04「殺人未遂犯が仲間になった!」
鋭い貝殻状の割れ口が特徴で、光沢のある黒いナイフがエジランカの首を刺し貫いている。おそらく黒曜石と思しきそれの切れ味は抜群で、痛みは攻撃から一呼吸遅れてやってきた。
「イッ!? 痛い痛いイテテテ!!」
激痛を叫ぶエジランカの言葉は明瞭だった。刺突の衝撃で脳味噌というか魂というか、そう言った何かが噛み合う感触があり、これがきっかけで彼女はこの世界の言語を会得した。
「イ゛ッッッタイから抜いてそれ抜いて早く!!」
「ヒョワーーーッ!?」
致命傷を受けて死なない少女に、相手も悲鳴を上げて飛び退いた。引き抜かれたナイフから青い液体が滴った。
エジランカは後をひく痛みに顔をしかめ、首筋をさする。そこに傷などはなく、しかし濡れた感触はあった。少女は手を目の前に持ってきて、
「青い……、血?」
傷がないとは言え、刺された箇所を拭ってついたのであれば、それは血液に他ならない。どうりで唇も粘膜も青いわけだ。出会い頭に急所を刺された上、傷が瞬時に癒えたことにも理解が追いつかず、エジランカはどうでもいい発見に一人うなずいた。
その正面で殺人未遂犯が喚いている。
「ど、どうして!? 石の刃で刺したのに傷が、ない!! 何でぇ!?」
「それは私も分かりませ――」
「ウワーッ! やっぱり幽霊だ!!」
「幽霊なわけないだろ!」
「だだだ、だってお嬢様は昨日死んだじゃないですか! 石の矢で目玉をブッ刺されてご臨終だって御当主様から確かに聞きましたもん私ぃ!」
「あー、なるほど~」
相次ぐ急展開に、エジランカはひとまずあれこれ推考することをやめた。今は目の前のメイドを落ち着かせ、話を聞き出すことに専念する。
「この子、それで棺桶に入ってたわけね」
「自分が死んだのに他人事とはいったいどゆこと!?」
「ところで貴方がルシルさんですか?」
「そうですけど!? お嬢様ってば死んじゃったせいでついに記憶もアホになったんですね! ウウーッ、恐怖!!」
ルシルは頬に手を当て、口を大きく開けて奇声を発する。彼女も口内は真っ青で、エジランカはこの世界の人間が青い血を持つことを知った。少女はルシルにしゃがむよう仕草して、従った彼女の顔を捕まえて間近に見つめた。
ルシルは青の瞳に金の髪を持っていた。だが髪の生え際は橙に色づいており、もとの赤毛を脱色しているらしい。ちょうど化粧の途中だったのか、顔の一部が白粉で真っ白になっていた。頬にはそばかすが目立つも、素肌はきめの細かい象牙色で健康的に見える。
化粧をする必要もなさそうなのに、もったいない。
エジランカは一つしかない目をこれでもかと近づけ、羨ましそうにルシルを睨んだ。
「あァオワァ! お、お嬢様! ここここれは肌の色を偽ってたとかじゃなくてですねっ、何かもうちょっと暗い色も似合うかなーっと思って試していたというか」
「え? そっちがお化粧?」
エジランカが人差し指でルシルの頬をなぞる。指の腹にくっついたのは白い粉だった。嘘を暴かれたルシルは身振り手振りをうるさくしてまくし立てる。
「いえあの純白こそが至上というのは理解してるんですよ私だってもっと明るい発色がよかったですしでもさすがに肌の色は自分でどうしようもないと言いますかえーっとえーっと」
「色とか別に気にしませんよ。というか普通に肌きれいじゃないですか。いいなぁ」
「せっかく白鈴の家に生まれたのに発色のせいで追い出されて帰るところがもうないんですよぅ! なのでこのことはどうか内密にぃ!!」
「わ、分かりました! そういうことなら誰にも言いませんから、どうか落ち着いて下さい」
「ありがとうございま、あれ? そういえばお嬢様、その話し方どうしたんです? 貴方と言えば誰に対しても偉そうでナメくさったクソガキだったでしょうに」
「そ! れはっ、その。あのぉ……」
今度はエジランカが慌てる番だった。中止した思考を再度回して、しどろもどろな間に対応を図る。
そこで脳裏の電球がパッと点灯した。もしやこれは、転生の秘密を共有してルシルを味方にするチャンスなのでは?
正体を隠してエジランカ本人を演じる方が無難なのはその通りだ。だが、気を許せる相手を一人くらいは確保しておきたい気持ちもある。誰も信用できない状況が続けば苦しいのは自分なのだから。
そもそも、エジランカは先ほどルシルに一度殺された身だ。これ以上悪いことにはなりようがないだろう。いざとなれば肌色を偽っている件も盾にできそうである。
やけくそ感は否めないが、少女は意を決し居住まいを正した。とっちらかっていた表情を真面目に取り繕い、手を胸元に持ってきて残念そうに肩を落とす。
「この体の子……エジランカさんはやはり、亡くなったのですね」
「エジランカさん? ププッ! まるで中身が違うみたいな言い方するじゃないですかぁ」
何も最初から信じてもらえるとは思っていない。中の人はもう一度、冷静に問いただした。
「この子は亡くなったのですね?」
「そうですよ。昨日、右目に石製の矢を受けて倒れているのを中庭で奥様が発見なさって、それはもう大変な狼狽えようだったんですから。呼びかけても反応なし息もなし、心臓も止まってたそうですからちゃんと死んだと思います」
「それで今日、お別れの儀式中に私が転生して生き返ったと」
「転生?」
「亡くなったエジランカさんの代わりに私の魂が宿ることで、肉体が息を吹き返したのでしょう」
「わはは!! 面白いですねそれ! アルヴレド様に言ったらウケそう!」
エジランカはゆったりと両手を広げて壮大な雰囲気を演出するが、ルシルにはまったく通じていない。少女はため息をつき、半眼になってメイドを見上げた。
「アルヴレド様が誰かは存じませんが、貴方はさっき私の首をナイフで刺しましたね。本来ならとっくに死んでいると思うのですけれど、いま私は死んで見えますか?」
「いいえ全然。めちゃくちゃピンピンしてます。やっぱり幽霊なんだぁ、怖いなぁ!」
おびえるルシルの手を鷲掴み、エジランカは下から順に指さし確認をしていく。
「足ある。触れる。体温があって息もしてて」
最後にルシルの手を胸に当て、
「心臓も動いていますので。幽霊ではありませんよ」
「ヒィーン!! 恐ろしいことに本人がお嬢様の生存を証してるぅ!」
「ところで、この世界では死者の蘇生が稀にでもあったりしますか?」
「まさか! そんな気持ち悪いこと起こるわけありません!」
けれどエジランカは現に生き返ったのだし、首にナイフを刺されようとも死にはしなかった。凶器が引き抜かれた瞬間に傷が治癒した。それがこれまでに知り得た全てである。
理由も目的も分からず異世界に転生させられた今、中の人も状況証拠を頼りに自説を証明するしかない。
はったりだやったれ畳みかけろ!! と彼女は自分を鼓舞する。
「でしたら私の話を信じてもらえますね。死んだ人間が生き返って、まるで別人のように振る舞い、己を転生者だと言う。先ほど致命傷が瞬く間に完治したのを貴方も見たでしょう? あれは転生に伴う特典なのです。私だけに与えられた特別な加護。そう……〈瞬間治癒能力〉と言います」
ちなみにルビは「オートヒール」だ。
痛々しい設定だが、こういう時こそ揺るぎない自信が大切なのだ。エジランカは恥を捨てて己を信じる。その強固な意志に圧されたのか、ルシルは笑うのをやめて眉をひそめた。
「貴方とは格が違うのお鼻ツーン! みたいな言い方、お嬢様にそっくりです……」
「肉体に残っていた記憶を再現してみました」
こうなれば完全に破れかぶれで、中の人はデタラメをしゃあしゃあと言ってのけた。
ルシルは彼女をじっと見定める。実のところ、エジランカの言動は話半分にしか聞いていなかった。一方で、これが生前のエジランカなら他人の手柄にするはずがないとも思っていた。違和感はその一点しかない。
「でもそれならそれで、これがわたくしの実力よ! とかってウザ絡みしてきそうなんだよなぁ」
それこそが決定的な違いだった。
ルシルは観念したような仕草でため息をついた。
「じゃあ、貴方のお名前は?」
「え?」
「貴方の、お嬢様の体に宿った魂のお名前」
「あ! そうですよね。まずは自己紹介しないと。私はエドゥー・マォトといい――」
首尾よく言いくるめたことに一安心したのもつかの間、エジランカの中の人は自分の名前を発音できずにうろたえた。魂がこの世界に馴染んだ代償として、彼女は故郷の言語を失ってしまったのだった。
「エドー・マオト様?」
「いえ、違くて。エン、エッド、エンヅォオ……。マォ、マ……、マ、コゥオ、マクォウオ……」
「マクオウ?」
「ま、待って。ちゃんと言えるので――」
何度も発音を繰り返すが、一文字ずつに区切ろうとも正しい名を伝えることはできない。
中の人はショックのあまり口をあんぐりとし、泣く泣く妥協した。
「マオでお願いします……」