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03「死んで以来の空腹」

 少女が意識を取り戻すと、両親は強い口調で何かを言いつけて部屋を出ていった。それからしばらく待って、誰もドアを開く気配がないので少女はベッドから抜け出した。


「たぶん休んでろとか言ってたんだと思うけど、現状は把握しておかないとだよね」


 そうして室内を見て回る。


 いちいち目を近づけてじろじろ観察したところ、建物は西洋の古城風だが、石材ではなく全て木材によって造られていた。床も壁も板張りで、白色の木が多用されているため、陰影がないと何がどこにあるかまるで分からない。


 窓にガラスはなく、ごく薄い紙のようなものが張られている。押し開けた先はテラスだった。視力が弱いせいで景色は一面真っ白だ。視線を上げると若々しい緑色が水面のように揺れており、そよそよと風に吹かれているらしかった。


「視力0.1とかの人ってこんな見え方なのかな」


 実際には0.1以下の視界である。少女は部屋へ取って返して、先に見つけていた姿見の前にやってきた。


「カートゥーンアニメみたいにヌルヌル動いたりして」


 身振り手振りに加えて表情を大げさに変えてみたが、ぼやけた視界ではその特徴を確認できなかった。


 目を糸のようにして自身に注目する。


 肌は化粧をしていないにもかかわらず歌舞伎者のごとく白い。艶やかな白銀の髪は腰よりも長く、毛先までストンとまっすぐだった。容姿はおそらく端麗の部類だろう。造形は地球人類と異なるが、かけ離れたデザインでもないためそう見当がついた。


「黄色いスポンジ系じゃなくてよかった」


 銀の睫毛に縁取られた左目には薄い紫の瞳が瞬く。さて、眼帯の下はどうなっているのだろう? 左右で違う色を隠しているのか、はたまた何かを封印しているのか。ドキドキしながら布を持ち上げてみると、空洞になった眼孔があるだけだった。


 視線を下へとずらす。青い唇は素でこの発色らしい。ならばと左の下瞼や口を開けて確かめると、やはりどちらも青かった。


 姿見から一歩引き下がって、輪郭の滲んだ全身像を見つめる。やはり全体に細長く、体つきは骨を皮で覆っただけに見える。真白い服は肌触りがよく、装飾も質素でゆったりとした作りだった。そのためリボンを結んで絞った腰が異様に細く強調されてしまっていた。


 これら特徴を総合するに、転生先の肉体は独特な出で立ちながら「人間」と判断して問題ないように思えた。


 すると、途端に心が寂しくなった。


「久しぶりにお姉ちゃんと会えるはずだったのに。何でこのタイミングで異世界転生とかしてんの私……」


 少女は己の頬に触れ、「体温はある」。


 また胸に手を置いて、「心臓もある」。


 そして、鏡に映る女の子を改めて見つめる。


「この子は、エジランカさん」


 エジランカという名の少女は既に死んでしまった。そしてつい今し方、その遺体に別の魂が宿って息を吹き返したわけだが、それは棺を前に居合わせた五名からすれば「エジランカ」が命を取り戻したとしか思えない光景だったろう。


「世界観とかはっきりするまではエジランカさんを演じた方がいいかもな。今のところどんな子か全然分からないけど、そこは周りの反応から探っていくとして。舞台の延長だと思えば……うん、大丈夫。できなくはない」


 実を言うと、エジランカの中の人は没個性的な人格がコンプレックスで、憧れるタレントなどの他人を模倣し、長らく己個人を演じてきた。長じて彼女は役者を志し、勉学と稽古に励んでいたのだが……帰るべき世界を失った今となってはその夢も潰えてしまった。何もかもどこぞのうっかり大好きな創造主のせいである。


 それはそれとして、エジランカの腹がグーグーと元気よく鳴っていた。


「死んでから何も食べてないんだろうし、そりゃおなかも減るよね……」


 彼女は自分の腹を憐憫の手つきで撫で、部屋のドアへ目を向けた。取っ手を探し当ててひねり、扉を開く。


「すみませ~ん、誰かいらっしゃいませんかぁ」


 心細く呼びかけるも、廊下に人の気配はない。


 エジランカは部屋から抜け出して人を探すことにした。部屋の様子から予想したとおり、長く続くその通路も白に支配されている。だのに、エジランカは戸惑うことなく足を進めることができた。


 記憶が体に残っているのかもしれない。知らない場所なのに見えなくとも物の位置が分かるのだ。おかげで何かにぶつかったり、つまずいて転ぶ危険もなかった。


 しばらく歩いていくと、遠目に人影が見えた。青いワンピースに白のエプロンを着けたその人は格好からしてメイドのように見えた。エジランカは手を振りながら呼びかけ、駆け寄った。


「あの、えっと……」


 言葉はうまく出てこなかった。代わりにまたしても腹が鳴って、相手に少女の要望を端的に伝えてくれた。ナイスタイミングと腹部を撫でて、エジランカが視線を上げる。


 仮定メイドは肩をすくめてぎょっとしていた。彼女は幽霊でも見たような顔で、声をひっくり返しながら答える。


「お嬢様……、ルシル……軽食……お部屋……運ばせ……」


 魂が体に馴染んできたのだろうか。ルシルという者に部屋まで運ばせると聞き取れた。それならば、エジランカは自分で頼みに行こうと思った。


「ルシィル、どぅ、こ」


 頭の中で故郷の言葉と異世界の言語がごちゃ混ぜになる。奇妙な感覚に首を傾げつつ、少女はどうにか単語をつぶやいた。


「ルシル、部屋。私、行く。貴方、案内」


「か、かしこまりましたっ」


 メイドはおびえながらも、すぐさまルシルの部屋へ案内してくれた。灰色の扉を前にして、エジランカがメイドに礼を言おうと振り返ると、彼女はすでに逃げ去ったあとだった。


「……エジランカさんが生き返ったこと、知らされてないのかな」


 だとすると、ルシルという人も怖がらせてしまうかもしれない。それを申し訳なく思いつつ、エジランカは空腹に耐えられずドアを三度ノックした。中から声が返ってきたが、相手が何と言ったかは聞き取れない。


 しかし背に腹は代えられぬので、少女は遠慮がちに扉を引いて部屋に踏み込んだ。


「失礼。ルシル、おなかがすい」


 瞬きの間に目の前が青一色に染まり、エジランカの言葉は不自然に途切れた。首に違和感があって手を伸ばすと、誰かの手に触れた。


 首元に何かが刺さっている。

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