16.熱
戦神神殿に戻ったマリアベルとウィリバルトは、各々鍛錬を再開した。
基本の型を繰り返し練習しているマリアベルとは異なり、ウィリバルトは基本は既に出来上がっている。午前中に彼の素振りを見て気付いたのか、何人かが彼に手合わせを申し出ていた。
その様子が目に入ったマリアベルは、午前中に彼に手合わせを断られていた事を否が応にも思い出されてしまい、心が僅かにささくれ立った。しかし、すぐにその理由が“嫉妬”である事に気付き、自身の狭量さを恥じた。
「うぅぅ……駄目だ駄目だ。集中、集中! 私だって、頑張って、認めてもらうぞ、絶対!」
無意識で己を窘める言葉をブツブツと呟きながら、マリアベルは剣を振るう手に力を込めた。
――3時間ほど経った頃、マリアベルは深く息を吸ってゆっくりと吐き出しながら、鍛錬用の剣の構えを解いた。そろそろ、アフタヌーンティーの時刻だ。
もちろん、それはティタンブルグ家にいた頃の彼女の日課であって、今は関係ない。とはいえ、身体が時間を覚えているのは事実だ。せっかく身体に染み付いている時間感覚を放っておくのも勿体ない。
そんな理由から、マリアベルは時折、これを次のスケジュール――町の巡回へ向かう時間の目安として利用していた。
ウィリバルトに声を掛けようと振り返ると、ちょうど彼は手合わせの相手に礼を述べて剣を収めていたところだった。何という絶妙なタイミング! とばかりに弾む足取りで彼の方へ駆け寄った。
「ウィリバルト様! お疲れ様です!」
すると、何故か彼は僅かに間を置いてから苦笑した。彼の前まで来たマリアベルは、訝し気に首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、何も」
スルリと平素の表情に戻って受け流すと、ウィリバルトは質問を返した。
「ベル嬢こそ、どうかしましたか?」
「え? あ、ええとですね、私はたまに、このくらいの時間から町の巡回を行っているんです。今日もそうしようと思うのですが、ウィリバルト様もいかがですか?」
「ああ、なるほど」
納得したのか、彼は直ぐに頷いた。
「それでは、私もご一緒しましょう」
* * * * * * * * * * * * * * *
港町クナートは、町の中心を十字に交わる様に路が走っている。
戦神神殿もある北には港が、反対側の南は豊穣神殿と畑、墓地、簡素な南門があり、その先には森が広がる。
西には大きな川を渡った先に智慧神殿、その向こうに西門。
東は所謂“貴族区”と呼ばれ、その名の通り大きなお屋敷がいくつも建っている。そこを先に行くと、クナートの東門だ。
南門は今朝春告鳥の翼亭で話題に上がった通り、封鎖されている。そして、北は海。巡回に向かうとしたら、必然的に東か西のどちらかになる。
「今日はどちらに向かうべきか」
神殿を出て中央広場までやって来たマリアベルは、至極真面目な顔で考え込んだ。隣に立つウィリバルトは少し思案した後に口を開いた。
「東門はいかがでしょう」
「東ですか? 何故です?」
「西よりは治安が安定していそうですからです」
「それじゃ巡回の意味が無いじゃないですか!」
しれっと返答するウィリバルトに、マリアベルは頬を膨らませた。幼い彼女の反応に呆れたのか、彼は軽く肩を竦めた。
「言っておきますが、“治安”というのは妖魔相手の話しではありませんよ」
「え?」
まるで分かっていなかったのか、マリアベルはきょとんとして聞き返した。
「私が言いたいのは、あくまでも人間相手です。東区に住む人々は己の邸宅の敷地内に複数の護衛を置いていますし、至高神神殿の神官戦士や騎士団が路地の巡回を行っています。つまり、日陰者が隠れるには分の悪い地区と見て間違いありません」
言いながら、ウィリバルトは東の方角を見やった。
「ですが、東門の外に関しては守りは厚くはないでしょう。また、大きな街道にもつながっています。妖魔が出た場合、町の内外の人々の為にも、出来る限り早急に対処が必要な、重要な地点だと思います。巡回すべき必要があると思いますがいかがでしょうか」
淡々と語られる言葉は、反論が出来ないほど理路整然としている。否、そもそも、ウィリバルトは地頭が良いのだろう。加えてマリアベルより8つも年長だ。その分人生経験や知識も多いのは当然のことだった。
――つまり、勝てるはずが無い。
結果、マリアベルは考え込むまでもなく彼の意見に同意し、共に東門へと向かうこととなった。
* * * * * * * * * * * * * * *
貴族たちが多く住む東区を抜けた先には、至高神神官戦士や騎士団の詰め所がある。そこから更に道を進むと、高い塀と大きな門がある。
マリアベルは、以前シアンたちと共に中級妖魔退治の依頼を請け、東の村テアレムへ行った際に、この門をくぐった事がある。
東門へと向かう道すがら、なんとはなしにマリアベルはウィリバルトにその事を話した。
「――それが私にとって冒険者としての初仕事だったのですが、あの時は本当に、己の力不足を痛感しました」
「力不足もあるかもしれませんが――貴女は大剣を得物にして戦うため、どうしても動きが大きくなります」
「うぐっ ま、まぁ、それは……そう、ですが」
「それから、得物が重量がある分、当然応戦速度が落ちます」
「うぅ」
「更に、咄嗟に大剣を構え直すのは、いくら鍛えていようと難しいかと」
「仰る通りです」
ぐうの音も出ず、マリアベルは小さくなって項垂れた。……それから、ハタとして慌てて勢いよく顔を上げた。
「ウィリバルト様」
「なんでしょう」
「何故そこまでご存じなのです?」
「そこまで、とは?」
涼しい顔のまま、ウィリバルトは視線をマリアベルへ向けた。思わずたじろぎつつも、彼女は声を上げた。
「いえ、ですから……! 詳し過ぎません?!」
「何がでしょう」
「私の獲物が大剣だった事や、応戦速度が落ちるとか、咄嗟に構え直すのは難しいとか!」
「それはそうでしょう」
「え?」
顔色ひとつ変えずに、ウィリバルトは答えた。
「その頃には私も、この町に到着していましたから」
「……? え?」
ぽかんとしているマリアベルを見て、彼はやや呆れたように少し考えてから、「もう少し分かりやすく言いますと」と前置きをして改めて口を開いた。
「石を投げたのは私です」
「……ん? え? ……石? 石とは?」
「中級妖魔の左目に、上手く命中して良かったです」
「はい?」
「中級妖魔の左目に」
「い、いえ、それは分かり……え?!」
仰天してマリアベルはその場に立ち止まった。
――“中級妖魔の左目”
途端に、テアレムの村の近くで中級妖魔と戦った光景がマリアベルの脳裏に蘇った。
あの時、あの戦いの最中、何故か中級妖魔の重心が右に傾いた。そのおかげで、マリアベルは怪我を負う事も無く倒すことが出来た。
そして、倒した中級妖魔を見た時、――何故か左目が潰れていた。
「え……え、ええぇ?!」
目を皿のようにしてウィリバルトの顔を凝視する。対する彼は、僅かに苦笑して小首を傾げた。
「お分かり頂けたでしょうか」
「おわっ か、って、ええ……えぇえぇぇ だったら、何故我々がクナートからテアレムに出発する前に声を掛けて下さらなかったのですか?! 一緒に行けば良かったではありませんか!」
「私は冒険者ではありません」
「うぐぅ」
キッパリと告げられた尤もな言葉に、マリアベルは反論出来ずに小さく唸った。気にした様子もなく、ウィリバルトは話を続けた。
「それに、そもそも貴女の前に姿を現すつもりもありませんでした」
「え、けど、星祭の日……」
「あれは、貴女を守るためには、不本意ながら姿を現さざるを得なかっただけです」
いつの間にか到着した東門を前に、彼は足を止めてマリアベルの方へ半身を向けた。
「それがなければ、今頃こうして肩を並べて歩くことも無かったでしょうね」
「何ですかそれは!」
淡々と語られたウィリバルトの言葉に、マリアベルは何故か無性に腹が立った。
「私はそんなの嫌ですよ! 気付きもせずに、のうのうと一方的に守られるだけだなんて!」
「そうでしょうね」
「何と言っても、絶対にお断り……え?」
簡単に肯定の言葉が返ってきて、マリアベルは拍子抜けして間抜けな声を上げた。
「貴女と直接話をして、それは分かりました。ですから、今、お話しました」
言いながら、彼はゆっくりと歩き出した。遅れないように、マリアベルも続いた。
東門から一歩外に出ると、未だ夏の暑さの残る風が、2人に草の匂いを運んできた。目を細めてウィリバルトは町の外を見渡した。
ここ数日は天気も良く、街道の土は乾いていた。道の両側には少し離れた先まで一定間隔に、葉を青々と茂らせた広葉樹が植わっている。その下には青々とした夏草。ところどころ、目を引く小さな黄色い花――ホークウィードだろうか――が咲いていた。見渡す範囲に人影はない。今日は珍しく、東門に来る冒険者はいなかったようだ。
道の向こうに目線を向けたまま、ウィリバルトは再び口を開いた。
「貴女は、直情径行で、猪突猛進で、単純明快で」
「……ウィリバルト様、それ、褒めてませんよね?」
「誉めてますよ。おしなべて、貴族とは思えない程の純真無垢さに、日々驚かされてばかりです」
「やっぱり褒めてませんよね?!」
「いいえ」
「ですが、考えなしで短絡的という事ではないですか」
「そうですね。ただ、私はそれでいいと思っています」
声にぬくもりを感じて、マリアベルは思わすしげしげと彼の横顔を見上げた。
小柄なマリアベルと比べて、頭二つ近く高い位置にある彼の顔は、夜会で人気があるという噂の通り整っており、残暑の中でも涼しい顔のままだ。自分など既に汗だくだというのに、理不尽だなぁ――などと、明後日の方へマリアベルの思考が逸れ始めた時、
「私は、そんな貴女を好ましいと思っています」
特に表情も変えずに放たれたウィリバルトの言葉に、マリアベルは一瞬何を言われたのか分からず、彼が己の知らない国の言葉でも話し始めたのかと本気で思った。
それから、頭が理解するのと同時に、じわじわと顔に熱が集まり始めた。ばくばくと心臓が煩く音を立て、頭の中が真っ白になってしまい、何故か無性に逃げ出したくて堪らなくなった。しかし、そういう訳にもいかない。共に東門を巡回しよう、と誘ったのはマリアベル自身なのだ。何とかスマートに、且つ違和感のない言葉を返さなくては。
「こ、こっ、どっ、~~っな、ちょ、」
「どうしました?」
おかしな声を上げておろおろとするマリアベルに気付き、訝し気に視線を戻したウィリバルトは――熟れたトマトのような真っ赤な顔で、口をぱくぱくとしている彼女を見て、ぎょっとした。
「ちょっと失礼!」
短く言うと、彼は素早く右手をマリアベルの額へ、そのまま下に降ろして彼女の首筋に手を充てた。その行動が、更にマリアベルを混乱に陥らせた。心臓が跳ねまわり、頭がくらくらとする。
「少し体に熱がこもっているようです。暑気中りかもしれませんね」
彼は整った柳眉を寄せて言うが否や、素早くマリアベルを抱き上げた。
「うわぁぁあおおお下ろ、下ろし」
「少し大人しくして下さい!」
ピシャリと言われて、マリアベルは口を噤んだ。ウィリバルトは近くの木陰に彼女を下ろすと、「少し待っていて下さい」と言い残し、彼女が返事をする前に東門の中へと走り去っていった。
その姿をぼんやりとした頭で見送ってから、マリアベルは自身の左胸に手を当てて呟いた。
「……“暑気中り”……」
まだ鼓動は忙しないままだ。彼の大きな手に触れられた額も首筋も、熱い。彼の手は冷たく感じたのに、おかしなことだ。だが、これがそうなのか、とマリアベルはまわらない頭で結論付け、片手を己の額に当てた。――やはり、熱い。
「……そうか。これが、暑気中りというものか」
それから少し経つと、珍しく焦ったようなウィリバルトが濡らした手布と飲み水を持って戻ってきたのだが、残念ながらその光景はマリアベルの記憶には残らなかった。
それからしばらく、ウィリバルトが手布を濡らすために町中――どうやら東区にある自身の宿の井戸を借りた模様――何往復かしてくれたため、日が傾く頃にはマリアベルの調子は良くなった。
「すみません……申し訳ない……」
「もう謝罪は結構ですよ」
「いえ、ですが……本当に、お恥ずかしい」
「暑気中りになる事は、そこまで恥じ入る事ではありません」
「自己管理がなってないというか」
「それはそうですね」
「うぐっ ……すみません……面目ないです、本当に、何と言ったら」
「ですから、もう謝罪は結構ですよ」
「しかし、本当に、もう、申し訳なくて……」
春告鳥の翼亭へ向かう道すがら、マリアベルとウィリバルトの間では、ほぼ同じような会話が繰り返されていた。まだ足元が覚束ないため、マリアベルはウィリバルトの左腕を借りて歩いている。それがまた、申し訳なさを増加させている。
しょんぼりと肩を落として歩く彼女をそっと見やり、ウィリバルトは思わず苦笑した。
体調を崩したくて崩す者はいない。則ち、今日の出来事は迷惑や厄介と感じるような事ではないと、彼は本心から思っている。
更に言えば、どちらかというと、自分がいた時で良かったとさえ思っている。これがたまたまマリアベルが1人の時――否、ウィリバルトの与り知らない彼女の知人や、はたまた通りすがりの見知らぬ者が居合わせたと考えると、到底許容できない。彼にとって彼女は、過去も現在も変わらず“婚約者”なのだ。
そして、それとは別に、彼が過去に立てた誓いにも反する。
左腕に添えられた、大剣を振り回して戦うとは思えない程に白く細い彼女の手を見て、ウィリバルトはそっと息を吐いた。
「あまり言うようでしたら、ここから春告鳥の翼亭まで、貴女を抱えて行きますが、そちらの方が宜しいでしょうか」
「歩けますので結構です!!」
* * * * * * * * * * * * * * *
春告鳥の翼亭の扉をウィリバルトが開きマリアベルが中に入ると、店内にいた顔見知りが声を掛けてきた。
「ごきげんよう、ベルさん」
「おっす、ベル!」
艶やかな微笑みに、きっちりと切りそろえられたつやめく紅桃色の髪――ネアが4人掛けの席に座っていた。同じテーブルには、マリアベルの冒険者の先輩であるシアンも座っている。
「ネア殿、シアン先輩、こんにちは」
テーブル近くまで歩み寄り、挨拶を返す。後ろからウィリバルトもついてきた気配がする。気付いたネアが、赤みを帯びた茶色の瞳をぱちくりとさせた。
「あら? ベルさん、そちらの方は?」
「えっ あ、はい、あー、ええと、その、」
どう紹介したものかまとまらずマリアベルが口ごもっていると、一歩前に進み出たウィリバルトが丁寧に礼をとった。
「お初にお目にかかります。ウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイムと申します。ベル嬢とは旧知の仲で、現在は共に鍛錬をさせて頂いています。しばらくこの町に滞在予定ですので、お見知りおきいただけますと幸いです」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。わたくしはフィリネア・セントグレアと申します。ネアとお呼び下さいませ」
立ち上がって礼を返しつつ、ネアはにっこりと微笑んだ。ウィリバルトも微笑み返す。
「ネア嬢、でよろしいでしょうか?」
「あら、わたくしは今は一回の冒険者ですから、嬢は不要ですわ」
「では、ネア様と」
「様も結構です。わたくしはウィリバルトさん、と呼ばせて頂きますわね」
クスクスと笑いながら、ネアは椅子に座り直した。ウィリバルトの方は、少し困ったように微笑んでから「では、ネアさん、とお呼びします」と返した。それを見て、更にネアはコロコロと楽しそうに笑った。成熟した大人の女性、といった感じの彼女の前では、年齢の割には落ち着いているウィリバルトが年相応に見える。それに、何だかお似合いにも見える。――少なくとも、マリアベルから見たら。
ウィリバルトとネアのやり取りを、座ったまま面白そうに見ていたシアンが、ふとマリアベルの方へ目をやって、にんまりと笑った。
「おっ、何だよベル、不貞腐れて」
「不貞腐れてなどいません!」
――不貞腐れてはいないが、何だか胸がもやもやとする。暑気中りのせいかもしれない。そうだ、きっとそうに決まっている――マリアベルが、着ているワンピースの胸元の布地を無意識に握りしめたその時、唐突に店内に朗々と歌うような美声が響き渡った。
「夏の果てへと向かう、力強い風に吹かれた乙女の心とは、嗚呼、かくも繊細で美しく、儚いものなのだろうか……! だからこそ、その尊さで星のように光り輝くのであろう! さぁ、貴石のような君の名を、どうか僕に聞かせてはくれまいか!」
高価な鈴を鳴らしたような、美しい響きを持つ男の声。――だが、言葉の内容は安っぽく胡散臭い――そんな印象を抱いたマリアベルの目の前に、背の高い影がにゅっと飛び出してきた。
「うわっ」
思わずぎょっとして後ずさると同時に、その腕を後ろからウィリバルトが引き、彼女と男の間にその身体を割り込ませた。
「失礼ですが、どちらさまでしょうか」
冷たい声でウィリバルトが問うと、突如登場した彼は大袈裟に顔を覆って嘆き始めた。
「うぅ、そんな怖い顔しないでおくれよ。僕は世の中の淑女の味方だから、つい辛そうな彼女を放って置けなくてだね……」
「辛そうな?」
言いながら、ウィリバルトは背後に庇ったマリアベルの方へ顔を向ける。慌ててマリアベルは首を横にぶんぶんと振った。
「いえ! そんなことはないです! ですが、ちょっとまだ本調子じゃないのかもしれません!」
「ん? 本調子じゃない?」
目の前で始まった小芝居を眺めていたシアンが口を挟んできた。ここで誤魔化すのも気が引けたため、マリアベルは先ほどまで暑気中りで休んでいたことを、シアンとネアに説明した。聞き終えたネアは呆れたようにお小言を口にした。
「あら、そうですの? でしたら、そんな所に立っていないで、早く椅子にお座りなさい。暑気中りを甘く考えていると、痛い目を見ますわよ? ――あ、注文をお願いします。羊乳のチーズを薄くスライスして下さる? あと、檸檬水も一緒に彼女へ」
後半は、通りすがった店員を呼び止めての言葉だ。請けた店員は一礼するとカウンター奥へと消えた。マリアベルはウィリバルトに促され、シアンとネアが座るテーブルの隣のテーブルについた。同じテーブルの向かい側にウィリバルトが腰掛ける。
先ほどの一風変わった男は「僕も僕も~」と言いながらマリアベルの隣の席へ座ろうとした。だが、向かい側に座るウィリバルトから、薄い刃のような鋭い視線を受け、怯えたようにネアの隣の席へと腰を下ろした。マリアベルが駄目ならばネア――どちらにせよ、女性の隣に座ろうとする行動からして、軟派な男なのかもしれない。
「調子が悪かったのかい? いやはや、気付かずに立たせたまま話しをしてしまってごめんね、お嬢さん」
座った後、彼はマリアベルに詫びた。その素直な言葉を耳にして、逆に申し訳なさを感じたマリアベルは、慌てて首を横に振った。
「いや、調子を崩したのは偏に私の自己管理能力の不足からだ。貴方のせいではない」
「おお……なんて心優しいお嬢さんだ! ありがとう! ――ああ、自己紹介がまだだったね。僕はイクリル・アル・アクラブ。旅の吟遊詩人さ!」
そう言うと、彼――イクリルはにっこりと微笑んだ。背中まである長い金の髪と、新緑を思わせる明るい緑色の瞳。そして、先ほどは珍妙な言動に気をとられて気付かなかったが、彼はとんでもなく美しい容貌をしていた。