が刻まれていた。2階の廊下を歩いていると、部屋の扉には線の本数が異なる金属板が取り付けられている。
しばらく歩を進めると、鍵に付いている金属板と、同じデザインの金属板が取り付けられた扉が見つかった。
鍵穴に鍵を差し込むと、閊える事無く、軽い金属音がして鍵が開いた事を知らせる。
ドアを開けると、思ったよりも広い部屋だった。
部屋で食事出来るようになのか、足の高いテーブルに椅子が4脚。窓際にはソファ。反対側には鍵付きのクローゼット、縦長の本棚。文机。窓は通りに面した側に2か所、天井近くに明り取りのものが2か所ある。そして、温かそうな掛け布が重ねられたベッドが2つ。
「すごい、いい部屋だなぁ」
素直な感想を口にして、部屋の中を見まわしてから、ハタと気付いてキャロルを部屋に招き入れる。
「気が利かなくてすみません。下からお茶でももらってきますね」
「いえ、大丈夫ですよ。手短に済ませますので」
「そうですか? ……分かりました。――あ、どうぞお掛け下さい」
シンが椅子を促すと、彼は「では失礼」と一言述べると被っていたフードを下ろしてから席に着いた。テーブルを挟んで反対側にシンも腰を下ろす。
「それで、お話しと言うのは?」
小首を傾げて尋ねると、彼はやや思案顔になった。
「そうですね……」
一言、呟いてから沈黙が訪れる。何をそんなに躊躇うのか、とシンが更に言葉を続けようとした時、タイミングを見計らったかのようにキャロルが口を開いた。
「“父親”――というのは」
「え?」
「シンさんは……ソフィアさんの“父親代わり”になろうとされているのでしょうか」
正直、「そこ?」と喉元までツッコミの言葉が出掛かった。だが、キャロルの深い青の瞳は、至極真面目な光を湛えていたため、飲み込む。
どうやら揶揄いや前振りではなく、何か意味がありそうだ。居住まいを正して、シンは言葉を選んで慎重に答えた。
「はい。……いえ、正確に言うと、先ほどの宿の主人が言っていた会話の後、ソフィアからは“父親として見る事は出来ない”と断られました」
言ってから、聖夜祭の翌日、綺麗な格好をしたソフィアの姿が脳裏に蘇る。
あの時の彼女は、まるで精霊や妖精の様に美しく――だが、今にして思うと表情は固く、俯いている事が多かった。
今のシンなら分かる。彼女は、人混みが苦手なのだろう。それを、シンに悟られまいと、気を遣わせまいと、精いっぱい“何でもないように”振舞っていたのだ、と。
「ソフィアは、父親の記憶はあるそうです」
どこまで伝えて良いものなのか、言葉を脳内で吟味しつつ、慎重にシンは言葉を続ける。
「良い存在ではなかったけど、だからといって代わりが欲しいわけではないと。今更“優しい父親”が欲しいとは思わないし、成人しているのだから必要ないと」
言葉を切って、シンは困ったように笑いながら、キャロルの顔を見た。
「ええと、ですから、父親になるのは諦めました」
「ふむ……」
納得したのかしていないのか、どちらともとれる相槌を打ち、キャロルは再び指先を口元に当てて黙り込んだ。
「あの……お話って、これですか?」
「……」
「キャロルさん?」
「……」
「……」
そういえば、アーレンビー家へ訪ねた日、アレクが言っていた。“キャロルの石像”と。――もしや、これがその石像状態なのだろうか。だとしたら、どうしたものか……声を掛け続けるべきか、シンが迷っていると、意外と早くキャロルの石化が解けた。
「今はどうでしょう」
「え?」
「私は、――いえ、まぁ良いでしょう」
「え? あの……」
「いずれにせよ、ソフィアさんは貴方にとって大切な人である事には変わりないと考えます。――どうでしょう?」
「大切です」
寸分の迷いもなく即答すると、キャロルはやんわりと笑みを深めた。
「それなら結構。私が話したかったのは、ソフィアさんの事です」
「ソフィアの……?」
シンの顔にほぼ常に浮かんでいた微笑みが、無自覚のままに消える。それを確認して、キャロルは一つ頷くと続けた。
「最初に、確認させてください。――ソフィアさんがこちらに来たのは正規のルートではない方法ですね」
確認、と言いながら、キャロルは疑問形は使わなかった。だが、敢えてシンに尋ねているのは――“シンがそれを知っているのか”を“確認”しているのだろう。
「そうです」
短く返すと、キャロルは再び目を伏せて、しばし思案顔になった。その沈黙に、シンは胸騒ぎがして堪らなかったのだが、彼の返答を急かす言葉を辛うじて飲み込み、膝の上に置いた両手を強く握りしめ、じっと待った。
「――分かりました」
不意に、一言。その声に、シンは彼の真意を目で問うた。
「シンさんは、ヴルズィアにもテイルラットにも、お詳しいとお見受けしますが」
「そうですね……どちらの世界も、それなりに放浪しましたから」
「“奈落の滝”の事は?」
「知ってます。ヴルズィア側、テイルラット側、どちらも目にした事もあります。世界随一の瀑布というだけあって、他に類を見ない迫力がありました。特にヴルズィア側から見た際は、正に奈落の底へ向かって落ちて行くような滝で、……美しさより恐怖を強く感じました」
「そうですね。――そこを、ソフィアさんは落ちてきた、という事になります」
「――!」
キャロルの言葉に、取り繕うのを忘れて、反射的にシンは椅子から腰を浮かせる。脳裏に、昏い闇へ向かって落ちる大量の水に、飲み込まれるように消える小さな少女の姿が浮かび上がり、慌てて首を横に振って不吉な光景を振り払う。
「あの滝の落差はどの程度かご存知ですか」
「……キャロルさん」
「982.6メートルです」
「キャロルさん……っ」
「シンさん」
静謐な濃い青の、キャロルの瞳が、ひたとシンを見据える。――その瞳に映り込んだシンの表情は、ひどく狼狽していた。
「貴方なら、どうです? ――無事でいられますか?」
「なにが、言いたい、んですか」
ともすれば、荒げそうになる声を必死で押さえつつ、シンは途切れ途切れに質問を返した。返答を期待していたわけでは無い様子のキャロルは、笑むでもなくそっと目を細めた。
「私とソフィアさんが最初に出会ったのは、昨年の収穫祭が終わってしばらく経った頃です」
「――は……」
唐突に切り替わった話題に、唖然としたままシンは固まった。
「南の森に、10メートル程の高さの滝がありまして。彼女は、そこから落下し、」
「なっ?!」
「それを私の妻が助けました」
初耳の出来事に、シンの顔色が見る見る失われる。
「全身強く打ち、虫の息だった――いえ、もしかしたら息が止まった直後だったのかもしれません」
「……っな、……そ、んな、いつ……」
「11月の半ば頃だったかと。助かった彼女が“1か月後に短期の仕事がある”と仰ってましたから――その短期の仕事と言うのは、エルテナ神殿の聖夜祭の手伝いの事と記憶しています」
「……――あっ」
ソフィアをしばらく見なかった、あの時だ、とシンは確信した。
彼女が突然姿を消し、捜そうと孤児院の院長に休みを願い出たが、上手く行かず、――結局、捜しに行くこと自体も出来ず……否、踏み出さなかったのはシン自身だ。だから……捜しに行く事をせず、という方が正しいのだろう。――そうしていた、あの時。――あの時、ソフィアの命が、失われ掛けていた?
「――そんな……」
許容しがたい事実に、蒼白になったままシンは唇を震わせた。猛烈な後悔と恐怖が襲い掛かってくる。あの時の自分を殴って、今すぐ彼女を捜しに行け、と怒鳴りつけてやりたい。
口を開いたら、感情のままに叫びだしてしまう気がして、シンは己の口を右手で覆い、そのまま呻き声すら漏れぬよう、強く押さえつけた。
そんなシンの様子を全く意に介さず、キャロルはそのまま続けた。
「幸い、妻は精霊と交流が可能です。精霊の力を借りて傷を癒し、その時は事なきを得ました。ですが」
“ですが”?
――まだあるのだろうか?
胸のざわめきが強まり、シンは顔を歪ませる。
「年末、天候が崩れて吹雪いた日があったのを、覚えてらっしゃいますか?」
「……」
返答する事が出来ずにいるシンを、じっとキャロルは見つめる。沈黙を肯定と判断したらしく、再び口を開いた。
「雪に埋まった大木の洞で、彼女を発見しまして」
「………………」
「息は完全に止まっていました」
ガタン!! と、キャロルの言葉に被さる様に、大きな音を立てて椅子が倒れた。――シンが座っていた椅子だ。
驚愕と、焦燥と、恐怖と、――様々な感情が入り混じった、形容しがたい表情のまま、シンは身を震わせてキャロルを睨んでいた。
「――嘘だ」
「いいえ」
「嘘だ! だって、ソフィアは今生きてる!」
「ええ」
「揶揄っているんですか?!」
「いいえ」
声を荒げるシンの言葉に、短く、腹が立つほど冷静に、キャロルは応じた。だが、到底納得できるはずもなく、シンは更に彼を詰った。
「だったら、何故そんな嘘を――っ」
「嘘ではありません。あの時、彼女は確かに事切れていました。サンディが……妻が発見し、直後にルーフォスに呼ばれた私も駆け付け、動揺した妻を落ち着かせるまでの間、私が見る限り、ソフィアさんの身体からは生命の精霊が失われていました」
生命の精霊が身の内にいない――つまりそれは、間違いなく“死”を意味する。
「ところが」
小首を傾げ、キャロルは続けた。
「不思議な事が起こったのです。――我々が駆け付けてから少しして、ソフィアさんの身の内に、生命の精霊の力がほんの僅かに――そう、言うなれば何もない地面から突然染み出した湧き水の様に、生まれ出した」
そう、生まれ出した。――言葉にしてから、もう一度キャロルは口の中で呟いた。
「確認して、すぐに、妻が生命の精霊の力を補い活性化させる精霊魔法を、全力でかけました。結果、彼女は数日意識が無く、且つ、目覚めた後も身体がしばらく動けない程、力が消耗していましたが、命は失わずに済みました。――いえ、“失わずに”というのは、語弊があるかもしれませんね」
アレクは“ぎりぎり救出が間に合った”と信じており、あの当時のキャロルも、一旦はそう思った。――だが、違和感が拭えなかったのだ。
あの時、彼女はキャロルの目の前で、間違いなく生命の精霊が途切れていた。例えば筋骨隆々な戦士や、シンの様な熟練冒険者であれば、生命の精霊の“火事場の馬鹿力”的な奇跡が起こっても、おかしくないかもしれない。
――しかし、ソフィアは見るからに華奢で、儚げな半妖精の少女だ。
それでも、あの時だけであれば、キャロルも“奇跡というものもあるものだ”と納得できたかもしれない。――だが、その前に滝で、そして、更にその前に、この世界へ来る際に……その全てで、ソファは命を失っていてもおかしく無い状況ながら、彼女は今も生きている。
「……だから、何だというんです」
低く、絞り出すように、今まで黙っていたシンが口を開いた。
「ソフィアが生きてる……理由なんてどうでもいい。彼女が生きていてくれるなら、どうだっていい」
「ソフィアさんから、何か気になる事などは聞いていませんか?」
「気になる事って、何ですか」
「そうですね、例えば……――あまり力が出ない、或いは、身体が弱い、――生命の精霊の力が乏しい、弱い、――寿命が短い、」
「!!」
――――“あたし元々、もうそんなに長くないのよ”
ソフィアがいつの日か口にした言葉が、シンの脳裏に蘇る。
「知人の……そうだ、アトリちゃんの知人の医者に、もうそんなに長くない、って言われた、って……前に」
「なるほど」
何かに納得したかのように、キャロルが指先で己の顎に触れる。自分だけ分かっているかのような彼の態度に、やや苛立ちを覚えて、シンは柳眉を顰めた。
「キャロルさん」
「なんでしょう」
「何か分かったなら、教えてください。先ほどから、肝心な部分が分かりません」
「と、言いますと?」
「僕に話って、結局何なんですか? ソフィアの……彼女に、何があるんです? キャロルさんは何を知ってるんですか?」
「今までお話ししたのは事実で、後は全て私の推論です」
「推論?」
「我が家にシンさんとソフィアさんが泊まりに来た際の事ですが」
「……は……え? あ、はい……?」
唐突に話題が切り替わったかに思えて、シンは目を白黒とさせる。
「妻に、ソフィアさんがシンさんから距離を置くつもりだと仰っ」
「絶対いやだ!」
「ていた際に、」
条件反射のように、話を遮って否定の言葉を叫ぶシンに、気に留めることなくキャロルは言葉を続けた。
「妻が、ソフィアさんの生命の精霊に語りかけ、周囲の精霊と共に、干渉を試みたのですが」
そこまで口にしてから、キャロルは言葉を切った。しばし、じっと目を伏せ、それから再び口を開いた。
「彼女の中の生命の精霊が、サンディの声に呼応し、正に活性化しようとしたその時――ソフィアさんが突然、強い眠気に襲われたのだそうです」
「……? どういう事ですか?」
「そのまま、倒れるように眠ってしまったそうです。そして、生命の精霊の力は、再び小さく弱々しいものになっていたそうです」
「キャロルさん」
言葉の終わりにかぶせる様に、強い口調でシンは彼の名を呼んだ。
「教えてください。キャロルさんは、どうお考えなんですか?」
「あくまでも推論ですが」
「構いません」
「ソフィアさんの生命の精霊には、何らかの“枷”が嵌められているのかもしれません。――強くもなく、弱くもなく。――細く、弱く、――そして、失われないように、生命を維持する、何かが」
背筋に冷たいものが走り、シンは顔を強張らせた。
「推論ですよ」
ほんの僅かに苦みを帯びた微笑みを浮かべて、キャロルは念を押した。だが、ソフィアがこちらへと“落ちてきた”事、キャロルの話した森での出来事、ソフィアの極端に弱い身体、アトリの知人の医者の言葉、――一つ一つが、キャロルの“推論”に現実味を持たせている。
「……“枷”……」
もし、そんなものがあるとして、それを外す事が出来たとしたら、ソフィアは救われるのだろうか? それとも、――そこで思考を止めて、シンはキャロルを見やった。
「――僕は、ソフィアが大事です。どう言葉にしたらいいか、分からないけど、……こんな事言ったらソフィアは怒るだろうけど、僕の命なんて惜しくないくらい、――大切なんです。失いたくない。失ったら僕はきっと、生きていけない」
「ふふ」
真剣に胸の内を吐露したにも関わらず、キャロルが声を上げて笑った為、シンはむっとして眉を顰めた。
「ああ、失礼……気を悪くなさらないでください。――何と情熱的な愛の告白か、と思い、つい」
「……は……え?」
思わず素っ頓狂な声を上げて、目を丸くしているシンに対し、見ようによっては上機嫌にも見える微笑みを浮かべ、キャロルは椅子からゆっくりと立ち上がった。
「私にとっても、ソフィアさんは貴重な助手ですから。――もう少し、調べてみるつもりです」
「僕も」
「シンさんは、外の情報よりも、まず、ソフィアさんをよく見てあげてください。それは、貴方にしかできない事でしょうから」
「はい」
力強く頷くシンに、キャロルは満足そうに頷いた。その時、部屋の外の廊下に、重さの無い小さな足音が近づいてきている事に気付いた。
「ソフィアさんがお帰りのようですね」
「そうですね。せっかくなので会って……」
「いえ、今日はシンさんとお話しするために参りましたので、私はここで失礼します」
「え? ここで?」
「ええ」
キャロルが目の前の宙に指を走らせる。するとその軌跡が、淡く光を帯び文様を浮かび上がらせた。
「“転移術式展開”」
もう片手で文様を描き、重ねる様に指で円を描くと、途端に文様を中心にして、放射線状に輝く線が周囲に伸び広がった。眩しさに一瞬瞼を閉じ、再び開くと――そこにはキャロルがいた形跡は、微塵も残っていなかった。
――“転移術”……古代語魔法の中でも、遺失魔法に分類されるものだ。その事に気付き、シンは目を丸くした。
「すごいな、キャロルさん……森で学者――ってレベルじゃないんじゃ」
そう独り言つのと、部屋のドアがノックされるのが同時だった。応えると、そっとドアが開き、おずおずと小さな人影が顔を出した。
「――ソフィア」
相好を崩して、シンは彼女の名を呼んだ。
2022/5/30 改稿




