02「目覚めた箱入り令嬢」
部屋の中心に、上等な木材で緻密に作り上げられた箱が鎮座している。中には華奢な少女が横たわり、周囲を柔らかな布と花で守られていた。
箱にすがりつき、少女の両親である男女がむせぶ。それを遠巻きに、二人の青年と初老の婦人が眺めている。彼らは泣き崩れる夫婦と対照に、空々しい表情で冷淡に澄ましていた。
突然、悲しみに暮れる夫婦が同時に悲鳴を上げた。
二人は互いを抱きしめ合い、眠る娘から後退る。なぜかと言えば、箱の中――花々に囲まれた少女がおもむろに右手を動かし始めたことに驚いたのだ。
見るからに血の気を失っていた彼女は細く長い指を曲げて、手のひら大の長方形を虚空に握り、耳元へと運んだ。
「それじゃ、今年の冬休みこそはそっちに寄せてもらうから……ね?」
閉じていた瞼がピクピクと動き、その瞑目がずいぶんと長い瞬きであったとでも言いたげに、ごく自然と。少女は目を開き、言葉を止めた。
「え……、なに?」
少女は目が悪かった。そのため人の顔など眼前に来なければ判別は難しく、視界に映る全てはぼやけて背景に滲んでいた。小さなもの、細長いものなどは手が届く範囲から外れれば見えなくなってしまう。
ゆえに彼女は、離れた位置からこちらの様子をうかがう夫婦の輪郭も掴めなかった。また、視野の外からは三人分の声が聞こえた。
「何だこれ? エッ……、いやホント何事!?」
箱入りの少女は困惑し、勢いよく上体を起こして辺りを見回した。
再び夫婦がギャッと叫んだ。青年らも息を呑み、老婆にしても動揺が眉に表れていた。彼らは、よもや箱から少女が起き上がろうとは思ってもみなかったのだ。
皆は一様に仰天し、恐れ、おののき……まず最初に夫婦が正気に戻った。実際のところは錯乱に錯乱を重ねたおかげで常軌を逸しただけなのだが、二人は愛娘の覚醒に感激し、箱の縁にしがみついた。
少女は目前に駆けつけた両親の姿を認識し、
「ヒッ!? な、ななな何でカートゥーン作画!?」
大声を上げて二人を突き飛ばした。
「普通に電話してただけなのに何なのマジで!? VRとかやってないんだけど!?」
彼女は半狂乱になり、あちこちに目を凝らして景色を探った。
箱の中、
柔らかな布の上に寝かされ、
白い花で飾られている。
「これ、もしかして棺?」
それに入る理由はただ一つ。「死」である。
「は? 待て待てオイ私そんな死んだ覚えなんてないんだけど? なに、なん……エッ? ハァ!?」
少女は四方を振り返り、焦点の合わない視界に目を細めた。頭を抱えて髪をかき回し、ついに棺から立ち上がる。台座の高さも手伝ってかなり目線を上げた彼女は壁際に三つの人影を見つけた。それらはモゾモゾと動いて少女に近づいてくる。
その間に、一つの単語が聞き取れた。
「エジランカ」
五人は少女に顔らしき面を向け、何度もそう呼びかけた。
「エジ、ランカ……?」
それは名前なのだろうか?
彼女は乱れた息を整え、目に見て耳で聞いた状況を整理する。
まず、測定のたびに2.0を記録していた視力が小数点以下のそれに急変している。次に、人の顔を覚えるのが苦手な代わりに声を記憶してこれまで個人を判別してきたが、箱から起き上がったあとに聞いた五人の声には覚えがない。
そして頭部に機材の類は装着していない。
これが最も重大な事実で、つまり彼女の目は仮想ではなく現実を見ている。それなのに、先ほど目撃した人らしき生き物の姿形は仮想世界でしかあり得ない、デフォルメの利いたデザインだった。「見知らぬ場所」と「理解できない言語」も駄目押しとなり、
「……いや、まさか」
少女は自身を見下ろして体つきを確認する。
頭から垂れる白銀の髪、箸のように細長い手足、頭幅と同じくらいの狭い肩、余りに細すぎてひねったら折れそうな腰。
「これ内臓ちゃんと入ってんの?」
胸に手を当てれば心臓があり、ドクドクと動いている。その割に肌は異様なほど白く、血色というものがない。顔を探ってみると、どうやら右目に眼帯をつけている。
少女は蒼白の顔をさらに青くしてつぶやく。
「異世界転生なんて聞いてないんですけど!?」
その言葉は誰にも通じなかった。しかし「彼女」の理解は正しい。
棺の少女は号泣する夫婦の子供であるものの、中身はといえばトラックに轢かれるでもなく創造主のしくじりで世界を滅ぼされた地球人なのである。エジランカという名の少女は、その転生先として肉体のみ蘇生させられたのだった。
「嘘でしょ……、うそって言って。おねえちゃん……」
転生地球人はあまりのことに白目を剥いて意識を失い、棺の中に逆戻りした。
また死んだのかと慌てた少女の両親だが、胸部が静かに上下を繰り返していることに安堵した。青年たちと老婆は部屋の隅に戻って怪訝な顔を見合わせている。
夫婦はそれを無視して我が子を抱き上げ、生前に少女のものだった部屋へいそいそと運び込んだ。ベッドに寝かせて布団を掛ければ、夫婦はいよいよ愛娘が生き返ったのだと実感し、喉を詰まらせながらおいおいと泣き続けた。