寒空と幼子
寺に入ってからいくつかの季節は巡り、色々な事を吸収していった。
やはり若いというのは素晴らしい。
肌のハリツヤだけでなく、頭もどうやら柔らかいらしく様々な事を覚えていける。
以前の知識と現在の知識が混在する、世界に二人といないスペシャルな人間になれてきているような気がする。
そのお陰でか、天才扱いになってしまっていた。
住職である天室光育和尚を始めとした様々な人達が称えてくれる。
無論、そんな私に対抗心を燃やす者もいれば、単に嫉妬心の塊のようになっている者もいて、何も考えずに喜ぶような真似はしなかった。
男の嫉妬程見苦しい物は無いと思うのだけれど、こればかりは人の心の内の問題。
私には、いかんともしがたい事柄であることは間違いない。
その為、極力目立たないように気を付けることにしていた。
ただ、自分で注意を払ったとしても、問題はちょこちょこ発生するものだし、それに腐っても守護代の息子な訳で、全く目立たないというわけにはいかなかったが。
それでも表面上は平穏なまま時が過ぎた。
それはある日のことだった。
残雪が残る越後の春はやはり寒い。
震える体をそのままに掃除をするが、まだまだ水も冷たく手がかじかむ。
廊下を駆けるようにして拭いていく。
丁寧にやっていく内に体は温かくなるが、それでも手は冷たいままだ。
自分の割り当ての部分を拭き上げ、箒を持って寺門の方へと向かう。
雪が残っていたとしても掃き掃除をする。
泥濘みに足をとられそうになるが、それもさすがに慣れたものだ。
とくに落ち葉が落ちているわけでもないが、それでも日課ということもあり進めていく。
ふと、何か視界に入った気がしてそちらに注目すると、小さく縮こまるようにしてしゃがんでいる子供が見える。
まだまだ日も明けきらない内から居たのだろう。
ガタガタ震えているのが分かる。
言っては何だが、なかなかみすぼらしい格好をしており、着ている服では防寒とはならないように思える。
門の軒先ならば多少の風や雨露は凌げるが、いかんせん寒さは無理だ。
いったい、いつから居たのだろう。
昨日の晩からいたとすれば、体は冷えきってしまっているはずだ。
箒を放り出しその子の元へと駆けつける。
「あなた、どうしたの?」
と、問いただしても返答が無い。
触れてみると、やはり体が冷たくなっている。
取り敢えずとばかりに抱きすくめると、私の体温の温かさで暖でもとろうとばかりにしがみついてきた。
みすぼらしい格好もそうだが、全身泥まみれといった感じで汚れが酷く、体から醜悪な臭いもすることから、しばらく体を綺麗にすることもしていないようだ。
だからといって、汚いと突き放すというのは私の選択肢には無かった。
しがみついているその子を抱き上げると、私が朝まで眠っていた部屋へと担ぎ込む。
他に掃除をしていた者達に、奇異の目で見られるがそんなことはどうでもいい。
そっと床にその子を置き、一度畳んで片付けた布団を引き直しその子を寝かせる。
汚れや臭いが布団に移ってしまうかもしれないが、人命には変えられない。
今なお震えるその子の手足を懸命に擦る。
少しでも熱をその子に与えるために、直ぐに思い付いたのはその程度しか無かったからだ。
湯船でも有れば、お湯を張ってゆっくりと温めてあげるのだけど、この時代湯船に浸かるという文化はまだ生まれておらず、そんな事は出来ないので致し方無い。
しばらく懸命に続けていると、静かな寝息をたて始めたのでひと息つく。
後は、ゆっくり休めばやがては目を覚ますだろう。
掃除が終わっていなかったので、その場を後にしようとするが、どうにもその子が私の裾を持っているのが分かる。
それを優しく解くと立ち上がる。
そのタイミングで誰かが駆け込んできたようだ。
ふっとそちらに目線をやる。
ニヤついた笑いがなんとも嫌らしい顔をしている。
そいつは私が入門する前から居た兄弟子だ。
何かにつけて突っかかってくる、あまり印象の良くない男だ。
いったい私に何の用だろう?
寒い空気が入り込んで来るから、障子は閉めてほしいのだけれども。
「虎千代様よぉ。掃除ほっぽりだして何してんだよ。」
「見ての通りだけれど理解出来ないのかしら?」
「ああ、理解出来ないね。そんなの助けたところで何になるんだよ。」
「さあ?それでも目の前に困っている人がいるのなら、手を差し伸べるべきではなくて?それが御仏にお仕えするものなら余計にね。」
「ああ?勝手な事してるんじゃねーよ。守護代様の子供だからって、なんでもなると思ってんじゃねーよ。」
「そんな事は思っていないわ。それに掃除なら、これから戻って続きをするつもりだし。それより、あなたこそ何持ち場を離れているのかしら?」
「うるせーよ。俺は上に報告に行ったんだよ。勝手なことしている奴がいますってな。」
そいつの口調にイラッとするが、過剰に反応すると後が面倒だ。
ここは適当に流すべきだろう。
と、そこに和尚の高弟であろう人がやって来る。
何とも渋い顔だ。
「これ、言い争いはやめ持ち場に戻りなさい。それと、虎千代。これはいったいどういう事です?」
「外で寒さに震える子がいたから、寝かせてあげただけです。」
「それは良い行いをしました。と言いたいところですが、これは問題ですね。」
「それはどうして?」
「たった一人とて、手を差し伸べれば、我も我もと他の者達も同じことをするようになるでしょう。となれば、それはその行動をするもの達にとって、良いことといえるのですか?全てをあまねく救えないのならば、下手な事はすべきではないと思いますが?」
「それはおかしくありませんか?仮にそのような人達がいたとして、それで目の前で震えるこの子を、助けてはならないという考えに何故なるのでしょう。確かに私は御仏ではないですから、衆生あまねくなどといったことは出来ません。でも、目の前の子を救えないのならば、他に私の手の届く範囲にいる方達すら、救えないと思うのですが。」
「ふむ。それでその子が目を覚ましたらなんとします?行く宛の無い子供を引き取るような余裕は無いはずですよ。食べるものはどうします?住まう場所はどうします?ただの正義感で、一時の感情で動くのはその子の為にもなりません。やがて成長したとして、困ったときに誰かが助けてくれるといった甘い考えになり、結果救えないとなればどうします?」
「和尚様に掛け合ってでも何とかします。」
「ふう。取り敢えずよろしい。この件は天室光育様に相談して決めます。虎千代、持ち場に戻り作業を再開しなさい。」
そうして、私はその子を寝かせたまま持ち場に戻った。
まだ心配ではあるけれど、静かに眠っているのであれば、私の出番は一先ず無い。
しかし、そこまでの問題になるとは思わなんだ。
「・・・といったことがありまして。どうなさいます?」
「どうもこうも、自分で何とかすると言ったのですよね?」
「ええ、そうです。」
「ならば何とかさせなさい。寝るところくらいは提供してあげれば良いでしょう。代わりに何か作業をさせればよろしい。」
「よろしいのですか?他の修行している者達から、不満の声が上がりそうてすが。」
「それすら納得ずくでの行動でしょう。そのくらいの跳ねっ返りが一人くらいいても良いでしょう。」
そこまで言って、くつくつと笑う天室光育。
そんな会話があったとは露知らず、寺にその子が受け入れられる事になった事実だけを知った私は喜んだ。
が、本当に住まう場所の提供しかしては貰えなかったが。
無論、直ぐに兄上に書状を書きしたため、食料の援助を求めたのは言うまでもない。
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