京も今日とて思い付き
結局、その日前久様は肉を食べることは無かった。
周りの反発を受け入れての事のように見えた。
興味の方が強そうだっただけに食べるかと思ったが、周りの意見を尊重した形なんだろう。
また、彼らを差し置く形で、肉をもりもりと食べていく皆を見て、野蛮だなどと言い出している者もいた。
でも、折角捕ってきた獲物をそのままに打ち捨てるなんて、それこそ命に対する冒涜よね。
まあ、あくまで建前は、という話なんだけど。
だって、美味しいじゃない肉。
この食肉騒ぎによって、一日中居るかと思われた前久様一行は、用意された食事(勿論肉以外の物)を軽く食べると、そそくさと帰宅していった。
ここも、周りを慮っての行動なのだろう。
前久様は、まだ居たそうにしていたから。
前久様が帰った後も、鍛練は続く。
いや、むしろ見学する者がいなくなった事で、変な緊張が無くなったのか、より激しいものになっていた。
ま、怪我無くやってくれるなら、いくらでもやってください。
竹刀を振り回す面々の側で、私は少し考える。
のんびりと白湯を飲みながら。
張り切る泰重の大きな声と、それ以外の者の怨嗟の声が聞こえてくるけど気にしない。
鍛練をするとなったのなら、徹底的にやればいい。
私が巻き込まれなければそれでいい。
「うん、決めた!」
「いや、景虎。また、変な事を思い付いたんじゃ無いだろうね?」
「変な事?嫌だわ、兄上。私がそんな事をするわけ無いじゃない。」
「うーん、本当かな?長尾家の為にならないことをするとは思えないけど、何というか、周りがやらない事を平然とやるからね。」
私の横で、鍛練に励む者達を見ながら、兄上も白湯を飲んでいた。
前久様達がお帰りになってから、多少落ち着いた様子を見せていたけど、私の様子を見て、何か感づいたようだ。
でも、兄上が不安に思う必要は無いと思う。
別に兄上に被害が及ぶ事も無いだろうから。
「それで、何を思い付いたんだい?」
「いえね。先程、公家の方の中で、河原者の事をおっしゃっていた方がいたじゃないですか。」
「確かにいたね・・・まさか?」
私が、この後に言うであろう言葉が思い当たったのだろうか。
表情がみるみる強ばってくる。
「えぇ。その河原者という方達に、会ってみたいと思いまして。」
「なんで会う必要があるのか、まったく分からないよ。」
「いえ、あの後、屋敷の女中やなんかに話を聞いて、詳しく知ったのですけど、彼等って別に肉を食べたくて、牛馬を屠殺している訳じゃないですよね?」
「ああ、動物の革を鞣す事もしていたか。ただ、不浄は誰も好みはしないからね。あまり人は近付かないんじゃないかな?」
「そんな方達に私が会っても、問題は無いと思うんです。」
「ん?それはどういう意味だ?」
首を傾げる兄上。
やはり、分からないのだろうか?
この時代、河原者といえば、差別的な階級として見られているところがあった。
勿論、一概に河原者であるから、どうという訳じゃない。
屠畜や皮革の作製以外にも、演芸に精を出す者や、造園業に従事する者もいたりと様々ではあった。
それでも彼等は下に見られていた。
革を鞣す際に出る独特の臭いもそうだが、それ以上に注目すべきは穢れというものであろう。
河原は、処刑場であり、動物の解体場であり、漁場であり、合戦場でもあった。
沢山の死が集まる場所に住む。
であるならば、そこに住まう者達は穢れている。
なんとも短絡的な考え方ではあるけど、致し方がない。
幽霊やら妖怪やらがいると、強く信じられているのなら、このような考えがあっても仕方がないだろう。
「兄上、私が何と呼ばれているのか覚えていますか?」
「毘沙門天の化身か。」
「魔を祓い、厄を祓う毘沙門天ならば、穢れを祓うのも勿論でしょう?」
「いや、しかし。でも、うーん。」
詭弁も詭弁。
口から出任せである。
牛馬を殺してしまう事が穢れとするなら、鹿や猪を殺めて食べてしまう事だって同義じゃない?
勿論、お祓いの経験の無い私が、何かを出来る訳はない。
でも、恥ずかしい二つ名とて、利用しない手は無い。
「駄目かしら?」
「はぁ、言い出したら聞かないからね。分かった。その代わり、参内が済んでからにしてくれないか?良からぬ事を言われても面白くは無いからね。」
「心配しなくても、大丈夫よ。きっと、そんな変な事にはならないわ。」
「だと、いいんだけどね。」
軽く溜息をつきながらも、私の行動を認めてくれたようだ。
いや、認めざるをえない?
兎にも角にも、そうしたら、早い内に行きたいところよね。
鍛練の近くで話をしただけあって、多分こちらの話し声を聞いていたはずだから、何人かは怖いもの知らずも、ついてくるでしょ。
牛肉や馬肉が、どのように食べられているのか、気になるわね。
毘沙門天の二つ名便利(笑)
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