15.お返し
引き続き警戒していたマティアスは慎重にその部屋に入った。
「見てごらん」
あれがプレゼントだとわかるように、ジョエルは指を向けた。
その先には───
ベッドの中ですっぽりと頭まで毛布を被っている人物がいた。
毛布からは長く豊かで明るい色の金髪が見えている。また、端からは指先が見える。
寝ているのか微動だにしないが明らかに女性のものだ。
「……どういうことだ?」
マティアスは怪訝な顔をした。
「あいにく僕は君の女性の趣味を知らない。でもさすがに僕の妻に似てる女性を選ぶのには抵抗があった。だから、顔は似てないけど髪色は似ている女性を選んだ」
ほら来なよ。一緒に楽しもうと言って、ジョエルはベッドに腰を下ろすとシャツの首元を緩め始めた。
だがマティアスの顔からは警戒の色が取れていない。
「なんでお前なんかと一人の女を相手にしなければならないんだ! 私はそこまで愚かではない!」
誘いに乗らなかったため、ジョエルは襟元から手を離した。
「残念。そういう趣味はなかったか。まあ、僕もそんな趣味はないけどね」
口元の両端を上げ、彼の事を見つめるとそれ以上は何も言わなかった。
意味がわからない。
しかし間違いなく、ジョエルは何か企んでいるだろう。
だが今、ここには自分と彼と娼婦まがいの女しかいない。
しかも幸いな事にここは自国で自分の部屋だ。
つまり、何か起きたとしても後はどうとにでもなる。
マティアスはジョエルに背を向け、寝室を離れようとした。
先ほどの部屋には銃が机の引き出しに仕舞われている。
「ジマン・アドシーラ」
突如、ジョエルは聞いた事のない言葉をつぶやいた。
「なんだそれは?」
隣に移動しようとしていたマティアスは、そう返そうとした。
しかし実際は、その言葉さえ発することが出来なかった。
彼は振り返ったまま全く動かない。
いや、動けなくされたと表現する方が正しいだろう。
まるで凍ったかのようにその場に固まってしまったのだ。
「うん、成功したようだね」
ジョエルはまたしても笑みを浮かべると、ベッドから立ち上がってゆっくりと彼に近づいた。
「どう? 僕の魔術は。意外とセンスがあると思わない? 僕は一流の魔術師から教えてもらったんだ。けれどここまで出来るって事は、もしかしたら母方の血筋に悪魔か魔女の血が混じってるのかもしれないって笑われながら言われたよ」
ポンと軽くジョエルはマティアスの肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。
「その魔術師に今回のお返しを依頼していたんだけど……オデットと愛し合ってる時に急に気が変わったんだ。やっぱり人任せは良くない。だって愛する妻がお世話になったんだから。そこは夫である僕がきちんと対応しなければって」
魔術師でもない君が僕に魔術を掛けられたのなら、僕にだって出来るはずだろう?
ジョエルはマティアスの耳元に口を近づけてそう囁いた。
「オデットはね、僕が人形だったときも、今もベッドの中で愛を込めて優しく僕の事を撫でてくれるんだ。君も僕のようにたっぷりと愛されるといい。君を求めてくれる人間なら沢山いるはずだ」
軽く咳払いした後、ジョエルはマティアスの肩に手を置いたまま、今度は"テームシティ・イラ・ニジュマ"と呟いた。
すると、急にマティアスの体は支えを無くしたかのようにガクンと膝を落とし、目を見開いたままその場に倒れた。
ジョエルは倒れ込んだ彼を鼻で笑うと、ベッドに移動して毛布をめくった。
それから再びマティアスの元へ戻り、彼の身体を持ち上げるとベッドに横たわらせた。
マティアスの隣には───
等身大の女性を模した美しい顔を持つ人形が横たわっている。
何も知らない者が見たら、美女がただ眠っているだけとしか思わないほど精巧な人形だ。
その人形の顔に指先を置き、ジョエルは閉じている瞼をそっと開けた。
良かった。ちゃんと彼は移動している。
ジョエルはそう思いながら、マティアスと同じ色をした人形の瞳を見つめ、満足げな笑みを浮かべた。
「実は今、我が国の軍を強化しようと思っているんだけど、新しい野営の候補地は大した村もなく、本当に何もない過酷な場所なんだ。当然、相手をしてくれる女性もいない。だから荒ぶる兵士達にどう喜びを与えるのか、というのが真面目に課題として上がってる。規律を乱す者が、住人の女性や子供に手を出すのはあってはならないことだしね」
君だってうぶな乙女ではないのだから、言っている意味はわかるだろ?
ジョエルはそれ以上何も言わない代わりに、薄い衣しか羽織っていない人形の体を服の上から優しく撫でるようにして触った。
生身の女性と変わらない肌、唇、胸、そして脚の柔らかな質感が彼の手に伝わる。
薄い布越しでもわかる、細っそりとした腰のくびれから脚に向かってのラインは特に美しい、とでも言うようにジョエルは手の甲を使って撫でた。
「あぁ、君もちゃんと意識がある時にこの人形をみることができていたらなぁ。多分、君自身もこの子をこのベッドの上で試してみたくなったと思うよ。そのくらい今の君はとっても魅力的なんだ。力の強い男が数百回やんちゃに遊んでみても簡単には壊れないほど耐久性も優れてる」
人形の腿に手を沿わせ、ジョエルは付け根を強くつねった。
「そしてこんな事をしても文句も言わない。あるいは見せつけられたとしても」
ジョエルは人形の顔をマティアスの方へと向け、さらに目を見開いたままのマティアスの上に覆い被さった。
彼は人形を見つめ返すようにしながら、マティアスに顔を近づけるとその唇を奪い、さらに音を立て、中を犯すように口付けを繰り返した。
「おまけにこんな振る舞いをしてもね」
人形から目を逸らせる事なく、シャツの袖で自身の唇をジョエルは拭った。
それから力なく横たわったままのマティアスの両足を開かせて腰に引き寄せると、ジョエルは変化し始めていた自身を彼に押し当てる仕草をした。
「もし君が乗り気だったら、僕たちはこんな事もしてたのかな」
人差し指をマティアスの唇に、ジョエルは笑いながらトントンと当てた。
「でもこれ以上は僕ではなく兵士たちの楽しみだ。それに何より僕にはオデットがいる。ちゃんと彼女のために貞操は守らないと」
そうそう、とジョエルはさらに呟いた。
「呪いが解けたのはオデットのおかげなんだ。彼女は自分の体を武器にして、危険を承知で解いてくれた。なんて勇敢で、勇気があり、なおかつ健気だと思わない? でも、そうならざるを得なくしたのは君のせいだ。だから僕は君を絶対に許せない。もちろん、僕の偽者が彼女につけた心の傷もね」
ジョエルは人形の背と膝下に腕をいれ、抱き上げてベッドから離れると、扉の方に向かった。
だが、扉を超えたところで、彼は人形を抱き抱えたままベッドの方へ振り返った。
「これで君の体ともお別れだ。最後によく見てごらん。さっきのでわかったと思うけど、僕は君と違って、ただ魂をこちらに移動させただけだ。だから君の元の体は空っぽ。じきにまた時が動いたら、誰かが君を見つけ、きっと悲しみながら花を捧げ、肉体が腐りゆく中で棺ごと丁寧に皆で土に埋めてくれるよ」
でも大丈夫、と彼は言葉を続ける。
「代わりに君は新しい舞台で輝く。軍隊に行きたかったんだろ? 僕からのプレゼントだと言えば、兵士達はことさら喜んで受け取ってくれるはずだ。きっと戦地の恋人、花嫁、天使なんて謳われるんじゃない? 誰が君と最初に遊んでくれるのかな。楽しみだね」
それと最後にいい事を教えよう。
結構前に変な女の子から教えて貰ったんだけど、僕の国は未来で君の国から攻められて滅びる運命にあるらしい。
てっきり僕をコントロールしたくてそんな嘘を言ってるのかと思ったけど、今回の件でそれが本当のことだとわかった。
でもそんな事させないよ。
これから軍を鍛えようとしてるのだって、先手を打ってこの国を無くそうと思ってるからなんだ。
理由だって、わざわざ君が僕に呪いをかけて陥れようとして国家転覆を狙ったんだ。十分すぎるだろ? 証拠だってたんまりと残ってる。
今頃、僕の魔術師が君の魔術師のことを捕まえて、自白に取り掛かってるんじゃないかな。
君のせいで君の国は滅びる。
そもそも僕からオデットを奪おうとしたのが君の運の尽きだったんだ。
婚約破棄された女性に手を差し出して、優しい白馬の王子になり僕を蹴落とすつもりだったようだけど、そんなに上手くいく訳ない。
「君の死も単なる王位簒奪の失敗による自死ではなく、君の大嫌いな兄上たちによる証拠隠滅のための毒死という事にしておくよ。僕の魔術師はそういう偽装も得意なんだ。あと、これは僕と意見が一致するね。お望み通り君の一族を根絶やしにしてあげる」
ジョエルは腕の中の彼に向かってにっこりと微笑み、自身がこの部屋にやって来た鏡の前に立つと、サルバトールに教えてもらった呪文を再び唱えて鏡の中に消えていくのだった。




