実乃帰還
実乃が、春日山城から帰ってきた。
私は、質問攻めにしてノイローゼにでもしてやろうと考え、すぐに実乃の元に向かった。
そのくらいはやってもいいわよね、というくらいには怒っていたりする。
気が利くといえばそれまでの話だけれど、そうは言っても勝手をされては困るというものなのだから。
だが、実乃のところに着いて驚かされる。
本来、この場所にいるはずの無い人物がそこに居たからだ。
「兄上!なぜここに?」
「ああ、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「それは勿論。じゃなくて、なぜこちらに?」
「いや、古志郡を制圧したと聞いたからね。労う意味でも寄らせてもらったよ。」
「それはありがとうございます。でも、当主である兄上が、ほいほい来てしまってよろしいのですか?」
「いやー、来るために色々な仕事を前倒しにしてきたよ。大変だったよね。」
爽やかな笑顔を浮かべている。
労いに来てくれたのはうれしいけど、わざわざ栃尾城に来なくとも私が向かったのに。
こんなにフットワークが軽い人だったかしら?
どちらかというと、文机に座ってずーっと書き物をしているイメージだったわよ。
私は、静かに兄上の横に控えている実乃に問う。
「実乃、どういうことなの?」
「いや、申し訳ございません。古志郡を制圧したら、すぐに報せを寄越すよう言付かっておりましたので。」
「そうそう、実乃は悪くは無いよ。あくまでも命令の通りに動いていただけだから。」
「兄上がおっしゃるなら、特に責めを負わすつもりは無いですけれど、こういうことは先に言って置いてもらいませんと。」
「いや、景虎の驚いた顔を見てみたくてね。」
「はぁ・・・もういいです。」
「ああ、そうそう。母上や景虎が面倒を見ていた三人娘も連れてきているよ。後で顔を出してあげるといいよ。」
「それはありがとうございます。重太も弥太も喜びますわ。」
兄上だけじゃなく、お母様や妙と結と香の三人娘にも会えるとあればこれは嬉しい。
春日山城から出て以来だから、しばらくぶりだ。
お母様はお変わり無いだろうか。
三人娘は、より淑女へとステップアップ出来ただろうか。
こんな時代だからこそ、女は美しくありたいものね。
「そうそう、それで何でも以前やった宴で面白い料理を振る舞ったそうだね。」
「えっ?あー、蕎麦切りですか?」
「そうそう、それそれ。実乃からも聞いたけど、これから食べさせてくれるんだろう?」
「確かに、実乃とは戦が終わった後に食べさせる約束をしてますけど、まさか兄上も?」
「そりゃ、興味があるよね。味気ない腹に貯めるだけの物って扱いだったのに、それを美味な物に昇華してしまったんだから。」
「いえ、そこまで大仰な物ではありませんよ?」
「いやいや、そんなこと無いよ。どうしても米と比べたら下に見られてしまうからね。でもその価値を上げる事が出来ると、民の暮らしの向上にも繋がるよね。」
「そう言われればそうかもしれませんね。いずれは作り方を広めて好きにやらせれば、色々な種類の物も出来るでしょうし。」
「いや、楽しみだね。」
兄上も、蕎麦切りには興味津々といったところか。
”食“というものに、なかなかお金をかける事の出来ないこの時代。
ちょっとした事で美味しい物が出来るなら、それは試してみたいというのもわかる。
それにしても、相変わらず兄上は物腰柔らかな喋り口調で何故だか安心する。
さて、楽しい会話を続けるのも良いが、何時までも続けるというのもどうだろうか。
兄上も、何時までこちらに寄っていられるか分からない以上、早速蕎麦切りを提供するべきだろう。
私がそう告げると、実乃が喜んでいた。
兄上の前にいるから、大きなリアクションは取れなかったようだが。
材料は既に揃っている。
道具も前回使用したものがある。
それに、今回は蕎麦の太さを揃える為に、生地の上に当てる板も作成済みになっている。
より完成度が高い物が、これで提供出来るというものだ。
そんな最中、私の元に急使が訪れる。
急に来るから急使なのだけど、今はいいでしょとか思ってしまう。
「かっ、景虎様ー!」
「何?どうしたのよ?」
「急報にございます。」
「どうした、そんなに慌てて。」
「これは晴景様!一大事にございます。」
「うむ。まずは落ち着け。して、何があった?」
「黒滝城主、黒田秀忠ご謀反!春日山城に攻め寄せるべく兵を挙げた模様!」
「何だと!よもや秀忠が!」
まさかの一報に大きな声を上げる兄上。
ということは、結構信頼されていたのだろう。
そんな信頼を受けていた者が謀反を起こせば、驚くのも致し方ない。
しかし、自分の利を考えての行動だとは思うが、タイミング今かよ!
もう少し空気読めよ!
「どうなさいます兄上?」
「仕方があるまい。景虎、古志郡を制圧したばかりのところ悪いが、すぐにこれを鎮圧してくるのだ。」
「かしこまりました。準備の整いしだい直ぐに向かいます。揚北衆も動かしてもよろしいのですか?」
「委細任せる。秀忠は殺さず捕らえるんだ!」
「はい!あ、兄上。蕎麦切りは、女中にも作り方を一先ず教えてあるので、蕎麦切りは用意させますね。さ、実乃行くわよ。」
「ああ、ありがとう。実乃、景虎を頼む。」
「かしこまりました・・・」
「さあさあ、実乃行くわよ。」
ようやく口に出来るはずだった蕎麦切りをお預けとなってしまい、しょげる実乃の背中を押して私はその場を後にした。
可哀相だけれど仕方が無いわよね。
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