第4話 迫りくる戦火
あれから二週間が過ぎていた。
ウルフに裂かれた傷跡も、いまでは嘘のように塞がり、身体を動かしても痛みはほとんどない。朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、俺はいつものように身支度を整えていた。
その時、台所の方から澄んだ声が響く。
「朝食出来ましたわよ」
「ああ、今行くよ」
戸口を抜けると、すでに食卓には湯気の立つ料理が並んでいた。アスティは手慣れた動作で最後の一皿を運び、にこやかに微笑む。
「お待たせしましたわ。今日のメインは川魚の香草焼きですの」
「おお……いただきます」
箸を伸ばす俺を見て、アスティが小さくくすりと笑う。
「勇者様、そんなに焦ると、また骨が刺さりますわよ?」
「うっ……そ、それはもう勘弁してくれ」
そのやり取りを向かい側で見ていた義母が、楽しそうに頬を緩める。
「あらあら~。まるで夫婦みたいね」
「ははは……今まで恋人の一人もいなくて心配だったが、これなら我が家も安泰だな」
「ちょ、義母さん、義父さん! からかわないでくれよっ」
顔が熱くなるのを感じながら抗議すると、二人は声を立てて笑った。
その光景を、アスティは少し照れたように、けれどどこか嬉しそうに眺めている。
「アスティちゃんが来てくれて、家の中も明るくなったわね。本当に良かったわ」
「ああ、全くだ。記憶が戻るまでとは言わず、キミさえ良ければ、ずっとこの家にいてくれたって構わんぞ」
「ウフフ……ありがとうございますわ。御父様」
丁寧に頭を下げるその姿は、もうすっかりこの家の一員だった。
怪我の療養という名目で居候することになったはずなのに、今では家事も自然に手伝い、両親とも打ち解けている。まるで最初から、ここにいるのが当たり前だったかのように。
「あら、いけない……お水が無いわ。あとで汲んでこないと」
義母が立ち上がるのを見て、俺は慌てて声をかけた。
「一人で大丈夫? 義母さん、水汲みなら後で俺がやるよ」
「心配しなくても平気よ。最近ね、なんだか身体の調子がとても良いの」
「俺もだ。医者からは半年はかかるって言われてたが……ほら、この通り、すっかり元通りだ」
義父はそう言って腕を振り、誇らしげに笑う。確かに二人とも、以前より顔色が良く、疲れた様子もない。
「……ったく。無理だけはするなよ」
「分かってるさ。っと、もうこんな時間か。よし、ひと仕事行ってくるか!」
畑道具を背負い、義父は意気揚々と家を出ていく。
義母と並んでその背中を見送り、俺も森へ向かう準備を始めた。
「それじゃあ、義母さん。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。アスティちゃん、息子のことよろしくね」
「任せてくださいませ、お義母さま。行ってきますわ」
そうして、朝の柔らかな光の中、俺とアスティは並んで家を出た。
土の匂いと木々のざわめきに包まれた道を歩きながら、仕事場である森へ向かう。
森に着いた俺たちは、いつもと変わらぬ手順で作業を始めた。
朝露の残る下草をかき分け、薬草になりそうな葉や、乾燥させれば売り物になる木の実を一つひとつ丁寧に採っていく。鳥のさえずりと木々の擦れる音だけが響く、穏やかな時間だ。
「なぁ、アイザック・アシモフ。怪我はもう大丈夫か?」
俺が何気なく声をかけると、アスティは一瞬きょとんとした顔をしてから、むっと頬を膨らませた。
「誰ですかその方は……。わたくしはアスティです。
アスティ・アストライア・エスペラント・エヴァンジル。
勇者様は心配症ですわね。もう平気だと前にも言ってるではありませんか?」
「別に身体のケガだけじゃねぇよ。……記憶の方だ。どうなんだ?」
その問いに、アスティは一瞬だけ手を止めた。
ほんのわずかな沈黙。だがすぐに、いつもの柔らかな笑顔を浮かべてこちらを見る。
「記憶は、まだほとんど戻ってきてませんけど……でも全然大丈夫ですわ。
勇者様と一緒にいれば、何故かそんな感じがするんですの」
「なんだよ、それ……? 変なヤツだな」
思わずそう返すと、アスティはくすっと小さく笑った。
「ウフフ……今に分かりますわよ……きっと」
理由も根拠もない言葉なのに、不思議と胸の奥が少し軽くなる。
アスティの言う通り、そこまで心配しなくてもいいのかもしれない……そんな気がしてきた。
「……まぁ、よく分からんけどさ。
もし悩むようなことがあれば言ってくれ。俺で良ければ、力になるから」
「ありがとうございます。勇者様」
そう言った途端、アスティはぱっと表情を輝かせ、勢いよく俺に飛びついてきた。
「わっ……! 分かったから、そんなにくっつくなって!
……ったく、仕事に戻るぞ!」
顔が熱くなるのを誤魔化すようにそう言って、俺は慌てて背を向ける。
後ろでは、アスティが楽しそうに「はーい」と返事をしていた。
それからしばらく、俺たちは黙々と作業を続けた。
籠の中身も十分に集まり、森の奥に差し込む光が赤みを帯び始める。
「そろそろ帰るか……」
そう口にしかけた、その時だった。
――ドンッ!!
地面を揺らすような、重く乾いた爆発音。
空気が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「きゃっ……今の音は一体……?」
アスティの声には、はっきりとした不安が混じっている。
「分からねぇ……だが、この方角は村の方だ!」
胸の奥が嫌な予感で締め付けられる。
「急いで向かうぞ!」
俺たちは荷物も気にせず、全力で駆け出した。
木々の間を縫うように走り、息が切れるのも構わず足を動かす。転びそうになりながらも、ただ前へ、前へ。




