16.解決【挿絵あり】
今回は少し長めですm(_ _)m
ソフィアを拉致した男は足跡を消して行く先をカモフラージュする時間を惜しんだのか、くっきりと足跡を残して逃亡していた。夜であればいざ知らず、日の高い今の時間であれば“追跡”の技術が無いシンとネアにも容易に追跡出来る程だ。
相手と2人の足の速さは恐らく互角か相手がやや上と思われるが、あちらはソフィアを抱えて走っている。いくら彼女の体重が人よりも軽いとしても、ひと1人抱えて走るのは十分に不利だった。
間もなくして2人の耳に草の擦れる音、土の踏み拉かれる音が聞こえてきた。一般人であれば到底聞き取る事が出来ないような僅かな音だが、冒険者として熟練である彼らの耳には正確に届く。何らかの荷物を抱えて走る足音が1人分。――その抱えられているものは、言わずと知れたソフィアであろう。恐らく近くにいるのだろうが、まだ視界に男の影は見えない。
ある程度まで進むと、シンは軽く片手を上げてネアに止まるようゼスチャーで示した。指示を的確に読み取り、ネアは足を止めて息を潜めたままシンの隣まで歩み寄った。そのまま囁くように小声でシンに声を掛ける。
「……見えます?」
「いや、まだ」
前を向いたまま短くシンが返す。その緑碧玉の色の瞳に濃い怒りの炎が揺らめいている様に見え、ネアはほんの僅かに苦笑した。それを気配で察知してシンはチラリとネアに目を向ける。
「なに?」
「いいえ。――随分目をかけていらっしゃると思いまして」
「そうだけど、なに?」
「それだけですわ」
「そう?」
ネアの返答にシンは訝しげに眉を顰めるが、追求せずに再び前を向いた。苛立ちを隠そうとしない――というより、隠す余裕が無い様子のシンを見て、ネアは己が冷静でなければ、と気持ちを引き締めた。常であれば恐らくシンの方が冷静なのだが、今は到底期待できない。
「シンさん、もう少し接近しましょう」
「いや、駄目だ。万が一気付かれてソフィアに何かあったら」
「でも、ここで待っていてもどうにもなりません……」
「! ちょっと待って」
何かに気付いた様に、シンが自身の口の前に人差し指を立てて静かにするよう身振りする。瞬時に察して、ネアは息を潜めた。そのまま耳を澄ますと、微かに木と木が擦れるような軋んだ遠くから聞こえてきた。一般的な木製の扉の開閉の音だ。
シンが獲物を狙うかのように僅かに目を眇める。
「行こう」
不穏な気配満載で一言。言い終わるや否や、シンは物音を立てないように気を配りながら先に進み始めた。慌ててネアもその後を追う。
ほんの少し進むと、2人の視界に年季の入った丸太小屋が見えてきた。あまり近付き過ぎないように細心の注意を払いつつ、2人は茂みの中に身を潜めつつ様子を伺う。その小屋は、恐らく元々は木こりや狩人が休憩に使用する為の共同小屋と思われるが、現在は違う様相だった。窓には板が打ち付けてあり、3段ほど階段を上がった少し高い位置にある入り口の扉の前には屈強な男が1人立っていた。男は手に斧を持っているが、木を切って生計を立てているようには到底見えない人相をしていた。
だが、ソフィアを連れ去った男とは体型が違う為、この男は見張り役なのだろう。2人とも似たり寄ったりな結論を頭の中で出してから、ほぼ同時に眉を顰める。
どちらともなく、シンとネアは顔を見合わせた。ソフィアを攫った男は、単身での行動ではないという事だ。少し前に感じた嫌な予感を思い出してネアは小さく鼻を鳴らした。チラリとネアに目を向けた後、シンは目を細めて男を観察する。力量は恐らくこちらより低い。そして、あの小屋の中には間違いなくソフィアがいる。シンの棍棒を握る手に力が篭もる。
その気配で、ようやくネアはシンが今にも小屋に向かって飛び出しそうである事に気付いた。慌てて袖を引っ張り小さく首を横に振り“まだ待て”と視線でも強く訴える。言いたい事は十分に分かるが感情が伴わず、心底もどかしそうにシンが歯を食いしばった、その時――
「――離して!」
悲鳴にも似た少女の声と物音が丸太小屋の中から上がった。次の瞬間、ネアが止める間もなくシンが地を蹴りそのまま一直線に丸太小屋へ突進した。物音に小屋の前にいた見張りと思われる男がハッとしてシンを見るが、男が身構える前にシンの棍棒が容赦なく風を切り、男の横っ面に叩き込まれる。ゴスッという鈍い音と同時に、男は悲鳴を上げる間もなく1メートルほど吹っ飛ばされて、そのまま地面に勢いよく倒れ込んだ。
昏倒する男を一瞥もせず、シンはそのまま小屋の扉に手を伸ばす。が、当然ながら内側から鍵が掛かっていた。行儀悪く短く舌打ちすると、シンは扉に棍棒を振り落とした。
「?! ちょっ」
ぎょっとしたネアが、片手剣を構えながら駆け寄りつつ止めようとするが、もちろん間に合わない。扉は盛大な音を立てて破壊された。
「誰だ!?」
小屋の中から聞き覚えの無い男の声が上がった。シンと、続いてネアが小屋の中に突入すると、声の主と思われる痩身の男が警戒心剥き出しで右手に短剣を構えていた。だが、シンは男の殺気や短剣には見向きもせず、男の逆の手に握られているものの方に目が釘付けになった。――見慣れた銀糸。それが捜していた彼女の髪だと思い至った瞬間、シンは一気に激高した。
「―――!!」
無言で男めがけて棍棒を振り下ろす。男は短剣で往なそうとするが出来るはずも無く、逆に短剣が右手から吹っ飛び、そのまま右手もおかしな方向に曲がってしまった。
「ぐぁ!」
男は鈍い悲鳴を上げ、右手を左手で押さえてよろめく。その瞬間、男の手から解放された銀糸が音も無く床に落ちた。そしてその先に、手を拘束されたソフィアがうつ伏せに倒れていた。シンとネアの顔から血の気が一気に引く。
「ソフィア!!」
「ソフィアさん!!」
慌てて2人同時に駆け寄り、先にソフィアの元へ駆けつけたシンが彼女を床から助け起こす。ぐったりした様子に見えたため、最悪の想像が2人の頭を過ぎった。
青くなりながら2人はソフィアの様子を観察する。額を少々擦り剥いてはいるものの、服装の乱れもなければ大きな怪我も無い様子だった。髪は切断された訳ではなく、どうやら男に引っ張られていただけの様だ。最後に見た時と同じ長さのままだ。そして何より、助け起こされた彼女には意識があった。それどころか、拉致された事が余程悔しかったのか口をへの字に曲げてむくれている。
「ソフィア、怪我は?」
「……ない」
「~~ッよか……ったぁー」
不貞腐れて返答したソフィアを見て、はー、と大きく息を吐くとシンは彼女を抱き起こしたまま脱力した。故意か偶然か、ちょうどソフィアを抱き締めるような形になる。慌ててソフィアは身を捩り、反射的に抗議しようと口を開いた。――が、シンの身体が僅かに震えている事に気付き、息を飲んだ。
「心配しましたのよ……もう!」
ソフィアの拘束を解きながら目尻を吊り上げながら言うネアも、どことなく涙目だ。状況を正しく理解できていないソフィアは、2人が何故そんなに取り乱しているのかが分からない。
(そりゃあ……わざとじゃないけど、ならなくても良いって言われていた囮になっちゃったんだけど……――だとしても、シンもネアも大袈裟すぎない?)
戸惑いながらシンとネアを見る。その視線に気付かない様子で、シンは脱力して顔を伏せたままだし、ネアも「帰ったらおしおきですわ!」「冒険者以前に女性としての嗜みを教えなくては!」などとよく分からないお小言をぶつくさ言っている。とはいえ、思った以上に心配をかけてしまった事を肌で感じとりソフィアは狼狽した。どう反応したらいいか分からない。
だが、まずはとにかく謝罪しなくては、と思い至り、躊躇いがちに改めて口を開いた。
「……悪かったわね……世話、掛けちゃって……」
「ソフィアのせいじゃない」
遮る様にシンがきっぱりと言う。そしてそのまま、負傷した右手を押さえて蹲っている男の方へ顔を向けた。情の欠片も見受けられない表情で、碧色の瞳が殺気に満ちている。
「……悪いのはあの男だ」
「シンさん」
シンの気配に気付いたネアが、柳眉を顰めて制止せんがために彼の名を呼ぶが、それを完全に無視して彼はゆっくりと立ち上がりながら低い声で言った。
「ネアちゃん、ソフィアをお願い」
「シンさん、ダメですわよ」
ネアの声にシンは応えない。焦れたようにネアは語気を強めて再度呼びかける。
「シンさん!」
「シン」
ネアに続けて、短くソフィアが彼の名を呼ぶ。すると、あっけないほど簡単に、シンはぴたりと動きを止めた。不満そうに、だが困った様な顔でシンはソフィアを見た。その碧色の瞳をじっと見上げたまま、ソフィアは続ける。
「ちゃんと捕まえて自警……団? に引き渡した方が、いい」
「自警団には後でちゃんと連れて行くよ。でも、もう二度とソフィアに手出し出来ない様に、多少は痛い目にあわせないと」
ゆっくりと首を横に振ってから、シンは底光りする目で男を見る。男の方はというと完全に心を挫かれたのか、シンの視線を受けて青ざめて身を固くした。
「もう十分あわせてると思う。だからもういい。――そうでしょ?」
怯むことなく言いながらソフィアは、僅かにネアに視線を向ける。
「ええ、わたくしもそう思います。ボコボコにして「記憶がありません!」など逃げ口上を言われても困りますからね!」
大きく頷きながらネアも同意した。少し心強さを覚えてソフィアはシンに向き直り、口を開く。
「何のためにこの森に潜んでいたか分からないけど、あたしが囮になってシンとネアをおびき寄せたんだとしたら、ちゃんと尋問した方がいいでしょ」
その発言に、ネアとシンは目を丸く、次いで呆れ顔になった。
「って、違いますでしょ?!」
「……ソフィア、この状況分かってる?」
そのまま、2人同時に突っ込む。その返しが想定外だったのか、思わずむすっと不貞腐れ顔でソフィアは「じゃあなんだっていうのよ」と口を尖らせた。
「僕達が中級妖魔の根城の外で戦っている時に、ソフィアは背後から連れ去られたでしょ。明らかに僕達の意識をソフィアから逸らして連れ去ろうとしていたじゃない」
「どういう事?」
「つまり、あれはソフィアさんが狙われたという事ですわ!」
「え……なんで? 半妖精だから……?」
「? どうしてそうなりますの?」
困惑したソフィアの言葉に、不思議そうにネアが尋ねる。その言葉を聞いてシンが「ほらね、テイルラットだとこれが普通だよ」と、ソフィアに少しだけ微笑みかけた。釈然としない顔で2人のやり取りを見ていたネアだったが、気を取り直すとソフィアと男を交互に見て尋ねた。
「ソフィアさん、何か心当たりはありませんの?」
「そんな事言われても……」
眉間に皺を寄せて考え込む。ここは元いた世界ヴルズィアとは違い、半妖精だからどうの、という事はないというし、かといって他に捕らえられる様な後ろ暗い過去は無い(というかヴルズィアでも小屋警備員だった)。所持金も無い。吟遊詩人の語る詩に出てくる囚われの姫君のように、身代金や要求を突きつけて利益を得る事も出来ないはずだ。突きつける相手がいない。
首を傾げたまま、何か情報が無いか記憶を掘り起こす。それから、ふと独り言の様に呟いた。
「そういえばあの人、商人なのかもしれないわ」
「だとしたら随分人相の悪い商人ですこと。何故そう思いましたの?」
「えーと……仲間っぽい人と“商品が手に入った”って話してたから」
この丸太小屋に連れ込まれる前、この男が小屋の前に立っていた男に言ったのだ。――「引き上げる前にいい商品が手に入った」と。
その言葉に、ネアの赤茶色の目が鋭く光った。
「シンさん、ちょっとあの男捕まえますわよ」
「?」
「確認したい事がありますの!!」
「分かった」
ネアに加え、シンも(捕獲に)本気を出した為、男はアッサリと取り押さえられた。ソフィアを拘束していた縄を再利用して、シンが男を縛り上げ、口に適当な布を詰め込む。それを確認してから、ネアは男の左の二の腕の服を躊躇い無く引きちぎった。
「ちょっと、ネア?」
何事かと思わずソフィアが顔を強張らせる。気にも留めずにネアは露になった男の二の腕を目を細めながら確認し「やはり」と小さく呟いた。
それから顔を上げると、シンを手招きする。
「――シンさん、これをご覧になって」
「うん?」
小首を傾げてシンが近寄る。乗っかる形でソフィアも「どれ?」と見に行こうとしたところ、キッパリとネアが拒否した。
「ソフィアさんはいけません! ばっちいですから!」
断るのはともかく、その言い方にむっとしてソフィアは小さく口を尖らせる。
「……ちょっと、そういう子ども扱いは」
「子ども扱いではありませんわ。見て楽しいものでもありませんから」
ネアとソフィアがそんなやり取りを行っている間に、シンも男の左二の腕を確認した。
「これは……――入れ墨、だね。モチーフは……何だろう。鬼灯……かな?」
「ええ」
「……ネアちゃん、知ってるんだね」
疑問系ではなく、確認する様な声音でシンはネアを見やる。彼女は小さく頷いて肯定した。
「わたくしが少し前、大きな依頼を請けた事をご存知ですわよね」
「うん」
「?」
頷くシンとは対照的に、訝しげに小首を傾げるソフィアを見て、ネアは肩を竦めた。
「クナートの町と海を挟んで対岸にある“エイクバ”という町から、人身売買の組織がこの町に入り込みましたの。わたくしが請けた依頼とは、自警団に協力をしてその組織の殲滅するというものでした。依頼元の自警団と熟練冒険者が3パーティ。十分に作戦を練って連携して囲み殲滅した――はずだったのですが、してやられましたわね」
忌々しそうにネアが男を睨む。男は口に布を詰め込まれているため動かす事は出来なかったが、唯一自由のきく目を嘲笑う様にゆっくりと歪めた。だが、ネアは「挑発には乗りませんわよ」と冷たく言い放つ。眉を潜めてシンがネアを見る。
「それってつまり」
「ええ。どうやらこの男達は、その残党の様ですわね」
肩を竦めてネアはシンを見詰め返した。その目には苛立ちが混じっていた。彼女も殲滅作戦の一員として矜持を持って戦ったのだ。だからこそ、獲り逃した事実を目の当たりにして悔しさが隠し切れないのだろう。拘束されている男はそれを見て、身体を揺さぶりくぐもった声で嗤った。その様子を見てソフィアは肌が粟立つが、併せて何か引っかかりを覚える。あの歪んだ目をどこかで見た気がする。でもどこかは思い出せない。顔色を失い、思わず小さく身震いすると、気付いたシンがそっと彼女の頭に手を乗せた。反射的にソフィアは身を竦ませるが、彼は気にも留めずにそのまま優しく撫で続けた。
「大丈夫だよ。この男も仲間も全員、自警団に突き出すから。ね」
「ええ! 一生お天道様の下を歩けないようにして差し上げますわ!」
「うん。万が一出て来たとしても、またソフィアの近くに寄るようなら、二度とまともに出歩けないようにしてあげるから大丈夫!」
「シンさん」
「うん?」
「セリフが悪役ですわ」
「そうかなぁ」
心底不思議そうにシンは小首を傾げ、ネアは引き攣った笑みで答えた。そのやり取りを見てもサッパリ意味が分からないソフィアは、何となく疎外感を感じてむすっと小さく口を尖らせた。
その後、出来る限り丸太小屋の調査を行った所、壁際に乱雑に置かれた袋の中に小さな巾着袋があった。見付けたシンがそれを手にした時、心なしか男の顔が強張ったのをネアは見逃さなかった。サッと巾着袋をシンの手から奪い、ネアは鎧の胸当ての中に押し込んで、にっこりと微笑んだ。
「これはわたくしが預かりますわ」
「あっ ……もう、ネアちゃんったら意地悪だなぁ」
「おーっほほほほ! 御免あそばせ!」
それから、小屋の中にいた男と、外にいた見張りらしき男を縄で繋げて引っ張り、中級妖魔の根城付近まで戻った。ネアは地面に置いてきた長槍を拾い、シンとソフィアは襲ってきた男達を更に拘束する。こちらの男達はまだ気を失ったままの為、縛ったま地面に転がす。
丸太小屋から引っ張ってきた男2人だけを、そのまま引き連れて周囲の捜索を行ったところ、30分ほど村と反対方向に進んだ先に小規模の低級妖魔の根城を発見した。低級妖魔は突然現れた人間に驚愕し目を見開くが、その隙をついて見せ場とばかりにネアが長槍を揮い、あっという間に片付いてしまった。
* * * * * * * * * * * * * * *
夕暮れ時にテアレムへ戻った3人は、まず最初に村長に報告を行った。
「つまり、やはりこの村には元々、中級妖魔の根城が一番近くにあったんですわ。その向こうに低級妖魔の根城。だから、今まで低級妖魔は村に出ていなかったのです」
ネアが代表して村長に説明を行う。
「ところが、中級妖魔と低級妖魔の根城の間に、今はもう使われていない様な丸太小屋がありまして……村長様、ご存知です?」
「え? ええ……確かに過去使用していた小屋があったかと思います。中級妖魔が出るようになってからは使う者がいなくなっていましたが……」
「その小屋。そこに“ある者達”が住み着いたのが、今回の事前情報と実際に差異が生じた原因と思われます」
「うむ? ……どういう事でしょう?」
「少し前の話しになりますが、クナート近辺に海向こうの町エイクバから犯罪組織が侵入して来ていましたの。その者達は5~10人単位でバラバラに潜伏していました。恐らく、あの小屋にもその者達の一部が住み着いたのでしょう。犯罪組織の人物はそれなりに腕が立つ者が集まっています。彼らが丸太小屋に住み着いた後、近くを根城にする中級妖魔と遭遇したのでしょう。中級妖魔はこちらの――テアレムの村人の方々と勘違いし襲い掛かったかもしれません。そして結果は……わたくし達が中級妖魔の根城に行った時は、既に中級妖魔1匹もいない、もぬけの殻でした。つまり、返り討ちに遭い、中級妖魔は一時的に数を減らし、残りは根城を空けたのではないかと。その後、組織の者達はクナートへ”商品”を物色する為に小屋を留守にした訳です」
「なるほど。それで今まで来なかった低級妖魔がこの村の近辺まで来るようになったという事ですね」
「ええ、そうなります。」
「では何故、また中級妖魔が出るようになったのでしょう?」
村長は首を傾げて不思議そうに尋ねる。小さく頷いてネアは続けた。
「――数日前、クナートの自警団が冒険者を雇い、その犯罪組織の取り締まりを行いました。ですが、その包囲網を掻い潜った残党が、撤退前に潜伏先の証拠隠滅を図るために一時的に戻ってきた。この村の丸太小屋にも。……低級妖魔がテアレムへ近付くためには、小屋を通ります。中級妖魔をあしらえる者達ですから、低級妖魔は簡単に倒されたのでしょう。一方の中級妖魔は、丸太小屋が空になったという情報をどこからか聞きつけて根城に戻ってきた。警戒して丸太小屋方向には行かず、テアレム方向へうろつき始めた……このタイミングで、恐らくわたくし達が依頼を受けてここに来たわけですわ」
「はぁぁ……なんというか、……まるで追いかけっこのようですな」
肺の中の空気全部を吐き出すように大きく息を吐き出し、村長は呆然として呟いた。「本当に」と同意してネアも苦笑する。
「想定外ですが、犯罪者一味を捕獲しましたので、連行するための馬車を呼んでまいりますわ。村長さん、馬をお借りできまして?」
「はい、それはもちろん」
ネアが戻る間は、拘束して連れ帰った男達は一旦村の倉庫に閉じ込める事になった。見張りはシンが買って出た。ソフィアも交代で見張ると申し出たが、シンはやんわりと笑顔で、だが断固として首を縦には振らなかった。
* * * * * * * * * * * * * * *
――数日後。夜、シンは春告鳥の翼亭で遅い夕食をとっていた。そこに居合わせたシアンが同席した為、シンはこれまであった顛末を話して聞かせた。
「なんっか、おもしろい事になってたんすね!」
顔を輝かせてシアンが身を乗り出す。向かい合って座るシンは苦笑して肩を竦めた。
「あんまりおもしろくはないよ。……自警団の人達も、ネアちゃんも、機嫌すごく悪かったし」
残党を迎えに来た彼らの形相は殺気立って酷いものだった。ソフィアなどは今回の被害者のはずなのに逆に顔を強張らせて固まっていたくらいだ。
「えー、それもレアじゃないっすか! いいな、見たかったなー ネアさんの鬼の形相!」
「誰が鬼ですって?」
春告鳥の翼亭のドアベルが鳴るのと、ひんやりとした声がシアンの背後から響くのは、ほぼ同時だった。恐るべし移動能力である。直後、シアンが鈍い悲鳴を上げた。
「ぎぇええええええ」
「おほほほほ! カエルが踏み潰されるような醜い声ですわね! どうなさいましたの? シアンさん?」
「足の甲がくだけ」
「それはそうと、シンさん」
シアンの呻き声を無視して、ネアは表情を改める。
「ソフィアさんは今日は一緒ではありませんの?」
「ソフィア? ううん、一緒じゃないよ。……今もここに泊まってるのかなぁ」
「や、2人と一緒に依頼に出た後、俺ここに来た時に宿帳見る機会あったんだけどさ、もうここには泊まってないみたいっすよ」
「……どういう機会ですの?」
「ははっ 青少年の秘密っす!」
「……後でじっくりと伺いましょう。まずはソフィアさんですわ」
バン、とネアが手に持っていたと思われる羊皮紙を2人が座るテーブルの上に勢いよく叩きつける。彼女が手を引くと、羊皮紙に描かれているものが2人の目に飛び込んできた。――胡散臭い目つきの痩せこけた男の人相書き。ソフィアを丸太小屋に攫った男だと気付き、シンが顔を顰める。
「ネアちゃん、こいつ……」
「脱走しました」
短くネアが言い放つ。ガタ、とシンが立ち上がり、そのまま外へ駆け出そうとするのをネアが押し留めた。
「逃げたのはつい先ほどです! それに、海に飛び込んでエイクバ行きの客船に乗り込んだのを目撃されています。現在、自警団の船がその客船を追っているところです」
「でも、捕まってないんでしょ?」
「そうですわね。ですから、一応念のため、ソフィアさんの安全を確保したかったんです」
「なら、やっぱり僕、捜してくるよ」
焦れたようにシンが言う。やれやれ、といった態でネアがため息をつき、ふと静かになっているシアンに目をやる。
「あら、どうしましたの? いやに静かですわね」
「……」
「シアンさん?」
「シアン?」
ネアとシンがほぼ同時に呼びかけると、彼はハッとして顔を上げた。
「ネアさん、こいつって」
「え? ああ、人身売買組織の残党ですわ」
「依頼で行った村の近くで、ソフィアに目をつけて攫おうとした男だよ」
「な……っ?!」
勢いよく立ち上がり、シアンは声を失った。その様子に、ますますネアとシンは首を捻る。
「どうかした?」
「いや、あの、シンさん……俺、帰ってからシンさんに相談したい事があるって言ってたじゃないっすか」
「ああ、うん」
唐突に思い掛けない事を言われ、シンは軽く面食らいながらも小さく頷き、先を促した。
「それって、ここの大通りでソフィアが変な男に連れ去られそうになってた事についてなんすけど」
「なに、それ」
冷ややかな声でシンが短く発した。春告鳥の翼亭の酒場のこの一角だけ一気に氷点下まで下がった様に感じられ、シアンは思わず身震いした。
だが、何故かネアは慣れた様子で「シアンさん、説明していただけます?」と続けた。
「あ、ああ。ネアさんとここで会う前、フードを目深に被った男がソフィアに絡んでたんすよ。何言ってるのかは分からなかったけど、なんか無理矢理どっかに引っ張ってかれそうな勢いだったから、思わず手が……いや、足が? 出ちまったけど」
言いながら立ったまま軽く片足を上げて見せる。
「あいつ――ソフィアに聞いても、心当たりも手がかりもないっていうし……でも、なんっか嫌な感じの男だったから、どうしたもんかと思ってシンさんに相談しようと思ってたんすけど……まさか、人身売買組織の残党だったとはな。……そいや、自警団呼んだっつったら、すっげー速さでいなくなったわ」
「つまり、それが人相書きのこの男と同一人物って事ですの?」
「ああ。ソフィアを連れてこうとした男に間違いねぇよ。俺、人の顔覚えるのは得意なんだ」
「なるほど……では、ソフィアさんは少なくとも、既にテアレムへ行く前に一度、この男と遭遇しているって事ですわね」
苦い顔をしてネアが息を吐いた。
「僕、やっぱりソフィアを捜してくる」
険しい表情を浮かべ、シンが出口へ足を向けた。そのタイミングでドアベルが小さく鳴り、ドアの隙間からひょこりと子供の様な背丈の人物が入ってきた。青銀の髪が酒場の灯かりを弾いて淡く光っている。
「ソフィア!」
3人が同時に声を上げたが、シンはそのまままっしぐらにソフィアに駆け寄った。その勢いに驚いてソフィアはドアの外へ身を引きかけるが、それより早くシンがドアを開け、ソフィアの両肩に手を置いて身を屈め、心配そうに顔を覗き込んだ。
「怪我は?! おかしなヤツに絡まれたりしてない?!」
「……唐突に何よ」
「いいから!」
「ないわよ」
シンの剣幕に押されながらも、子ども扱いされたと感じたのかソフィアはジト目で見上げた。元気そうな様子にあからさまに安堵してから、今度はお小言が始まる。
「こんな夜更けに1人で出歩くなんて危険だよ。出歩きたいなら僕に声を掛けてくれればいいのに」
「いや、それ、何か論理的に矛盾があるでしょ」
「どうして?」
「どうして、って……あなたを呼びに行くまでの間に、1人で出歩くことになるじゃない」
「ああ、そうだね。じゃあ、やっぱり孤児院に一緒に住み込みしようよ」
「……」
駄目だ、話しが通じない。と顔に浮かべてソフィアは頭痛を堪えるように片手を頭に当てて俯いた。そのまま店内へ目を向けると、ようやくネアとシアンに気付いた。だが、2人は何やらシンとソフィアを見ながらコソコソと会話している。
「すげーな、相変わらず。シンさんの父性、爆発じゃね?」
「違いますわよ」
「つっても、俺あんなシンさん見た事無い」
「シアンさん……だから貴方って女性にモテる割には恋人が出来ないんですわよ」
「はぁ? なんでそーなるんだよ。今の会話にそれ関係あります?」
「あるから言ってるんですわよ……はー、鈍い男は魅力半減どころか9割減ですわねぇ」
「ほとんどなくなってる?!」
シアンが驚愕したところで、ソフィアが2人に近付いてきたため会話が中断された。その後ろにはシンが続いている。どうやらシンの斜め上の返答に会話が成り立たないと判断し、早々に切り上げてきたらしい。
「こんばんは、ソフィアさん。熱烈歓迎を受けてらしたわねぇ」
「……シンはここの店員じゃないのに、おかしな話しだわ」
ネアの揶揄を含んだ言葉の意味が全く分からず、訝しげにソフィアは返す。心底不思議そうな彼女の様子に、ネアは「あらあら」と小さく苦笑した。「それよりも」とソフィアは続けた。
「宿を変えたから、一応知らせておこうと思って」
「ああ、依頼料が出た際の届け先ですわね。ありがとうございます。助かりますわ」
「いえ……その、それ……は、こっち が……ええと……」
困惑した様にぎこちなく返すソフィアに、ネアは柔らかく目を細めた。
「ソフィアの宿? 僕にも教えて!」
「あ、じゃあ俺もー」
「え、どうしてシアンが?」
「シンさん、俺にだけ厳しくないっすか?!」
「そう?」
――結局、何故か3人にソフィアは現在の宿を知らせることになった。この宿より西方向でギリギリ南区の“橙黄石の鏃亭”である。普通に泊まれば春告鳥の翼亭より高くなってしまうが、物置部屋をリフォームした小さな部屋があり、そこを借りる事が出来たため、金銭的には春告鳥の翼亭より抑える事ができた。通常の個室の半分程の床面積に加え、屋根の傾斜がそのまま天井に出ており、シンやネアでは頭をぶつけてしまう様な天井の高さになっていた。そして元物置という事もあって、窓が無い。
だが、ソフィアの背丈には丁度良い天井の高さだし、窓が無くても特に苦にはならなかった。雨風が防げる上、壁からの隙間風も無い。ソフィアにとっては十分快適な部屋なのだ。ただ、3人……特にシンなどが知ったら大変な事になりそうだ、と薄々想像がついたため、部屋までは詳しく伝えなかった。宿の主人に伝言なり、預けるなりしてくれれば問題ない、と最後まで(主にシンの)追求を振り切った。
こうして、ソフィアの最初の依頼は幕を閉じたのだった。
――一抹の不安を残して。
少し遅くなりましたが、冒険終了!
次は町ターンが続く予定です(^^)