4.求婚
良いこともあれば悪いこともある。
その日はオデットにとっては悪いことが先で、良いことが後だったのかもしれないが。
それは日中、天候に恵まれたある日のことだった。
すでに季節の花である薔薇がちょうど満開で咲いている。
その香りを楽しむため、オデットは屋敷の庭で薔薇のほかにも咲き誇っている色とりどりの花々を愛でて、あとで部屋に飾ろうと摘み取っていた。
すると、土に交じった砂利が踏みつけられる音が彼女の耳に届いた。
「噂通りの見事な庭園ですね、やはりこんな素晴らしい庭園を持つお屋敷は他にみたことがない」
そう話しかけられたため、オデットは後ろを振り返った。
声の主は父に連れられたマティアス王子だった。
咄嗟にオデットは敬意を払おうとしたが、どうかそんなに畏まらないで欲しいと彼は言った。
「そう言えば、先日この庭を見たいとおっしゃっていましたね。まさか本当にいらっしゃるなんて驚きました。マティアス様はどのような花がお好きなのでしょう?」
軽く微笑みながらオデットがそのように訪ねると、マティアスも笑みをこぼしてこう返した。
「私が望む花……」
しかしすぐに真剣な目に変えると、なんと彼はオデットの前で跪いた。
「それはあなたです。本日はあなたに結婚を申し込みに参りました」
結婚?
結婚ですって?!
オデットは思いもよらない彼の言葉に驚いた。
続いて出た言葉は、そのような話は恐れ多い上に、ご存知のように私には婚約者がおります! とすぐさま首を横に振った。
あの舞踏会の件があるとはいえ、ジョエルとはまだ婚約中の身だ。
それに第一、自分はマティアスのことをよく知らない。
ところが、ここで二人の様子を見守っていた父が慎重に口を開いた。
「いいかね、オデット。落ち着いて聞きなさい。ジョエル殿との婚約解消は……残念ながら確定になったのだ」
お前を驚かせるといけないから、周りの者には内緒にするように伝えていた。
すでに国中の貴族たちは知っており、結婚式の招待状だって出されている。
彼女の父はさらにそう伝えてきた。
「そんな……お父様ご冗談が過ぎます! 国王陛下だって、お父様だって、認めないとおっしゃっていたではありませんか!」
どうしてそんな事が? あり得ない!
とオデットは顔を青ざめさせるとマティアスがさらにこう言った。
「驚かれるのも無理はありません。この様な事をあなたにお伝えするのは大変心苦しいのですが、辺境の地でジョエル殿は自ら命を断とうとしたのです。幸い未遂に終わりましたが、運命的に恋に落ちた女性と添い遂げられないのなら、自分はこの世にいる意味はないと」
実はこの国はオデットも感染した疫病のせいで、ジョエルを除いた王位継承権を持つ男兄弟は全て亡くなってしまっており、現在継げるものがジョエルしかいない状況だったのだ。
そのため、ジョエルさえもいなくなってしまえば、この国は乱れるに乱れる。
妥協策として、父も含めた家臣たちは愛人としてその女性を迎えるのはどうだと提案したのだが……
ジョエルは首を縦に振らず、結婚させない限り自分にはその先の未来がない、と言い張ったのだそうだ。
そして、恋に狂った上に自殺となれば国の威信にも関わる、としぶしぶ結婚を認めることになったと言うわけだ。
だが、オデットにとってはショックが大きすぎるだろうという理由で、家族や周りは来るべき時が来るまで出来る限り内緒にしておこうと決められたのだった。
「この件については、陛下も憂いて心を大変痛めている。次の君主としてあるまじき真似を殿下はなさったのだからな。それゆえ不安定な殿下に万が一何かあった時に揉めぬよう、我が国と縁があり家柄も申し分なく、スムーズに王位継承が移行できるマティアス殿をお前の婚約者として新たに推薦することとなったのだ」
父の顔にも苦しそうな色が浮かんでいる。
とはいえ、お前の幸せを考えればこの話は悪くないのだよ、と彼は言葉を続けた。
オデットは茫然と二人のことを見つめた。
私の幸せ? 何を言っているの?
私の幸せはジョエルといる事なのに!
パサッと何かが土の上に落ちる音が聞こえる。
オデットの手の中は空っぽになっていた。
「それに喜びなさい、オデット。マティアス殿は決して義務感からではなく、お前を心から望んでいると打ち明けてくれたのだ」
父はそう言うと、軽く微笑んでマティアスの事を見た。
マティアスは真剣な眼差しをオデットに向けながら口を開いた。
「あなたの事をお慕いしております。以前より夜会などでお見かけしておりましたが、年を追うごとにあなたは美しくなり私の心を離さなかった。どうしても諦めきれないのです! 私なら、あんな薄情な事をする彼よりもずっとあなたの事を幸せにできる……」
頭の中を何かでガンガンと殴られているような衝撃。
目の前はまるで思い切り光を照らされたかのように真っ白。
マティアスの言葉は歌詞のない音楽のように流れていくだけ。脚がガクガク震える。
オデットはそのまま立っていられず大地へと倒れ込んだ。