第32話:07:00 - 配給の長列と、影の清算
【2026年6月21日 07:05 - 東京都・新宿区 都立高校グラウンド】
すっかり夜が明け、初夏の強い日差しが照りつけ始めた東京。
新宿区にある都立高校の広大なグラウンドには、信じられないほどの長さの「人の列」が形成されていた。
『非常事態宣言』に基づく配給制の開始を知らせる防災行政無線を聞き、近隣の住民たちが水と食料を求めて押し寄せたのだ。その数は、一つのグラウンドに数千人。老若男女、スーツ姿の会社員からジャージ姿の学生まで、誰もが無言で列に並んでいる。
「……列を乱さないでください! 割り込みは即座に排除します!」
グラウンドの随所で、迷彩服を着た陸上自衛隊の隊員たちが、小銃を肩から下げたまま厳しい声で誘導を行っていた。昨夜までの彼らとは違い、その目は「市民を守る」というよりも、「秩序を強制する」冷徹な光を帯びている。
グラウンドの中央には、東名高速を猛スピードで駆け抜けてきた大型トラックが数台停まっており、荷台から次々とペットボトルの水や、乾パン、缶詰の入った段ボールが下ろされていた。
「はい、次の方。水2本と非常食3日分です」
配給の最前線に立つ自衛官が、機械的な動作で物資を手渡していく。
物資を受け取った市民たちの顔には、疲労と安堵が入り混じっていた。
「ありがとう……本当に、助かります……」
年配の女性が、自衛官に向かって深々と頭を下げる。
自衛官は小さく頷くだけで、すぐに次を促した。
『国民民主連盟』の幹事長が意図した通り、国民の心には「軍隊(国家の暴力)が自分たちの命を繋いでくれている」という強烈な刷り込みが、この配給の列を通じて確実に行われていた。
昨日まで「自衛隊は違憲だ」「軍靴の音が聞こえる」と叫んでいた平和主義者たちでさえ、今は大人しく自衛官の指示に従い、水を受け取って頭を下げている。飢えと渇きという圧倒的な現実の前に、イデオロギーなど何の意味も持たなかった。
【2026年6月21日 07:25 - 新宿区市ヶ谷・防衛省 地下中央指揮所】
「……都内各所の配給ポイント、大きな混乱なく稼働中。市民は極めて従順です。地方からの第二陣、第三陣の物資輸送車列も、順次首都圏に進入しています」
市ヶ谷の地下指揮所で、情報官が安堵の声で報告した。
『国政参画党』の代表は、胸を撫で下ろした。
「よかった……。これで、東京で飢え死にする者は出ない。治安崩壊という最悪のシナリオは回避されたな」
「ええ、物理的な飢えはしのげました」
『国民民主連盟』の幹事長は、モニターに映る整然とした配給の列の映像を見つめながら、淡々と答えた。
「しかし、本当の『内戦』はここからです。……代表。我々が権力を掌握し続けるためには、旧体制の残滓を完全に一掃しなければなりません」
「旧体制の残滓……? 官邸の地下で全滅した旧政府の連中のことか?」
「彼らは死んで『都合のいい英雄』になりました。私が言っているのは、生き残っている連中です」
幹事長の目が、冷酷な光を放った。
「開戦直後、自衛隊の出動を『違憲だ』と騒ぎ立て、アメリカを非難し、中国への屈服を主張していたマスコミの幹部、一部の知識人、そして野党内の反乱分子たちです」
幹事長は、懐から一枚の分厚いリストを取り出し、机の上に放り投げた。
「このリストに載っている者たちは、国家の危機において明確に『利敵行為』を行いました。非常事態宣言の効力が生きている今のうちに、彼らをすべて『国家反逆罪』および『騒乱罪』の容疑で拘束し、社会から隔離します」
「なっ……! 幹事長、それはいくら何でもやりすぎだ! 言論の弾圧になるぞ!」
『国民民主連盟』の総理代理(代表)が、顔色を変えて立ち上がった。
「言論の自由とは、国家が存続して初めて保障される贅沢品です」
幹事長は、自らの党首を冷たく一瞥した。
「これから我々は、焼け野原の台湾の復興利権を独占し、防衛費をGDP比で数倍に引き上げ、憲法を改正して本格的な『国防軍』を創設します。……その過程で、いちいち『平和憲法が〜』と喚き散らすノイズは、復興の決定的な邪魔になる。国民が配給の水に並んでいる今のうちに、静かに『掃除』を終わらせるのです」
幹事長は、統合幕僚長の方を向いた。
「統幕長。自衛隊の『情報保全隊(自衛隊内の防諜・治安機関)』を動かし、警察の公安部と連携してリストの人物の確保を」
「……了解しました。非常事態下における特例措置として、直ちに実行に移します」
統幕長は、敬礼とともに短く答えた。彼は武人として、政治家の「汚れ仕事」に口を挟むことはしない。国を守るためなら、泥を被る覚悟はとうにできていた。
戦時下の混乱に乗じた、冷酷無比な「影の清算」。
日本は、外部からの侵略を退けたと同時に、内部における完全な「新体制への移行」という名の、血を流さない粛清を静かに開始したのである。
【2026年6月21日 07:45 - 台湾・台北市 総統府前】
一方、海を隔てた台湾の首都では、瓦礫の撤去作業が本格化していた。
総統府前の広場には、重機が入り、破壊されたヘリコプターの残骸やコンクリートの破片を次々と片付けている。
台湾総統は、ヘルメットを被り、作業の陣頭指揮を執っていた。
そこへ、アメリカのインド太平洋軍から派遣された連絡将校と、日本からの特使(自衛隊の将官)が歩み寄ってきた。
「総統閣下。改めて、貴国の自由が守り抜かれたことに祝意を表します」
米軍の連絡将校が敬礼した。
「現在、米空母打撃群は台湾海峡の哨戒を継続中。中国軍に再侵攻の兆候はありません」
「感謝する、大佐」
総統は深く頷いた。そして、日本の特使の方へと向き直った。
「そして……日本政府にも、最大の感謝を。貴国が流してくれた血と、今まさに提供してくれている支援によって、我々は生き延びることができた」
「我々は同盟国として、当然の義務を果たしたまでです」
日本の特使は、丁寧にお辞儀をした。
「我が国の新政府(暫定委員会)より、メッセージを預かっております。……『台湾西海岸の復興計画について、我が国が全面的にバックアップする用意がある。速やかに、日台合同の復興委員会を設立したい』とのことです」
総統は、その言葉の裏にある「冷徹な計算」を正確に読み取っていた。
日本は、ただの善意で助けているのではない。台湾の復興という莫大な事業を独占し、戦後の経済的な覇権を握る気なのだ。
「……ありがたい申し出だ。ぜひ、お受けしよう」
総統は、微かに苦笑しながら答えた。
それが「外交」というものだ。血を流して助けてもらった以上、その代償は払わなければならない。それに、中国の脅威が完全に消え去ったわけではない以上、日本とアメリカの強大な軍事力と経済力に依存し続けることは、台湾が生き残るための唯一の道であった。
「我々は、喜んで日本の『パートナー』になりましょう」
総統の言葉は、戦後の極東において、日本がアメリカと並ぶ「二大盟主」の地位を確立したことを意味していた。
【2026年6月21日 07:55 - アメリカ・ワシントンD.C. ペンタゴン(国防総省)】
(※日本時間)
「……日本の自衛隊・情報保全隊が、国内の反戦派や野党議員の一部を拘束し始めた模様です。完全に『戒厳令下での粛清』ですね」
ペンタゴンの一室で、CIAの長官が国防長官に報告を上げていた。
「ほう。あの大人しかった日本人が、随分と過激な手を使うようになったな」
国防長官は、コーヒーを啜りながら面白そうに笑った。
「だが、我々にとっては好都合だ。面倒な『平和主義』に縛られた同盟国よりも、独裁的なまでに権力を集中させ、我々と一緒に躊躇なく引き金を引いてくれる『軍国主義一歩手前』の日本の方が、遥かに使い勝手がいい」
「ホワイトハウス(大統領)も、日本の国内問題には『不干渉』を貫く方針です」
CIA長官が頷く。
「彼らが中国の賠償金を貪り、台湾の復興利権を独占することも黙認します。我々は、自国の兵士の血を流さずに極東の安定を保てるなら、少々の日本の暴走は許容するつもりです」
アメリカという超大国もまた、冷徹な計算に基づいて動いていた。
極東の警察官の役割を日本に「丸投げ」し、自分たちは美味しいところだけを吸い上げる。戦後の覇権構造は、日米の完全な「共犯関係」によって再構築されようとしていた。
作中時間、08:00。
開戦から32時間が経過した。
時計の針が午前8時を指し、新しい世界が完全に本格稼働を始めた。血みどろの戦争は終わったが、生き残った者たちの間では、次なる「覇権と利権」を巡る、より狡猾で冷酷なゲームが幕を開けたのである。
残り16時間。非常事態宣言下の日本は、絶対的な権力を持つ「怪物」へと変貌を遂げていく。
※本作はIFシミュレーションであり、実在の団体・個人・国家に対しての誹謗中傷を目的としたものではありません。




