寺の生活
寺での生活が始まった。
寺の朝は早い。
日が昇る前から行動を開始するのだ。
座禅を組んで、その後経を読む。
ひたすらに読み続け、ある程度の時間が経つと、ようやく朝餉になる。
それをさかさかと食べ、片付けを済ませると、次は寺領の清掃となる。
なかなかに広い寺を、手分けして掃除をしていく。
そのあと写経などをしてある程度時間がたつと、再び経を読み昼餉の時間となる。
これまたさかさかと済ませると、午後からは勉強のお時間となった。
他の僧侶などに混じりながら、様々な事をを教わる。
仏教についての事とか、歴史についてなどだ。
算術は、現代で学校を出ていた私にとっては朝飯前。
何せ算数レベルでしかないからだ。
加減乗除が扱えれば大丈夫だった。
少しずつ広まり始めていた茶の湯なんかもあったりした。
とはいえ、私と一部の僧侶しかやらなかったけども。
これに関しても、私はそつなくこなした。
何せ茶道を習っていたのだから。
他にも華道や日本舞踊なども習っていた。
それもこれも、男の体という絶対的に覆せないハンディがあった私が、女性らしさを得るために必要だと思ったのだ。
ここまでする必要は無いとかつての仲間に言われたものだが、ママは「あんたの好きにやりな!女磨きを一生怠るんじゃないよ!」と言ってくれていたから、頑張っていたものだ。
そのほかには、軍略についても教えられる事になった。
こちらは元々習ってはなかった。
ってそれはそうか。
戦争とは程遠い生活だったのだから。
そりゃ世界を見回せば、戦争が根絶されているなどとは口が割けても言えないのはよくわかっているけども。
しかし、今はすぐそこに戦争が存在している。
その為、自衛という意味でも覚えておいて損は無いだろう。
どんな知識でも知っていて行使しないのと、知らなくて行使できないのは全然違う。
しかし、『敵を知り己を知れば』とかいうのは恋愛なんかにも当てはまるかもしれない。
これまで見向きもしてこなかったが、これは確実に身に付けておかなくては。
無駄知識に終わらぬように、何か機会があれば実践していかないと。
こちらは、私が大した知識が無いと分かると、嬉々として教えてくれる。
そんな姿を見せる何人かの教官役の坊主にホッコリする。
もうね、懸命に教えてくれるその姿。
痩せた体に鎖骨がチラチラと・・・
いけない、思わず妄想の世界にトリップしてしまった。
それにしても驚きなのは、軍略を教わる際に使用された大きな城の模型だ。
これを用いて城攻めの練習をするのだ。
勿論、兵達をどう動かすかは脳内補完によるものになるのだが。
よくもまあ、こんなものが寺の中にあったものだ。
いったい誰が作らせたものなのだろう?
細部にまでこだわった造りで、完全に趣味に走った物にしか見えない。
ひょっとして天室光育和尚が作らせたとか?
いや、まさかね。
勉強の時間が終わると、三度経を読む。
これだけやれば育ち盛りの体は食べ物を欲するが、この当時は一日二食が普通だった。
そんなわけで、腹の減りを誤魔化す為に温めた石を腹に当てるという、全く誤魔化せるかよくわからない事をしたりする。
のんびりと時間を過ごし、一日の疲れが出てくる体を休めて、最後は座禅を組み、それが終わると就寝となる。
夜は早く眠るように推奨される。
確かに辺りは既に真っ暗だし、明かりを灯そうとすると油を使用することになる。
何らかの事情や理由があれば別だが、そうでなければ単純にもったいない為なかなか使わせてもらえない。
それは私にも対象になるようだったが、朝から晩まででくたくたになるので、そんな事を考える余裕は無かった。
第一、朝早くに起きなくてはならないのだから、夜更しなんてするわけにいかない。
勿論、夜眠ることはお肌にもいい。
所謂、お肌に良いとされるゴールデンタイムをきっちり眠る事が出来る生活な訳だから、それを実践しない手はない。
そして目を覚ますと、また同じ一日が始まるのだ。
当時の寺での生活がよく分からんので現代のものを参考にしました。
仮に違う点があったとしても、この寺はそうだったと思ってもらえれば良いかと。
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今後ともお付きあいのほど、よろしくお願いします。