隠れ屋
やっと書けました(^-^;
大滝から蛇行しながら流れる川沿いの古民家を改装したそのカフェが、長らくの耐震補強改装工事を経て再オープンした。
僕はそれを心待ちにしていたのだが……再オープン当初の土、日はさぞかし混んでいるだろうと予想し、平日に休みを取って11時の開店時間に訪れた。
予想通りお客の姿は無く、店の中は……ランチの時の活気とは違う捥ぎ立ての空気をはらんでいた。
駅のホームでシリアルバーを齧って来た僕はトーストのセットメニューでは無く、店のスペシャルコーヒー(ポットサービス2杯分)をオーダーし、窓際の特等席に陣取る。
晩秋の明るい陽射しは夏のそれとは違い心地良い。窓の外の渓谷は所々紅葉で色付き、その果てには煌めく川面が垣間見える。その音はせせらぎなのか?それとも轟々と唸っているのか?それを確かめてみたくもなるが……外の世界とここは磨き上げられた透明のガラスによって隔絶され、それは叶わない。
よしんば窓が開けられたとしても……おそらくは川と植物達によって洗われた冷たい風がそれらの匂いを引き連れてやってくるのだろう。
それは決して嫌いな香りでは無いが、今の僕はコーヒーの香りを愛でたい。
と、両腕にミルクピッチャーとブラウンシュガーのポットを提げた豪華な銀食器のコーヒーセットが運ばれて来た。
カチャリ! と目の前に置かれたソーサーの上のカップへ、陽の光を眩く弾く銀のポットからコーヒーを注ぎ入れる。
恋して止まない芳香が鼻腔に触れて僕の心をくすぐり、僕は甘美な空気をこっそりと深呼吸しながらカップのハンドルへ指を通す。
「何もかも美味しい!」
こんがり焼けたトーストにのせたバターがじんわり緩み溶け染み入る様に“至福”が僕を染めてゆく。
今、時間は1秒ごとに跳ねるのではなく、連続的に動く秒針だ。
店の騒めきすら何かの音楽の様に聞こえる。
ふと、その“音楽”が揺らいだ。
どうやらお客が来たらしい。
僕は少しばかり日常へ戻り、少し姿勢を整える。
「お隣、よろしいでしょうか?」
その涼やかな声で振り返らずとも彼女が若い女性だと分かった。
「もちろんです。この特等席を一人で陣取るのは気が引けますから」
笑顔作って声の方を振り返ると……その声に相応しい顔がそこにあった。
「では、失礼します」
彼女はアンティーク調の椅子を引いて腰掛けると、微かに柚子の香りがする。
それは、柚子の香りのコロンがあると言う事と、この香りがコーヒーの芳香を邪魔するものでは無い事を僕に教えてくれた。
グレーのベレー帽から流れ、レースインサートが映えるグレーのニットトップスの胸元へと掛かる髪。
ロング丈のホワイトスカートの裾からブラウンシューズが覗くクラシカルコーデ。
それが彼女の出で立ち。
まさにこの空間にピッタリとフィットしている。
これはどうしたって目が行ってしまい、そっと窺がってみるとメニューブックを広げた彼女は微かに小首を傾げた。
その視線の先が僕の視線と交差してしまい、僕が慌てて逸らそうとするのを彼女の言葉が引き留めた。
「あなたの前の……その素敵なセットは何でしょうか?」
「ハ、ハイ?!」
彼女はシナモンスティックで香り付けするくらいの塩梅のいたずら心を笑顔にのせて僕に語り掛ける。
「あの、ごめんなさいね。私、ここのお店は初めてなのです。改装工事中の時から気にはなっていたのですが……いざ、オープンしても混んでいては入るのが躊躇われたのです」
「では僕と同じですね。こうして混雑を避けて平日に来てしまいました」
「じゃあ、おさぼりですか?」
「いえいえ、僕は営業畑で……今月はもう予算を達成したので大手を振っての有給休暇消化です」
「それは良いですね。ウチの外回りの人達が聞いたら羨ましがりそうです」
「あなたは……そういう関係のお仕事をなさっているのですか?」
「ええ、私は内勤で営業事務をしております。数字を持たさせれている訳では無いから……今日はおさぼりですね」
「そんな事はありません。有給休暇の行使は正当な権利ですよ」
「でも、前提となる義務は生じますでしょ? あなたの様に」
「僕の場合は矜持みたいなもんです。逆に一定日数の有給消化は義務でもあるのですから」
「それはそうなのですが……こうやって平日に休むのはちょっとした背徳感がございません? それが有給休暇の楽しみを嵩増しさせる気がするのです。例えて言えば……コーヒーにシナモンスティックを使って香り付けするみたいに……」
この言葉は否応もなく僕に笑顔をもたらせた。
僕と同じ感性を持つこの人ともっと話したいと思った。
◇◇◇◇◇◇
「せっかくだから別のものにしますね」と彼女が選んだのは炭焼珈琲(ポットサービス2杯分)で僕達は二つのポットを互いにシェアし合ってまた話に花を咲かせた。
「ところで……今日は大滝の紅葉を見にいらしたのですか?」
「いいえ、それは行けたら行こうな位な感じで……あくまでもこのカフェに入る事が目的でした。あなたはやはり大滝を見に来られたのですか?」
「あ、はい……いえ! やっぱり『いいえ』ですね。私もあなたと同じ様に『大滝はついで』と言った感じなのです。このカフェもついでと言えばついでなのですが……」
「では、どちらへ?」
こう尋ねると彼女はまたいたずらっぽい笑顔でトートバッグに下がっているキーホルダーを僕に見せた。
「これは??」
「ホウセキゾウムシのキーホルダーです。樹脂封入標本をキーホルダーに加工しているのです」
「じゃあ、中身は本物なのですか?」
「ええ。インドネシア産です」
「名前の通りとても綺麗ですね」
「でしょ?! 私のお気に入りです。でも『変わったものを下げているな』って思ったでしょ?」
「そんな事はないですよ。とても美しいし……」
「でも、『女性なのに……』って思ってらっしゃいません?」
「いえいえ、そんな事は……」
「ちょっと変と思われるかもですが……私、幼い頃から『昆虫フェチ』なんです」
「それを言うなら僕は『虫捕り名人』でしたよ」
「まあ! 頼もしい! 私は“名人の域”には達しませんでしたが……兄にたっぷりと仕込まれました!」
「それは羨ましい! 僕は……上に二人の姉がいる末っ子なのですが……母と姉達から“たっぷりと”迫害を受けました」
「それは本当にお気の毒に……でも、あなたが上にお姉さまがいる方だとは何となく分かります」
「えっ?! どこでですか?」
こう尋ねると彼女はコーヒーカップに口を付けてウィンクした。
「それは……ナイショです」
「内緒ですか?? 気になるなあ~ でも、僕にも分かった事がありますよ」
「何をお分かりになったんですか?」
「あなたの目的はこの先にある公園内の『昆虫館』ですね」
「ご明察です!」
「僕も久しぶりに“虫捕り名人”の血が騒ぎましたから、ご一緒してもよろしいですか?」
「ええ! もちろん!」
こんな話をしていると数名のマダムがガヤガヤと店に入って来た。
きっと“ランチ女子会”なのだろう。いつの間にか12時を回っている。
「僕は朝はシリアルバーだけだったのですが、あなたは何か召し上がりましたか?」と尋ねると彼女は首を横に振った。
「先ほど申しましたように私は“背徳”を楽しみたかったので、今朝は思いっきりお寝坊して、何も食べずにここへ来ました」
「では、私達もここでランチにしましょう。改装前と変わっていなければ、ランチメニューの『ハンバーグ定食』や『ポークカツサンドセット』は絶品ですよ」
「まあ! どちらもそそるメニューですね」
こうして僕達は『昆虫』を議題にしたランチミーティングへ没入したのだが……
かのマダム達が余り姦しくなかったのは……ランチミーティングのテーマのせいでは無く、僕等の雰囲気を察し、生暖かく見守ってくれたのだろう。
おしまい
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