絶望の果て、開かれた天国の扉
「ハァッ……ハァッ……!」
九条凛は、血に濡れた竹刀袋から抜き放った真剣を杖代わりに、薄暗いアパートの階段を駆け上がっていた。
今朝、突如として空が赤く染まり、人々の脳内に『地球のダンジョン化が完了しました』という無機質な声が響いた。それと同時に、凛の脳内には【剣術Lv1】という知識が流れ込んできた。
剣道全国大会で優勝した経験と、その不可思議な力のおかげで、街に溢れ出したゴブリンのような小鬼は倒せた。だが、今は次元が違う。
「なんで、こんな街中にあんなバケモノが……っ!」
背後からは、黒い靄を纏った巨大な狼の化け物がヨダレを垂らしながら迫ってきている。すでに左腕は深くえぐられ、動かない。
逃げ込んだこの古いアパートも、もはや袋のネズミだ。
(ここまでなの……? 私、まだ高校生なのに……)
絶望が脳裏をよぎった時、2階の奥の部屋――「202」と書かれたドアの前に辿り着いた。凛はワラにもすがる思いで、血まみれの拳でドアを叩いた。
「誰か……! お願い、開けて……っ!」
背後で、巨大な黒狼が跳躍する気配がした。鋭い牙が、凛の細い首筋に迫る。
(殺される――!)
ガチャリ。
その瞬間、重い鉄の扉が開き、中から伸びてきた手が凛のジャージの襟首を乱暴に掴み、部屋の中へと引きずり込んだ。
「うわっ!?」
凛が玄関の三和土に転がり込んだ直後。
開いたままのドアの隙間から、勢い余った黒狼が、部屋の中に巨大な顎をねじ込もうとした。
【ルール違反を確認。対象を『強制排除』します】
無機質なシステム音声が凛の耳にも届いたかと思うと、空中で黒狼の動きがピタリと止まった。
「ギャンッ!?」
次の瞬間、目に見えない巨大なプレス機に潰されたかのように、三メートルはある狼の巨体が空中で圧縮され、「ポンッ」という軽い音とともに、ソフトボール大の紫色の石へと変わって床に転がった。
「……え?」
凛は呆然と尻餅をついたまま、その石と、部屋の中を見回した。
外の世界は火の海だというのに、この部屋は異常だった。エアコンからは心地よい冷風が吹き出し、テレビでは呑気にバラエティ番組が流れている。
そして目の前には、ボサボサ頭にスウェット姿の青年が、スマホを片手に呆れ顔で立っていた。
「あーあ。玄関先を血で汚されちゃったよ。お姉さん、靴脱いでね。一応ここ、土足厳禁だから」
青年のスマホ画面には、【魔石を回収。アーキテクトポイント(AP)を1000獲得しました】という文字が浮かんでいた。
外の理不尽な暴力を、さらに理不尽なルールでねじ伏せる圧倒的な力。
凛は、目の前の青年に対する名状しがたい畏怖を感じながら、その場で意識を手放した。




