第1話 転生してもやっぱりクソザコナメクジでした
喪失感で胸の奥がぐちゃぐちゃになるのを誤魔化すように、俺はPCの電源を落し、外に出ることにした。
夜風に当たれば、少しは頭も冷えるだろう。
目的地は、いつもの近所のコンビニ。それ以上の理由はなかった。
街灯の少ない夜道。
アスファルトを踏む自分の足音だけが、やけに大きく響く。
(くそ……)
俺の何がいけなかったんだ。
俺は、どうすればよかったんだ。
答えを求めて、同じ問いを何度も繰り返す。
だが、どれだけ考えても、浮かんでくるのは後悔と自己嫌悪ばかりで、肝心な答えは一つも見つからない。
「ちくしょー!!!
俺が何をしたってんだよ!!」
溜め込んでいた感情を吐き出すように、俺は足元に転がっていた石ころを力いっぱい蹴り飛ばした。
カン、と軽い音を立てて石は闇の中へ消え――
次の瞬間。
ガサッ。
藪が不自然に揺れ、低く唸るような声が聞こえた。
「……がるるぅぅ……」
背筋が一気に凍りつく。
ヤバい。
藪を突き破るように飛び出してきたのは、大型の雑種犬だった。
どうやら、さっき蹴った石が直撃したらしい。
犬は身を低くし、こちらを睨みつけながら一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
薄汚れた毛並み。
首輪はない。
(野犬……?)
辺りを見渡しても、人影はない。
助けを呼ぼうにも、この時間、この場所では誰も来ないだろう。
――選択肢は、一つしかなかった。
「逃げろおおおおおおー!!!!!!」
俺は犬とは反対方向へ、全力で駆け出した。
「ガウッ!! ガウッ!」
背後から、荒い息と吠える声が迫ってくる。
振り返る余裕なんてない。
ただ必死に、足を動かし続ける。
幸い、この辺りは近所だ。
道は頭に入っている。
直線では勝ち目はない。
だが、曲がり角や路地を使って小回りで逃げれば、まだ可能性はある。
俺は細い路地裏に飛び込み、角をいくつも曲がりながら犬との距離を少しずつ離していった。
(もう少し……!)
視界の先に、川へと続く道が見える。
あそこを越えれば、流石に犬も追っては来ないだろう。
そう、思った――その瞬間だった。
足元に、ぬるりとした感触。
「……?」
次の瞬間、俺の足は何かを踏み、体は完全にバランスを失った。
「うぉ……!!!
やばッ!」
視界が回転する。
夜空がひっくり返り、街灯の光が滲む。
そして、最後に俺の目に映ったのは――
アスファルトの上に無造作に落ちていた、バナナの皮だった。
――。
これが、
俺、鳥原彗二の人生で見た、最後の光景になってしまうのであった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
気が付くと、俺は辺り一面が白に覆われた世界にいた。
地面も空も境目がなく、上下左右の感覚すら曖昧だ。
立っているのか、浮かんでいるのか、それすら分からない。
身体の感覚はなく、手足があるのかどうかも意識できない。
ただ、どこまでも漂っていくような、奇妙に心地よい感覚だけがある。
(……ここは、どこだ?)
思考はある。
だが、感情は薄く、現実感がまるでない。
(これが……天国、なのか?)
もしそうなら、俺はもう死んだのだろう。
犬に追われ、転び、頭を打って――。
そこまで考えて、ふっとどうでもよくなった。
振り返ってみれば、俺の人生には良いことなんて一つもなかった。
学校ではいじめられ、誰にも守られず、
唯一の居場所だと思っていたゲームの世界ですら、最後には独りになった。
(この先、生きていたって……どうせ同じだ)
負け組の人生。
何をしても上手くいかず、誰にも必要とされない人生。
「……はぁ」
ため息すら、音になっているのか分からない。
(だったら……もう、どうだっていいか)
もう終わったんだ。
全部、ここで。
俺の意識は、再び眠りに落ちるように、静かに沈んでいった――。
――だが。
「ふむ……これは、どうすべきかの……」
低く落ち着いた声。重みがあり、長い年月を生きてきた者特有の余裕を感じさせる。
次いで、少し甲高く、どこか投げやりな声が被さった。
「無理やろ。
ステータスもレベルも、今まで見た中で最低値やで。
おまけに才能の一つも無い。
どう考えても、あかんやろ」
(夢の中でまで、こんな言われ方しなくてもいいだろ……)
だが、否定できないのが一番つらい。
生きてきた人生そのものが、その評価を裏付けているのだから。
「確かにの……
今まで生きておったのが不思議なくらいのものじゃ」
追い打ちのような言葉に、俺はもう反論する気すら起きなかった。
白い世界は静かで、感情すら薄れていく。
(……なんだこれ)
夢だろうか。
それとも、死ぬ直前に見る幻覚か。
「ですが……」
そこへ、柔らかく澄んだ女性の声が重なった。
「放っておくことは出来ませんわ。
それが、わたくし達の使命なのですから」
視界はまだぼやけているが、
金色の髪が、白い空間の中でゆるやかになびいているのが分かる。
顔ははっきり見えない。
だが、声だけで分かる――美しい女性だ。
「……せやけどなぁ?こいつの場合、強いスキル授けたところで厳しいやろ?土台がなさすぎる」
小柄な青年が、呆れたように言う。
「そうじゃな……それに、この少年の身体では、最悪の場合、
スキルの力に耐えきれぬやもしれん。付与できたとしても、一つが限界じゃろう。
それも……強スキルは望めぬじゃろう」
その言葉に、三人は揃って黙り込む。
白い世界に、重たい沈黙が落ちる。
(……やっぱり詰んでるのか、俺)
だが、不思議と傷つく気にはならなかった。
期待するだけ無駄だと、人生で学びすぎてしまったのだ。
どれくらいの時間が流れただろうか。
沈黙の中で、ふと――
「……あ」
女性が、何かを思いついたように声を上げた。
「こういうのは、いかがでしょうか?」
その瞬間、ほんのわずかだが変化の兆しが生まれた気がした。
女性は二人に身を寄せ、声を潜める。
「こう……ごにょごにょ……」
内容は聞き取れない。
だが、不思議と胸騒ぎだけが強くなる。
「おお……!」
老人の声が弾んだ。
「それは妙案かもしれんのう」
「ははっ、確かに面白そうやな」
青年も調子を変え、にやりとした気配を漂わせる。
「なら、スキル名は……これでどうや!」
「まぁ~、良いですわね……ウフフ」
楽しそうに笑う声。
その笑いが、なぜか俺には“実験台を見る目”のように聞こえてしまった。
「ホッホッホ……決まりじゃな!」
老人が愉快そうに笑い、空気が一気に動く。
(……なぁ、俺。今、とんでもないこと決められてないか?)
不安が胸をよぎる。
だが、もう遅い。
「それでは、少年」
三人の声が重なり、世界が震えた。
「良きセカンドライフを……」
白が、眩い光へと変わる。
「――いざ、転生じゃ!!!!!」
次の瞬間、意識は激流に投げ込まれた。
引き裂かれる感覚、押し潰されるような重圧、そして――
世界が、裏返った。
こうして俺、鳥原彗二の二度目の人生は、
三神の“妙案”とやらによって、強制的に幕を開けたのだった。




