15.急転
クナート東の村、テアレムの村長から得た情報で新たな事実が判明した。テアレム近辺には元々は中級妖魔が頻繁に出没していたという事だ。
しかし、しばらく前から突然、低級妖魔が出没するようになり、その反面、中級妖魔は姿を消したのだと言う。
低級妖魔の根城とこの村の間に中級妖魔の根城があるという事実も手伝って、村長含め村の人々は「低級妖魔が出る=中級妖魔がいなくなった」と判断。春告鳥の翼亭に妖魔退治――“低級妖魔退治”の依頼を出したのだと言う。且つ、村の人々は“何故急に中級妖魔が姿を消したのか”という点は特に気にも留めておらず、謎のままとなっていた。
そんな中で、ネアが春告鳥の翼亭で妖魔退治の依頼を請けてテアレムへとやって来た事になる。
ここで本来なら低級妖魔退治で終了するはずだったが、思いがけず中級妖魔が出没し、村人、そしてソフィアが襲われる事態が発生した。
村長は新たに一連の謎解明を3人に依頼し、彼らは受諾したのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「さて、どうしようか」
厳つい全身鎧を身に纏ったシンが、ネア、ソフィアと順に見て微笑むと小首を傾げて問うた。
「そうですわね……やはり、ここはもう、森に乗り込んでしまいましょう」
キッパリと、同じく全身鎧姿のネアが宣言する。その言葉にシンは破顔一笑して「だよね」と返すが、ソフィアは思わず頬の筋肉を引き攣らせた。
「ちょ、ちょっと……先にもっと情報を集めたりしなくていいの?」
「村長さんから十分頂きましたし、正直わたくし、考えているより身体を動かす方が得意ですの!」
「いやいやいや!!」
踏ん反り返って堂々と答えるネアに思わず突っ込んでから、口添えを求めてシンの方を軽く睨む。が、シンも似た様なものだった。
「うんうん、僕もネアちゃんに概ね賛成。森まではともかく、まずは昨日、中級妖魔と戦った現場の調査してから、必要に応じて情報収集で良いんじゃないかな。考えていても始まらないし」
「……そんなで良いの?」
更にシンに突っ込みを入れてから、ソフィアは頭痛を堪えるように頭を片手で押さえた。その様子にシンは柔らかく微笑んだ。
「大丈夫だよ。慎重になるのも大事だけど、中級妖魔なら僕とネアちゃんで引き受けられるから。あ、もちろん戦闘になったらソフィアはちゃんと隠れていてね?」
暗に囮など不要、と念を押しているのだろうシンの言葉に、ソフィアはむっとして反論しようと口を開いた。
「足手纏いになるつもりは無いからその辺りはきちんと気を配るけど! そういう事を言ってるんじゃな……」
「まぁまぁ、ここで話しをしていても進みませんわ! さ、行きましょう!」
ソフィアの反論に被せるように、絶妙なタイミングでネアが言い、高く槍を掲げると他者が止める間もなく颯爽と村長の家から出て行ってしまった。
開け放たれた入り口の扉から「おーっほっほっほ!」と高笑いが聞こえてくるが、彼女が離れていくにつれてか徐々に小さくなっていった。
「ネアちゃんも暴れ足りないみたいだし?」
クスリと笑ってから、シンもネアの後に続いて外に出て行く。
苦い顔でシンとネアを見送ってから、ソフィアは嘆息した。それから、不安を振り払うように小さく首を横に振ると、ネアとシンの後を追い始めた。
村長の家を出ると、ネアとシンは昨日ソフィアが襲われた畑の方角へ向かっており、既に大分先を歩いている。かなり早い。慌ててソフィアは彼らの後を追って小走りになった。
2人に追いつく頃には、昨日の戦闘があった地点に到着していた。
ネアがボコボコにした中級妖魔達の遺骸は既に片付けられており、地面に体液と思わしき色のついた染みが数十箇所あるのみだった。
それでも現場を覆う空気や僅かに残る臭いが昨日の中級妖魔を思い起こさせ、ソフィアは小さく顔を顰めた。
「ソフィア、大丈夫?」
心配そうな声が掛かる。だが素直に「怖い」と口に出せるはずも無く、ソフィアはつっけんどんに「平気よ」と短く返した。それから、シンの追求を避けるように、ネアに向かって声を掛ける。
「それで、ここで何を調べるの?」
長槍を片手に辺りの地面を調べていたネアは、顔を上げてソフィアを見てから、満足そうに妖艶さを含んで微笑みを浮かべ、地面を整った指先で指し示した。
つられるようにその指先を追って地面を注視すると、そこかしこに不自然な窪みが点在していた。訝しげに小首を傾げてソフィアは地面からネアの顔に視線を戻した。
「?」
「うふふ、これは中級妖魔の足跡ですわ」
「……え。まさかと思うけど」
「ええ。つまりこれを辿れば、中級妖魔の根城に辿り着ける可能性大という事ですわよね!」
キラキラと目を輝かせて、ネアが物騒な事を言い放つ。思わず、目が点のまま一瞬固まったソフィアは、次いで慌ててシンを見た。
「ちょっと……! 森までは行かないつもりだったんじゃないの?」
「うん、僕はそのつもりだったんだけど。あはは、ネアちゃん、生き生きとしてるね!」
「笑い事じゃないでしょ!?」
「まぁ、今僕達は3人だし、この辺りまで中級妖魔が出るって分かってるから、ここで別行動は避けたいよね。僕とネアちゃんで周囲の警戒をしながら進むから、ソフィアは僕達の間にいるといいよ」
「だからっ そういう問題じゃないでしょ?!」
「ほらほら、お2人とも! 行きますわよ!」
「えっ ちょっ ま、待ちなさいよ! ネア?!」
ぎょっとしてネアの方を見やるが、時既に遅し。ネアは長槍で藪を掻き分けながら、さっさと歩を進め始めている。
思わずジト目で再びシンを見る。
「シン……」
「うーん、まぁ、こうなっちゃうとね。あはは」
「あはは、じゃない!」
噛み付くように抗議するが、シンは笑いながらヒラリと避けてネアの後を追って歩き出した。
2人から離れる訳にも行かず、ソフィアも渋々と後を追い始める。
村長の家での事といい、今の事といい、どうもネアは猪突猛進の気がある様だ。とはいえ、恐らく間違いなくネアはソフィアより年上の為、さすがに諌める事も出来ない。
困惑と不安を隠そうと、自然と仏頂面になりながらソフィアは恨めしそうに2人を見やった。
随分先を歩くネアは「いつでも掛かって来い」と言わんばかりに喜々として長槍を手に、軽い足取りで先陣を切っている。
その後ろを歩くシンは、これまた思いっきり楽しそうに、辺りをキョロキョロと見回しながらにこにこと笑顔でネアに続いている。
恐らく、実力があるからこその余裕なのだろうが、それでもソフィアの気は晴れなかった。
(油断大敵って言葉を聞いた事があるし)
何度目かのため息を小さくつく。
ネアとシンは強い。それは間違いない。昨日も目の当たりにはしている。
だが、敵が低級妖魔や中級妖魔だけだと、誰が決めたのか――違う妖魔が出てもおかしくないのではないか。
もしかしたら自分がネガティブ思考なだけなのかもしれない、と思いつつも、ソフィアはネアやシンの様に気楽に構える事は出来なかった。
重い足取りで2人の後を追っていたソフィアだったが、何とはなしに右方向にチラリと目をやった。そこで不意に足を止める。
「……?」
何かは分からないが違和感があり、眉を顰める。しばし逡巡した後、前を歩くシンに声を掛けようとしたその時――
「あら、あそこをご覧になって!」
ネアが声をあげながら一方向を指し示した。え、と思わずネアの指し示す方角を見た途端、先ほどの違和感からソフィアの意識は逸れてしまった。
ネアの指先を追っていくと崩れかかった土壁に囲まれた洞穴があった。恐れもせずネアとシンはずんずんと近寄り、洞穴の中を探索し始める。
「あ、野菜屑や動物の死骸があるね」
「ええ、それとあちらの壁には剣や盾も。ただ、錆びてますからこの剣で戦うには斬るというより鈍器の代用といった方法を取るしかなさそうですわね」
「ちょ、ちょっと……」
「そうだね。んー、ここまで錆びてると価値も無いかな。鍛冶屋に持って行けば溶かして鋳造出来るかもしれないけど」
「持ち帰るのも手間ですわ。後でテアレムの村長さんに報告しましょう」
「そうだね」
「ちょっと!」
「あら、どうしましたの?」
「ソフィア、何かあった?」
妙にシンクロしたきょとんとした顔で、シンとネアが洞穴の中からソフィアの方を見る。2人の顔を交互に見返しつつ、ソフィアは頬を引き攣らせた。
「ちょっと……もしかしてここって……」
「うん。多分、中級妖魔の根城だと思うよ」
事も無げにシンが微笑んで答える。続けてネアがころころと笑いながら言った。
「大丈夫ですわよ。この辺りに中級妖魔はいませんわ。わたくしもシンさんも、近くに妖魔がいれば気配で分かりますもの」
「け、気配?」
「うん。ここに来るまでも、周囲を警戒してみたけど特に目立った気配は無かったよ。中級妖魔に関しては昨日倒したやつらだけだったのかもしれないね。……まぁ、まだ警戒を解く事は出来ないけど」
そこで、唐突にここに来るまでの道での2人の行動がソフィアの脳裏に蘇る。
長槍を手にしたまま先頭を歩いていたネア。辺りをキョロキョロを見回しながら歩いていたシン。
あれは、中級妖魔との戦闘を期待して、わくわくと心躍らせたピクニック気分のおのぼりさん――と、そこまでは思っていなかったが、少なくとも楽天的な行動とは思っていたーーではなく、熟練冒険者として周囲を警戒しながら、且つ、ソフィアにいらぬ不安を抱かせないように配慮してとっていた行動だったという事だ。
(だったら最初からそう言ってもらった方が、不安にならなかったわよ! 全く!)
思わず心の中で盛大に突っ込みながら、ソフィアは口をへの字に曲げて顔を顰めた。それに気付いたシンとネアは、顔を見合わせてから破顔一笑した。
「あまり脅かすのも良くないかなって思ってね」
「おほほ、ソフィアさんを子ども扱いした訳ではなくってよ。年長者としての矜持ですわ」
「ソフィア、もうちょっと待っててね。ネアちゃん、この洞穴、それほど深くないから一応全部チェックしてしまおう」
「分かりましたわ」
むすっとしたままソフィアも洞穴の入り口に近付く。
中からはすえた臭いが漂ってくる。思わずうっと小さく声を上げるが、シンとネアは慣れたものでテキパキと中をチェックし始めた。
(すごい……これが熟練冒険者の慣れってヤツなのかしら)
シンは暗いところでもある程度目が利くのか、次々と暗がりの中から武器や防具、盗品と思われる装身具を見付けては鑑定し、高価と思われるものだけ選りすぐって袋に入れている。
ネアは見た目はスラリとしている割に力持ちの様で、乱雑に置かれた木箱や樽、家具をひょいひょいと持ち上げては何か不審な点が無いか捜索している。
シンの言った通り、「ちょっと」の間に洞穴の調査は完了し、2人は洞穴から出てきた。
「洞穴の規模からすると、もう少し中級妖魔がいても良さそうなものだけど、いないみたいだね」
「そうですわね。どこか他に出ているのか、またはわたくし達がテアレムで仲間を倒した事に勘付いて根城を移動したか……ですわね」
「うん。それと、思ったよりも装身具があったね。村の人達から盗られたものかもしれないから、後で村長さんに渡そう」
「え、中級妖魔って装身具に興味あるの?」
驚いて思わず尋ねると、シンは笑って頷いた。
「興味……っていうか、装身具に関わらず、貴金属や宝石類は好きなんじゃないかな。価値の高い低いはあんまり考えてないみたいだけど」
「知能としては、低級妖魔よりは高いとしても、他と比べたら結局大差ありませんものね」
「そうだね、それは確かに」
そのまま、シンとネアは情報交換を始めた。初めて聞く情報ばかりで、思わずソフィアは大人しく2人の会話に耳を傾けていた。
――が、次の瞬間、唐突に背筋に電撃の様に戦慄が走った。だが、形容しがたいその感覚に言葉が出ない。咄嗟に周囲を見回したとたん、強烈な視線を感じて身を竦ませた。
「――!!」
ソフィアが息を飲んだと同時に、3人が来た方角とは逆の方角、鬱蒼とした木々の間から輝く何かが彼らに向かって飛来した。が、ネアの長槍が飛んできたものを叩き落す。地面に落ちたのは真っ二つに篦を折られた矢だった。それと同時にシンがソフィアを庇うように前に立ち、右手に棍棒を構えながら
「ソフィア! 怪我は!?」
肩越しに振り返って低く声を飛ばす。慌てて「無い」と返答すると、僅かに強張っていたシンの表情が和らいだ。
「不意打ちとは卑怯なり! 隠れてないで出ていらしたら?! いくらでもお相手しますわよ!」
妖魔に卑怯も何も、と思わず突っ込みそうになるが、どうもネアは冗談を言っている様子ではない。その証拠に、彼女の赤みを帯びた茶色い瞳が怒りに燃えている。
同様にシンも不穏な空気を隠そうとせず、普段からは想像もつかぬ鋭い声を発した。
「出てこないならこちらから行くよ。――“智慧神ティラーダよ、その叡智を冒涜せしめんとする愚かなる者どもへ 我が手に宿り鉄槌を放て!”」
言うが否や、シンは棍棒を持たない左手を、矢が飛んできた方角へ振り払った。その手の先から湾曲した白い光が放たれ、猛烈な勢いで飛んでいく。
その光が木々の間に吸い込まれた直後、「うぎゃ!」と鈍い悲鳴が上がった。今のは……――明らかに“人間の声”だった。思わずソフィアは目を瞠った。
「シンさん」
「5人だね」
「ええ」
身構えたまま短くネアとシンは言葉を交わす。次の瞬間、細い電撃が木々の間からこちらへ向かって放たれた。
「ネアちゃん!」
「雷撃の呪文ですわね! 忌々しい事!」
電撃はネアに掠ったが、大したダメージは受けなかったようだ。
彼女は素早く長槍を地面に落とすと、腰に佩いていた予備の片手剣を構えた。
それから、林の奥を底光りする目で見据えると、ドスの効いた声で悪役のようなセリフを吐いた。
「いい根性ですわね。――後悔させてあげますわよ」
自分に言われたわけではないのに、思わずソフィアまで顔色を失ってしまった。
「ソフィア! 一旦、洞穴の方に戻って」
シンが振り向きざまにソフィアに素早く指示する。混戦が予想され、更にあちら側にはどうやら魔法使いもいる様子。シンはこのままソフィアを庇いながら戦う事も考えたが、巻き込む危険の方が高いと判断した。
言われるがままに、ソフィアは洞穴近くまで後退した。それを視界の端で確認したネアとシンは、お互い視線を合わせて頷き合うと一気に林に向かって突撃をかけた。
金属のぶつかる激しい音や悲鳴、怒号が飛び交う。時折、薄暗い林にチカチカと光も瞬くのは魔法だろうか。
ソフィアからは見えないが、熾烈な戦いが繰り広げられているのは、想像に難くない。無意識に両手を握り締めて、息を詰めて林を見続ける。
(何で人間が……? 他の冒険者がいたって事? でも何であたし達に不意打ちなんか……――)
青を通り越して白い顔色のまま、ソフィアはへたり込みそうになる足に力を込めて堪えた。
だがその時、唐突に首の後ろに鋭い衝撃があった。あ、と小さく声を上げたが、その声を自覚する前にソフィアは意識を失った。くずおれるソフィアを、いつの間にか彼女の背後に立っていた男が受け止めた。男は黒い覆面で顔も覆っているが、露出している目は満足げに歪んでいる。
そこへ、丁度良く戦闘を終えたネアとシンが林から出てきた。その2人の目に飛び込んできたのは、ぐったりとしたソフィアを担ぎ上げようとしている不審な男だった。
「何をしてますの!?」
ネアが驚愕して鋭く叫び、次いで、シンが激高した声を上げた。
「貴様ぁ!!」
普段の温厚さが微塵も感じられない怒気を帯びた形相で、シンは棍棒を振りかぶって突進する。ぶつかるのは危険と判断したのか、素早くソフィアを担ぎ上げると、黒ずくめの男は踵を返して走り出した。
「待て!!」
完全に冷静さを欠いているのか、シンは脇目も振らずに後を追う。
だが、男が木々の間へソフィアを連れ込んだ後を追った瞬間、異様な眠気がシンを襲った。
「!!?」
しまった、と思った時には既に遅かった。魔法使いの繰る呪文の一つ、眠りの魔法だ。
強烈な睡魔に膝を折る。地面に両手をついて懸命に瞼をこじ開けようとするが、吐き気がするほど眠い。ソフィア、と声に出そうとするも上手く行かない。抵抗するようにシンは歯を食いしばった。
霞んだ視界の中でソフィアの銀の髪が小さくなって行くのが見えた気がした。
「シンさん!!」
追いついたネアが駆け寄ってくる。ハッとしてシンはネアの手から片手剣を奪うと、彼女が止める間もなく自らの左腕に突き刺した。
「ッ……!!」
強烈な痛みが全身を巡って、シンの意識は覚醒した。
「無茶をしますわ!!」
ネアが慌ててシンの手から剣を奪い返して顔を顰める。だがシンは「大した傷じゃないよ」と告げると、ネアに一瞥もくれずにすぐに駆け出した。一拍も置かずにネアも続く。
前を向いて走りながら、並んで走るネアにシンは詫びた。
「ごめん、お小言は後で聞くから!」
「ええ、まずはこちらを優先、ですわ!」
ネアとしても、目の前で年少者を拉致されるなど彼女自身が許容出来るものではなかった。
だが、ふとネアはその美しく整えた柳眉を顰めた。
ソフィアを攫った男や、中級妖魔の根城と思われる洞穴近くで襲ってきた男達は、一体何者なのか。
いつの間にか、妖魔退治ではなく、何らかの謀略に巻き込まれている予感がして、苦々しく思う。
それでも、まずはソフィアを助けなくては、と心の中で呟き、ネアは片手剣を握る手に力を込めた。
テアレム編(?)、かーらーのー 謀略編(?)です。
次回、鬼保護者の反撃(か?)!