05「弱肉強食にも限度がある」
ルシルは最初こそ半信半疑だったが、自分の名前を言えずにしょぼくれるマオを見て、彼女の言動を受け入れることにした。何と言っても、エジランカ本人と態度が違いすぎるのだ。
ルシルはマオを部屋に引き入れ、向かい合って椅子に座った。
「でも、そういうことならさっきので貴方が死ななくてよかったです」
さっきの、とは邂逅初手で首を刺した件である。
「本当ですよ。何であんなことしたんですか」
「気が動転してたんですねぇ、私。化粧に難癖つけられて解雇される前に殺しちゃお! と思って刺しました」
「仕えてる家のお嬢様を殺したら解雇どころか処罰があるのでは?」
「いえ、お嬢様は実力もないくせに悪知恵だけは働く鼻つまみ者でしたので、謹慎くらいで済んだと思います」
「エジランカさんは随分と嫌われ……いやいや、人を殺しておいて謹慎で済むわけないでしょ」
「え? だってお嬢様は見た目ばっかりの弱弱ザコですし」
「待って、ねえ待って。ルシルさんってエジランカさんをお世話してたメイドさんなんですよね?」
マオは額を抑えて眉間にしわを寄せる。ほかのメイドに食事を求めてわざわざルシルを紹介されたのだから、彼女こそがエジランカの世話係だと思ったが、違うのだろうか?
ルシルは哀れみを自身に向け、
「困ったことにそうなんですよねぇ」
「その割にミソクソ言うじゃないですか」
「強者となるためのお勉強も訓練もしてなかった我が儘なお子様にどんな敬意を払えと?」
彼女は心底、マオの言葉に疑問を抱いているようだった。
心なしか話が噛み合っていない気がする。マオは両手でT字を作り、ルシルに待ったをかけた。
「んじゃ、私はその間に顔面を完成させちゃうんで。ごゆっくり~」
椅子を離れたルシルは鏡台を前に化粧を再開する。十分な時間を与えられたマオは存分に頭を悩ませ、双方のギャップを埋めるための問答を考える。
マオが分からないのは、勤め先の家で世話を任された子供を平然とこき下ろすルシルの態度である。重要なのは彼女がエジランカに対して、「見た目ばかりのザコ」で「強くなるための努力を怠った」相手には敬意を払えないと言ったことだ。
「この世界って、強くないといけないとかあるんですか?」
「そうですよ。じゃないと生きてる価値ないですからね。発色が多少アレでも腕っ節さえあればどうにか生きていけますので」
「腕っ節?」
「マオさんはそんなことも分からないんです~? 身体的な強さですよ。腕力、暴力。それが苦手なら魔法の才能ですね。要するに相手を征する技量のことです」
「何てバイオレンス……」
「強ければ偉いしカッコイイのです。少なくとも御当主様はそういうお方です。おかげで発色を理由に白鈴を追い出された私が、こうして格上の白麗公家で働けているわけなのです。エヘン!」
ルシルはすっかり顔を白く塗りたくったあとだった。マオは唇を突き出し、白々しく彩られた彼女にボソリと嫉妬をつぶやく。
「何でそんな真っ白にしちゃうんですか? せっかくきれいなのに、もったいない」
粉を少しはたく程度なら理解できるが、ルシルの白塗りは明らかに過剰だ。
「ルシルさんみたいな人は化粧水と乳液で十分なんですよ」
「へ? な、ななななに言ってんですか貴方は!?」
「……、チッ!」
「急に態度悪いじゃん……」
他方、マオの妬みはルシルを大変に舞い上がらせた。白粉の下では頬が紅潮――ではなく気恥ずかしさに青く染まったが、マオは知る由もない。
「つーか、強ければ偉いだなんて乱暴極まります。ならば弱いことは悪とでも?」
「そりゃあ、まあ。いいことではないです」
「……ここでは皆さんそんな感じなんですか?」
「強さの定義は個々で差があると思いますよ。私がこちらに採用されたとき、御当主様は〈勤勉な弱者と怠惰な強者であれば、後者こそ唾棄すべき愚物である〉とおっしゃいましたから。あの方は堕落が何よりお嫌いで、一概に身体的な弱さが悪であるとは考えていないようでした」
当主がそういう考えなら、少なくともこの家では弱さが理由で追放されることはない。成果が上がらなくとも努力が見えれば容赦される、ということだが……、
「エジランカさんは勉強も訓練もサボってたとなると、反りが合わなそうですね」
「御当主様は視界にも入れたくないって感じで、お嬢様も怖がって逃げてましたから。それ以前の問題かもです」
この世界では「弱さ」につながるものが徹底的に嫌われる。すると、エジランカの視力もその象徴になると思われる。
「ルシルさんはエジランカさんの目が悪いこと、知ってました?」
「え? いや、そんなの全然」
「輪郭もふやけたみたいに見えてて。私の腕の長さ分離れるだけでも、そこにいるのがルシルさんかどうか判別できなくなっちゃうんですけど」
「そんなに!? 微塵も知らんかったです」
「……この世界に眼鏡かコンタクトレンズってありますか? ぼやぼやの景色をくっきり見えるようにする矯正器具みたいなもの」
「見えないものを見えるようにする道具なんて、聞いたことも見たこともないです。……お嬢様、それで本が嫌いだったのかな」
この世界には視力を補助する道具が存在しない。それを前提に、エジランカが視力のハンデを他人に知られたくなかったとすれば、本など真っ先に避けるべきものだ。周囲が強さを至上とする以上、彼女は誰にも相談できなかったに違いない。マオは少なからずエジランカという少女に同情の念を覚えた。
しかし、同時に疑問も浮かび上がる。
自室を出てから最初のメイドを見つけるまでの間、見ず知らずの場所でもマオが物の位置を認識できたのはどういう訳なのか。体に記憶が残っていたとも考えたが、空間を把握するあの感覚はまさに現在進行形だった。あれがここにあったはず、などと過去の経験を参照したわけではない。
またしてもマオが思考の海に沈んでいると、ルシルが鼻スレスレに手を振って気を引いた。
「ほかにご質問は?」
「ファッ!?」
視力の件は後で考察するとして、今は情報収集を続けよう。
「ほかに……、ああそうだ。発色がどうのとも聞こえたんですが、それは何です?」
「ああ、それ。見ての通りですよ。髪と瞳、肌の色の取り合わせ」
ルシルは自らを指して言う。
「我ら白色自営は純白を最上級の色としているもので。私なんかは下の下な発色なんです。その点、お嬢様はかなーり希少な発色でしたから、ダラダラ怠けていても追い出されたりはしなかったんですねぇ」
具体的に、髪は赤毛が最も凡庸であり、そこから色を薄めて金、銀と白に近づくほど貴重とされる。瞳の色は寒色の系統で底辺を緑とし、青から紫にかけて、これも色味が薄いほど尊い。肌の色は言わずもがな、青い血が映えて見えるとより美しいそうだ。
確かに、その基準に則ればエジランカは尊く貴く、貴重で希少な存在だった。それを鼻にかけてやりたい放題していたことを加味すると、少女に対するマオの同情は少しだけ減った。