私があんなことを願わなければ
「王子様と結婚したい」
子供のころに口にした、素朴な願い。
深い意味なんてなかった。
絵本で見た王子様とお姫様の結婚式が素敵だったから、そう言っただけ。
それがまさか、こんなことになるなんて――。
◇◇
目の前を青い羽根を持つ妖精が、ふわりと飛んでいった。
思わずまばたく。
王宮にいるところなんて初めて見た。
「妖精? どうしてこんなところに」と、隣のスヴェン様が呟く。
私たちは妖精を追うかのように、大広間に入る。すると入り口のそばで控えていた侍女から、
「大聖女様」と声をかけられた。
気がそれたすきに、妖精を見失う。
まあ、いいわ。
珍しくはあるけど、きっと気にするほどのことではないわね。用があれば向こうからアプローチしてくるはずだもの。
侍女が、
「ロナルド王太子殿下がお呼びです」と続ける。
「まあ、珍しい。なんのご用かしら」
『知らない』というかのように、首を横に振る侍女。
私と殿下は婚約関係にある。十年前、私が神様により大聖女に選ばれた際に、婚約を結んだ。
だけど殿下は心底私が嫌いなのだ。徹底的に私を避けている。
代わりに愛妾の男爵令嬢様を、公務でもプライベートでもパートナーにしている。国王陛下公認の仲だ。
今日はこの広間で、春の大舞踏会が開かれる。殿下は思う存分、愛妾様とイチャイチャしたいはずなのに。どうして私を呼ぶのかしら。
「おかしなことじゃなければ、いいけど」と、スヴェン様が顔をしかめた。
でもすぐに、
「まあ、なにがあっても君の護衛騎士たるぼくが、絶対にリーズを守るから。安心して?」と、私に笑顔を向ける。
あまりの美しさに、周囲の令嬢たちから黄色い悲鳴があがった。
わかるわ、その気持ち。
スヴェン様の素晴らしさは別格だもの。綺麗な顔立ち、スラリとして均整のとれた体、さらりと揺れる長い銀髪。
聖騎士の白い制服もよく似合って、まるで地上に降りた天使のよう。
しかも、我が国最強の騎士なのよね。
そんな彼が、平民出身の私なんかの専属護衛をしている。とても不思議。
「スヴェン様に守っていただくのは、本当に申し訳なくて。いまだに慣れません」
ふふっと笑うスヴェン様。
「リーズは本当に変わらないね。大聖女は我が国の宝なんだから、すべての人間にかしずかれて当然なんだよ」
「そんなの無理ですってば」
私はただの庶民!
どうして神様が私なんかを大聖女にお選びになったのか、まったくわからない。
たぶん選定を間違えたのだと思う。
一応『神聖力』は使えるし、大聖女のお役目である『浄化と回復』も滞りなくできている。
でもなあ。
本当は公爵令嬢とかを選ぶはずだったと思うのよね。
私、どう見たって大聖女ってガラではないもの。
庶民出身だし。見た目も平凡だし。秀でたところも特にないし。
あえて特別なところを言うなら、庶民のくせに、美しい公爵令息の幼馴染ということぐらい。
それがまあ、スヴェン様なのだけど。
「美しいスヴェン様が守るべきは、可憐な令嬢でないとおかしいです」
私がそう言うとスヴェン様は、
「ぼくはリーズ以外を守るつもりはないよ?」と、にこりとする。
ほんと、スヴェン様は優しすぎる。
庶民のくせに大聖女に選ばれてしまった幼馴染を、不憫に思ってくれているよね。
スヴェン様は公爵令息。私は彼の領地のお屋敷に仕える、執事の孫に過ぎない。
出会ったのは、私が五歳で彼が六歳のとき。私の両親が流行り病で相次いでなくなり、祖父に引き取られたのがきっかけだった。
本来なら、お坊ちゃんと使用人の子供が会うことはない。
だけど私は公爵夫人に気に入られてしまったのだ。というのも、私と同じ年の娘さんを、半年ばかり前に不治の病で亡くしたばかりだったから。
奥様は私をとても可愛がってくれた。
それでスヴェン様とも、まるで兄妹のように仲良くさせていただいたのだ。
本来なら、出会うはずがなかった私たちなのに。
あげくに私が大聖女になるとスヴェン様は、『リーズはぼくが守る!』と言って聖騎士を目指し、わずか十二歳で騎士見習いに採用された。そして十五歳のときに正式な聖騎士となり、以来、有事のとき以外は私の専属をしている。
見習いになったときから今までの九年の間に、スヴェン様は内乱の鎮圧や隣国との度重なる戦に赴いた。
そして毎回目覚ましい武勲をあげて、今では我が国最強と謳われている。
あまりに強いから、他国の王侯貴族・宗教団体からの勧誘が絶えないぐらい。
あまたの名だたる騎士から尊敬されてもいる。
そんな素晴らしすぎるスヴェン様が、私の専属。
嬉しいけれど、申し訳ない。
しかもこのままじゃ、スヴェン様は婚期を逃してしまいそうなのよね。
『聖騎士の仕事に全身全霊をかけているから』と言って、スヴェン様は結婚どころか婚約すらしていない。グライスナー公爵家の跡取りで、もう二十一歳だというのに。
本音を言えば、スヴェン様に大切な人ができるのは悲しい。
でも幼馴染ごときが、そんな分不相応なことを願ってはいけないのよ。
そもそも願い事では、一度失敗をしているもの。
人混みを抜けて侍女に告げられた場所につくと、ロナルド殿下がいた。愛妾様の腰を抱きながら、床に這いつくばっている侍従を激しく蹴り飛ばしている。
「なにをなさっているのですか!」
思わず叫び、侍従に駆け寄る。
ひざまずいて顔をのぞきこめば、原形をとどめないほど腫れあがり、侍従は白目を向いて気絶していた。しかもよく見れば見知った人で――
「殿下の筆頭専属侍従ではありませんか!」
「だがカーライルは、私のケイティにぶつかったのだ!」と、ロナルド殿下が叫ぶ。
殿下はスヴェン様ほどではないけれど、それなりに美男だ。でもそれが台無しになるほど醜悪な表情をしている。
「そうよ、よりによって胸に! 気持ち悪いわ!」と、愛妾様が叫ぶ。
「こいつをかばうなら、貴様も同罪だぞ!」
「そうよそうよ!」
「ですが死んでしまいます!」
「そうしたら新しい侍従を雇えばいいだけのこと」
ロナルド殿下がバカにしたように笑う。
あまりのひどさに、体がふるえた。
筆頭侍従は勤続十年以上。殿下が幼いころから仕えている。
それなのに死んでも構わないというの?
あんまりだわ。
侍従に向けて『回復』の神聖力を放つ。
そんな私と殿下の間にスヴェン様が割り込み、片膝をつく。
ちらりと視線を送ると、スヴェン様はロナルド殿下の振り上げた右足を掴んでいた。
「大聖女様への暴力は看過できかねます」
スヴェン様が冷ややかに告げる。
その隙に私は侍従を回復し終えた。
彼の顔は元通りになり、意識はないものの穏やかに呼吸をしている。
これなら大丈夫ね。
スヴェン様のおかげで、治すことができた。
「終わりました」
と告げると、スヴェン様は殿下の足を離す。そして私に手を差し伸べて立たせてくれた。
一方でロナルド殿下は顔を真っ赤にして、プルプルと震えていた。
そりゃそうよね。無様に足を掴まれて、払いのけることもできなかったのだもの。
「き、貴様! 不敬だぞ!」
「私は教皇様より、命に代えてでも大聖女様をお守りするよう命じられています」
スヴェン様が静かに反論する。声の質も喋る速度も完璧で、余裕と高貴さが感じられる。
それに比べてロナルド殿下といったら。言動全てが残念すぎる。
「だとしてもだ!」
殿下が声を張り上げる。
私たちはすっかり注目の的だ。でも助け船は期待できない。
王族に逆らうと、それがどんなに正しかろうが些細なことだろうが、相手の気分次第で不敬罪で逮捕されてしまう。
私だって本当はこんな殿下も王族も好きじゃない。
――とにかく今は、スヴェン様の身を守らなければ。
私はスヴェン様の前に出た。
「お許しください。彼は聖騎士の仕事をまっとうせねば、その資格を失うのです」
「失えばいいじゃない」と愛妾様が笑う。「命を失うよりかはましでしょ」
そうなんだけど!
スヴェン様の場合、どちらに重きを置いているかが確かじゃないから不安なのよ!
私は再び床にひざをつき、頭を下げた。
「ところで殿下、私へのご用はなんでございましょうか」
「無理やり話題を変えるな!」と怒るロナルド殿下。
たぶん、スヴェン様も怒っている。私が殿下にへりくだった態度を取るのが、好きじゃないのよね。
でも私は当然のことだと思っている。
私は庶民出身だもの。いくら今は侯爵家の養女だからといって、出自まで変えることはできない。
それに殿下が私なんかと婚約することになったのは、私の幼いころの願い事が原因。彼は被害者なのよ。
「申し訳ありません。舞踏会が始まると、殿下はお忙しいかと思いましたので」
「……まあいい。そこの愚か者のせいで、私の靴が汚れたからな。着替えにもどらなければならないし」
その言葉に殿下の靴を見ると、血にまみれていた。
「では用件を伝えてやろう」
殿下がすっと息を吸い込む音が聞こえた。
「リーズ・ロッテンブルク! 貴様との婚約は破棄する!」
「……え?」
婚約破棄って今、言ったの?
顔を上げると、殿下と愛妾様が満足げに笑っていた。
「貴様はもう神聖力は失った! よって私との婚約の条件も消えた。王都からも追放する! さあ、どこにでも去れ、平民の虫けらよ!」
ええと?
私はたった今、神聖力を使って侍従を治したのだけど。
そういうことじゃないわよね?
殿下がどうしても婚約破棄をしたくて考えた設定ね?
私たちの婚約は、王族に伝わる不文律【大聖女が現れたら、必ず王子妃に迎えること】にのっとって決められた。
だから結婚を回避するには殿下が王子をやめるか、私が大聖女でなくなるかしか方法がない――ということなのよね?
背後のスヴェン様から不穏な空気を感じるけど、渡りに船だわ!
聖女のお役目は神殿以外でもできるはずだし。
そもそも不文律だって本当に存在するものなのか、怪しいし。
私は精一杯恭しく、
「かしこまりました」と答えた。
殿下は鼻を鳴らすと、愛妾様と共に踵を返した。
ふたりの気配が消えるのを待って、立ち上がる。
予想どおり、恐ろしい顔をしたスヴェン様と目が合った。
「あのクソお……!」
不穏な言葉を言いかけた彼の口を、慌てて手で塞ぐ。
あ!
彼の唇に触れてしまった。
「失礼なことをしてごめんなさい! でも堪えてくださいな。私はよかったと思っていますから!」
ね?と首をかしげると、スヴェン様は渋々といった様子で頷いてくれた。
ほっとして手を離す。
「『よかった』って」
スヴェン様が魔王のような顔で、地の底を這うような声を出す。
いけない、まだ気は抜けないわ。
「だって、私が『王子様と結婚したい』なんて願っていなければ、殿下は愛妾様と婚約できていたはずですもの。 ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
「……確かにリーズがああ願ったときは、驚いたけどね」
スヴェン様がため息をつく。
「こんなことになるとは思わなかったのですもの」
「君に絵本を見せたことを、随分と後悔したものだ」
そう。私が願い事を思いついた元凶の絵本は、スヴェン様の持ち物だった。
「それはともかくとして」と、スヴェン様がまた怖い顔をする。「リーズはどうせ、ひとりでお役目を続けるつもりなのだろ?」
「だって私が浄化の祈りを捧げなかったら、いずれ瘴気が蔓延してしまいます」
この国の地下には、かつて人間に滅ぼされた魔物の国があるらしい。そこは魔物の死体で埋め尽くされ、死体からは地上の生きとし生けるものすべてに有害な瘴気が発生しているとか。
それが時々地上に噴き出す。
そしてそれに合わせて我が国の守り神が、瘴気を浄化するための【大聖女】を選ぶのだ。
瘴気の噴出期間は、その都度違う。一年未満のこともあれば、数十年のこともある。
今回は、前回の噴出から数百年も経っているので、今までにないほどの長い年月がかかると見込まれている。
私が大聖女になって、まだ十年。恐らく噴出が終わるまで、まだ何十年もある。
ここで私が役目を放棄してしまったら、確実に国民は死に絶える。
「……もどかしいけど、そういうリーズの優しいところが好きだよ」
スヴェン様がそう言って微笑む。
本当に優しくて、困ってしまう。
『好き』なんて言葉は、安易に異性の幼馴染に言ってはいけない言葉なのよ?
言われるたびに私は勘違いしそうになって、苦しいのだから。
だけど内面を悟られないように、にこりと微笑む。
「私だってスヴェン様のお優しいところが大好きです!」
「嬉しいな」とスヴェン様が微笑む。それから、「ぼくは君にしか優しくないけどね」と続けた。
「そんなこと――」
「あるよ。そして可愛くて健気なリーズを粗雑に扱うヤツらは、地獄に送る。たとえ誰であろうともね」
「スヴェン様!」
慌ててまわりを見るけど、幸い今の発言を咎めそうな人はいなかった。
ほっと胸をなでおろす。
そのとき、国王入場を知らせるラッパが鳴った。
ロナルド殿下の父親である国王陛下が、近衛騎士や側近を従えやって来る。
「さて」とスヴェン様は呟くと、私の手を握り陛下のほうへ向かって歩き始めた。そして、「頼むよ、ヴァン」と言う。
「え?」
首を巡らせると、私の左後ろにスヴェン様の聖騎士仲間であるヴァンタン様がいた。
いつの間に?
目が合うとヴァンタン様はにこりとしたものの、なにも言わなかった。
そうしているうちに、スヴェン様は陛下の目前に出てしまった。
これは絶対に不敬!
見逃されるレベルじゃない!
「スヴェン様」
と、繋いだ手を引っ張る。だけどスヴェン様は見向きもせず、怒り心頭の陛下に向かって、
「王太子殿下が、大聖女リーズ様は神聖力がなくなったからという理由で、婚約破棄を断行しました」と静かに告げた。
「スヴェン様、私は構いませんから!」
「もちろん、大嘘です。その直前に彼女は神聖力で怪我人を治療した。多くの招待客が見ています」
「それがどうした!」
ついに陛下が叫んだ。
「大聖女の祈りがなければ、我が国は瘴気におおわれ滅びる。王太子殿下がしたことは、国と国民への裏切り行為です。そして大聖女への侮辱でもある」
「不敬罪だ、殺せ!」
陛下の怒声、「ちょっと待ってね」との一言と共にほどかれる私の手、私を守るかのように前に立つヴァンタン様、剣の柄を握るスヴェン様――。
すべてが一瞬のことだった。
『待ってね』の意味を理解できたときには、陛下は床に這いつくばり、その首にスヴェン様が剣を突きつけていた。
国王を守っていた近衛たちは聖騎士やグライスナー公爵家の騎士たちに取り囲まれて、降参をしている。
「なんなんだ、この騒ぎは!」
ヒステリックな叫び声がして、ロナルド殿下が姿を現した。相変わらず愛妾様の腰を抱いている。
「貴様!」と、スヴェン様を指さすロナルド殿下。
そこへ飛び込んできた男が、殿下を張り倒した。
床に無様に転がった殿下の顔を男は蹴り飛ばし、その頭を踏みつける。
ぐえっとカエルが潰れたような声がして、ロナルド殿下は動かなくなった。
スヴェン様が男に、
「すっかり回復したようだね。よかった」と、声をかける。
男は先ほどロナルド殿下に殺されかけていた、筆頭専属侍従だった。
彼は、
「大聖女様の慈悲に、少しでも報いることができましたならば」と恭しく頭を下げる。
「これからもその気持ちを忘れずにね」
ふたりは、怒り狂っている陛下をすっかり無視している。
愛妾様もグライスナー家の騎士に拘束された。
「クーデター……?」
どこからかそんな声が聞こえてきた。
スヴェン様が周囲を見渡す。
「ロナルド王太子は我欲を満たすために、大聖女様に追放命令を出しました。国王はそれを咎めなかった。彼女を失い、この国が滅亡しても良い方は挙手を。多数いるのならば、我々は引きましょう」
私は不安で、小さく「スヴェン様」と呼ぶ。
彼の耳に届いたようで、スヴェン様は私に微笑んだ。『大丈夫だよ』とでもいうように。
「我が息子の言うとおり」
今度はそんな声と共にグライスナー公爵様が現れた。自信たっぷりに、
「瘴気にまみれたこの国で、現王族と共に朽ち果てたいという意見が多数ならば、我々はそれに従う」と宣言をする。
陛下と愛妾様が必死に、
「手をあげろ、騙されるな!」
「お人好しの大聖女は、追放されても祈り続けるから問題ないのよ!」
「いや、追放はしない!」
などと叫んでいる。
だけど、大広間に集まった百を超えるひとたちの中に、手を挙げる者はひとりもいなかった。
「これが臣下の総意だ」と、陛下に向かって微笑むグライスナー公爵様。「あなたと王太子、愛妾の三人は、国と民を滅亡させようとした国賊として逮捕する」
「なるほど。それでそなたが新国王として即位するのか」
その言葉と共に、公爵様の傍らに地の精霊王様が現れた。
私は急いでひざまずく。だけどスヴェン様と私以外は精霊王様を知らないから、ぽかんとした顔で彼をみつめている。
「我は地の精霊王だ」と精霊王様。
それを聞いたグライスナー公爵様も床に片膝をついて、頭を垂れた。
「大恩あるリーズに不穏なものを感じたから来たのだが、解決したようだな」
「そのとおりでございます」と、スヴェン様が剣を王につきつけたまま、かしこまる。
「もしや先ほど妖精が飛んでいたのは」
と、私が問いかけると、精霊王様は大きくうなずいた。
「リーズが心配だったからな」
「ご厚情、ありがとうございます」
「なにを言う。リーズは私の恩人だ」
カラカラと楽し気に笑う精霊王様。
でも、私がしたのはたいしたことじゃない。
それは大聖女に選ばれ、明日都に上がるという日のことだった。
グライスナー邸の敷地の端で、怪我をしている立派な牡鹿を見つけた。だから、使えるようになったばかりの神聖力で治した。
その牡鹿が、地の精霊王様だった。そして傷は瘴気が原因。発生にいち早く気づき様子を見に行ったところ、当たってしまったらしい。精霊たちにとって瘴気は人間以上に危険だそうで、通常では癒えないという。神聖力だったから治ったのだそうだ。
精霊王様は、
「新しい王はリーズを丁重に扱うだろうな?」と、グライスナー公爵様に尋ねる。
「もちろんでございます」
即座に答えるグライスナー公爵様。国王陛下がなにやら叫んで怒っているけれど、誰も相手にしない。
精霊王様も、
「では、祝福しよう。神もきっと御喜びだ」と言って、上を見上げた。
するとたくさんの花々が降って来た。
「これは良い御代になるぞ!」と、どこかから声が上がった。
「リーズ」と、精霊王様が私に微笑む。「お前の願い事、しかと叶えるからな」
「願い事……」
それって、もちろんあれよね。
精霊王様を助けたときに「礼をする。願い事をひとつ申せ」と言われて、私が答えた「王子様と結婚したい!」の言葉。
そのせいでロナルド殿下を私に縛り付けてしまった。
でももう殿下は王子じゃなくなる。
そしてグライスナー公爵が新国王?
となったら『王子』は、もしかしたらスヴェン様?
「精霊王様、待って!」
慌てて叫んだけれど、もう、精霊王様の姿は消え失せていた。
美しい花々を挟んで、スヴェン様と目が合う。彼は、極上の笑みを浮かべていた。
◇◇
縄でぐるぐる巻きにされた国王陛下と愛妾様、いまだ気絶しているロナルド殿下たちが大広間から連れ出されていく。
それから教皇様や聖騎士団、有力貴族などに囲まれている、スヴェン様とグライスナー公爵様。
ヴァンタン様よると、元々彼らは今日決起する予定だったという。そこに折よくロナルド殿下が愚かな行動に出た。だからスヴェン様はそれを利用したのだろうという。
スヴェン様はずっと、ロナルド殿下を憎んでいたから、と。
彼らの役に立ったのは、嬉しいけれど――。
スヴェン様が一団から抜け出し、私の元へ来る。
「お待たせ、リーズ。怖い思いをさせてごめんね」
「スヴェン様!」私は彼の胸元にすがる。「公爵様が新国王になるのですか!」
「そうだね」と、微笑むスヴェン様。「すでに主要なところからの了承は得ているし、地の精霊王様のお言葉添えもあるから、このまま決まるだろう」
「でしたらスヴェン様は王子様にならないでください!」
「どうして」と、首をかしげるスヴェン様。
「だって、んむっ!」
スッとスヴェン様の手が伸びてきて、人差し指で口を抑えられた。
「リーズはちっともわかってくれないね。今まではアイツがいたから言えなかったけれど、ぼくは君を好きだよ」
「んんん!」
「『まさか!』って言ったでしょ? 気づいていないのは君だけだよ」
ヴァンタン様が大きくうなずく。
「なんでぼくが聖騎士になったんだと思ってる?」
「んんんん!」
「『同情』じゃないよ?」
どうして言葉になっていないのに、スヴェン様は私の言葉が全部わかるの⁉
「君を守るため、強さと地位を手に入れたんだ。少しは信じてほしいな。ぼくが心の底から君を好きだってこと」
えええ?
本当に?
スヴェン様は微笑むと、私の口を抑えていた指を、ゆっくりと離した。
「……ありがとうございます。すごく嬉しいです」
ずっと私もスヴェン様が好きだった。スヴェン様は幼馴染を守ろうと、並外れた努力をして聖騎士になり、常にそばで支えてきてくれた。そんな人を好きにならないほうが、難しいもの。
「でも私は庶民出身です。グライスナー家にもスヴェン様にも、相応しい人間ではありません」
本来なら私たちの間には、知り合うことすら不可能な身分差がある。だけど――。
スヴェン様は私が地の精霊王に『王子様と結婚したい』と願ったことを知っている。
ということは、もしかしてスヴェン様は私と結婚するために、クーデターを起こしたの?
スヴェン様が私の両手をとり、そっとキスをする。
「君が精霊王に願い事を伝えたとき、ぼくがどれほど絶望したか、わかるかい?」
「え、そんなに前から……?」
「十年がんばったぼくに、褒美をくれないかな? ほしいのは、泣きそうな顔で言われる遠慮の言葉じゃないんだ」
きゅっと胸の奥が痛くなる。
スヴェン様のように素晴らしひとのとなりに立つのが私では、申し訳なさすぎる。その気持ちは変わらない。
だけど、スヴェン様が求めてくれるなら、自信と覚悟を持つべきね。
「スヴェン様」
「ん?」
「お慕いしています」
スヴェン様の顔が大輪のバラが咲いたかのように、ほころぶ。
「嬉しいな。大好きだよ、リーズ」
額にちゅっとキスをされる。
もしかしたら精霊王様は、すべて見越して私に願い事を尋ねたのかもしれない。
悪い王族はいなくなり、人々もほっとしているもの。
真相はわからないけど、スヴェン様に好いてもらえていたなんて。とっても幸せだわ。
◇◇
リーズの警護をヴァンに任せて、国王の執務室に入る。誰もいない。父もまだ来ていないらしい。
これからやらねばならないことが、山積みだ。だが、どれも嬉しいものばかり。
ようやくここまで来たのだ。鼻歌でも歌いたい気分だ。
背後の扉が開く。入ってきたのはロナルドの筆頭専属侍従カーライルだ。
彼は、
「ご計画の成功、心よりお祝い申し上げます」と、恭しく頭を下げた。
「ありがとう」と答えつつも、苦笑してしまう。「お前、危うく死ぬところだったじゃないか」
「そうでもございませんよ」と澄まして答えるカーライル。「ちゃんと大聖女様が大広間に入ったのを確認してから、愛人にぶつかったので」
「顔が潰れてたが?」
「大聖女様のお人柄もお力も、よく存じていますから」
「まあ、アレのおかげでぼくたちのつながりも、お前の入れ知恵も悟られることはないだろうね」
大きくうなずくカーライル。
「殿下がこの先なにを暴露しようが、自分を張り倒した侍従に復讐しようとしているだけとみなされるでしょう」
「そのとおりだ。よくやってくれた」
「でないと、あなたに処分されかねませんからね」とカーライルが微笑む。
「ぼくはそんな人でなしではないよ」
「自分が王子になるために、なにをしましたか?」と彼は笑う。
カーライルとはずいぶん昔から、手を組んでいる。俺は彼を使って、ロナルドがより愚かで悪辣なふるまいをするよう、仕向けてきた。もちろん集大成が今日だ。
『リーズならば汚名を着せられても追放されても、大聖女の役目を果たすだろう』と囁き、婚約破棄をそそのかした。
ほんの一時でも彼女がなじられるのは、耐えがたいことではある。
だけどぼくが彼女を手に入れるためには、絶対に必要なことだったから、心を鬼にした。
おかげで全て成功。
ぼくはようやく彼女を手に入れることができた。
父には明日にでも即位してもらう。そうすればぼくは晴れて王子だ。リーズの願いは叶う。もちろん、ぼくのもだ。
◇◇
ロナルド殿下たちが逮捕された事件から、一ヵ月。
スヴェン様と私はパレード用馬車に乗って、街中を進んでいる。
通りにあふれた人々は、祝福を叫び、花を投げる。しかも多くの妖精が馬車の上をずっと楽し気に飛びまわっている。
なぜなら、王太子と大聖女の結婚披露パレードだから。
なんと私たちはほんの少し前に、結婚式をあげてきたのよ!
たった一ヵ月前はロナルド殿下の婚約者だったのに。
彼に婚約破棄された翌日には、新しく王太子となったスヴェン様と婚約をした。
挙式は一年後ぐらいかしらと思っていたら、まさかの一ヵ月後。早すぎじゃない?
「ぼくにとっては一日千秋だったよ」と隣にすわるスヴェン様が、群衆に手を振りながら吐息する。「でもようやくこの日がきてくれて、幸せだよ。リーズ、ウエディングドレスがよく似合っている。可愛いね」
スヴェンが私の額にちゅっとキスをする。
純白のドレスは、彼からのプレゼント。デザインは彼がしたらしい。私の好みにぴったりで、驚いてしまった。
「ありがとうございます。スヴェン様もすてきです」
私も市民のみなさんに手を振りながら、スヴェン様に伝える。
「嬉しいな」と言って、今度は頬にキスをするスヴェン様。
あの日以来スヴェン様は、キス魔になってしまった。隙あらば、キスしてくる。
くすぐったくて、恥ずかしくて、とても嬉しい。
スヴェン様とはずっと一緒にいたけれど、大聖女と護衛の聖騎士という関係だった。それが今は伴侶!
信じられない。
地の精霊王様に願った時には、スヴェン様と結婚することになるとは微塵も思っていなかったもの。でも――
彼の美しい瞳を見つめる。
「スヴェン様。私、今とても幸せです。ずっとそばにいさせてくださいな」
「それはぼくのセリフだよ。ずっとリーズを守らせてほしい」
はいと答えると、破顔したスヴェン様が私を抱きよせた。
「大好きだよ、リーズ」
「大好きです、スヴェン様」
唇が軽くふれるだけのキスをすると、歓声がひときわ大きくなった。
《おしまい》
こちらの作品は、氷雨そら先生主催の「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。