14「隠さざるを得なかった才能」
巨樹を下りる条件はルシルが同行することだ。しかし最初に地上へ行きたいと言った際、彼女には無理だと突っぱねられている。それを説得するには何をすべきか? マオはルシルの言葉を思い出す。
彼女はエジランカの弱さを強調し、中間色にも劣るのだから許可もでないはず、と拒否した。それは裏を返せば、エジランカが人並みにでも強ければ通ったかもしれない希望だったのだ。
マオはルシルを部屋に呼び出し、探りを入れることにした。
「ルシルさん。レヴィヲお兄さんなんですけど、彼はどのくらい強いんでしょう?」
「レヴィヲ様ですか? あの方は魔法こそからきしですが、身体的な強度は抜群でして。武術や体術の類であればテレス様を押さえて白色最強です」
「ルシルさんはそんなレヴィヲさんと戦い、負けこそしなかったと聞きました」
「フフーン! おかげで発色をムニャムニャ言う奥様と旦那様を御当主様が黙らせてくれまして、私は晴れて白麗公家の使用人に! 実家のカスどもときたら面目丸潰れですよヒューヒューッ!!」
ルシルはその場でステップを踏んで踊り出した。彼女が抱く実家への恨みは相当と思われる。テンション爆上げのメイドは激情の乱舞を一通り終えて、マオに向き直った。
「そういや御当主様の説得は成功しました?」
「お婆様からはルシルさんのお眼鏡にかなえば地上行きを許す、と言われました」
「御当主様がそんなことを? いえ、あの方がそうおっしゃったのなら監督役も引き受けますが……」
「なので貴方がしゃあねえついてってやるかー、と思う基準を具体的に教えてください」
「直球~。でもその方が私も下手に気を揉まなくて済みます」
それはマオにしても同じで、ルシルが自分で考えろと言うタイプの人間でないのは助かった。話は早い方がいいに決まっている。
「では、お答えをお願いしまっす」
「せめて自分の身は自分で守れるくらいにはなってください。束になって襲いかかってきた中間色から逃げおおせる程度でいいです」
「中間色さんの強さが分からな――」
いつの間にかルシルがマオの首を掴んでいた。
「これを避けるか打ち払うか、手が届く前に魔法などで相手を行動不能にできれば合格ってことで」
「……っす。頑張ります」
首から手が放れて、マオは喉元に詰まっていた息を吐き出す。もとの体でも運動は得意だった方だが、武術に触れたことのないマオはルシルの行動に全く反応できなかった。
しかも、今の体はマオ自身のものではない。それならまずは、エジランカの体力を確かめる必要があった。
マオは動きやすい衣装に着替え、ルシルを伴い中庭へ移動した。広々とした空間にぽつんと一人で直立し、息を整えて口を開く。
「ちゃーんちゃーちゃ、ちゃんちゃんちゃっちゃ~」
故郷であれば誰でも一度は聞いたことがあろう、ラジオ体操のメロディを口ずさむ。変なものを見る目のルシルは無視して、マオは第一と第二を全力でやり遂げた。この時点で息切れなどはなかった。続けて屋敷の廊下をあちこち駆けて回り、体感で十分ほどは足を止めずに走り続けられることを確認した。
怠け者のくせに、エジランカの身体能力は予想以上に高い。中庭に戻ってきたあとも側転や逆立ちを試して、少女の体は見事それらを成功させた。マオは手を握ったり開いたりしながら感心する。
「この子、手足を使った運動は思っていた以上にできますし、柔軟性も申し分ありません。体を動かす訓練をサボってたって本当ですか?」
「お勉強がイヤで屋敷中を逃げてましたからね。体力は無駄なくらいあると思います。木とか屋根に登ることもあったので、簡単な動作もそれなりに」
「すご。とはいえ、ルシルさんならすぐに捕まえちゃいそうだけど」
「いつもお嬢様の気が済んだところでそうしてましたよ~。疲れるとプープー寝てくれるんで、お世話が楽でした」
「お勉強はさせなかったんですか?」
「私は教育係じゃないですもん。なお、教師担当は匙を投げてお家へ帰りました」
「根性ねえなー」
「じゃ、マオさんは根性見せましょうね! とりあえず回避行動の習得から始めましょうか。えいや!」
言うや否や、エジランカの頭頂部に軽い手刀が落ちる。
「しっかりしてください。本気だったらお嬢様の頭が真っ二つでしたよ!」
「嬉しそうに言うことじゃないでしょうに」
「文句垂れる暇があったら転ぶでもいいので避けなさーい」
「はぁーい!!」
言われたとおりマオは不格好に転がり、じゃれつくルシルを避けようと奮闘する。当然、全て失敗してポコポコと叩かれまくったが。
「うふふ、ふふ、ははは!! 前は私が癇癪で叩かれてたのに、今じゃ合法でお嬢様を殴れる! 最ッ高!!」
「うひぃ!? 手加減ありがとうございまっす!!」
「何か上達しなくてもいい気がしてきたぞぉ」
「いやちゃんと教えて!?」
「もーちろん、ですよ!」
周囲が薄暗くなって初日を終える頃、エジランカは枝葉だらけになって肩で息をしていた。不死の特性により傷や痣はないものの、服はボロボロで髪もグシャグシャにもつれ、それはもう美しさと対極の泥臭い姿だった。
翌日から、下手くそな稽古は家族にそれぞれのタイミングで目撃された。
母セデリアは汚れをいとわない娘に悲鳴を上げて止めに入り、邪魔だと本人に言われて中庭を追い出された。父キヴラスは割って入る度胸がないのか、始終オロオロとして半ベソだった。長兄はちらと視線をやって舌打ち。次兄はパイプをプカプカしながら遠巻きに眺める。祖母テレスはしばらく見守ったのちに無表情で去っていった。
そうしてルシルにボコられること、四日目。
マオは視覚が足手まといだと気づいた。
「視力が悪いのはだいぶ厄介だなぁ。ぼんやり動きは見えても、それが何か分からないから神経使ってめちゃくちゃ疲れる……」
「それで貴方、意味分からんところで勝手にすっ転んでたんですか」
「目で捉えるとそっちを優先しちゃうんですよね。どうしたもんかな」
「したらば、目をつぶればよいでしょう」
「簡単に言いますけど……」
試しに瞼を閉じて視覚を遮断してみる。
すると主な感覚は聴覚に移り、むしろその方が周囲の景色もはっきりと「見えた」ような気がして、マオは思わず目を見開いた。
視界はまたしてもぼんやりだ。
「何だこれ?」
思い返してみれば、合戦観覧の際にも同じようなことがあった。目で見ていないのに、エジランカの脳裏には眼下の景色がありありと再現された。あのイメージは暴力に恐怖した心が混乱して描き出した虚像ではなかったのだ。
「エジランカさんは確かに見えてたんだ。目じゃなくて、耳で」
マオは再び視覚を閉じて、物音に集中する。
風の流れを聞き、正面にルシルの存在を感じる。肌を意識すれば微々たる体温が伝わった。音が物にぶつかり跳ね返ってきた響きを受け取り、触覚や嗅覚も手伝って周辺を補完していく。
瞼の裏の暗闇に、白い線描で景色が映し出された。
正面のルシルは両腕を左右に開き、布地を擦りながら左右の肘を曲げ、エプロンを押さえつけて腰に手を当てた。
「お休みしてる暇はありませんよっと!」
黙り込んだマオを不審に思いつつ、ルシルは頭を狙って平手を振る。エジランカの耳は瞼の裏にリアルタイムで鮮明な輪郭を描き、マオは反射で身構えた。
「あらら!?」
ルシルが平手を寸止めにして目をぱちくりとする。結局のところ避けるには至らなかったが、回避行動を「起こす」段階に移行できたのはかなりの進歩だった。
「びっくりした! すごいじゃないですか。それもマオさんの〈加護〉ってやつです?」
「いえ、おそらくエジランカさん本人の能力です。きっと、この子は耳で世界を見ていたんですよ」
それはいわゆる反響定位というもので、生前のエジランカはこの特殊能力を人知れず身につけていたのだった。
「ンエ? 私そんなん知らなかったんですけど」
「視力のハンデを〈弱さ〉と思ってたら、言うわけないかな……」
「なるほろ~。でも、そういうことならお嬢様のこと少し見直しちゃうかも」
「……それ、本当に?」
「ほんのチョーット、髪の毛の先くらい」
「貴方の口からそんなことが聞けるなんて、号外間違いなしの朗報です。部屋に帰ったらどっかに書き留めとこ!」
はしゃぐマオに、ルシルはしまったと言いたげな顔だった。彼女は失言を取り繕うために話を訓練に戻す。
「何であれ反応はいいので、これからは目に頼らない方向で行きましょうか」
「だったら何か音の鳴る物がほしいですね。自分から空間を把握できるよ、うな?」
そこでエジランカがバッと振り返る。それは予期せぬ誰かがやってくる合図であり、予感は今回も外れることなく、少女の視線の先にアルヴレドが姿を現した。
彼は手に持っている杖をカラカラと振って近づいてきた。
「鳴り物が欲しいなら、これはどう?」
「お、お兄様!?」
「鈴がついたこの杖、いつもお前が腰に差していたじゃない」
アルヴレドが差し出したのは、先端を中空に削って鈴にした木製の短い杖だ。左右に揺らすと堅く乾いた音が周囲に反響し、エジランカの耳が鮮やかに視界を描いた。
「歩くたびにうるさいと思ってたんだけど、そういう理由があったんだね。知らなかったなぁ」
「どのあたりから聞いてらしたのかしら」
「耳で見てた。ってところ」
しっかりと弱みを知られてしまった。とは言え、アルヴレドは妹に木鈴を渡すのみで、説明を求めることはなかった。そのため、内心でぎくりとしたエジランカも視力には言及せず、何食わぬ顔で鈴を受け取った。
「ありがとう。でも、どうしてお兄様がこれを?」
「棺の中にほったらかしだったのを預かってたんだよ。ところで、ルシルが体術を教えるなら、私が魔法を教えてあげようか」
「えっ!? そ、それ……本当に!?」
意外な人物からの思いがけない申し出に、エジランカは声を弾ませる。
「ああとも。私は本気さ」
「嬉しい! 魔法まで覚えられるなんてありがたいことだわ。そうよね、ルシル!」
「ア、ァイ、エー。ハイ」
「ルシル……?」
いつも飄々とした態度のメイドがカチコチに固まってしまった。エジランカは心配して下からのぞき込むが、ルシルは誰にも目を向けず、明後日の方向を虚ろに見つめて台詞を棒読みにした。
「アルヴレド様は御当主様に、次ぐ。魔法の使い手、ですのでっ。ご指導いただけるなら最適かと!」
「貴方、急に挙動不審なのだけど」
「き、ききき気のせいですよお嬢様ぁ~。ははは、わはっ!」
ルシルの声はおびえていた。まさかこのメイドはアルヴレドが苦手なのだろうか? 畏怖の権化といえるテレスにさえ「話してみると気さく」だと言っていたくせに、意外なこともあったものだ。
ルシルとアルヴレドはヘラヘラでちゃらんぽらんな部分が似ているし、同族嫌悪的な意識があるのかもしれない。
何にせよ、現段階では二人の仲を取り持つ必要もない。エジランカは深く関わらないことにして、兄に向き直り軽く頭を下げた。
「ではお兄様。ご教授のほど、よろしくお願いいたします」
「うん。承ろう」
アルヴレドは柔らかい笑顔を浮かべて妹の頭をポンと撫でた。
ルシルはついに口をぱかーんと開けて、「はわわ、あわわわわわ……っ!」。瞼の外に飛び出そうな勢いで目を泳がせ、恐怖を垂れ流していた。




