布施の戦い その三
一路信濃へと向けて、南下を始める。
無論、先触れを出して叔父である高梨殿には、連絡を事前にしてある。
親しき仲にも礼儀あり。
それがたとえ親族であろうと、一地域とはいえその領袖であれば、ちゃんと筋は通すべきなのだ。
高梨殿も兵を出そうかと提案をしてくれたが、それは丁重にお断りしておいた。
最悪、敗北して逃げなければならなくなった場合の防波堤として、期待がある。
楽天的に全て上手くいけば良いが、えてして何が待っているのか分からない。
常に最悪の事態を想定しておけば、何かあってもすぐに対応出来るはずだ。
仮に敗北して落ち延びていった際に、裏切られて襲われるような目にあったとしても、それは私の考えが甘かったと思うしか無いのだろう。
順調に軍は移動していく。
敵兵が待つのは、まだまだ先ではあるけれど、あくまでもそれはそれ。
ある程度の緊張感をもって事に挑まなければ、逆に食い破られる事すら思い描ける。
ひりつくような、何とも言えない雰囲気が支配する中、誰も文句を言うことはない。
まぁ、緊張感というよりも、この先に立てるであろう武功について考えているのかも。
気合いが入っているなら、それでいいか。
南下を続け、善光寺を眺めながら、千曲川に沿うような形で先へと歩を進める。
牛に揺られて善光寺とか言うけど、私は馬に揺られてだったわね。
ちょっと観光気分が入ってしまっているかもしれない。
越後に住んでいたら、なかなか見ることは叶わないものね。
戦に向けての緊張感が一瞬で弛緩して、どこかに吹き飛んでしまったようだ。
ま、私はそのくらいの気構えでいいか。
冷静に、客観的に自分達の動きを見れるくらいで、ちょうどいいのかな?
それにしても善光寺。
立派なお寺だこと。
何度か燃えてしまったりしたようだが、その度に再建されたようだ。
ここいらに住まう者の心のよりどころとされているのだろう。
私が知っているくらい有名なお寺なんだけど、後世まで文化財として、手厚く保護されるといいわね。
まだ、文化財としての観点では見られてはいないかもだけど。
そんな最中、その観光気分を引き裂く一報が届けられる。
「景虎様!」
「ん?」
「武田の先駆けが陣を張っております!」
「あら、そう。それじゃいよいよね。伝令ご苦労様。」
「さて、そうとなれば、こちらも陣を構えませんと。」
「その辺は定満、よろしく。」
何もないような移動から、ようやく目的だった武田の軍勢を発見するに至った。
ま、南下を続けていれば、いずれは何処かでぶつかるのはわかりきってはいたが。
しかし、先駆けか。
となると、武田晴信当人は後ろの方に控えている訳か。
そうなると、軽くひねってやらないといけないわね。
ここで快勝すれば、相手方にプレッシャーを与えられる。
それに、勝利は見方の士気を上げる一番の手じゃないかしら?
褒美を配るというのもありだけど、資産は有限。
そうそうばらまけるものじゃない。
仮にばらまくにしても、ここ一番でやらないと。
やるからには、最大限の効果を得るようにしとかないと、ただの損なだけだし。
さて、準備を整え武田の先鋒とぶつかる。
が、呆気ないくらいあっさりと撃ち破ってしまう。
それこそ、何も話すことは無いくらいに。
敵兵の数もこちらより下だったし、有力な将もいなかった?
いや、あっさりと退いていったから、あくまでも様子見だったのかも。
そして、そのままの勢いをかって、荒砥城へと攻め込むに至った。
ここを落としておく事で、葛尾城を攻める為の布石となる。
葛尾城の支城としての役割を、これまでしてきていたのだから。
葛尾城までとれれば、武田の勢力は一気に後退させられる。
「バッハッハ!かかれぃ!」
「うっしゃー!ぶっとばせー!」
「貞興!もう少し兵の運用というものを考えろ!」
景家を中心とした部隊が、城を攻め上がる。
貞興も勢いにのっているようで、長重がフォローしているようだ。
上手くバランスが取れているように見える。
さ、早いところ落としてしまわないとね。
◇
「先鋒がやられたみたいですな。」
「だが、しっかりと逃げ出せたのだろう?」
「はい。読み通り追撃はありませなんだ。」
「だろうな。これまでの戦の報告からも分かっていたが、何故か追撃はしないからな。まあ、この後の事を考えての事だろうがな。」
膝をポンと打って楽しげに話す。
まるで、全ての事象が掌の中で繰り広げられているかのように。
それに合わせるように、家臣もニヤリと笑みを浮かべる。
「して、この後はどうなさいます?」
「今は様子見でよかろうて。下手につついて被害を負うこともあるまい。まあ、そうは言ってもちょっかいは出させてもらうつもりだがな。」
「ということは?」
「おそらく荒砥城は落ちるだろうよ。だが、それだけの話だろう。その後は葛尾城あたりが狙いか。なら、後方の荒砥城をあらためて攻め込んだらどのような反応をするだろうな。」
そう言うと腰元に差していた扇子を取りだし、軽く扇ぐ。
全てが演出されたような動きを見せる。
「意地が悪いですな。」
「今更そのような事を言うか?」
「いえいえ、誉め言葉でございますれば。」
「お前も大概だな。」
「それも誉め言葉でしょう?」
「カハハハハ。何、見ておれ。虎退治は十八番ゆえな。」
その一言に家臣は黙る。
虎退治。
それは景虎の事だけでなく、暗に武田家前当主である信虎を指している事を匂わせる一言であったからだ。
殺害したわけではなく、甲斐から追放しただけではあるが。
だが、その家臣の事など、どこ吹く風といった具合でいる。
カラカラとさも楽しげに話す主君に、ぞっとしたものを感じる。
が、同時にこれほど心強いものも無いと思わされる。
どんな手を使おうと、有言実行。
甲斐の国を豊かにする為には、手段など選んではいられない。
確かにそこには、したたかに時代を生き抜こうとする男がいた。
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