16.幸せな終わり
半年後。
「王太子妃殿下。ハンス様がいらっしゃいました」
ゆったりとした白いドレスを身にまとい、椅子に腰掛けて外を眺めていたオデットに女官がそう声を掛けた。
部屋に通されたハンスは両手を広げて喜びを示し、久しぶりだなオデット、いや王太子妃様と恭しく頭を下げた。
「お兄様ったら、そんなに形式ばらないで。私は王太子妃でもお兄様はお兄様なのよ」
オデットも久しぶりの兄と妹の再会に笑顔を見せ、椅子に座るように促した。
だが、二人はすぐに真剣な面持ちへと変えた。
「……とうとう出陣する事になったのね」
「ああ。あちらの方も今、揉めに揉めているからな。演習が終わったと思ったら、本当に戦争になるなんてびっくりだよ」
あちらの国から変な男が亡命してきたと思ったら、マティアス王子が陰謀を企てていたなんて恐ろしい事をペラペラ喋る。
一応、マティアス王子とは敵対していた訳でもなかったから、我々を混乱させようとする別の国の人間かと思ったらどうも違う。
「ジョエル様がおかしくなっていた時のことを妙に細かく知ってるし、本当かどうか第三者機関に立ち会って貰って検証したら、ジョエル様は呪いが、お前には魅了魔法が掛けられていた形跡があったと判明するとはなぁ」
振り返ってみれば、あのジョエル様の一時的な振る舞いはどうりでおかしかった訳だ、とハンスは自分で話しながら納得するように首を縦に振った。
「ええ。私もジョエルが何故こんな事になったのかわからなかったし、ジョエルも呪われる心当たりが無いと言っていたの。おかしかった時期については呪いのせいなんて言えないから、事故の後遺症という事にしておこうと二人で決めていたのだけど……」
そうは言っても、この件について解決できたのは親切にしてくださった魔術師の方のおかげよ。
だから、ジョエルに内緒でお礼をしにこっそり伺ってみたのに、あったはずの屋敷も含めて綺麗に無くなってしまっていた。
それにお兄様にも尋ねたけれど、私にその魔術師の事を教えてくれた召使いについても、そんな召使いはいないと誰も知らない。
ジョエル自身に聞いても、どうしてそのような人物のことを私に伝えてきたのかわからないって……
本当にあの出来事は一体なんだったのかしら? とオデットは両腕をさすった。
「まあ、ちょっと気味が悪いよな。でもさすが王家だ。何か守護的な力が働いたのかもな」
そう言ってハンスは軽く笑った。
「だが、呪いが掛けられたって証拠がでる前にあれこれ大騒ぎしなくて良かったと思うぞ? 事故の後遺症ならともかく、証拠もないのに呪いのせいで婚約破棄しかけたなんて言ったら、それこそいい恥晒しだ。相手方に後継者としての資質がどうのって、ジョエル様の評判を落とすような工作がさらにされていたに違いない」
ただ、その実行者であるマティアス王子はもうこの世にいない。
本当に、どちらの上の兄たちが仕組んだのか真相はいかほどにって感じだよなぁ。
とはいえ、国家転覆を狙ったのには変わりない。
これは誰がどう見ても宣戦布告だ。
おそらく、うちで金脈が見つかったからどうしても手に入れたかったんだろう。
第二王子は血気盛んで戦争もないのに軍事演習をよくやってるし、第一王子だって国王が頭を抱えるほど浪費癖があるから、二人とも金が欲しいのは明らかだ。
地理的にも金脈はあちらの国からしたら目と鼻の先だしな。案外、マティアス王子もどっち側というより、両方の板挟みになっていたりして。
あのまま、もしマティアス王子がこの国の実権を握っていたら、友好国として共同で管理しようとか言って、まんまと利益を自分たちで丸々得ようとしていたって噂だ。
現にこの内戦に乗じて、うちの金脈を襲うって情報を掴んでる。
どちらにせよ、話がこれ以上大きくならない今のうちに押さえ込まねば。
「それにしたって、我が家だって一歩間違えてたら、あちらの国の陰謀に加担する事になったんだから心底ゾッとするよ。まぁ、これ以上怖い話をするのもお前の体に良くない。とにかく、お前とジョエル様の仲が元に戻って本当によかった!」
ハンスはそう言ってオデットに微笑んだ。
「ええ。でもあまり長引かない事を祈るわ。それにどうかお兄様もご無事で帰っていらっしゃってね」
「おう、約束する。そうだなぁ……そのお腹の子供が生まれる前には帰って来れるように、さっさと終わらせてくるよ。そして帰ってきたら今度は俺の結婚式だ! ……って俺はまだ嫁候補も決まってないんだがな」
はははと軽快に笑い、それじゃあな! ジョエル様によろしくとハンスは立ち上がるとオデットに踵を返して部屋を出て行った。
兄は相変わらず明るい調子だ。
そんな彼を見送り、心に安らぎを覚えつつも、ふぅとオデットはため息をついた。
まさか、婚約破棄されたと思ったらこんな事が裏で動いていたなんて。
あの時、呪いに掛かっていた事に気づかず、ジョエルが偽者のままだったらどうなっていたのかしら。
私はマティアス王子と愛のない結婚をして……
「ううん、良くないわね。怖い事を考えるのは」
オデットは再び窓から外を見つめた。
広い青空へ向かって、鳩の群れが飛び立って行っている。
「あなたもどうか無事に生まれてきてちょうだいね」
お腹を優しく撫でながら、オデットは二人のために祈りを捧げた。
その後、オデットは複数人の子供に恵まれ、幸せを感じながら生涯を終える事になる。
ただし、その裏にある真実に一切気付かず、また知る事も彼女はなかった。
そして、彼女の愛するジョエルは後の世でこう評されるのだった。
偉大なる英雄にして素晴らしい世に治めた名君、と。
◆◆◆
窓もなく、粗末な石造りの牢に押し込められていた男は、無表情の看守から牢を出ろと命令された。
何年も手入れをしていないため、髪も髭も伸び放題、服は垢染みてボロボロだ。
かつて平和な国の王子と呼ばれ、栄華を極め優雅な姿はそこには無かった。
この牢に入れられた際、彼は投獄されてから何日目なのかと知るため、起きるたびに壁に傷をつけていたがそれもいつしかやらなくなった。
男は牢を出されると、屈強な数名の兵士に囲まれて、腕を背に回され縄で縛り上げられた。
しかし、男は抵抗する素振りを一切見せなかった。
それは、高貴なる血の流れるものは取り乱してはいけないという誇りからくるものなのか、はたまた諦めから来るものなのか……真意は彼しかわからない。
そして、おそらく数週間前にこの国を治めていた国王が死んだ。
いつもであれば灰色の制服を着ている看守たちがしばらくの間、全員が黒い服を着ていたのだ。
揃いも揃ってそんな服を着ると言うことは、きっとそういうことなのだろう。
だが確実に言えるのはこれが恩赦による解放ではないという事だ。
それは彼もわかっていた。
ついに刻が来たのだ。
彼が引っ立てられた先は、この牢よりもさらに階段を降りた地下の小部屋だった。
厳重な厚い扉が開けられた先には、新しい藁が敷き詰められているものの、茶色く変色していない赤く染まった藁がまだ少し残っていた。
その上には小さな台、その台を挟むようにして司祭と、赤と黒の服を身にまとって手には"仕事道具"を持つ大柄な男がいた。
部屋自体に染み付いてしまっているのか、慣れないものが嗅げば吐き気を覚える鉄臭さも漂っている。
「最期に何か言いたい事は?」
真剣な面持ちで司祭が男に尋ねると、男は俯いて少し考え込んだ。
彼の頭に浮かんできたのは、何の変哲もない在りし日の家族の光景だった。
男兄弟だけだったためしょっちゅう喧嘩はしていたが、次の日には何事もなかったかの様に忘れて普通に接していた。
だが、いつからそれは壊れてしまったのだろう。
下の弟は、一番下の弟が継母の不貞で出来た子だと騒いでいたが、あの子は確実に同じ父から出来た子だ。
そして、その不貞の相手と見做されていた長兄は持病があり先が長くなかったこと、発作が起きた時に継母が助けそれを内密にしていた事、もし彼が亡くなった場合は下の弟に王位継承を託そうとしていた事……
全てがわかったのは内戦が始まってしまってからだった。
事の始まりは家族なのにつまらないプライドできちんと話し合わず、誤解が生じ、疑心暗鬼に陥っていたせいだ。
そして和平に向けて動こうとしたところを隣国に攻め入られ、結局それは叶わずに夢に散った。
そう思いながら彼は口を開き、この様に司祭に向かって話した。
「神よ、どうか彼らをお赦しください。私たちは何もしていない。私たちは何もしていなかったために罪を負わされて天へ昇るのです」
男がその言葉を伝えた後、誰かが彼に手早く目隠しをした。
そして無抵抗でもあるにも関わらず、数人がかりで男を押さえつけるようにして、頭を小さな台へと乗せた。
司祭が祈りの言葉を捧げる。
その言葉のあと、役人の宣言に入った。
名前が読み上げられているが、かつて呼ばれた殿下や、第二王子という敬称はなく、いち庶民と変わらない名前と家名のみだ。
「では、これより新国王の命により、国家転覆ならびに侵略行為のため死刑を執行する」
彼はまた別の罪を重ねたのだろうか。
目隠しをされた男は台に頭を静かに乗せたまま、そのように思ったのかは定かではないが、死刑執行人の剣を振り下ろされるのを待った。
◆◆◆
名君?
そう聞いて、あるものは皮肉めいた笑いをした。
あれが名君だって? 見事に騙されている。
その本性を知る一部のものは、一方で秘密裏に彼の事をこう呼んでいた───
悪夢のような狡賢さと残虐性を持った、非道かつ邪悪な王と。