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螺旋のきざはし  作者: hake
第二章
105/110

11.婚約者



 ――気まずい。



 春告鳥フォルタナの翼亭の1階の酒場。


 入り口から少し奥に入った窓際の4人座りのテーブル席につき、マリアベルは居心地が悪そうに身動(みじろ)ぎし、視線をテーブルの上に落とした。

 マリアベルの()()()()()には、真っ直ぐな漆黒の長髪を一つに束ねた上背のある男が座っている。チラリ、と目を向けると、静謐な光を称えた瑠璃色の双眸と目が合う。慌ててマリアベルは再び視線をテーブルの上に戻した。……口の中に何とも言えない苦みが広がる。


 目の前の男は、マリアベルに“ウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイム”と名乗った。端正な容貌も、過去にフリーダから聞いていた特徴と一致する。恐らく本人で間違い無いのだろう。

 だが、本当にウィリバルト本人であれば、何故ここにいるのか。


 マリアベルが故郷ヘッケンシュタットの屋敷を出てから約2年が経っている。家を出る際に、自分の事は死んだものと考えて欲しいと手紙を残してきたのだから、婚約の話しも無くなったはずだ。それなのに、何故。



「ご注文は如何致しますか」


 ハッとして顔を上げると、いつも通りあまり愛想のない春告鳥フォルタナの翼亭の店員の男が、2人の座るテーブルの傍らに立っていた。

 そういえば、この席に着いてから大分時間が経つ。ここは休憩場所ではなく、食事を供する店なのだから、当然何も注文せずに座ったままという訳にはいかない。かと言って、自身の泊まる部屋へ招く訳にも行かない。早く何か注文しなくては、とマリアベルが逡巡している間に、ウィリバルトが店員へ、低くよく通る声を発した。


「白ワインを。――貴女もそれで構いませんか」


 言葉の後半はマリアベルに視線を向け、同意を求めるものだった。戸惑ったまま「ああ」とやや間の抜けた声で応じると、彼はすぐに店員へと視線を戻した。


「ではグラスで2つ。それと、レバーのリエット、白身魚と根セロリのマリネを」

「畏まりました」


 一礼をして去って行く店員を見送ってから、マリアベルは視線を彷徨わせ、取り繕うように窓の外を見やった。――(まば)らだが、外を行き交う人々が楽しそうに笑っているのが見える。



 ――こんなはずではなかった。



 本当は、自分だって。


 きゅ、と唇を引き結んでマリアベルは心の中で愚痴をこぼした。



 ――本当は、今夜は月桂樹の葉で星を掬って願掛けをして――そして、あの星々が煌めく川縁かわべりで、最も会いたいと焦がれている人が現れることを祈る――予定だった。



 ――その、()()()は――決して、目の前の彼ではない。



「不満そうですね」


 静かな声に、ハッとしてマリアベルはその声の主へ目を向けた。視線が合うと、彼は僅かに目を細めた。


「あのまま私が手を出さず、()()()()待ち人との再会をお望みでしたか?」


 一瞬、何を言われたか分からず、呆気にとられた後――彼の言わんとした事を悟った途端、マリアベルはカッとして音を立てて椅子から立ち上がった。


「なっ」

「お待たせしました」


 マリアベルが抗議の言葉を発する前に、空気を全く読まない店員が、何事も無かったかのように卓上に白ワインとリエット、マリネの皿を置き、一礼をして去って行った。

 気勢きせいがれたマリアベルは、すごすごと椅子に座り直した。そのままバツが悪そうな顔で黙るマリアベルに対し、ウィリバルトは気にした風でも無く口を開いた。


「星祭には、色々とジンクスがあるようですね」


 その言葉を彼が発した意図を汲み取ることが出来ず、マリアベルは困惑気味に彼を見た。すると、瑠璃色の双眸が僅かに苦笑の色を浮かべた。


「全く……子どものような人ですね、貴女は」

「なっ 何ですか、それは! 失礼な!」

「素直な御方だ、と誉めているのですよ。――腹芸など、出来ないに越したことはありませんからね」

「褒められているように思えないのですが」

「さて……どう受け取られるかはご自由に」


 軽くあしらうように言ってから、ウィリバルトは表情を改めてマリアベルを真正面から見据えた。


「いずれにせよ、命があれば次の年に願いを持ち越す事も出来るでしょう」


 あまりの正論にぐうの音も出ず、マリアベルは唇を噛んだ。――星祭で浮かれていた。彼の言う通り、自身の置かれた立場をきちんと考えず、呑気に一人で――町の中とはいえ、夜に帯剣もせずに出歩いていた。反論など出来るはずが無かった。己の怠慢に腹立たしささえ覚える。


 しばらく2人の間に沈黙が訪れた。


 それから、先に口を開いたのはウィリバルトだった。


「マリアベル嬢」


 その声に、マリアベルはむっとして顔を上げた。


「今の私は、一介の冒険者に過ぎませんので、その呼び方はやめて下さい」


 ふん、と鼻息を荒くして言い放ち、そっぽを向く。


「一介の冒険者、ですか」


 ふむ、と顎に整った指先を添わせ、ウィリバルトは少し考え込む仕草をした。その反応で、彼がどこまで事情を知っているのか分からなくなったマリアベルは、躊躇いがちに彼へ視線を向けて問うた。


「あの……そもそもウィリバルト様は、私が家を出た事を、お聞きになっていないのですか?」

「存じておりますよ」


 アッサリと答えたウィリバルトに、更にマリアベルは困惑した。


「では、お分かりでしょう。私は家を……ティタンブルグ家を出奔しました。貴方との婚約も無かった事になったのではありませんか」

「マリアベル嬢」

「ベルで結構です」

「では、ベル嬢。……そんなに簡単に事が運ぶと思われますか」

「え?」


 呆れの混じったウィリバルトの言葉に、マリアベルは目を丸くした。その反応に、彼は小さくため息を吐いた。


「私は、貴女の父君に、貴女を連れ戻すように言われてここにいます」

「えっ」


 ぎょっとして慌てて席を立とうとするマリアベルを、ウィリバルトは片手で制して言葉を続けた。


「――そして私は、貴女をご実家へ連れ戻そうと思えば、いつでも連れ戻す事が出来ました。ですが、出来るだけ貴女の意に反する事はしたくはありませんでした。その為、()()()は静観させて頂きました」

()()()?」

「ええ、()()()


 マリアベルの鸚鵡返しに、にっこりと微笑みを浮かべてウィリバルトは繰り返した。――彼の言う“今まで”とは、一体いつからの事を言うのか……問おうとして、何だか嫌な予感がしたマリアベルは閉口した。

 躊躇するマリアベルへ、ウィリバルトは更に言葉を続けた。


「少なくとも私は、()()()()()殿()の真意を確認するまでは、無理強いするつもりはありません」

「わ、我がっ……って、そ、そういうおかしな言い方はやめて頂けませんかっ?!」

「事実ですから。先ほども申し上げましたが、まだ婚約は継続されています」

「だからっ 何故です?!」

「マリアベル嬢」

「ベルです」

「ベル嬢、いいですか」


 手つかずだった白ワインのグラスの一つをマリアベルの前に置き、もう一つを自身の手にして、ウィリバルトはゆっくりとワインをグラスの中で揺らした。


「仮とはいえ、家同士の契約が、そう易々と破棄される事はありません」


 口を付けずにワイングラスを卓上に戻してから、ウィリバルトは目を細めてマリアベルを見た。


「12年前、ティタンブルグとルーエンハイムの二家の家長同士が取り交わした契約(もの)です。簡単に――つまり、貴女個人の都合で破談にする事など、出来る訳が無いでしょう」


 ――12年前。マリアベルは5歳、ウィリバルトは13歳。ティタンブルグ家、ルーエンハイム家、双方の家長により取り交わされた契約。――跡継ぎの男児がいないティタンブルグ家へ、遠縁にあたるルーエンハイム家の三男、ウィリバルトが婿入りする事は、その時から定められていたのだ。

 ウィリバルトの言う事は尤もだが、マリアベルは何とか己の主張を守ろうと食い下がった。


「し、しかしですね、私は……あの家に戻るつもりはありません。家を出る際、絶縁状も置いて来ました。死んだものと考えて欲しい、と。ですから……」

「事実、貴女はこうして生きている。当然、貴女の父君はそのような言い分をすんなり受け入れてはいませんよ」

「ウィリバルト様はどうなんですか?」

「どう、と言いますと」

「で、ですからっ 夜会や社交の場では、引く手数多(あまた)と耳にしました。私に拘らなくても良いでしょう。別の、もっと良い条件の方と婚約されては良いのでは」

「貴女と婚約している以上、誘いに応じる訳にも行かないでしょう」

「いえ、ですから、家には絶縁状を置いてですね、私は死んだことにして欲しいと書いて……」

「ええ、その手紙なら、私も拝見しました」

「ならば何故?!」

「繰り返しますが、そう簡単に反故に出来るものではない、という事ですよ」


 呆れたように小さく息を吐き、彼はワイングラスを手に取った。


「市井の者同士ならともかく、曲がりなりにも爵位を持つ家同士の契約です。12年前に結ばれた仮のものだとしても、社交界では周知の事実。貴女の行動一つで、ティタンブルグ家も、勿論、契約相手であるルーエンハイム家も、――引いては二家に雇われている者達も、世間で肩身の狭い思いをする事になるのですよ」


 淡々と語られる言葉に、マリアベルは手足の先からじわりじわりと冷えていった。


 ――慇懃な筆頭執事エーベルハルト、実の母親よりもずっと傍にいて気遣い、時には厳しく叱ってくれたメイド長、ハウスメイド達……彼らには、何かあったら全て自分のせいにするように言い含めて来たが、その後の事について、己は熟考出来ていただろうか、と自問しようとする――が、当時は己の事が精いっぱいで、ただひたすら“この家にはいたくない”という思いばかりで、そんな余裕など微塵も無かった。今にして思えば、とんだ浅慮だった。そして、それをウィリバルトに指摘されるまで、気付けなかった己の浅はかさに、マリアベルは顔を赤くして歯を食いしばった。


「……申し訳、ありません」


 ようやく、絞り出すように一言。ぐっと顎を上げ、マリアベルは真っ直ぐにウィリバルトと視線を合わせた。


「大切な友の死があったとはいえ、短慮でした。――あの家に、どうにもならないほどの嫌悪感を持ってしまい、短絡的な行動をとってしまいました」


 両手を膝の上で握りしめ、それでも視線を逸らさずにマリアベルは重ねて詫びの言葉を口にした。


「私が出奔するという事は、ティタンブルグ家が、貴殿やルーエンハイム家をないがしろにしていると取られてもおかしくはありません」

「そうですね」


 肯定の言葉だが、その声音は先ほどよりも随分と柔らかいものだった。驚いて目をしばたたかせるマリアベルに、ウィリバルトはほんの僅かに口元を緩めた。


()()()()()()()()、貴女の追手役を引き受けさせて頂きました」

「え?」


 思ってもみない言葉に、マリアベルは反射的に間の抜けた声を上げてしまった。すると、彼は今度は明確に微笑んで言葉を続けた。


「社交界や屋敷に出入りする者達から見た貴女は、2年前からリヴィエのルーエンハイム家で保護されている事になっています。名目としては、婚約披露パーティ当日に命を狙われた際、()()()()()()()()()ため、安全な場所で養生している、という事になっています。ルーエンハイム家は多少は名の知れた騎士の家柄です。そして、貴女の婚約者である私がいる。長期に渡って貴女が滞在していたとしても、勝手に“花嫁修業も兼ねている”といったような噂が広まり、放っておいても納得してくれるはずです」


 そこまで言うと、彼はワインを一口、口にした。味わう様にゆっくりと嚥下してから、再び口を開く。


「貴女の追手役を引き受けた時点で、私は出来るだけ貴女の意に反する事はするまいと心に決めていました。ですから、しばらくは貴女の様子を見守る事にしました」

「……しばらく、と言いますと」


 先ほどと同様、嫌な予感はするが、ついマリアベルはウィリバルトに尋ねた。すると、事も無げに彼は応えた。


「婚約披露パーティが行われるはずだった日から、凡そ2週間弱経った頃、貴女の父君が、ティタンブルグ家に逗留していた私の元へ訪ねていらっしゃいました」

「え、ずっと我が屋敷に滞在されていたのですか?」

「ええ。元々しばらく滞在する予定でしたし、それに、」


 言いさしてから、不意に言葉を切った。訝し気にマリアベルが見ていると、彼は少し考えるそぶりをしてから続けた。


「婚約披露パーティ当日に何があったのか、およその事は把握していました。そして、貴女がティタンブルグ伯と口論になり、家を出る旨の置手紙をした事も」

「えっ?! な、何故です?!」


 ぎょっとして、思わずウィリバルトが話し途中にも関わらずマリアベルは目を白黒とさせて声を上げた。その様子に彼は微苦笑して説明した。


「私がティタンブルグ家に入る前から、ルーエンハイム家の者が準備の為に滞在していました。そちらの使用人に紛れていましたので、ある程度は私の元にも情報は入っていたのですよ」


 言いながら、彼はワイングラスを卓上に置き、ゼスチャーでマリアベルにワインと酒の肴を勧めた。あまり気が進まなかったが、マリアベルは取り敢えずワインを僅かに口にした。透き通った白ワインは、本来であれば爽やかな果実の香りと程よい酸味で心を軽くしてくれるものだが、今のマリアベルはそれを楽しむ余裕は無かった。

 浮かない顔のマリアベルに対し、気にした様子もなくウィリバルトは話しを続けた。


「貴女が置手紙をして10日ほど経った頃、貴女の父君――ティタンブルグ伯が私の元へいらっしゃいました。貴女の後を追い、連れ戻す様に、と」

「それで、私を捜されて……」

「ああ、いえ。貴女がその時点で、まだ屋敷の外に出ていない事は予想がついていましたので」

「え」

「ティタンブルグ伯が退出された後、簡単に荷物をまとめて準備をし、貴女が屋敷を出た際に後を()()()行きました」

()()()……って、え?」

「ティタンブルグ伯と奥方が留守になるタイミングで、使用人達と共にあなたを捜しに行く振りをして屋敷の裏に()()()()を控えさせ、貴女が出立してから、気付かれない様に距離を開けてついて行きました」

「は……え? え……え、ええっ?!」


 全く気付いていなかった――ショックで絶句するマリアベルに、ウィリバルトは肩を竦めた。


「私以外の追手は、貴女へ接触する前に排除していたのですが、次から次へと――まぁ、手を替え品を替えとでも言いますか。尽きる事が無かったもので……オークルでは貴女とパンケーキを購入していた、フードを被った姿の小柄な……」

「え、フォンテーネですか?」

「フォンテーネさん、ですか。その方に、気取られてしまいましたがね」

「フォンテーネが、ですか?」

「ええ。……あの時は、かなり近い距離で追手と接触してしまいまして。ですが、幸い私が貴女方に害意が無いという事を汲んで下さったのか、貴女に伝える事は無かったようですね」


 ――そう言えば、オークルでパンケーキを買った後、フォンテーネが路地の奥を気にしている素振りをしていた。気のせいだった、と言っていたが、あの時フォンテーネはウィリバルトと追手の気配を察知していたのだろう。

 思いがけない事実に、マリアベルは言葉を失った。それから、慌ててオークルからクナートへ向かう驢馬車の中の人物を思い起こした。――ベンとピーターの他に、出稼ぎ帰りだという壮年の男性、エイクバへ向かう予定の老夫婦、出産の為に里帰りをするという女性――……


「私を追って来られたとの事ですが、驢馬車には同乗されていませんでしたよね?」

「ええ、さすがに長時間、驢馬車の中という小さな空間で、身を隠せるとは思えませんでしたからね。次の驢馬車を使ってまいりました。その為に3日ほど遅れてしまいましたが、何事も無かったようで何よりです」


 まだ婚約が続いているから体裁を取り繕うため――とは思えない、低く穏やかな声音だった為、マリアベルは困惑して視線を彷徨わせた。屋敷の人々にも、ウィリバルトにも――ルーエンハイム家の人々にも、自分の浅はかさによってどれほどの迷惑を掛けたのだろう。羞恥と申し訳なさで居たたまれなくなってくる。両手の拳を握りしめ、何とか絞り出すように詫びの言葉を口にした。


「申し訳、ありません……」


 だが、ウィリバルトは「私に謝罪は不要です」とアッサリと言い切った。しかし、その言葉に甘える訳にも行かない。改めて謝罪をすべく、彼の瑠璃色の双眸へ目を向けると、真っ直ぐに視線が交わった。深い青は、静かに凪いでいた。


「先ほども申し上げたでしょう。貴女がティタンブルグ家を出て行く際、私は後をついて行ったと」

「それは……はい」

「つまり、止める事はしなかった訳です。貴女が家を出た事が罪というならば、見逃した私も罪があるという事ではありませんか」

「そっ そんなの、詭弁です!」

「いいえ、事実です。――貴女が家を出る事に協力したティタンブルグ家の使用人たちも同様です」

「ちが」

「違いません。私も、貴女の屋敷の使用人たちも、その罪を認め、罰を科される可能性を認めた上で、貴女に手を貸したという事です。ですから、貴女がそれに対して謝罪する必要はありません」

「そんな……そんなつもりは……」


 淡々と返される言葉に、呆然とマリアベルは言葉を詰まらせた。顔を青くし、テーブルに並ぶ料理にも手を付けずに肩を落とすマリアベルに、ウィリバルトは僅かに苦笑した。


「まぁ実際、貴女はそこまで考えていないだろうと思っていました。恐らく、貴女を幼少の頃から見守っていた屋敷の人々も同じでしょう。――その上で、貴女は貴女のままで、それで良いと判断したのです。つまり、自ら進んで共犯になったのです。ですから、謝罪は不要だと申し上げているんです」


 言い終えると、白ワインを一口。ゆっくりと飲み下してから瑠璃色の双眸をまっすぐにマリアベルへ向けた。


「先ほども申し上げましたが、私は貴女の父君に、貴女を連れ戻すように言われています。そして、私は貴女の意に反する事はしたくありません。今のところ、対外的に貴女は我が屋敷で保護されている事になっており、誰も疑問には思わないでしょう。貴女の父君にも、貴女が見付かるまではそのように振舞うよう、話しをしてあります」

「……はい」

「私は今しばらく、貴女と行動を共にさせて頂きます。その上で、屋敷に戻って頂くか、このまま外の世界で冒険者として生きて頂くか、判断させて頂きます」

「え、いや、しかし」

「貴女の追手は、私だけではない事はご存知でしょう」

「あ……先ほどの男は、雇われていたと言っていましたね」

「そちらもそうですが、オークルでも追われていたでしょう」

「何故知っているんです?」


 思わず不貞腐れたように問うが、ウィリバルトは微笑みだけ返して別の言葉を口にした。


「貴女への追手は、私が知る限り、目的によって3つに分かれるようです」

「3つ?」

「ええ。まずは私を含めた、貴女の父君から依頼され、ティタンブルグ家に連れ戻す為の追手。――私がヘッケンシュタットを出た後、定期的に報告の書簡は送ってはいますが、一向に進展しない事から痺れを切らしたのでしょう。恐らく、ほぼ間違いなく、別の手を送り出しています」


 ――あの父ならやりかねない。納得してマリアベルは一つ頷いた。


「それから、貴女の命を狙う者。私の家の伝手で調べたところ、貴女の叔父上――つまり、ティタンブルグ家当主の弟君が、ご自身の子息をティタンブルグ家当主にするべく、この機会に貴女を亡き者にしようと企んでいるようですね」



 ――“()()追手かもしれないわ”


 フォンテーネが言っていた事は、やはり当たっていたという事だ。僅かに眉をしかめながらも、頷く。


「そしてあと1つ。こちらはまだ調査中の為、何の目的かは分かりませんが――もう一派、貴女を付け狙う者達がいます」

「いや……もうこれ以上は、心当たりがないのだが」

「そうですね」


 困惑したマリアベルの言葉に、答えになっていない言葉を返してから、ウィリバルトは己の口元にそっと指を当て思案顔になった。


「もしかしたら、3つではないのかもしれませんし、その辺りもなんとも――ただ、貴女をティタンブルグ家へ連れ戻す訳でもなく、命を狙う訳でもなく、――目的が判然としない者達がいる事は、ご認識を」

「……分かりました」

「今日はもう遅いですから、日を改めて詳しく話しを聞かせて頂いてもよろしいですか」

「それは……構いませんが。……あの、ウィリバルト様」

「何でしょう」

「貴方は、どうお考えなんですか?」

「考え、と言いますと」


 言いたい事が分からない、と顔に書いてあるのは、本心なのか、演技なのか――判断がつかないまま、マリアベルは言い(にく)そうに言葉を続けた。


「ですから、その……私の意に沿わない事はしない、と仰っていましたが、本当は父の意向に沿って連れ戻されたいのではないですか? 家の事もありますし……」

「ああ、なるほど」


 呆れた様な、脱力した様な、そんな苦笑を浮かべてウィリバルトは肩を(すく)めた。


「お伝えしていませんでしたね。――私の実家、つまりルーエンハイム家ですが、現在に至るまでの状況を全て報告しています」


 社交界や屋敷に出入りする人々の目を誤魔化すため、マリアベルは2年前からリヴィエのルーエンハイム家で保護されている事になっている――としたら、当のルーエンハイム家が事情を正しく理解していて当然だろう。


「そして、私としては、貴女がされたい事をされるのが良いと思っています」

「私の……したい事を?」

「ええ、貴女のされたい事を」


 念を押す様に同じ言葉を繰り返し、ウィリバルトはワイングラスを手にして中の淡い黄金色の水面を僅かに揺らした。

 しばし訪れた沈黙は、盛大な腹の虫の声で破られた。僅かに瑠璃色の瞳が丸く見開かれ、腹の虫の主へ視線が向けられる。バツが悪そうにその主――マリアベルは、顔を真っ赤にして両手で腹を抑えつつ、言い訳がましく早口でまくしたてた。


「こ、これは仕方の無い事なんです! 昼食後からずっと荷運びをしていたし、その昼食だって腹八分目で、午後の仕事の後は星祭に行って、その後あんな事があって、だから、その、夕食がまだだったんです!」

「なるほど。では、もう少し料理を注文しましょうか」


 くつくつと笑いながら、ウィリバルトは片手を上げて店員を呼んだ。マリアベルが断る前に、彼は平らなパン(ピラコウス)や白身魚のフライなど、簡単な食事を注文し始めた。遠慮よりも空腹が勝り、マリアベルはしばし逡巡した後、彼の厚意に甘える事にした。




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