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反転世界の僕たちは

作者: 丘与式杞憂

『鏡』__という、自分の姿を写す道具のことは、多分説明するまでもなく、みんなが容易に思い浮かべることが出来るだろう。


それは自分の家にある、洗面台や化粧台の鏡かもしれないし、もっと手軽な手鏡かもしれない。


僕の育った家にも、もちろんある。


しかし僕は『鏡』というそれを。


意図的に、見ないように生きてきた__







僕の一番古い、ちゃんとした記憶も、忌々しい『鏡』と関連している。


当時、初めて鏡を覗いた時__自分は、幼心に大層愕然としたものだ。


こんな自分が愛されるはずがないと、今思えば、思い込んでしまったのだと思う。




それは、病的にまで。




どうやらそれが運の尽きだったようで、自らそんな蓋を被せた僕の前には、僕の蓋を開けようとしてくれる人は現れなかった。


意固地になった僕の姿を遠目に見て、仲間内で笑い合われることしか、されてこなかった。







それからずっと先、僕は理科の授業で、『鏡』を覗く僕と『鏡』に写る僕が、反転していることを知った。


僕が右手を上げると、『鏡』の中の僕は左手を上げる。


今思えば当たり前の__そんな、くだらない思い出を。


僕は今になるまで、忘れられないでいた。







頭が痛い。割れそうだ。


リラックスを与えてくれるという電球色の照明すら、僕を攻撃しているように思える。


ぐわんぐわんと頭の中に鳴り響く反響音に身体をふらつかせ、僕は近くの壁にもたれかかる。壁の白い部分はひんやりとしていて気持ちが良かったけれど、壁の赤い部分は、あまり馴染みのない匂いがして、臭かった。


僕の手にも、飛沫となった赤いそれがこびりついて、不快だった。


壁に身を預け、僕は何度か迷いながら、洗面所へとたどり着いた。


蛇口に手をかけ、赤く染まった手を洗う。







僕はある時から、おかしな妄想をするようになった。


僕が右手を上げると、左手を上げる『鏡』の中の僕。


それはつまり、僕が生きている世界と『鏡』の中の世界とでは、全てが違っているのではないか、と。


僕が鏡に身を写している間は、辻褄を合わせるために、『鏡』の僕があえて醜い格好をし、僕と連動しているように見せかける。


そして僕が鏡から消えたところで、『鏡』の中の僕は、僕から見た『鏡の中の世界』で、自分の人生を謳歌している__







『鏡』と相対している時の『鏡の中の僕』は、おそらく、醜いマスクを付けている。


『鏡』の前の僕が姿を消すと、彼はそのマスクを外して、『鏡の中の世界』を闊歩する。


誰もが僕に惹かれ、誰もが僕を愛し、誰もが僕と歩む。


彼から見た、『鏡の中の僕』__つまり、僕自身が鏡の前に現れた時、仕事に行くように、僕と同じ格好で、『鏡』の前に立つ。


きっとその仕事に向かう前には、彼を取り囲む人たちが寂しそうな言葉をかけていることだろう。




早く帰ってこいよ。お前がいなくちゃつまんねえ。




『鏡』の前の僕が、言われたことのないセリフだ。







『鏡』を意図的に見ないように生きてきた僕は、この時久しぶりに、手を洗う最中に自分の顔を見てみた。


「……酷い顔、だなあ。そんなマスクは、捨てちゃえよ」


僕は右手で自分の首を掻き毟るが、『鏡』の中の僕は左手で首を掻き毟っているだけで、僕の形をした醜いマスクが剥がれることはなかった。


何やら外が騒がしい。

ここに住む人たちを手にかけたのは時間差があったから、おおかた最後に残った人が、助けを求める電話でもかけたのだろう。


僕が右手で蛇口を締めると、『鏡』の僕は左手で蛇口を締めた。

そして、『鏡の中の僕』に言った。




「君はセンスが悪いようだ。もし僕がそっちに行くようなことがあるなら、マスク選びに付き合わせてくれ」




きっと君より__良いものを選んでやる。




力の限り『鏡』に打ち付けた右の拳が、真っ赤に染まる。それでも『鏡』は、大したことないと言うように、損傷によって崩れた僕の顔を写して笑った。


頭が痛い。


割れそうだ。


ついでに、右の拳も。







『鏡の中の僕』が、『鏡』を殴る音がした。


そのせいで僕はバランスを崩して、その場に倒れこんだ。


『鏡の中の僕』も__右の拳を、赤く染めていることだろう。


『鏡の中の僕』が右の拳を押さえて悶えている様を想像すると__


僕は少しだけ、嬉しい気持ちになった。

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