3.再会
すでに日は高い位置に昇っている。
結局オデットは夜寝付くことができなかった。
今また目を閉じたがやはり寝付けない。
あれがないとダメなのか、と彼女は衣装棚から仕舞い込んだジョエルの人形を取り出した。
この人形はジョエルが彼自身を模して作らせたものだ。
長椅子には大人になったオデットをイメージして同じ職人によって作られた、彼女が生まれた時からいる人形のオディールが置かれている。
一人だけだと寂しいだろうし、もう一人の僕も君の側にいれたら嬉しいから、と言う理由である時ジョエルからプレゼントされたのだ。
貰い受けたとき、オデットの中にはある考えが思いついた。
「ねえ、ジョエル。せっかくだから、この人形にも名前をつけない? ジークなんてどうかしら?」
オデットはそのように提案してみたが、ジョエルはなぜか首を横に振った。
「せっかくだけど、それはやめて欲しい。なんだか別の男がいるみたいでヤキモチを妬きそうなんだ。この人形は僕の名前のままにしてくれないかな」
自身に似せた人形を手に持ち、オディールにキスする仕草をみせて彼が微笑みながら言っていた事も、今では切ない思い出だ。
どうか前の彼に戻って欲しい。
いつものようにジョエルの人形を隣に横たわらせると、オデットはそう願いながら眠りに落ちた。
次にオデットが目を覚ましたのは夕方だった。
窓のカーテンから漏れた西陽が顔にあたる。
眩しさで目が覚めたようだ。
カーテンを締めようと起き上がった時、彼女は何気なくジョエルの人形を見た。
瞼が閉じられている。
今日のオデットは横たわらせるときに彼を少し乱雑に扱ったため、彼の瞼を閉じた記憶がなかった。
いつもの習慣で閉じたのだろうか?
不思議に思いながらオデットは再びジョエルの人形と共に横たわった。
◆◆◆
その日以降、家族はオデットに気を使ってジョエルの話題を全く出さなくなり、日々はゆっくりと過ぎていった。
代わりに彼らは、彼女が喜ぶような音楽会を屋敷内で催したり、あるいは連れて行ってくれたり、観劇、そして少し遠出してピクニックをするなど、さまざまなことで気を紛らわせてくれた。
オデットもそんな家族の優しさが傷ついた心の癒しになると感じていた。
そして今日は、王都にて兵士たちによる剣術大会が行われようとしており、そちらに出向く予定だ。
その剣術には准将であるオデットの兄であるハンスも参加するため、朝からバタバタと屋敷の中は慌ただしかった。
「行ってくるわね」
そう言いながら、オデットはいつものように長椅子にオディールとジョエルの人形を並べた。
しかし、部屋の扉をあけて外に出ようとした瞬間、彼女はふと気になり長椅子のほうに向かって振り返った。
よかった。落ちてない。
実はこのところ、オディールとジョエルの人形を並べて置いておくと、オディールがなぜか床に落ちてしまっていたのだ。
どこか関節のあたりでもズレて座りのバランスが悪くなっているのだろうか。
今度修理に見てもらおうか、と思いながらオデットは部屋を出ていった。
最後の決戦が終わった後でも、闘技場は観客の声援がなかなか止まない。
その日の試合はなかなか白熱したものだった。
ハンスは決勝まで進み、あと一歩で優勝というところだったのだが、ゲストで対戦相手のマティアス王子に惜しくも敗れてしまった。
「こんなに苦戦したのは初めてでした」
試合終了後、マティアスは笑顔でオデットの兄を褒め称えると片手を差し出した。
「いいえ、そちらこそ。お見事でした。それに先日は妹を助けていただいたのに何たる偶然。再度お礼を申し上げます」
兄は王子の手を握り返しながら、父や母と共にそばに寄ってきたオデットの方を見つめた。
オデットも彼に向かって淑女らしい挨拶をした。
すると、マティアスは一瞬彼女を見つめると、ハンスに向かってこう言った。
「いいえ。礼には及びません。そういえば、貴殿のお屋敷のお庭が大変素晴らしいと伺っております。ぜひ一度、拝見させていただければ幸いです」
思いがけない彼の願い出に、父も母もぜひいらしてくださいと喜んでいる様子を見せたが、盛り上がっている家族に対してオデットはどこか上の空だった。
ジョエルもかなりの剣の使い手だった。
彼がこの大会に参加していたならば、必ず優勝していたに違いない。
マティアスと剣を合わせていたのも見たことがあるが、圧倒的な勝利を得ていた。
そんな回想にオデットは耽っていたのだ。
◆◆◆
カタカタと一定の振動が身体に伝わる。
帰りの馬車では先ほどの王子の訪問願いに加え、試合について父は大興奮した状態で繰り返すように馬車の中で語っている。
しかし、オデットは同じ事しか言わない父の話に次第に飽き始め、急に眠気に襲われて寝てしまった。
彼女は気がつけば、濃霧が立ち込めている森の中の湖畔にいた。
自分は倒された古い大木に腰掛けている。
彼女の目線の先には穏やかな湖畔に佇む愛する人の姿───
ジョエルがいた。
やっと会えた、とジョエルはオデットを見つめながら口にした。
そして駆け寄るようにしてオデットに近づき前に立つと、以前と変わらない優しい眼差しを彼女にむけた。
自然とオデットもジョエルのことを見つめ返すと、顔にジョエルの影がゆっくりと落ちてきて二人は唇を重ねた。
そのまま二人はお互いに抱擁しあっていたが、ジョエルはそろそろ行かなくてはと彼女に告げた。
「どこに? いやよ、行かないで。このままそばにいて!」
オデットが必死にそう願っても、ジョエルは教えてくれず首を横に振るだけだった。
彼は彼女を一瞬強く抱きしめてから離れると、岸に落ちていた木の枝を拾い上げ、土の上に円の中に三角形が描かれた不思議な印のようなものを描いた。
彼は再びオデットの事を見つめてこう言った。
「どうかサルバトールの元に行って。手がかりはこれだ。僕は君のそばにいるから」
急にあたりが白くなった。
見慣れた光景が広がる。
ジョエルがそう言った瞬間、オデットは目を覚ましたのだ。
「おい、オデット。家に着いたぞ。起きたか?」
声をかけてきたハンスは、全然呼んでも起きなかったからよほど疲れてたんだなと笑っているが、それを無視して彼女は馬車から降りると屋敷の自室に駆け込んだ。
やはりオディールが長椅子から落ちてしまっていたが、今はそれどころではない。
彼女は記憶が薄れないうちに、急いで紙とペンを出して夢の中の印を描いた。
果たしてこれはなんなのか。
書いてみたもののさっぱりわからない。
それにサルバトールとは?
彼女は図書室に行き、それらしい印が描かれていそうな本から探してみたが何も見つからなかった。
辺りはすっかり暗くなっている。
侍女が夕餐の時間だと声をかけてきた。
夢の中の話だし、現実にはあり得なくて当たり前か、とオデットは気落ちしながら本を元に戻して食堂へと向かうしかなかった。
夜。
その日の夜はまるで天が泣き叫んでいるかのような大嵐だった。
雨と風が打ち付けられ、ガタガタと派手に窓枠を揺らしている。
少し眠気を感じて落ちそうと思うたびに、叫び声にも近い風音やザアザアとなる雨音で起されてしまう。
こういう時は彼に頼るのに限る。
とても怖い、心細いわ……そう言いながらオデットはジョエルの人形を抱き寄せて眠りについた。
翌朝。
嵐は収まったものの小雨は続いている。
彼女が目を覚ますと、隣に寝かせていたはずのジョエルの人形がいない。
どこに行ってしまったのだ?
そう思いながら彼女は毛布をめくってみると、なぜか人形は足元の方に行ってしまっていた。
あってよかった。
でもなんでこんなところに?
続けて疑問に思った瞬間、彼女は目を見開いた。
彼女の目に映ったものは───
なんと抜け落ちた自分の長い髪を使って、シーツの上に夢で見たのと同じ印が描かれていたのだ。
堪らずオデットは小さな叫び声を上げて、ベッドから飛び降りるようにして傍から離れた。
どうしてこれが?
なぜ夢ではなく、現実の世界にも?!
オデットは軽くパニックになり、その場に立ち尽くした。
しかしよく見れば、ジョエルの人形の手にも自分の髪の毛が絡まっている。
「僕はそばにいる」
突如オデットはその言葉を思い出し、ハッとした。
もしかしたら……人形が何かを伝えようとしている?
とさらに奇妙な考えに囚われた。
彼女は再びペンをとった。
夢の中だけではぼんやりとしていてわからない部分もあったため、今度は髪の毛でかたどられた印を詳細に描いた。
それにしてもあの印は? サルバトールとの繋がりは?
図書室の本でさらに探してみたものの、何の手掛かりも得ることは出来ない。
結局答えのわからないまま、オデットは日々を過ごすだけだった。