第一話 ビギニング 前編
※魔物との戦いはありますが、人間相手の戦闘はありません。
文体は雰囲気重視ですが、平易な表現をできるだけ用います。
性的な描写はしませんが、『朝チュン』は発生する可能性あり。
わたしが別名義でネットに公開している、ある世界観と舞台を共通しています。ですが、そちらに誘導する予定はありません。
10/29:全体的に調整しました。
「すまんが、もう一度言ってもらえるか? オレの聞き違いじゃなければいいんだが」
完遂した任務を護衛人ギルドに報告して、ギルド長のおごりの、ハチミツ酒を飲んで一息ついているさいに、横から耳を疑うような言葉を投げかけられた。
「おめえも稼業がなげえんなら、一度くらいはアビス峠を越えたんだろって言ったさ?」
口を開いたのは名前は覚えていないが、ここらの顔役と言ってもいいような男だ。
「最近めったに聞かないが、峠越えを考えている無謀きわまる隊商でもいるってのか?」
かつては十数人の護衛を従えて、アビス峠を越えようとした隊商がいたと聞いている。だが成功率は二割を切っていて、いまでは保険を請けてくれる商会もないという話だ。
「そういうワケじゃねえんだけどよ。ちっと訳ありなんだが、ギルド長もとりあわねえ」
「当たり前だ! そんな無謀な話に乗せられるようなヤツぁ、ここにはいやしないんだ」
顔役の男の言葉に、ギルド長が顔を真っ赤にして、カウンターにこぶしを振り下ろす。ギルドとはいっても、同業組合のようなものでしかない。
「アビス峠といえば制限地域だ。あんなところでブッ倒れても、誰も助けちゃくれない」
この世界では『死亡』がそのままの意味で使われているワケではないが、忌避される。
なぜなら、制限地域での死はすべてを失いかねないからだ。信頼も金も友情さえも――。
「フンっ。このあたりにも、ちったぁ気骨のあるやつが出て来たと聞いていたんだがな」
どんな思惑があるのか、ここまで拒絶しても顔役の男は、背を見せようとしなかった。
「そんな安い挑発に乗ったからこそ、こんなところまで流れ着いて来たんだがな」
この地域は海につきだした半島で、東も南も制限地域で分かたれていて孤立している。ここから抜け出すには月に一度くる船に乗るか、制限地域に足を踏み入れるしかない。
街の近くには有名な鉱山があり、鉱石を求める人間の護衛をするのが、オレの仕事だ。
「法外な報酬と万一のさいの保険でもないと、さすがにアビス峠は越えられないだろう」
少し落ち着いて来たので、ギルド長がだしてくれた、ハチミツ酒をのどに流し込んだ。
「報酬は金貨で二千枚。ただし単独で、護衛に当たらなければいけないんだが」
顔役の男は唇のはしをつり上げて、オレを値踏みするような視線で、冷笑を浴びせた。
「二千枚だか四千枚だか知らんが、絵に描いたモチは食えないだろ。帰ってくれないか」
ギルド長も顔役の男にいいかげん頭に来ているのか、鋭い視線で扉の方を指し示した。信頼のおける商会の依頼だとでもいうのなら別だが、なにせうさんくさすぎる。
「たしかにな。単独でアビス峠を越えられるんなら、一流の護衛人として名が売れるしな」
「そんな腕利きの護衛人がいるなんざ、ギルド長のおれでも聞いた事もないけどな」
「できる事なら、こんなところには戻らずに、セラエノあたりに腰を据えたいもんだよなぁ」
「おいおい。おめえに抜けられでもしたら、明日にでも仕事が回らなくなっちまう!」
顔役の男が出て行ったのを確認して、オレはジョッキに残ったハチミツ酒をあおった。
「だが、船代がもうすぐたまるんだ。いつまでもアテにされても、困るってもんだがな」
「おいおい。おめえ帰っちまうのか? 割のいい仕事を回すから、考え直してくれよ」
ここから抜け出すためには、銀貨にしておよそ二千枚もの費用がかかってしまう。ここでしか掘れない鉱石のための船だから高いのは仕方ないが、二年もかかったんだ。
「あと数度、無事に仕事をこなせば、来週の船に乗れるんだ。一度故郷に戻ってくるさ」
だから、ギルド長には悪いが、こんなところで足踏みをする気にはなれなかった。
「さあ、違約金だ! 今すぐ支払ってもらおうじゃないか? ええっ、護衛人さんよ」
数日後に、客との間でもめ事を生じさせてしまい、ギルドでの談判を余儀なくされた。
「オレが止めるのも聞かずに、先に進むからじゃないか! 自業自得じゃないか」
客に妙な特約をつけられたが、船代に届くからと応じちまったのが間違いだった。
「おいおい。いざこざは勘弁してくれないか。ウチの信用にかかわるもんでなぁ」
ふだんなら、オレの言葉に耳を傾けてくれたギルド長は、視線をそらして言い捨てた。こんな手合いの主張を認めるようでは、護衛ギルドの長など勤まらないはずなんだが。
「くっ。あんたそれでもギルド長か。どうやら、見損なっていたようだなぁっ」
オレはテーブルの上に、違約金にあたる銀貨千枚の証書をたたきつけて、席をけった。
決定的なまでに、関係が破綻したワケじゃないが、もう戻りたくなどない。
「なぜ油断した。裏切られるのは別に初めてじゃなかったのに……ちくしょうっ!」
オレは腹立ち紛れに、街路樹に何度もこぶしをたたきつけた。
オレに去られては困るギルド長が、あの客と組んでハメたのは間違いなさそうだ。
「ここらでは有名な護衛人が、なにやらお困りのようですなぁ……ひっひっひ」
気配に振り向くと、数日前に出会った顔役の男が、奇妙な笑みを浮かべていた。
「まさか、貴様が手を回したとでも言うのか! ええっ」
「おいおい。頭に血が登るのは分かるが、兄さんそりゃ誤解だよ」
顔役の男は、オレに殺意の入り交じった視線を向けられて、両手を上げた。
「くっ……たしかに、あの任務をオレが成功させる事と、ギルド長の利害は相反するな」
「そうそう。ちったぁ頭も使えるじゃないかね。そうでなきゃあ、頼もうとは思わんが」
顔役の男は、オレに理性的な話をする様子があるのを確かめて、茶亭を指さした。
「実際、あんな事をされてまでして、こんな街にしがみつくような兄さんじゃなかろう」
「あんたギルド長がやろうとした事を知っていて、止めなかったんだ。そうだな?」
茶を半分ほど飲み終えたころに顔役は口を開き、オレも自身の結論をつきつけた。
「兄さん。この世界では、『至言』とでも言えるような、処世術なんだが」
「フンッ。『言わぬが花』ってか? まぁいい。交渉のテーブルに乗ってやるよ」
先日は粗野なふるまいしか目につかなかったが、それでは顔役はつとまるまい。
案外、今日の商売人とも名士とでも取れるような姿が、顔役の男の真の姿かも。
「まぁ、兄さんの危惧するところは分かる。そこで、新しい条件を用意したよ」
「ほう。なかなかの名交渉人っぷりじゃないか。もしや、交渉人上がりだったり」
オレは顔役の男のすました顔が気にさわり、過去について触れてみたが何の反応もしめさない。
「話を続けさせてもらうよ。もちろん違約金は多額だ。だが、それは私がかぶろう」
「なにっ? それであんたにどんな利益が見込めるって言うんだ? 普通倍額だろう」
任務を、致命的なまでに失敗してしまった場合の違約金は、倍額が常識となっている。
「依頼人は東の丘の領主だ。長い付き合いなんで、引き受ける事にしたんだがね」
「という事は継承の儀式か。それなら、金貨二千枚もうなずけるってもんだが」
領主とはいっても、永続的な権利を持つ貴族ではなく、承認を受け続ける必要がある。領主が代替わりする時には、期限までに自治領主の会合に参加をしなければいけない。
無能な者にまで領主をつとめさせるわけにはいかないので、クエストが発生するのだ。
「ああ、金貨二千枚というのは前金だよ。成功報酬は金貨三千枚。総計五千枚になる」
「違約金は金貨四千枚。その前金はあんたに渡すって事だよな、常識的に考えれば」
たしかに成功すれば金貨三千枚が手に入る。なにか商売をする事も可能な額と言える。
「理解が早くてけっこうだ。ただし先日も言ったように、単独で対象者を守る事になる」
「たしかに、違約金の心配をしなくていいのなら、デスペナルティーは許容できる」
オレを実質的に殺害する事もできないし、貴重なアイテムを持っているワケでもない。
この男が、たとえオレを裏切ったところで、彼には何の利益も生み出さないだろう。
「護衛対象者は、どれぐらいのレベルだ? ゴブリンぐらいになら、対処できるのか?」
レベル制ではなくスキル制なので、比喩でしかないのだが意味は通るだろう。
「昨年に、後継者と目されていた嫡男が継承に失敗してしまってな。ほぼド素人だ」
「なっ。まさかNPC扱いだった人物に、シフトする事を選んだとでも言うのか?」
この世界には新規参入者が存在していない。にっちもさっちもいかないような場合は、シフトと呼ばれる転生を行うしかないが、能力の低下が甚だしいのでまず行われない。
「そこまでして、領主の座を受け継ぎたいもんかねぇ。オレには理解ができないが」
この世界に飛び込んださいに現実の世界の記憶は封印されており、シフトした場合は、一から、すべてを学んでいかねばならず、人格も年齢に合わせて調整をされてしまう。もっとも理不尽だと感じる部分だ。
「まっ、成長に補正が見込まれる分、育ててやればいいところまで行くとは思うんだが」
「継承の儀式の期限がもう迫っている。そういう悠長な事はやってられないワケか」
これまでたくわえた経験や能力のほとんどを投げ出したのに、失敗しては意味がない。
その違約金で、新たな生活をはじめるための原資にしたいというのも分かる話だ。
「自分と同程度とは言わんが、人並みの能力の冒険者を護衛するのでも、三日はかかる」
これまで一度も、アビス峠越えをこころみた事はないが、大体の相場はつかめている。
「五日だ。成功の報酬として、セラエノの街のギルドへの紹介状も持たせてやろう」
ここにまた戻って来るのは考えにくいので、それはとても助かると言っていいだろう。
「どうやら、頭をかかえて悩んでいるようなぜいたくは、許されちゃいないようだな!」
「おお。引き受けてくれるのか、ありがたい。ポーションは多めに用意しておいた」
オレは顔役の男と、痛いほどの握手を交わした。いつかうまい酒でも交わせるだろう。
ほぼ趣味で書いているので、あまり頻度は高くありませんが、
ひとつの完結したエピソードは、
一定期間内に執筆して公開する予定です。