14.再会
――星祭の日に出会った際の、ウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイムの印象は最悪だった。
だが、今こうして春告鳥の翼亭へと向かう夜道を歩いていく内に、マリアベルは己の認識を改めざるを得なくなった。
クナートで出会ってから、今回初めて2人は何のわだかまりなく話しをしたのだが、ウィリバルトはマリアベルが思っていたよりもずっと話しやすく、そして、想像以上に思慮深い紳士だった。
そう感じた理由は様々あるが、その内の一つはマリアベルが気になっていた事や不思議に思っていた事を尋ねると、些細な事であっても丁寧に、分かりやすく、誤魔化さずに応じてくれた事だ。
例えば、自警団への通報について。
以前星祭の夜に襲われた際は、自警団を呼ばずにその場を後にしたにも関わらず、何故今回はシンに自警団への通報を依頼したのか――そう尋ねたマリアベルに、ウィリバルトは「今回は第三者に目撃されていますから」と返した。
彼の言わんとする事が理解できず、納得のいかない顔をするマリアベルに、彼は分かりやすいように言い直した。
前回は目撃者はおらず、敵が1人かどうか明確には分からなかった。襲ってきた人間は一人だったが、周辺に仲間がいたかもしれない。
対する今回は敵は複数名、且つ、シンという助っ人――言い様によっては第三者――がいた。
あそこで「自警団へは通報しないで欲しい」などと口にすれば、こちらに後ろ暗いところがあるととられてしまってもおかしくはないだろう。
また、襲ってきた側の方も、自警団で取り調べを受けたとして、わざわざマリアベルを狙っていた、と口にする事は考えにくい。それよりは、“夜道を歩く貴族相手に強盗を働こうとした”など、全く別の動機を供述した方が、彼らの雇い主にとっても、彼らの仲間が次の手を打つ際も、動きやすい。
以上の点から、今回はシンに自警団への通報を依頼したのだ、と丁寧に説明してくれた。
それから、――敢えて突っ込む必要は無いのかもしれないが、どうしても気になっていた――ウィリバルトが発した「マリー」という己の呼び名。
確かに、フリーダや屋敷の使用人たちにはそう呼ばれていたが、それは出奔する前――2年ほど前の話しだ。それまでに会った事も無いウィリバルトに何故そう呼ばれたのか。そもそも家を出る前は屋敷の外の世界との繋がりは無かったし、出てからは「ベル」という呼び名で通っていたのだ。
不思議そうに問うマリアベルを見て、ウィリバルトは僅かに苦笑して「私は貴女と12年前にお会いしているのですよ」と答えた。
――12年前。マリアベルとウィリバルトが仮の婚約を行った頃だ。記憶の糸を必死で手繰り寄せている彼女に、彼は補足を口にした。
「父と共に挨拶にティタンブルグ家を訪れた際です。5歳だった貴女は、私に“自分の事はマリーと呼ぶように”と仰いまして、」
「えっ」
話しの途中だったが、思いがけず己の発言が発端だった事を知り、マリアベルは目を剥いて素っ頓狂な声を上げた。その表情に、ウィリバルトは更に苦笑を深めつつ言葉を続けた。
「それからは、我が家の中では、貴女の事を“マリー”と」
「わ、我が家?!」
「ええ」
「ルーエンハイム家の皆様で?!」
「ええ。父も母も、兄弟達も」
唖然として言葉が出てこないマリアベルに、彼は困った様に肩を竦めた。
「先ほどは、咄嗟の事でしたので……つい」
「う、あ……そ、そうですか……」
何故か急速に己の顔面に熱が集まった気がして、マリアベルは誤魔化すようにそっぽを向いた。
――家を出てから、もう己を“マリー”と呼ぶ人間はいない、と思い込んでいた。
そして、無意識ではあったが、周囲の人々に“ベル”と呼ばれる事で、あの屋敷の中で生きて来た“マリアベル”という、世間知らずで短慮な少女の存在と己を切り離したつもりになっていた――のかもしれない。
だが、暴漢の短剣が己に向かって振り上げられた、あの時。ウィリバルトが発した、捨てたはずの懐かしい呼び名に、驚きこそすれ嫌悪感は全くといって良いほど湧き起こらなかった。それが何故なのか――自分でも理解できない感情に、マリアベルは困惑した。妙に気恥ずかしくなり、マリアベルはそっぽを向いたまま歩調を速めた。
そんな彼女の背中を見、ウィリバルトは少し考えてから口を開いた。
「心配なさらずとも、これからも貴女の事は“ベル嬢”とお呼びしますよ」
「え?」
驚いてマリアベル振り返ると、驚かれるとは思っていなかったのかウィリバルトの瑠璃色の瞳が僅かに見開かれた。しかし、彼はすぐに平素の表情に戻ると、「ところで」と別の事を口にした。
「明日から私も戦神神殿で稽古をするつもりです。春告鳥の翼亭へお迎えに伺ってもよろしいですか?」
「あ、はい、それは勿論……」
「それでは、明朝お迎えに伺います」
薄く微笑んだウィリバルトは、ランタンをマリアベルに差し出した。思わず受け取ってから、彼女は自身が立っている場所が春告鳥の翼亭の前という事に気付いた。それから、つい受け取ったランタンを見、慌ててウィリバルトの顔を見上げた。
「あ! あの、ランタンは?」
「街灯のある道を歩くので問題ありません」
「そうですか。では、えーと……その、お気を付けて」
返す言葉を迷ったのだが良い台詞が出て来ず、結果常套句を告げるマリアベルに、彼は先ほどとは異なり、ほんの僅かに柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。――おやすみなさい」
* * * * * * * * * * * * * * *
――翌朝、いつもよりスッキリとした気分で目覚めたマリアベルは、顔を洗い、浅葱色で染め上げた麻素材のシャツワンピースに袖を通した。
普段着としてお気に入り臙脂色のワンピースは、何度か襲撃を受けたことにより自分で修復するのが難しい状態になってしまった。時間がある時に、仕立て屋へ頼まなくてはならない。
襲撃を受ける前から長く着用していたため、そろそろ処分をしても良さそうなものだが、家を出てからずっと愛用していたこのワンピースに対して、何となく“戦友”のような気持ちがある為、大事にしたい。
ちらりと臙脂色のワンピースへ視線を向けて目を細めてから、鏡台の椅子に座り髪を梳かしながらゆっくりと昨夜の事を思い返した。
昨夜は色々な事があった。
だが、おかげでウィリバルトとの間にあった蟠りのようなものは消えて無くなった。――少なくとも、彼はマリアベルの敵ではない。否、むしろ、今のマリアベルにとって唯一彼女の事情を鑑みた上で尚、「味方」と呼べる人物ではなかろうか。
――“味方”がいる。……たったそれだけで、驚くほど心が軽い。
慣れた手つきで鈍い金色の髪を編み込んでまとめると、マリアベルはひとつ深呼吸して立ち上がった。胸を張り、己に言い聞かせるように声に出す。
「よし! 今日も鍛錬を頑張るぞ! そして、町の治安を守る為に周囲の巡回だ!」
パン、と自身の両頬を平手で叩いて気合を入れて独り言つ。それから、胸の内で今度シン会ったら、真っ先にお詫びをしなくてはならない事を肝に銘じた。
身支度を整えたマリアベルが宿の1階にある酒場兼食事処へ足を踏み入れると、店内にいた人物達が彼女に声を掛けてきた。
「よお、ベル!」
「おはよう」
すぐに見知った顔と分かり、破顔して挨拶を返す。
「ベン、ピーター、おはよう」
商業大国オークルから共に馬車で、ここ、クナートへやってきた旅仲間――そして、冒険者仲間の2人だ。
東の村テアレムの中級妖魔退治の依頼を請けてからは、たまに町中で出会って言葉を交わすくらいで、落ち着いた場で顔を合わせたのは随分と久しぶりに感じる。
ベンとピーターが座る4人席のテーブル上には、パンやスープなど簡単な食事が並んでいた。彼らの方へ歩み寄ると、マリアベルは小首を傾げた。
「私も朝食をご一緒して良いだろうか」
「大歓迎だぜ! なぁ?」
「勿論」
応えながら、ベンは笑って己の隣の席の椅子を、座ったままで引いて示した。礼を言って座ると、タイミングよくやってきた店員に、マリアベルは朝食の注文を始めた。
「芋と卵のサラダ、豆と青菜のキッシュを2つ。あと、鴨肉とオレンジのソテー、トマトの肉詰め、茄子と芋のグラタン……ああ、白インゲン豆の煮込みもあるのか。じゃあ、それも。それから……」
「お、おい」
傍らで明らかにぎょっとした声が上がったが、気にせずマリアベルは続けた。
「黒パンと、ハムとチーズのガレットも2つずつ、――じゃがいもとポロ葱の冷製ポタージュももらおうか」
「おいおいおい」
「うん?」
注文を中断し、マリアベルは遮る声の主――ベンを見やった。彼は頬をやや引き攣らせながら突っ込みの言葉を口にした。
「そんなに注文して、食えるのか?」
「うん? 食べられる分しか注文しない。当たり前だろう? ――あ、果実水も頼む」
「畏まりました」
平然と注文を受けた店員がカウンターの奥へ消えるのを見送り、マリアベルは改めてベンの方を見て首を傾げた。
「どうかしたか?」
「い、いや……あー、えぇ……なぁ、ピーター!」
慌ててベンが助けを求めるも、ピーターは「俺に振るな」とばかりに静かに首を横に振った。そんな2人を訝し気に交互に見てから、マリアベルは別の言葉を口にした。
「そういえば、2人は最近どうしていたんだ?」
「町の周辺の巡回が日課になりつつあるな」
「テアレムから戻ってからは、目ぼしい依頼も無かったからね」
彼らはお互い顔を見合わせながら、口々に答えた。そして、そのまま続けてピーターが問うた。
「ベルは最近どうしていたんだ?」
「私も巡回する事はあるが、どちらかというと戦神神殿で鍛錬が多いな。己の力量不足を少しでも解消したい」
「へぇ……なぁ、やっぱ、厳しいのか? 戦神神殿って」
興味津々といた態でベンが尋ねる。少し考えてから、マリアベルは「人によって異なる」と返した。
「私はあくまでも外部の者として、鍛錬する場を提供して頂いている。だから、自分のペースで鍛錬を行っている。だが、戦神神殿お抱えの神官戦士団は職務として身体を鍛えている。だから、日々の鍛錬のメニューも決まっているし、傍から見たらかなりハードだと思う」
話している間に、マリアベルの注文した朝食がテーブルに運ばれてきた。一旦話しを中断すると、マリアベルは簡単に戦神へ祈りを捧げ、トマトの肉詰めをひとくち、口に運んだ。太陽の光をたっぷり受けて育ったのであろうトマトは、熱を加える事で酸味と甘みが増し、口に入れた途端に濃厚な旨味と肉汁が口の中いっぱいに広がった。自然と口元が綻びる。
そんな彼女を見て、ベンとピーターは顔を見合わせてつい笑ってしまった。
「美味そうに食うなぁ、ベルは」
「確かに。俺も注文したくなっちまうな。……けど、仕事になかなかありつけないとなると、しばらく節約しないとなんだよな」
感心したように笑って言うピーターに、肩を竦めたベンが返した。そこでふと、マリアベルは食事の手を止めて思案した。テアレムの依頼以降、春告鳥の翼亭に依頼らしい依頼は入っていない。それに、巡回でも妖魔に遭遇したといった話しは耳に入って来ない。――つまり、この町の治安としては、安定しているのではなかろうか。勿論、マリアベル自身を狙った賊は別として、だが。
もしそうだとしたら、せっかく冒険者の町に滞在していても、人々の役に立つことは難しいように思えた。
神妙な顔で考え込むマリアベルに気付き、ピーターはベンに目配せをした。視線に気付いて頷くと、ベンは隣のマリアベルに明るく声を掛け、軽く彼女の背中を叩いた。
「まぁ、なかなか冒険者の仕事無いけどさ! 俺たちの方で依頼見付けたら、ベルには真っ先に声かけるから、安心しろよ! あ、勿論、ベルが見付けても俺たちに声を掛けてくれよな!」
「そうそう。こういう時は、お互い協力しよう」
ベンの言葉を肯定するように、ピーターも頷いた。その言葉に、何とも言えない心強さを感じて、マリアベルは相好を崩して「もちろん!」と応じた。
――その直後、春告鳥の翼亭のドアベルが軽やかに鳴った。三者三様に入り口の扉へ顔を向ける。
「おっ 勢ぞろいだな!」
先頭で入って来たのは、まだ暑い日が続いているにも関わらず黒づくめの服装の青年。すぐに3人に気付いてニカッと笑った。続くように入って来たのは、焦げ茶色の頭髪の半妖精の青年だ。こちらも3人に気付き、「おはよう」と微笑んだ。
「シアン先輩、シン殿、おはようございます」
「おはようございまーっす」
「おはようございます。……おい、ベン。挨拶くらいちゃんとしろよ」
「って、オカンかよ!」
「俺はお前のお袋さんじゃないけど、おばさんが知ったら悲しむぞ」
「ぐっ……」
即席の喜劇のようなやり取りを見て、マリアベルはふと、ベンとピーターは同じ村の出身で幼馴染と聞いた事を思い出した。
気心の知れたやり取りに思わず笑ってしまってから、マリアベルは小さく咳ばらいをして表情を改めると立ち上がった。それから、シンの方へ身体ごと向き直ると、深々と頭を下げた。
「シン殿、昨日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「昨日?」
「何かあったのか?」
「え、そうなんすか? シンさん」
シンが答える前に、ベン、ピーター、シアンが、彼とマリアベルを交互に見ながら目を丸くした。そこで、マリアベルは己の失態に気付いた。――どうしてもシンに会ったらすぐに謝罪したかったのだが、気が急きすぎて周りの事を考えていなかった。相変わらずの自身の浅慮さに、臍を噛みながら、マリアベルは「あ」だの「いや」だの口にしながら言い訳を探した。
その様子を見たシンは、事情の分かっていない様子の3人にやんわりと「大した事じゃないんだけどね」と前置きした上で口を開いた。
「昨日、ベルちゃんの忘れ物を届けてあげたんだよ」
え、と思わず声が漏れそうになるのを堪えつつ、慌ててベルはシンの顔を見た。彼は悪戯っぽく笑みを浮かべてマリアベルに目配せをした。彼の仕草に、他の3人は気付かなかった様で、すんなりと納得の言葉を次々と口にした。
「なんだ、随分深刻そうな顔だったから、なんかあったのかと思ったぜ」
「ベルって、ホント律儀だな」
「真面目だよな」
三者三様の納得した言葉に、ベルは内心ほっとしつつ猛省した。恐らくシンはマリアベルの表情の変化を読み取り、事情を知る者がここにいない事を察して誤魔化してくれたのだろう。彼の機転のお陰で、ベン達にいらぬ心配を掛けずに――そして、巻き込まずに済んだ。昨日といい今日といい、シンには感謝する事ばかりだ。いずれきちんと礼をしなくては――マリアベルはそう心に刻んだ。
「しっかし、3人とも仲良さそうだなぁ。俺も仲間に入れてくれよー」
そう言いながら、シアンは3人が座っていた席の残りの椅子に腰を下ろす。それから、テーブルの上に所狭しと並んだ料理の皿から「ひとつくれ」と言うが早いか鴨肉を一切れつまみ、ぱくりと口に入れた。それから、パッと目を輝かせた。
「んっ これ美味いな!?」
「シアン? つまみ食いはどうかと思うよ」
クスクスと笑いながら、シンは隣のテーブルに着くと、店員に果実水を注文した。すぐに運ばれてきた果実水を一口飲むと、彼はマリアベル、ベン、ピーターの顔を順に見て微笑んだ。
「そういえば、2人にはちゃんと挨拶出来てなかった気がするから、改めて。僕はシェルナン・ヴォルフォード。皆にはシンって呼ばれてるんだ。よろしくね」
「あ、俺はベン! です!」
「俺はピーター・ブラウンです。よろしくお願いします」
慌ててベンとピーターは席を立つと、シンと握手を交わした。
「僕も、普段は孤児院で働いてるけど、本業は冒険者だから……敬語なんて使わなくても大丈夫だよ?」
やや緊張した面持ちの2人に、シンは柔らかく微笑んだ。だが、ベンとピーターは揃って首を横に振った。
「いやいやいや、すごい熟練冒険者って聞いてますし!」
「そう! 中級妖魔の巣窟をぺんぺん草一本も残らないくらい殲滅したという武勇伝、聞いてますし!」
「ぺんぺん草一本も、って」
微苦笑してシンは近くに座るシアンを見た。明らかに視線を逸らしつつ、シアンは「さぁ~て、依頼来てないかな~」と些か演技がかった独り言を言いつつ、席を立って店内の掲示板の方へ歩いていった。
シンはやや呆れを滲ませた微笑みを浮かべて視線を3人に戻すと、
「シアンの言う事は大抵大袈裟だから、あまり本気にしないで良いよ」
と言いながら肩を竦めた。
――“いやいや、そんな事ありませんよ。謙遜し過ぎですよ。”
そう喉元まで出掛かったが、マリアベルはその言葉をごくりと飲み込んだ。
どうやらシンは、自分の冒険者としての技量をあまり周囲に知らせたくないように感じられた。
それが謙遜なのか、矜持によるものなのか、はたまた煩わしい事を避けたいからなのか、――マリアベルには分からなかった。熟練冒険者は熟練冒険者なりに何かあるのかもしれない。
もぐもぐと温かいキッシュを頬張りながら、マリアベルは自問自答の上で納得した。このキッシュも美味しい。
「そういえば、3人とも巡回、頑張ってるみたいだね」
ふと、思い出したかのようにシンが新人冒険者3人の顔を見まわして微笑んだ。
「自警団の人たちが褒めていたよ」
「えっ マジで?!」
顔を輝かせてベンが椅子から腰を浮かせる。窘めるように彼を見るが、ピーターもまんざらではなさそうだ。
「本当だよ。自警団の団長さん――ギルバートさんって言うんだけど、彼の耳にも入ってるし。だから、次の“大規模討伐”の時はお誘いが来るんじゃないかな」
「“大規模討伐”?」
マリアベル、ベン、ピーターが異口同音に聞き返す。
「うん。南の森にね」
言いながら、シンは促すように南の方角に視線を向ける。
「豊穣神エルテナ神殿の向こう、神殿が管理している畑の先に森があるんだ」
「あ、そこ。俺たち行ってみようとしたんだけど、見張りっぽい人に止められたんだよな」
「ああ。前に強い妖魔が出たから、封鎖してるって言われた」
ベンとピーターが顔を見合わせて頷き合う。
「そうだね。前に妖魔が町を襲撃した際に、梟熊が出てね」
「“梟熊”?」
「聞いたこと無いな……ベルはあるか?」
「うーん、……いや、私も初耳だ」
「俺も年初めに初めて見たからなー、マニアックな妖魔だと思うぜ」
いつの間にか戻って来たシアンが、再び同じ席に腰を下ろす。
「身体が熊で、頭だけ梟っつー、冗談が毛皮着て歩いてるみたいなヤツなんだけど」
「あはは」
片手で自身の鼻を擦って渋い顔をして口を尖らせるシアンを見て、シンは軽く笑って肩を竦めた。察するに、シアンはその際にあまり思い出したくない事があったのだろう。
「けど、南の森はクナートの町の人達にとっては生活を支える大切な場所でもあるんだ。特に秋は、冬を過ごすための薪が沢山必要だしね」
言いながら、シンは新人冒険者の3人の顔を見まわした。
「毎年、手の空いている冒険者や自警団が有志で見回りしているんだけど、今年はね。――春の出来事もあるし、きちんと準備と体勢を整えて、計画的に討伐をしようって話しになってるみたいなんだ。……町の安全の為にも、ね」
3人は互いの顔を見合わせた。それから、ベンがシンの方を向いて軽く片手を上げる。
「センセー」
「はい、ベン君」
「それって、俺たち待ってたら声掛かります? 自分から自警団に行った方が良いですかね?」
「ああ……そうだね。待っててもいいと思うけど、自分から行っても良いと思うよ。何なら、この後僕も顔を出すから、一緒に来る?」
「えっ」
「良いんですか?!」
ベンとピーターがほぼ同時に顔を輝かせて椅子から腰を浮かせる。
「勿論。ベルちゃんはどうする?」
「私も! ――あ、いや、今日は」
意気込んで言いかけてから、ベルは昨日のウィリバルトとの約束を思い出した。そろそろ迎えが来るかもしれない。無意識に外への扉へ目を向ける。
すると、図ったかのようなタイミングで扉が開いた。ドアベルの音が軽やかに鳴る。入って来たのは、漆黒の髪に瑠璃色の瞳の長身の男――ウィリバルトだ。彼はすぐにマリアベルに気付き、洗練された立ち居振る舞いで歩み寄り、マリアベル一同を見まわすと短く挨拶の言葉を口にした。
「おはようございます」
よく通る低い声。声量は抑えられているにも関わらず、その声を耳にした店内の女性客達がおしゃべりを止めて息を飲む――音が聞こえた、ような気がした。
そうだった。ウィリバルトは無駄に顔が整っているんだった。何故かそこはかとなく苦い気持ちになりつつ、マリアベルは席を立って丁寧に挨拶を返した。
「おはようございます、ウィリバルト様」
「様?」
あ、と思った時には遅かった。隣に座るベンと、向かいに座るピーターが、目を丸くしてマリアベルとウィリバルトを交互に見てる。
「あ、いやあの、えーと……」
己の軽率さを呪いながら、慌てて口ごもるマリアベルを一瞥して、涼しい顔のままウィリバルトはベンとピーターに向き直った。
「お初にお目にかかります。ウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイムと申します」
「へ? あ、え?」
「あ、あの、もしかして……貴族の方ですか?」
目を白黒とさせて言葉が出てこないベンに代わり、ピーターが恐る恐る尋ねる。――己の名乗りを忘れていることから、彼も内心かなり動揺しているのだろう。
さして気にした風でもなく、ウィリバルトは頷いた。
「そうですね、この土地とは異なりますが。――ベル嬢とは旧知の仲で、この町で再会したばかりなんです」
「へぇえ! ベル、すごいな! 貴族と知り合いかよ!」
「というか、どういう経緯で知り合い?」
事情が分かっていないベンとピーターが、純粋に憧れの眼差しをマリアベルに向ける。う、と言葉に詰まってから、しどろもどろと返答する。
「あ、えー……親、が……知り合い同士、というか……まぁ、そういう……えー……」
――墓穴を掘っているかもしれない。薄々そう感じながらも、言葉をひねり出そうと視線を彷徨わせる。そうこうしている間に、ウィリバルトはシアンにも挨拶を済ませていた。
出来たら助け舟を出して欲しかった。内心で恨み言を言いながらも、マリアベルは必死で誤魔化しの言葉を連ねたのだった。