右大臣
対峙する二人。
一方は、正眼に竹刀を構える。
堂に入ったといえるその構えは、長い間鍛練を積んできたと思える、しっかりとしたものだった。
もう一方は、竹刀を右手に片手持ちにして脇に構え、左手は何も持たず、ぶらぶらとさせる。
手をぶらぶらさせているのは、私だ。
申し訳無いが、私はまともに剣術の対戦をしようとは考えていなかった。
私のレベルでは、ちゃんと鍛練してきた者に、かなうとは到底思えない。
だからこその奇策とも言える。
幸い、徒手空拳であれば、戦える。
むしろ、剣を使った戦い方を、ちゃんと習熟しないといけないわね。
剣道三倍段なんて言葉もあるけど、奇襲としてならそれも関係ない。
で、あるならそれを利用するのは、当然の事でしょ?
私が様子を見ている状態にとどめていると、じりじりと距離を詰めてくる。
摺り足をやるのはいいけど、道場なんかの板張りの上でなく、ただの庭でやるのはなかなか大変じゃないのかな?
それでも、そろそろと近づいて来るあたりがさすがと言えるかもしれない。
そして、私の近くまでやって来ると、両手を振り上げ、そのまま振り下ろし一閃。
当たればダメージは避けられないという程の威力を放ちそうなその一撃は、振り下ろされる竹刀を弾くように横から叩きつける事で回避。
おそらく初見だからこその一撃。
様子見を兼ねたその一撃こそが命取りとなる。
すかさず襟を掴むと、腰に載せるような形で相手を持ち上げ、一気に捻りを加えて投げる。
綺麗に決まれば、力は然程必要とはならない。
そして、投げるといっても、襟はつかんだままにした。
その為、遠くへと吹き飛ぶ事無く、私のすぐ側で地面に倒れる事になる。
体を地面に強かに打ち付けると、私は手に持つ竹刀を投げ捨て、首を絞めるように、腕でロックする。
チョークスリーパーのような形にもっていく。
ちゃんとした関節技がこの時代あったかは知らないし、絞め技の概念もあったかは知らない。
でも、時代は違えど効果的である事に変わりは無い。
それは、この一戦でも言える事。
声にならない声を出しながら喘ぐ姿が、周りの私達を見守るようにしている貴族達にも見えるだろう。
だが、その状況に慌てたのは他でもない兄上だった。
「双方それまで!というより、早いところ手を離すんだ景虎!」
「まだ、意識を飛ばすことは無いと思いますけど。」
「いや、問題はそこじゃないから!」
兄上に言われるまま、締め上げようとしていた腕をほどく。
まあ、完全に締め上げるつもりは無かったけど。
私の腕の中で、ケホケホと咳き込んでいる。
解放した彼を立ち上がらせながら、周りの様子を見ると、やはり何かやらかしてしまったようだ。
でも、戦いを挑んできた以上、手を抜くのはどうかと思うのよね。
しかも、その相手に戦いを生業とする武士に挑んだんだから。
むしろ、本気で戦わねば、示しもつかない思う。
手を抜くような事を長重や貞興にしたら、どんな反応をするだろう。
相当、悔しげな反応をするだろう。
それこそ、今までの自分の努力をすら否定するくらいに。
それを考えたら、どんな相手でも手を抜く訳にはいかないでしょ?
「いや、やられたなぁ。」
「大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫。むしろ手加減されていた気がするよ。」
「そんなことは無いですよ?むしろ速攻で決着をつけるべきだと思いましたから。」
「あはははは・・・また冗談を。やっぱり武士に勝つのは、なかなか大変だなぁ。」
その笑顔の裏に、悔しさが滲んでいるように見える。
笑顔でカラリと笑うから分かりづらいだろうけど、対戦した私には少なくとも分かる。
ホッとした様子で兄上が近づいて来る。
一緒に慌てた様子で貴族の方々もやって来るのが見えた。
「いや、良かったよ。いくら成り行きとはいえ、右府様が無事で。」
「は?兄上。今なんと?」
「いや、右府様と言ったんだよ?何かあればただ事じゃ済まないからね。」
「はぁ。右府様?」
「なんだ?まだ、ボケているのか?右府様は右府様だろう。」
「?」
「右大臣、近衛前久様の事くらい覚えておきなよ?」
うげっ!
右府様って右大臣の事だったの?
右大臣って、そんな呼び方するなんて聞いてなかったわよ!
にしても、そんな偉い方が一戦やりたいとか、何を考えているのかしらね。
「いや、ありがとう景虎殿。自分の未熟さが見に染みたよ。出来れば、京に居るうちにまた相手になってもらえないかな?それと、鍛練をするようなら見学させてよ。どうやったら強くなれるか知りたいもんね。」
「それは構いませんけど、高貴な身分の方がそうそうよろしいのですか?」
「ん?大丈夫じゃない?深く考えた事無いかな。それに、公家が刀を持っちゃいけないなんて誰が決めたのさ?遥かに遡れば、公家だってチャンバラやってたんだから。」
「はぁ。」
「むしろ、公家だって自分で戦う術を身に付けるべきだよ。今の公家の凋落は、むしろ身から出た錆なとこもあると思うし。あ、これ聞かれたら怒られるかな?」
そう言って笑う前久様。
なかなかカラリとしたお方なのはわかった。
位階の高い方だというのに、命令口調で無いところも好感を持てる。
さらに言えば、大きな繋りというか、つてを得た事も大きい。
となれば、機嫌を損ねないように対応するのが正しいだろう。
「取り合えず、明日にでも長尾家の鍛練の様子を見れるように致しましょう。とはいえ、全ての者が参加するようなものにはならないでしょうけど。」
「うん、それでいいよ。それじゃ、また明日来るとするよ。」
そうして、再び笑う。
本当に興味があるようだ。
それならそれでいいか。
折角だし、ちゃんと見てもらいましょう。
おそらくお読みいただいた方の、大方の予想通り
近衛さんちの前久君でした。
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今後ともお付きあいのほど、よろしくお願いします。