エピローグ ―正しいことのやり方は一つじゃない―
帰還して三日後。
報告書を書き終えて、蓮はコーヒーを飲んだ。
書類には簡潔に記録してある。勇者・橘ミズキ氏の契約を終了。都市の状況:評議会と市民代表準備委員会の協議開始を確認。財政説明会は来週開催予定。ミズキ氏はノアリアに残留し、市民として選挙に向けた活動を継続。なお本人から「革命家としての仕事は終わり、改革者としての仕事が始まった」と連絡あり。
事実だけ並べると、すっきりした解決に見える。
実際の三日間がどうだったかは、書類には残らない。
「今回は結構しんどかったですね」
宮下が隣で湯呑みを両手で持ちながら言う。
「そうですか」
「あなたはしんどそうに見えないけど、内側はどうでしたか」
蓮は少し考えた。コーヒーの温度が手のひらから伝わってくる。
「……ミズキさんが正しいと思っていたので」
「それで止めるのが難しかった」
「止めることを、最後まで決めていなかったです。評議会が動かなかったら、私にはどうすることもできなかった」
「でも動いた」
「今回は、そうでした」
宮下が湯呑みを置く。
窓の外で、鳥が一羽、ビルの縁を蹴って飛んでいく。それを二人で見送ってから、宮下が口を開いた。
「神崎さん、一つ言っていいですか。七十手前の老人の戯言として」
「どうぞ」
「この仕事、あなたに向いています。理由は二つ。一つは、正しいことと契約の範囲を混同しないから。もう一つは、正しいことを前にしたときに、ちゃんと揺らぐから」
「……揺らぐのは欠点では」
「揺らがない人間は、どこかで必ず間違えます」
宮下は続ける。
「正しいことに向き合って揺らぐのは、誠実さの証拠です。揺らいだ上で動ける人間が、一番信頼できる」
蓮はしばらくコーヒーカップを見ていた。
うまく返せなかった。二度目だ。宮下に対しては、こういうことが多い。言葉を探しているうちに、返す場所が過ぎていく。
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デスクに新しい書類が落ちてきたのは、午後二時のことだった。
【新規案件】派遣先:双子山岳王国ドワルガ 担当勇者:元龍也 問題:派遣勇者が「鍛冶師の弟子になりたい」と申告。なお鍛冶師側が「弟子にするには十年はかかる」と言っており、両者の意見が一致している点が問題を複雑にしている。
「一致してどうする」
蓮はため息をついた。
でもため息は二秒で終わった。
正しいことのやり方は一つじゃない。問題の見え方も一つじゃない。だからこの仕事に、マニュアルがない。
だからこの仕事が、自分に向いているのかもしれない。
上着を取り、書類をファイルに挟む。
それが、神崎蓮の仕事だった。




