強くある為に
配下の皆が走っている間、何か別な事を行ってもてなそうとしたんだけど、前久様に断られてしまった。
彼らが走っている間、その様子を見ていようと考えたらしい。
だけど、そんな事をされては、彼らは少しも手を抜かずに走り続けなければならなくなる。
無尽蔵に体力があれば良いが、そんな人間なんてあり得ないものね。
実際、普段は走らされていたとしても、表向きは全力でやるが、適度に休みを入れることも大事。
むしろ、適度な休憩を入れるタイミングを見計らう、状況判断もこの鍛練の内に含まれるのだから。
いや、そもそもそろそろ視界から外れつつあるが、彼らを捉え続ける事が出来なくなるから、見学も何も無い気もするけど。
しかし、昨日の立ち合いもそうだけど、何故ここまで鍛練だったりに興味があるんだろうか?
不思議でならなかった。
公家という立場なのだから、そこは私の知るよしもないような、高度な政治に精を出すべきじゃないかしら。
「前久様、何故このような鍛練などに興味があるんです?」
「えっ?単純に好きだからだよ?」
「本当にそれだけてすか?」
「いや、勿論別の理由もあるよ。武士である景虎殿に言うのもなんだけど、公家だと偉ぶっているのってどうかと思うんだよ。実力も無いのに、吠えてるだけで実行力が無いなんて、お笑い草にすらならないでしょ?かつては、公家だって刀を持って、戦に臨む事もあったのに、今は惰弱じゃない?この国がこれだけ荒れてしまっているのには、公家の力が衰えてしまっている事も、要因の一つだと思うんだよね。」
「それは・・・」
なんとも反応しにくい答えが返ってきてしまった。
確かに、群雄割拠するこの時代。
何かを得るためには、強くあらねばならない。
したたかに、されどしなやかに状況に対応していく事が出来なくては、取り残されていってしまう。
「そりゃ、公方の力が衰えてしまっている事もあるよ?でも、そこだけに責任を負わせるのは、どうしたって無責任な気がするよね。いやね、朝廷の力を取り戻すには、公方の力を取り戻させて、もっと堅固な支配体制を確立するのが良いと考えているんだ。」
「なんとも難しいお話ですね。」
「そう?例えば、景虎殿のような人が、義藤殿の力になってくれれば、千人力だと思うけどね。そして、その協力を取り付けたのが朝廷だとすれば、朝廷と幕府の力も相互に上がりそうじゃない?」
「私のような田舎者に勤まりはしないでしょう?」
「まあ、いいよ。こんな重大な話、簡単に首を振るわけにはいかないかもね。義藤殿に会ってみてから決めればいいよ。」
そう言って、にこりと笑う前久様。
まるで、私が協力をすると確信しているようだった。
越後守護代の長尾家が、越後の国の支配を将軍家に認めてもらったのは、かなり大きかった。
都近くでは、どうかは分からないが、今なお越後においては、公方様の権威は高い。
その高い権威で箔付けされれば、旧来然とした考えをする者達にとっては、水戸黄門の印籠と同義な力を発揮する。
長尾家に降るのでは無く、将軍家に降るのだと考えることだって出来る。
いや、勿論現実には違うが、建前というのも大事な事だ。
そこら辺の条件を整えるだけで降ってくれるなら、いくらでも建前を整えようと思う。
それにしても、この近衛前久様というお方。
見た目とは違い、様々な事を考えているようだ。
傍目には、華奢なお公家さんでしか無いというのに。
やはり、この若さで右大臣なんていう、とんでもない位についているだけの事はあるのだろう。
それに、そんな前久様が力になろとしている公方様とは一体どんな方だろうか?
余程の人物なんだろう。
私と前久様が話をしていると、遠方から元気な声が聞こえてきた。
男達が、騒ぎながらこちらに向かって来ているのが分かる。
おそらくも何も、走らされていた皆だろう。
聞き覚えのある声だらけだものね。
しかし、こんなに早く帰って来るとは何事だろう。
慌てた様子でも無く、悲壮な感じもしない事から、大変な事態が起きたとは思えない。
それでも、泰重が指示を出した鍛練を取り下げて、帰還を選んだのだ。
何事かと思うのも仕方がない。
「あ、お虎兄ちゃん!」
「あれ?景虎様、まだあんなとこに突っ立ってたのか。」
「お帰り、二人とも。それに皆も。それにしたって帰るのが速くない?何時もなら、まだまだ走らされているはずなのに。」
「いやぁ、山に入っていったら、鹿を発見してさ。」
「それで、手分けしての狩りに、鍛練が変更されたんだ。」
そうしてゲットしてきた獲物を、得意気に見せてくれる。
いや、そんな事しなくても、十分見えているから。
それにしても、まさかの狩り。
斜め上を行くわね。
いや、泰重も大概よね。
しかし、たいした装備も無く、よく狩ってきたわね。
まさか素手?
いやいや、さすがにそれは無いか。
「そう。それで、泰重は?」
「後ろの方だよ。血抜きをしてるから、遅れてるんじゃない?」
「早めに処理せんといかんからのう、とか言ってたしな。」
「確かに、美味しくいただくなら、処理は早めにしないといけないものね。」
しかし、立派な鹿を捕まえたものだ。
皮剥ぎまではさすがにされていないけど、既に血抜きを終えているのが、首筋などにつけられた傷を見ると分かる。
これなら、前久様のもてなしに使うのもいいかもしれない。
私は、興味深げに獲物を見ている前久様に声をかける。
「どうでしょう前久様。これらを使った昼食などは?」
「え?食べるの?」
「あら?獣肉はお嫌いですか?」
「いや、あまり食べようとしたことは無いかな。」
「そうです!高貴なあなた様が、このような物口にするなど!」
前久様はやんわりと、お付きの方は結構強めに反論してくる。
お肉はあんまり食べないのかしらね。
まあ、住んでる世界が元々違う訳だし、食生活だって違うんだろう。
しかし、折角の鹿肉を無駄にするのもよろしくない。
折角だし、これは家臣皆で食べればいいか。
「前久様は、余りお気に召さないようだから、これは皆で食べていいわよ?」
「うおー!本当に!」
「嘘は言わないわ。食べるのも鍛練の内よ?」
「食べるのが鍛練になると?」
「ええ、そうです。自分の体を作り上げるのは、それまで口にしてきている食べ物です。体を鍛える者にとっては、肉は最上の食べ物の一つと言えると思います。」
「ふーむ。医食同源の考えに近いのかな・・・」
そうして、顎に手を当て考える素振りを見せる。
私も詳しく説明を求められると困るが、確かたんぱく質が筋肉にいいのよね。
体を痛め付けた後は、なお良いと思うし。
現に、貞興なんかは成長期の段階で、しっかりと肉を食べていたせいか、同年代に比べて、一回り大きく見える。
「前久様やお連れの方々には、何か別の物を用意するように致します。」
「いやいや、ちょっと待って。獣肉を食べることが、自分を強くするための事だとするなら、是非に食べさせてもらいたいよ。」
「そうですか?でしたら前久様、是非お試しください。」
「いや、なりません!そんな河原者のような事、やめてください!」
「河原者?」
「獣を屠殺し、獣肉を食らう者の事だ!そのような下々の者と同じような物を食べようとしようだなど、到底許せないことでしょう!」
凄い剣幕ね。
それじゃあ、普段はどれだけ良いものを食べているんでしょう?
いや、逆に肉とか無いなら、さもしい昼食なのかも。
ま、どうするかは、前久様ご本人の判断に任せよう。
しかし、河原者ね。
越後にもいるのかしら?
獣を屠殺するとかだけ聞くと、物騒な集団のように見えるけど、何を目的としてそんなことをしているのかしらね。
まさか、肉好きの集り?
いや、それは無いか。
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