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螺旋のきざはし  作者: hake
第一章
20/110

19.森の住人【挿絵あり】



 翌日は日の昇る前に目が覚めた。


 相変わらず、途切れ途切れの睡眠だったが、ひとまず体調は悪化していない。

 身支度を整えると、ソフィアは階下へ向かった。


 店内には橙黄石シトリアやじり亭の主人が1人、忙しそうに動き回っている。やって来たソフィアに目を留めると、にこにことして間延びした声を掛けてきた。


「おはようございますぅ。ソフィアさん、お出掛けですかぁ?」

「ええ」

「早いのに大変ですねぇ。いってらっしゃいませぇ」

「ええ」


 我ながら個性の無い返答だとは分かっているが、他に思いつかない為、ソフィアは同じ返答を繰り返した。

 それから、小さく会釈すると、橙黄石シトリアやじり亭を後にした。



* * * * * * * * * * * * * * *



 港町クナートの南には大きな森が広がっている。

 定期的に町の自警団や冒険者が見回りを行うため、規模の割には妖魔モンスターは少ないという。

 ただ、やはり商隊や旅人は避けて通る事が多い為、森の中は整備された街道はなく、薪拾いを行う地元民の為の細い道以外は、獣道程度しかなかった。

 その細い道を辿りながら、ソフィアは狩人レンジャーという職業について思いをめぐらせていた。


 狩人レンジャーとは、その名の通り動物を狩る人々を指す。

 主に弓矢を得意武器として戦う事も可能だが、冒険者として重用されるのは、戦闘よりも野外活動全般の知識である。

 特に野外に張る罠の知識が重要で、罠を張る事も可能だが、逆に相手に張られた罠を解除する事も出来るのだ。

 また、相手が何であれ、足跡の特定や追跡にも優れた能力を発揮するという。

 植物の知識は学者や薬草師には及ばないまでも、毒かそうでないものか判別する知識がある者が多い。

 ソフィア自身は、身をもって体験した毒のある植物(=食べた)は分かるが、これはもちろん自慢できるような知識ではない。


 はぁ、と息を吐くと空気が白く色づき、広がっていく。

 この世界に来てから、彼女の周りは見た事も無いような物や、会った事もない人々ばかりで、不意に途方にくれることがある。

 この世界での自分は、間違いなく異質な存在なのだ。それは「半妖精ハーフエルフだから」という事ではない。ソフィア個人の問題なのだ。昨日でそれが分かった。

 とはいえ、ソフィアの記憶には、既に春告鳥(フォルタナ)の翼亭で会った男性も、橙黄石(シトリア)(やじり)亭で会った妖精(エルフ)の女性も、おぼろげな輪郭程度しか残っていない。

 冷えて赤くなった両手を、擦り合わせて息を吐きかけてみたが、あまり温まったようには思えなかった。



 しばらく森を歩いてみたが、一向に「これは!」という感覚が(つか)めない。ーーそれで(つか)めていたら、この世界に来る前に狩人(レンジャー)としての基礎は身についていてもおかしくない。



(まぁ、そうよね。そんな上手く行かないわよね……)


 足を止めて、周囲を見回す。

 道の両側には鬱蒼うっそうと木々が生い茂っており、奥がどうなっているかは分からない。

 歩いていた道の先は、もう少し先で二股に分かれているようだ。



(どうしたものかしらね……)


 立ち止まったままそっと目を伏せて小さく息を吐く。

 静寂が訪れた後、ゆっくりと木々のざわめき、鳥の鳴き声、水の流れる音など、森の中の小さな音楽が流れ始めた。



(静かだわ)


 昨日からずっと尖っていた気持ちが、ゆっくりと静まっていく。

 暖かな日の光が森全体に降り注ぎ、草木の葉の上で、乾ききっていない朝露が光を帯びて(きらめ)いている。

 息を吸い込むと清浄な森の香りが胸いっぱいに広がり、いつかどこかでなくしてしまった“何か大切なもの”がソフィアの内側に満たされていく気がした。

 かつてない程穏やかな気持ちで、ソフィアは再び足を踏み出した。



 気持ちの赴くままに散策を続けていると、少し開けた場所に出た。地面がむき出しになっており、その先に大きな枯れた木が1本立っている。そして、更に先の地面は一旦途切れてから、離れた場所に続いている。

 その地面の形状に違和感はなかった。何しろ、先ほどから轟々と水音が響いているのだ。つまり……枯れ木の先、地面が途切れた部分には川、もしくは滝があるのだ。



(それにしても、微妙な場所に立っているのね……この木)


 理由などなく、たまたまなのだろうが、ポツンと森の木々から離れた場所に1本だけ立つこの木は、なんともいえない哀愁を醸し出していた。

 しかも、葉は既に全て散った上、これまた枯れた蔦に絡まれている。そして辛うじてひと房の実が残っていた。



(……ん?)


 一度見流してから、思わず二度見する。


「あ!」


 ひと房に数個ついた実は、枯れ木のものではなく、絡まった蔦のものだった。そして、その実をソフィアは見た事がある。



(サルナシの実だわ!)


 思いがけない収穫に、目を輝かせる。過去、元の世界で何度か口にした事がある甘い果実だ。市場に持っていけば高額ではないまでも、買い取りもしてもらえるだろう。

 幸い、ソフィアは木登りはした事がある。意気揚々と両腕の袖を捲り上げると、木の幹に足を掛けた。



 ――結論から言うと、失敗だった。

 木登りをした事があるとはいえ、「得意」という訳ではなかったのだ。



 そう思い知ったのは、木を半ば程まで登り、もう先にも後にも進む事ができない、こう着状態になってからの事だった。



(馬鹿な事をしたわ……)


 木の枝にしがみ付いたまま、ソフィアは数十匹の苦虫を噛み潰した。口の中に苦みが広がる。



(後悔先に立たず……って当たり前じゃない。後に悔いるから“後悔”って言うのよ。先に悔いる事が出来るなら、そもそもしないわよね? そうよね?)


 ぷるぷると腕が震える。怖さから、というよりは、筋肉が限界に近付いて来ているのだ。顔を顰めながら周囲を見回す。

 丁度この枯れ木は崖のギリギリの場所に立っている。

 手前側に落ちれば地面に全身を強打する事間違いなしだが、崖側はどうだろうか。

 チラリと見やると、やはり崖下には滝があり、凡そ10メートル程下に滝つぼが見えた。落ちたら死ぬ事は無さそうだが、無事では済まなさそうでもあった。

 それでも地面よりは滝つぼの方が痛く無さそうだ、と腕を滝つぼ側の枝へ伸ばした瞬間、ふと、泣きそうな顔でこちらを見るアトリの顔が過ぎった。何かあったら彼女に心配をかけてしまう。1人暮らしする、と言っただけで、神殿の廊下に驢馬の餌をぶちまけ泣き出した彼女だ。滝つぼに落ちたと聞いたら大変な事が起こりそうだ。伸ばした手が思わず躊躇する。その時、ソフィアが乗っていた枯れ木の枝が鈍い音を立て始めた。


「え……」


 息を飲む。だが声を上げる間もなく、枝が大きな音を立てて折れ、彼女の身体は自由落下を始めた。



(――あ、落ちてる)


 思考停止した頭でソフィアはぼんやりと思った。




* * * * * * * * * * * * * * *



「――ッゴホ……っ」


 咽喉に詰まった空気を吐き出そうとした瞬間、(むせ)た。とたんに酸欠を実感して咳き込む。

 ぼやけた視界に雲の多い冬の青空が飛び込んできた。


「おっ 目ぇ覚めたか?」


 朗らかな女性の声が、近くから聞こえた。ハッとして声の方を向こうとするが、思うように身体が動かない。

 焦ってソフィアは身を(よじ)り、(ようや)く顔だけ動かした。

 少し離れた先の、地面の上に出た岩の上に、人間の女性が座っていた。その向こうには森が広がっている。逆に、ソフィアの後ろ頭の方からは相変わらず大きな水音が響いている。

 どうやら、今自分は滝つぼ近くの地面にいるようだ、とソフィアは推測した。


 先ほど声を掛けてきた女性は、栗色の柔らかなウェーブを描く濡れた長い髪を、手で絞っていたようだ。乾いた地面に水の跡が点々と落ちている。

 前髪からも水を滴らせ、澄んだ青空のような深い青色(ブルー)の大きな瞳をぱちくりと(しばたた)かせている。年嵩は10代後半から20代前半ほどの彼女は、少なくともソフィアが今まで見た人物の中では、一番整った顔立ちをしていた。――但し、それはソフィアの主観ではあったが。

 よく見ると、その彼女の着ている厚地の小花柄のワンピースも水を含んで重たそうだ。ソフィアの視線に気付いたのか、彼女はいつの間にかソフィアの傍らへ近付き、ひょいっと横たわるソフィアの顔を覗き込むように身を屈ませた。


挿絵(By みてみん)


「大丈夫か? 怪我はどうだ? 大体治したから問題ないはずだけど」

「え」

「まー、さすがの私も服は乾かせないけどな! はははは!」

「……え」


 美人というよりは可愛らしい、整った顔立ちの妙齢の女性……という見た目と、あっけらかんと笑う彼女のサバサバとした口調のギャップに、思わずソフィアは目が点になった。


「ん? おいおい、寝ぼけてる? まっ しゃーないか。さっき貴女(あなた)、半分死にかけてたしね~ あははっ」

「……はい?」



(し、死に……?)


 明るく言われた内容に耳を疑う。よろよろと上半身を起こすと、ソフィアは自分の髪や服も濡れている事に気付いた。その途端に冷えた空気を感じて、身震いをする。

 対する彼女は、特に寒さを感じない様子で小首を傾げた。


「いやぁ、寒中水泳なんて久しぶりにやったよ~! 貴女(あなた)は?」

「……え」

「ん? 寒中水泳!」

「……いや、意味が分からない……」

「えー、ホラ、鍛錬とか?」

「い、いやいやいや、普通しないでしょ?!」

「ああ、だよね~」


 あはは、と再び面白そうに、彼女は空色の瞳を細めて明るく笑った。それから少し得意げにふふん、と胸を逸らすと驚くような一言を告げた。


「まぁ、そう思ったから飛び込んだんだけどね!」

「はぁ?!」


 信じられないようなものを見る目で、ソフィアは彼女をまじまじと見つめる。その視線を平然と受け止めて、彼女は濡れた自分の前髪を指で弾いて、にんまりと笑った。


「私はアレク! この森に住んでるんだ。感謝しろよー? 私が寒中水泳すると、うちの保護者がすっごい怒るんだからな~」

「い、いや、あなたの保護者とか、知らない……んだけど、って、待って」

「うん?」

「あなた、あたしを助けるために水の中に飛び込んだの?!」

「うん」

「なんで?!」

「え? ……うーん、つい?」

「ちょっ い、いやいやいやいや、おかしいでしょ? あたし、あなたとは初対面のはずでしょ。何でそんな危ない事……っ」

「ん? だから、“つい”だってば。理由なんかないってー」


 アレクと名乗った女性は、さも不思議そうにきょとんとした顔で答える。思わずソフィアは絶句してしまった。

 それを見て面白そうに笑い出すと、彼女はソフィアの顔を覗き込んだ。


「まーまー、堅く考えないっ ところで、ホントにどこも痛むところは無いか?」


 (うなが)されるままに、ソフィアは自分の身体を確かめる。先ほどアレクは「半分死んでいた」と言っていたが、怪我らしい怪我は見当たらなかった。もちろん、痛みも無い。


「……何も、……どこも、平気、みたい」

「そりゃ良かった」


 にかっとアレクが満面の笑みで応える。それから、彼女はふと空を見上げ、「おーい」と突然呼びかけた。すると、間を置かずに、音も無く空から大きな影が降りてきた。

 慌ててソフィアは身構えたが、アレクの隣に舞い降りたのは薄茶色の羽を持つ大きな(ふくろう)だった。


「あ、この子はルーフォス。うちの保護者の相棒なんだ」

「?」

「使い魔ですよ」


 唐突に、アレクの声では無く、美しい低音が響いた。ぎょっとして、思わずソフィアは再び身構えた。


「あれ? 何だよ、お前も来たのか? っていうか、駄目じゃないかー 女の子驚かせたら!」


 驚く様子もなく、アレクは頬を膨らませながら振り返った。

 それにつられて、ソフィアも彼女の背後に視線を動かす。そこには、背の高い人物が忽然(こつぜん)と立っていた。先ほどの声からして男性と思われるが、全身深い藤色のガウンコートに包まれている。頭にもフードを被っている為、人相は分からない。ただ、ガウンコートの襟や裾、袖口、フード周りには細かな銀糸の刺繍が施されており、見るからに高価なものだと分かる。



(いつの間に……?)


 今までアレクの方を向いて話していたのだから、その後ろに誰かいれば気付いてもおかしくないはずだ。それなのに、今の今まで、全く気付けなかった。足音すら聞こえなかった。もっと言えば、気配が全く感じられなかった。そこで、思わず青くなる。



(え、まさか……ゆ、幽霊?!)


「いやいやいや」


 声に出していないはずなのに、心を読んだかのようにアレクが突っ込む。


「多分、今貴女(あなた)が思ってるのは違うからな? こいつはさっき私が言っていた怒らせるとこわ~いヤツだ!」

「おや、怖くなるのは貴女(あなた)()()()をした時くらいですよ。例えば、そう……冬空の下、寒中水泳をする、とか?」

「ぅぐふっ」


 ぐさっと来た~! 怖ぇええ~! と叫びながら胸を押さえて苦しむ真似をするアレクの頭を、軽くこつんと叩くと、彼は着ていたガウンコートを脱いでアレクに羽織らせた。すると、先ほどまでフードで見えなかった彼の面立ちが(あらわ)になった。

 つい先ほどまでは、ソフィアの中ではアレクが「少なくとも今まで見た人物の中では一番整った顔立ち」をした人物だったのだが、すぐにあっけなく塗り替えられてしまった。ーー否、甲乙つけがたいというのが妥当か。

 アレクが太陽のように力強く輝く美貌だとしたら、彼は月光のような儚く幻想的な美しさを持っていた。

 白い肌、切れ長の青い瞳。白金色の長い髪は緩やかに束ねられており、右側に流している。正に「美形!」という文字が似合う男性だった。そして、ふと気付く。彼の耳は長く、人間や半妖精(ハーフエルフ)とは異なる形状をしていた。

 ソフィアの視線に気付いたのか、彼は目を合わせてふわりと微笑んだ。


「どうやら驚かせてしまったようで申し訳ありません。私はキャロル・アーレンビー。彼女の夫です」

「え?!」


 思わず目を見開いて、アレクとキャロルと名乗った妖精(エルフ)を交互に見る。


「どうかしましたか?」

「え、あ。え……だって、ほ、保護……しゃ……?」

「ああ、また貴女(あなた)という人は」


 うろたえるソフィアの様子を見て、キャロルはチラリ、とアレクを見る。アレクは「てへ!」と小さく舌を出しておどけて見せた。


「だってさー、保護者は保護者じゃん?」

「その前に、貴女の夫ですよ。もっと自覚して下さい」


 まだ濡れたままのアレクの髪をひと房手に取り、キャロルは口付けた。そのまま、熱の篭もった視線で彼女を見つめる。


「それとも、足りませんか……?」


 言いながら、キャロルはアレクの頬に手を伸ばし、指先でそっと撫でた。


「~~~~~~~っ」


 全く見るつもりは無かったのだが、予想外に突然目の前で起こったために、目の当たりにしてしまったソフィアは、一気に首元まで真っ赤になり、おたおたと狼狽しながら視線を逸らした。

 一方のアレクは、慣れているのか呆れた顔でキャロルを軽く睨む。


「コラ! キャロル! お前、油断するとすぐこれだ!」

「おかしいですね。これでも抑えているのですが」

「どこがだよ!? ったくもー……って、あっ おい、大丈夫か?! 顔がものすごい赤いぞ?!」


 (ようや)く、頭で湯を沸かせるほど真っ赤になったまま、行き場を失っているソフィアに気付き、アレクが慌てて声を掛ける。その声に「みみみみっみみみみ見てないから!!!」と明らかに狼狽した声音でどもりながら答える。が、全身の血液が頭に集まっているのではないかと思えるくらい、熱い。くらくらと眩暈(めまい)を感じて、ソフィアは頭を抱えた。


「うわうわ、こりゃいかん! おいキャロル! うちに運ぶぞ!」

「そうですね。こちらへ」


 キャロルが目の前の宙に指を走らせる。その軌跡(きせき)が、淡く光を帯び文様を浮かび上がらせる。その間にアレクはソフィアをひょいっと()()げ、あまりの軽さに僅かに顔を顰める。

 急に(かか)えられたソフィアは、慌てて身を(よじ)って抗議した。


「だ、大丈夫だから……」

「大丈夫なわけあるか! 大人しくしてろ!」


 弱々しいソフィアの拒絶の言葉を、キッパリと突っぱねると、アレクはそのままキャロルの胸に背中をつける。

 キャロルの左手がアレクの肩に乗せられ、そのタイミングで、もう片手が文様を描ききる。



「――“転移術式展開”」


 その言葉と共に、描ききった文様に指で円を描く。途端に淡い文様を中心にして、放射線状に輝く線が周囲に伸び広がる。あまりの眩しさに、思わずソフィアは目を(つぶ)った。



2022/5/10 改稿

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