エピローグ
賀茂の齋院のお話は、和泉式部日記ではなく、大鏡に載っています。
この後、和泉式部の恋は、忍ぶ恋ではなく、みなの知るところとなります。
帥の宮敦道親王が、賀茂の祭りの齋院ご帰還の行列を、和泉式部とご同乗になって見物されたという話は、あまりにも有名で私にまで噂が聞こえてきました。お車の正面のすだれを真ん中からお切りになって、ご自分のほうは高く巻き上げ、式部のほうは降ろしてその下から艶やかな着物の裾やたもとを下ろして、車を停めていらっしゃったということだった。見物の人々が、齋院ではなく宮と式部を見物していたということでしたね。
お二人の熱愛ぶりは、度々噂になりましたが、東宮の妹君を離縁しての事でしたし、身分の違いもありましたので、よくは言われません。
ところが、よくよく運のないことに、帥の宮敦道親王は、二十七歳の若さで亡くなってしまわれます。悲しみに暮れる和泉式部は、『和泉式部日記』を書き、その才能と美貌で、喪が明けると父道長の要請でわたくし、一条天皇の中宮、長女彰子の女房となったのでありました。
女房としては、申し分なく才能を発揮し、一条帝後宮私の女房達を代表する女人の一人となります。
後に、父道長の家政にその人ありと知られた藤原保昌と再婚します。実に恋多き女性でありました。
次は、和泉式部の娘、小式部の内侍のお話をいたしましょう。(火曜日までお待ちください。)
和泉式部日記には、百五十首以上の和歌が書かれていますが、筆者が気に入った歌だけ載せています。(笑)小式部の内侍のお話は、火曜日までお待ちください。