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第30話:05:00 - 暗黒都市の目覚めと、非常大権

【2026年6月21日 05:05 - 日本・東京都内】

 太陽は昇った。しかし、東京の「機能」は依然として死に絶えたままであった。

 中国軍による高高度核爆発(電磁パルス・HEMP攻撃)から約20時間が経過。送電網を管理する変電所の基盤が焼き切れた影響で、首都圏の電力供給は完全に絶たれている。

 普段なら通勤ラッシュに向けて動き出すはずの電車は、一両たりとも動いていない。信号機は消え、コンビニの自動ドアは開かず、タワーマンションのエレベーターは鉄の棺桶と化していた。

 「……水が出ないわ」

 都内のマンションに住む主婦が、蛇口をひねりながら途方に暮れた声を上げた。

 電力がなければ、各家庭へ水を送るためのポンプも機能しない。それはつまり、数百万人が密集する都市において「飲み水とトイレ」が完全に失われたことを意味していた。

 スマートフォンの電波も届かない。情報源は、昨夜から繰り返し『救国暫定委員会』の徹底抗戦の演説を流し続けている、乾電池式のラジオだけであった。

 

「おい、スーパーが開いてないぞ! 食料はどうするんだ!」

「現金しか使えないって言われたけど、ATMが動いてないじゃないか!」

 夜が明けたことで、市民たちは自分たちが置かれている「物理的な絶望」を初めて視覚的に理解し始めた。

 路地裏や交差点では、水と食料を求める人々が徐々に集まり出し、苛立ちと不安が渦巻き始めている。昨日までは「自衛隊が戦ってくれている」という高揚感で抑え込まれていたパニックが、生理的な欲求(飢えと渇き)によって臨界点に達しようとしていた。

【2026年6月21日 05:20 - 新宿区市ヶ谷・防衛省 地下中央指揮所】

「……都内の複数箇所で、スーパーやコンビニのシャッターをこじ開けようとする暴徒化の兆候が見られます。警察の機動隊だけでは抑えきれません。このままでは、大規模な略奪と暴動に発展します!」

 市ヶ谷の地下指揮所で、警察庁からの悲痛な応援要請が読み上げられた。

 『国政参画党』の代表は、顔面を蒼白にして頭を抱えた。

「ど、どうする!? 戦争には勝ったのに、国内で殺し合いが起きたら元も子もないぞ! 早く自衛隊を派遣して食料と水を配らせろ!」

「物理的に不可能です」

 統合幕僚長が、冷や汗を拭いながら即座に否定した。

「首都圏の人口は3000万人です。彼ら全員の食料と水を、車やヘリの限られた輸送力で配り切るなど、魔法でも使わない限りできません。自衛隊の兵站ロジスティクス能力を遥かに超えています」

「だ、だったらどうすればいいんだ! このままでは東京がスラム街になってしまう!」

 パニックに陥る代表をよそに、『国民民主連盟』の冷静沈着な幹事長は、冷徹な目で東京の地図を睨んでいた。

「……食料が足りないのではない。不安だから『買い占めよう』とするから足りなくなるのです」

 幹事長は、振り返り、新しく『総理代理』となった自党のトップへ向かって厳しい口調で言った。

「総理代理。ただちに『非常事態宣言(緊急事態条項の行使)』を発令し、国家の全権をこの指揮所(大本営)に集中させてください」

「ひ、非常事態宣言!? だが、それは私権の著しい制限だぞ! 野党だった我々が、そんな強権を発動すれば、後で国民から独裁だと非難される!」

 総理代理は、かつての「クリーンな政治家」としての保身から、首を激しく横に振った。

「馬鹿を言わないでいただきたい」

 幹事長の目が、蛇のように細められた。

「国民は今、水も飲めずにパニックに陥っているのですよ? ここで強権を発動して秩序を守らなければ、我々は『国を救った英雄』から一転して『国民を飢え死にさせた無能』へと転落するのです。……非難など、生き残ってから受ければいい。発令しなさい。これは命令です」

 事実上の最高権力者である幹事長の威圧の前に、総理代理は力なく頷くしかなかった。

【2026年6月21日 05:35 - 日本・全国ラジオ放送】

 再び、日本中のラジオから『救国暫定委員会』の総理代理の声が響き渡った。

 しかし、その横でマイクを握り直し、実質的な「強権の行使」を宣言したのは、あの冷徹な幹事長であった。

『――日本国民の皆様。救国暫定委員会より、極めて重要な決定をお伝えします』

 幹事長の氷のように冷たい声は、パニックになりかけていた市民の耳を強制的に引き付けた。

『本日午前5時30分をもって、我が国全土に「国家非常事態宣言」を発令します。これに伴い、政府は憲法に基づく超法規的権限(非常大権)を行使します。……現在、首都圏において食料と水の不足に対する不安から、一部で暴動の兆候が見られます。我々は、これを一切容認しません』

 幹事長は、一切の同情を交えずに、極めて事務的に、しかし絶対的な命令として宣告した。

『第一に、すべての小売店における食料品・飲料水・日用品の「一般販売」を即時禁止し、これを国家による「配給制」へと移行します。勝手に買い占めようとする行為は、国家への反逆とみなします』

『第二に、自衛隊および警察に「治安維持のための武器使用」を特別に許可します。店舗を襲撃する者、あるいは配給の列を乱す者は、警告なしに実力で制圧します』

 ラジオを聞いていた市民たちは、息を呑んだ。

 それは、戦後の日本人が経験したことのない、完全な「戒厳令(国家による暴力の独占)」であった。

『第三に、地方から首都圏へ向けた大規模な「食料輸送作戦オペレーション・ライフライン」を開始します。全国のトラック運送業者、および燃料タンクローリーを国家権限で徴用します。拒否権はありません』

 幹事長の声は、冷酷でありながらも、不思議と人々に「安心感」を与えていた。

 混乱の極みにおいて、人間は「どうすればいいか分からない自由」よりも、「明確に指示を出してくれる絶対的な権威」を求める。幹事長は、その大衆心理を完璧に理解し、冷徹にコントロールしていた。

『国民の皆様。我々は戦争には勝ちましたが、この「生き残るための戦い」に負ければ、日本は終わります。我慢してください。並んでください。助け合ってください。……秩序を守る者には、我々が必ず食料を届けます。しかし、秩序を壊す者は、我々が排除します。以上です』

【2026年6月21日 05:50 - 東京都・新宿区 歌舞伎町】

 非常事態宣言のラジオ放送が終わった直後。

 新宿の大型スーパーのシャッターを、バールのようなものでこじ開けようとしていた不良グループの若者たちの前に、迷彩服を着た陸上自衛隊の普通科部隊と、完全武装の警察の機動隊が立ちはだかった。

「おいおい、自衛隊さんよぉ! 俺たちは腹が減ってんだよ! どきな!」

 若者の一人が、金属バットを振り上げながら凄んだ。昨日までの日本であれば、自衛隊は「手を出してはいけない」と後ずさりしていたかもしれない。

 しかし。

 チャキッ、と無機質な金属音が響いた。

 最前列の自衛官が、アサルトライフル(89式小銃)の安全装置を外し、若者の胸元にピタリと銃口を突きつけたのだ。その目には、一切の躊躇も、手加減の意思もなかった。台湾のテロリストを相手に死闘を繰り広げてきた彼らにとって、チンピラの脅しなど児戯にも等しい。

「……武器を捨てろ。次は撃つ」

 自衛官の低く、殺気を帯びた声に、若者たちは完全に縮み上がった。

 ガラン、と金属バットがアスファルトに落ちる。彼らは両手を挙げ、機動隊員たちによって次々と地面に押さえつけられていった。

 その光景を見ていた周囲の市民たちは、恐怖するどころか、むしろ深い安堵の息を吐き出していた。

 秩序が、強力な「国家の暴力」によって守られた瞬間だった。

 市民たちは、自発的にスーパーの前に整然とした列を作り始めた。そこには、パニックも暴動もない。戦後民主主義が放棄していた「強権」が、皮肉にも日本人の「礼儀正しさと連帯感」を極限状態で引き出していたのである。

【2026年6月21日 06:00 - 新宿区市ヶ谷・防衛省 地下中央指揮所】

「……都内の暴動の兆候、鎮圧されました。市民は配給の列を形成し、秩序を保っています」

 報告を聞いた『国政参画党』の代表は、ヘナヘナと椅子に座り込んだ。

「信じられん……本当に、あの強権発動で暴動が収まるとは」

「日本人は、羊のように従順な民族ですからね。優秀な牧羊犬(警察・自衛隊)と、冷酷な羊飼い(我々)がいれば、決して群れを乱すことはありません」

 幹事長は、冷たい笑みを浮かべた。

「しかし、幹事長」

 統合幕僚長が、油断のない表情で地図を指し示した。

「暴動は抑えましたが、食料と水が足りないという物理的な問題は解決していません。地方からの物資輸送が間に合わなければ、いずれ列を作っている市民たちも限界を迎えます」

「分かっています。だからこそ、アメリカにインフラ復旧機材を要求したのです」

 幹事長は、再び懐中時計を取り出した。

「同時に、南西諸島(石垣・与那国)に取り残されている台湾難民の処理も進めなければならない。……戦後処理ディールの時間は、まだ始まったばかりです」

 作中時間、06:00。

 開戦から30時間が経過した。

 太陽が昇りきった暗黒の都市で、血生臭い戦闘に代わり、国家の生き残りを懸けた冷酷な「内政と外交のサバイバル」が本格的に幕を開けた。

 残り18時間。勝利の余韻に浸る暇もなく、極東の島国は、自らの手で新たな秩序を刻み込んでいく。

※本作はIFシミュレーションであり、実在の団体・個人・国家に対しての誹謗中傷を目的としたものではありません。

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